漢学者は「博奕」を「はくえき」または「ばくえき」と読み習わす

漢学者は「博奕」を「はくえき」または「ばくえき」と読み習わす 【「博」という字は、「ひろい」「ひろめる」「ゆき わたる」「おおきい」「おおい」「とおい」という ような結構な意味を持っている。また「奕」という 字も、もともとは人間が両手を広げて…

飲む、打つ、買う、という男子の三大道楽のうち……

飲む、打つ、買う、という男子の三大道楽のうち…… 【私は生来のバクチ好きで、勝ち負けはともかく、 どれくらいの貴重な時間を競馬場や麻雀屋で空費 したかわからない。少なくとも十年は出世を遅ら せたにちがいない、と思う。実は若い時分から、 そんなこと…

バブルの荒波が押し寄せ、あろうことか父は伊豆に引越した

バブルの荒波が押し寄せ、あろうことか父は伊豆に引越した 【私はその後、千歳烏丸から稲城へと越し、去年の 秋に日野へと移った。多摩川ぞいの、ギリギリ東 京都民として踏みとどまっている。京王線も次の 特急停車駅は、終点八王子であるから、もう後が な…

私は先天性の都市生活者、ビルの谷間を二十回も引越した

私は先天性の都市生活者、ビルの谷間を二十回も引越した 【よんどころない事情で東京を去ることを、 「江戸を売る」と言う。わかりやすく言うと 「都落ち」である。江戸っ子にとって生まれ た故郷を去ることは、何か不始末をしでか して居場所がなくなるとい…

「私から小説を奪ったら、骨のかけらも残りません。」

「私から小説を奪ったら、骨のかけらも残りません。」 【三十五で初めて原稿料なるものをちょうだ いし、四十に手の届く齢になってようやく 単行本が出た。何冊かの小説を世に出した あとで、直木賞をいただいたとき、授賞式 の壇上で、思わず本音を漏らして…

小説家に「なりたい」のではなく、「なる」と決めつていた

小説家に「なりたい」のではなく、「なる」と決めつていた 【ただし偉そうなことを考えていたわりに、デビ ューまで長い年月を要した。最初の十年は意地、 次に十年は執念、続く数年は身も心も削るよう にしてようやく小説で飯が食えるようになった】 浅田次…

幼い日の通学路は山の手をまっすぐに延びる青梅街道だった

幼い日の通学路は山の手をまっすぐに延びる青梅街道だった 【その道は「電車通り」と呼ばれていたのだが、都電 に乗った記憶はない。鍋屋横丁に近い自宅から杉並 区のミッション・スクールまで運転手付きの外車で 通っていたからである。専従のメイドが教室…

愛する猫に死なれた女と不幸を餌にして生きる小さな神獣

愛する猫に死なれた女と不幸を餌にして生きる小さな神獣 【こうして原稿を書いている間にも、七匹の猫 たちはいぎたなく寝こけている。こいつら何 を考えているのかと思えば、腹立たしくなる ことしばしばあるが、彼らのもたらしてくれ る安息は、いったいど…

子供の時分からともに暮らした小動物は枚挙にいとまない

子供の時分からともに暮らした小動物は枚挙にいとまない 【歴代の愛鳥も巣からこぼれ落ちた雛であった。 雀でもそのように出会い、そのように育てる と、いわゆる「手乗り」になる。ひとつの茶 碗で飯を食うほどの仲になる。しかしそもそ も野鳥であると思え…

わが家の十匹の猫はすべて血脈を持っている

わが家の十匹の猫はすべて血脈を持っている 【いじめられるわけではないのだが、モモはほか の猫たちを怖れていた。なにしろ、猫という生 き物をしらなかったのである。ひがな部屋の隅 にちぢこまって、少しでもほかの猫が、近寄ろ うものなら唸り声をあげ、…

娘は東北の大学に合格してさっさと家を出て行ってしまった

娘は東北の大学に合格してさっさと家を出て行ってしまった 【娘は父母と別れることはさして感慨がない様 子であったが、ともに育った十匹の猫たちに は未練がましく別れを告げていた。その姿を 見ながら、私はふと思い当たった。わが家は 昔から猫まみれであ…

次に猫だが、この必要性はまったく犬とは異なる

次に猫だが、この必要性はまったく犬とは異なる 【猫は環境さえ整っていれば、まったく手がかからな い。一匹でも二匹でも三匹でも、さほど飼主の手間 が変わらないが小説家の孤独感は飼猫の数の分だけ、 ちゃんと救われる。時として作家がたくさんの猫を 飼…

古今東西、小説家は動物好きと決まっているらしい

古今東西、小説家は動物好きと決まっているらしい 【犬を飼っていれば、日に一度、少なくとも三十 分かそこらの散歩をさせなければならず、これ は犬という動物の生理上、一日も欠かせるわけ にはいかないのである。つまり実際は小説家が 犬を連れて散歩をし…

「よおし、決まった。今日から俺が、お前のパパだ」

「よおし、決まった。今日から俺が、お前のパパだ」 【パンチという名のこ純白の雑種犬は、私に幸 運をもたらしてくれた。ほどなく原稿が売れ 始め、あれよあれよという間に何冊もの本が 出、新人賞までいただいた。かくて、私はそ の数年後、郊外の丘の上に…

根っからの動物好きだから「ペット」という言葉が嫌いである

根っからの動物好きだから「ペット」という言葉が嫌いである 【マンションから貰われてきたパンチ号は、しばらく の間おのれの運命がわからず、耳を垂れ、尻尾を巻 いてふるえていた。持参品である室内用の便器から 出ようとせず私を横目で睨みながら吠え続…

西郷隆盛は、しばしば一国を一家になぞらえる

西郷隆盛は、しばしば一国を一家になぞらえる 【私は十五の歳に家を捨ててしまった。父の 粗野な言動がともかくとしても、学問や芸 術にいっこう理解を示してくれぬ家庭が耐 え難かった。三つ齢上の兄も、私ほど先鋭 ではないにしろ、およそ似た行動をとった…

いくたびもの辛酸をなめるたびに私の志は堅くなっていった

いくたびもの辛酸をなめるたびに私の志は堅くなっていった 【志を捨てさえすれば楽な人生はいくらもあったはず だが、たとえ玉砕してでも筆一本で立とうと誓い続 けてきた。まさに「一家の遺事 人知るや否や」で ある。もし、父が私にいくらかでも美田を与え…

「子孫に美田を残さず」という諺の出典がどうも見当たらぬ

「子孫に美田を残さず」という諺の出典がどうも見当たらぬ 【「子孫に美田を残さず、という諺がある。 俺は余命を悟ったらビタ一文残さずバク チをぶつか、さもなくば慈善団体に寄付 するからそう思え」と亡父は口癖のよう に言っていた。まこと因業な父であ…

私の祖母は粋で気っぷのよい辰巳の鉄火芸者だった

私の祖母は粋で気っぷのよい辰巳の鉄火芸者だった 【物心ついたころから、祖母はしばしば私を歌舞伎座 に連れて行ってくれた。当時の芝居見物は、庶民に とって、映画館に行くの同じほどの日常で、べつだ ん改まった予定もなく、「しばやに行くよ、支度し な…

私の祖父母は絵に描いたような江戸っ子であった

私の祖父母は絵に描いたような江戸っ子であった 【伊豆栄に鰻を食いに行ったとき、なかなか出てこな いので「遅いね」と言ったら、両方からゲンコをも らった。蒲焼は旨いものほど手間をかけて焼くので、 督促はご法度、というわけである。もちろんその逆 に…

母は私が海外にいる間に死んでしまった

母は私が海外にいる間に死んでしまった 【けっして冷たい人ではなかった。母は貴族的ビヘ イビアと、江戸前のダンディズムを貫いて生きた 人だった。どちらか片方を持つ人はいくらでもい るが、両方をきちんと持ち合わせている人を、私 はほかに知らない。お…

『椿山課長の七日間』、執筆の動機は母の死である

『椿山課長の七日間』、執筆の動機は母の死である 【母とは縁(えにし)が薄かった。十一歳のとき に生き別れ、ほどなく再会したが十四のときに また生き別れた。以来ひとつ家に暮らしたこと はなく無音であった時代も長かった。私たちに はそれぞれ放浪癖が…

「切れますよ」とおっしゃった外山先生のお言葉は神の声

「切れますよ」とおっしゃった外山先生のお言葉は神の声 【あの日の鴨川での予感は当たった。母の手術の あと、まるでそれまでの不運が嘘であったかの ように小説が売れ始めた。だから、母と外山先 生をモデルにした『天国までの百マイル』を、 精一杯の感謝…

私の母は外山雅章先生の執刀で心臓バイパス手術を受けた

私の母は外山雅章先生の執刀で心臓バイパス手術を受けた 【母はたいそう病弱な人で、若いころから糖尿病を 患っており、同居した四十そこそこの齢ですでに 狭心症の兆候が現れていた。五十代になってから は、しばしば発作に見舞われて、救急車のお世話 にな…

どうやら日本は、魂までアメリカに占領されてしまったらしい

どうやら日本は、魂までアメリカに占領されてしまったらしい 【私に身体髪膚を授けた実母は、介護どころか 一切の医療行為すら拒否して亡くなってしま った。C型肝炎に起因する肝臓癌であった。 発癌の宣告を受けたとたんに通院をやめ、そ れから、五年間を…

駅は別れの場所である

駅は別れの場所である 【十九の冬に愛する人と別れたのは、新宿駅のプ ラットフォームだった。今の恋人なら、さしず め、抱き合ってくちづけをかわすのだろうけど、 私たちは、握手をしただけだった。永遠に会う まいと胸に誓って、私は愛する人の手を握った…

小学校は一学年は四十人足らずの一クラスしかなかった

小学校は一学年は四十人足らずの一クラスしかなかった 【私はやんちゃでいたずらで、学級の問題児だった。 ――君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい。 礼拝のあとで、先生が微笑みながらおっしゃった 言葉を、今も、はっきりと覚えている。叱責でも 説教…

蔵王では聞きしにまさるゲレンデの雄大さに圧倒された

蔵王では聞きしにまさるゲレンデの雄大さに圧倒された 【山形の蔵王スキー場で年を越したのは、中学に 入学したころであったかと思う。何十年も昔の 話である。帰省客とスキー客でごった返す上野 駅のホームで奥羽本線の夜汽車に乗ったとたん、 途方もない、…

私と別れてからの三十数年を、母はひとりぼっちで生きた

私と別れてからの三十数年を、母はひとりぼっちで生きた 【職業を憎んだのは、そのときだけであったと 思う。好きなことをやっているのだから、他 人が考えるほどの苦痛はないが、捨ててきた ものの余りの多さに、私は、そのとき、よう やく気付いた。古びた…

母の里は奥多摩の御岳山である

母の里は奥多摩の御岳山である 【家の伝承によれば、何でも熊野の修験であった 私の十八代祖が、徳川家康の関東入封に際して 道中の先達を務め、そのまま命じられて御岳山 の神主になったという。神社の起源は遥か神代 にまで遡るらしいので、山上の神主の中…