いくたびもの辛酸をなめるたびに私の志は堅くなっていった

いくたびもの辛酸をなめるたびに私の志は堅くなっていった

【志を捨てさえすれば楽な人生はいくらもあったはず
 だが、たとえ玉砕してでも筆一本で立とうと誓い続
 けてきた。まさに「一家の遺事 人知るや否や」で
 ある。もし、父が私にいくらかでも美田を与えてい
 たなら、とたんに志は消えうせていたはずであった】

浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(15)

第二章 二人の母(9)
◇一家の遺事◇(中)

いくたびもの辛酸をなめるたびに私の志は堅くなっていった

《 ◆ドキッとするピクチャー(Source:REUTERS) ◇Conflict in Gaza 【Palestinian man reacts next to the body of his relative, whom medics said was killed by Israeli shelling near a market in Shejaia, at a hospital in Gaza City July 30, 2014. REUTERS/Mohammed Salem】 【Palestinian men wheel a stretcher transporting the body of a Palestinian, whom medics said was killed by Israeli shelling, as smoke rises near a market in Shejaia in the east of Gaza City July 30, 2014. REUTERS/Ashraf Amrah】 【An Israeli Air Force Apache helicopter fires flares in the sky above the Israel-Gaza border July 30, 2014. REUTERS/Baz Ratner】 いくたびもの辛酸をなめるたびに、私の志は 堅くなっていった。 志を捨てさえすれば楽な人生はいくらもあっ たはずだが、たとえ玉砕してでも筆一本で立 とうと誓い続けてきた。 まさに「一家の遺事 人知るや否や」である。 もし父が私にいくらかでも美田を与えていた なら、とたんに志は消えうせていたはずであ った。 ちなみに、「偶成」(注〈感懐〉と同じ詩) と題するこの西郷隆盛の立派な詩は、朋友た る大久保利通あての手紙にの中に詠まれてい る。 維新になって同志の心がゆるみ、奢侈に流れ ていることを嘆いた西郷が、思いをこの詩文 に託したのである。 また南州遺訓によれば、西郷はこの詩を示し て、「もしこの言に違(たが)いなば、西郷 は言行反したるとして見限られよ」と言った という。 明治の偉人たちはみなそれぞれに名言を遺し ているが、言行一致という点では西郷に並ぶ 人物はいない。たしかに西郷の言葉は西郷の 行動そのものなのである。 大久保より三歳齢上、伊藤博文より十四歳も 年長の西郷は、外国を知らず、西洋の文化を 信じなかった。革命家ではあっても、新時代 の建設者としては置き去りにされた感がある。 しかしながら、この詩の文言は重い。「偶成」 とは、たまたま心に浮かんだ即興詩の意であ るが、この題を付したのは西郷の洒落であろ う。けっして思いつきではなく、つねづね考 えていたことを、西郷はこの詩に託したにち がいない。 けだし名言であるからこそ、「不為児遜買美 田」の一行は私信から歩み出て、後世の人々 に「子孫に美田を残さず」という金言となっ て伝えられた。 私の父は、ただの吝嗇家であったのかもしれ ない。多分に偏屈で、利己主義であったこと は、その弔いの客がほとんど私と兄の関係者 であった事実からも明らかである。 しかし、美田を授からなかったからこそ、兄 と私のために多くのの人々が集まって下さっ たことも、またたしかであった。 父が死んだとき、すでに私も兄もいくたびか の辛酸をなめた末、玉砕するも甎全を恥ずる 一個の丈夫になっていた。 」》 ■《「偶成」(注〈感懐〉と同じ詩)》 補足説明なりますが、「偶成」は、出典によ っては、「感懐」と題されています。本文中 に、浅田次郎さんは、「偶成」の題をを採っ ておれますが、私が「感懐」を採用したのは、 西郷隆盛には「偶成」と題する別の詩がある からです。 〈偶成〉       西郷隆盛 再三流竄歴酸辛 病骨何曾慕俸緡 今日退休相共賞 団欒情話一家春 再三の流竄(るざん)酸辛(しんさん)を歴(へ)たり 病骨(びょうこつ)何ぞ曾つて俸緡(ほうびんを慕わん 今日(こんいち)退休(たいきゅう)して相共に賞す 団欒(だんらん)の情話(じょうわ)一家の春を 再三にわたって流罪となり、つらい苦しみを経てきた。 病み疲れてしまったこの体で、もはや出世して高給を 得ようという気もあるはずがない。 今日、仕事から退くことができて、一家団欒の中で 心のこもった話を交わしながら、春の日を楽しんででいるのだ。 西郷の尋常ならざる苦難が忍ばれます。 ★沖永良部島に潜居中の西郷隆盛の像 ■《明治の偉人たちはみなそれぞれに名言を 遺しているが、言行一致という点では西郷に 並ぶ人物はいない》 明治期にかぎらず、「言行一致」の人物は、 なかなか、いませんね。それどころか、ちか ごろでは、一国の宰相からして言行不一致の 二枚舌の使い手なんですから、絶望的になっ てしまいます。 いやいや、人間不信になってはイケナイのだ。 そこで、心に栄養を。太宰治の『走れメロス』 のラストの情景を思い出してみませんか。 ―――――― 「私だ、刑吏!殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした 私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、 ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。 群衆は、どよめいた。 あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、 ほどかれたのである。 「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を 殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見 た。君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資 格さえ無いのだ。殴れ。」   セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場 一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから 優しく微笑ほほえみ、 「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの 三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめ て君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁でき ない。」   メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。 「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それ から嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。   群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。暴君ディオニス は、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、や がて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。 「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝っ たのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わ しをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れ て、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」   どっと群衆の間に、歓声が起った。 ―――――― 約束を守るということ。消えて久しい。 ★走れメロス 太宰 治 (2011/10/28 にアップロード) 【作:太宰 治、朗読:日高徹郎 時間:35分秒  素朴な牧人の青年メロス Mörosは、人間不信のために  多くの人を処刑しているシラクスの暴君ディオニス王  の話を聞き激怒する。そして王の暗殺を決意する。し  かし、あえなく衛兵に捕らえられ、即刻処刑されるこ  とになる。メロスは親友のセリヌンティウスを人質と  して王のもとにとどめおくことを条件に、妹の結婚式  に出るため三日間の猶予を得る。王はメロスを信じて  おらず、死ぬために再び戻ってくることなどはないと  言いのけた。  メロスは妹の結婚式からの帰途で、川の氾濫による橋  の決壊や山賊の襲来、ただし山賊の襲来は、王の差し  向けた刺客という可能性もあるが、度重なる不運に遭  遇。メロスはそのため心身ともに困憊し、一度は王の  もとに戻ることをあきらめかけた。しかしその時、近  くの岩の隙間から湧き出てきた水を飲み、疲労回復と  ともにわずかながら義務遂行の希望が生まれ再び走り  出す。人間不信の王を見返すために、自分を信じて疑  わない友人の命を救うために、そして自分の命を捧げ  るために。  こうしてメロスは日暮れに町へ到着し、約束を果たす。  そして王の気持ちを変えることに成功したのである。  なお、小説の最後に、古伝説とシルレルの詩から、と  記述されており、これはギリシア神話のエピソードと  ドイツのシルレル、すなわちフリードリヒ・フォン・  シラーの詩をもとに創作したと明記されている。】 つづく (1834dys-1081ent) (1835dys-1081ent休)土〜(1836dys-1081ent休)日 ★浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』 君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい ・文庫本:277ページ ・出版社:文藝春秋(2011/12) ・「本を読むより外で遊べ」と説教され、「まさか小説家にな ろうとしているわけじゃなかろうな」と非難された少年時代。 生き別れた母を想い、ともに暮らす家族に尽くし、週末ごとの 競馬を傍らに全身全霊で小説の神様に向き合ってきた人気作家 が、胸熱くする人生に景色を、深く洒脱に紡ぐ。名人の酔いし れる傑作エッセイ集。 ◎浅田次郎(あさだ・じろう)。1951(昭和26)年、東京生ま れ。著書に「プリズンホテル」「地下鉄(メトロ)に乗って」 (第16回吉川英治文学新人賞)「蒼穹の昴」「天切り松闇がた り」「勇気凛凛ルリの色」「鉄道員(ぽっぽや)」(第117回 直木賞)「霞町物語」「天国までの百マイル」「壬生義士伝」 (第13回柴田錬三郎賞)「王妃の館」「椿山課長の七日間」 「五郎治殿御始末」「輪違屋糸里」「お腹召しませ」(第1回 中央公論文芸書、第10回司馬遼太郎賞)「中原の虹」(第42回 吉川英治文学賞)「一刀斎夢録」「赤猫異聞」「かわいい自分 には旅をさせよ」「一路」「黒書院の六兵衛」などがある。 ・浅田次郎

浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(15)

―――――◆◎◆◎立ち読み◎◆◎◆―――――

★『秘密法で戦争準備・原発推進』〈62〉 

【―市民が主権者である社会を否定する秘密保護法】
・単行本:157ページ ・出版社:創史社 (2013/11) ・内 容:市民が主権者である社会を否定する秘密保護法、      市民生活を破壊し、民主主義さえ崩壊させかね      ない秘密法に反対。 ・著 者:海渡雄一  1981年弁護士登録。30年間にわたって、もんじゅ訴訟、 六ヶ所村核燃料サイクル施設訴訟、浜岡原発訴訟、大間 原発訴訟など原子力に関する訴訟多数を担当。1990年か ら日弁連公害対策環境保全委員会委員、2010年4月から 12年5月まで日弁連事務総長。3.11後福島原発告訴団、 東京電力株主代表訴訟、東海第2原発訴訟などの弁護を  務め、脱原発弁護団全国連絡会共同代表、脱原発法制定 全国ネットワーク事務局長。 ★秘密法で戦争準備・原発推進―市民が主権者である社会を否定する秘密保護法

★第五 秘密法で何が秘密とされるのか(12)

〈四〉どのようにして秘密の指定がなされるのか(その1)

・2013年11月21日「秘密保護法」反対集会  日比谷野外音楽堂 《「――何を「秘密」とするかは行政機関の長の判断に委ねられ ている。政府にとって都合の悪いことと、国として本当に秘密に しなければならないことは別であろう。 例えば、放射能汚染水の漏えいは、オリンピックのためかどうか は不明だが、秘密とされた。国にとって都合の悪いことだろうが、 国として秘密にしてよい性格の情報ではない。それを秘密にされ て、無用の被ばくを国民に強いるとになったのである。 このように秘密指定の判断が恣意的にされても、正しくなされて いるかどうかをチェックする第三者機関は、法案にはない。 外交、防衛、テロ活動の防止などは市民の生活に広範にかかわる ことがらであり、どのような情報が「特定秘密」にされてしまう か、主権者である市民には皆目見当がちかないだろう。 本当一八条に設けられた有識者会議は、指定の基準を議論するだ けで、秘密指定や解除の具体的なプロセスに関わるわけではない。 ――」》 ※※※ ・2013/12/06:深夜の国会採決 ☆特定秘密保護法参議院・特別委員会で強行採決された瞬間 (公開日: 2013/12/05) 【自民 https://ssl.jimin.jp/m/contact  公明 https://www.komei.or.jp/contact/  みんな https://www.your-party.jp/contact/mai...  維新 https://j-ishin.jp/contact/  委員長 中川 雅治 自民  http://www.nakagawa-masaharu.jp/conta... (FAX)03−6551−0904 (TEL)03−6550−0904  ツイッター https://twitter.com/Nakagawa参院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保 護法案の採決をめぐり、中川雅治委員長(左端) の周りでもみあう委員。右端は森雅子・特定秘 密保護法案担当相=2013年12月5日 ※参院国家安全保障特別委員会中川雅治委員長 (参議院議員 自由民主党公認東京都選挙区選出) ◆◆歴史に残る暴挙を子どものために忘れない!◆◆ ※※※

◆作業員被ばく量上限引き上げへ 原発で重大事故発生時◆

福島民報】(2014/07/31 11:29)   原子力規制委員会は30日の定例会合で、原発で重大事故などの 緊急事態が発生した際に、収束作業に当たる作業員の被ばく放射 線量の上限について、現行の100ミリシーベルトから引き上げ ることを含め見直すことを決めた。今後、500ミリシーベルト を推奨する国際原子力機関IAEA)など国際的な基準との整 合性や法的課題を議論した上で、上限を引き上げる場合は放射線 審議会に諮問する。   東京電力福島第一原発事故では、作業員らの線量上限が100ミ リシーベルトのままでは対応できないとして、特例として急きょ 250ミリシーベルトまで引き上げられ、作業員の不安を招いた。 会合で田中俊一委員長(福島市出身)は「100ミリシーベルト を超える事故が起こる可能性は完全に否定できない。福島第一原 発事故の実態を踏まえ、現実的な対処の在り方を検討してはどう か」と述べた。   今後、現行の上限では対応できない事故も想定し、数値の妥当性 や作業員の健康管理など総合的に議論する。原子力規制庁の担当 者は上限が引き上げられた場合、「福島第一原発で燃料の再臨界 などにより急激に事故が拡大しそうだとなれば(新たな上限が) 適用されることはあり得る」との見解を示した。   被ばく線量は100ミリシーベルトでがんを発症して死亡する確 率が0・5%上昇し、線量が多いほどリスクが高まるとされてい る。   田中委員長は会合後の記者会見で、廃炉作業中の福島第一原発に ついて「ベテラン作業員の被ばく量が多くなり、大事なところで 働けなくなっている」との認識を示した。ただ、第一原発の作業 員に新しい上限を適用することについては「今は、そのような考 えはない」と述べ、現行の100ミリシーベルトを維持する考え を示した。》

原発ゼロへ小泉氏ら視察、東京 太陽光発電の展示会◆

【47NEWS>共同ニュース】(2014/07/31 12:42) 太陽光発電システムの展示会「PVジャパン2014」  を視察する小泉元首相(左から2人目)と細川元首相 (右端)=31日午前、東京・有明東京ビッグサイト 原発ゼロを目指す小泉純一郎細川護熙両元首相は31日午前、 東京・有明東京ビッグサイトで開催されている太陽光発電シス テムの展示会「PVジャパン2014」を視察した。 イベントは太陽光発電の業界団体などが主催し、国内外のメーカ ーが新技術や製品を展示している。両氏は、同じ会場内で開かれ ている小水力発電や洋上風力発電設備の展示会も視察した。 小泉氏は、記者団に「やればできるということを実感した。政治 が先導的役割を果たせば再生可能エネルギーはぐんと伸びる」と 感想を述べた。小泉、細川両氏は、再生可能エネルギー関連施設 を月に1度、訪問する方針を明らかにしている。》

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(203)0801
・第6章 軍事化される半島――謎秘める自衛隊基地軍(7)
海底ネットワークSOSUS(その3)

聴音機は観測所から北に向かってかなり延びている

・対潜哨戒機「P-3C」 《「――この防衛省の関係者によると、下北海洋観測所の水 中固定聴音機は、米海軍が世界中の海底に張り巡らせている 潜水艦探知用のソナーシステムネットワーク(SOSUS) の一部なのだという。 聴音機は観測所から北に向かってかなり延びているとされる が、「その長さは極秘中の極秘」だという。 ある専門家によると、SOSUSの探知距離は三〇〇〇キロ にも及び、キャッチした潜水艦の位置を半径数キロの円内に 絞り込むことが可能だとされる。 下北海洋観測所の場合には、そのようにして得たデータを横 須賀基地(神奈川県)内にあ海洋業務群に報告する一方、同 じ青森県内にある八戸航空基地に届け、それを基に海自の潜 水艦とP3C哨戒機がロシア、中国の潜水艦を追いかけ回す ことになる。 謎に満ちた海底ネットワークSOSUS。このシステムのう ち、どこまでが海自のもので、どこまでが米軍のものななの か。そして。データはどの部分まで日米で共有されているの か……。その実態は謎に包まれている。 ただし、確実に分かっていることが一つある。それは、下北 海洋観測所の聴音機が今この瞬間もフルに稼働し、中国とロ シア、そして北朝鮮の潜水艦を真っ暗な海中で追い求めてい るということだ。 ――」》

◆社説[武器輸出拡大]平和国家の理念消すな◆

沖縄タイムス】(2014年8月1日 05:30) [》 ・地対空ミサイル「PAC2」 安倍政権の下、日本の「平和国家」の看板は、かつてないほ ど揺らいでいる。 安倍内閣は7月、国家安全保障会議(NSC)の関係閣僚会 合を開き、米国への地対空ミサイル「PAC2」の部品輸出 を許可した。武器輸出を原則禁じる「武器輸出三原則」に代 わり、今年4月に閣議決定した「防衛装備移転三原則」に基 づく初の事例だ。 輸出する部品は、迎撃のために発射したミサイルの動きを安 定させる装置。設計や製造技術の使用許可(ライセンス)を 得て、自衛隊向けに製造していた日本企業に、ライセンス元 の米企業から輸出の打診を受けた。従来は武器輸出三原則に 基づき、拒んできた事案だ。しかし、歯止めとなってきた三 原則の撤廃によって、輸出が解禁された。 米企業は今回、中東カタールへの第三国移転を想定している とされる。ただ、輸出後の管理はライセンス元の米企業に委 ねられるため、日本政府は関知しない立場という。 防衛装備移転三原則の運用指針によると、「部品等をライセ ンス元に納入する」場合は、目的外使用や第三国移転をする 際の日本の事前同意は不要としている。 今後も同様の輸出を米国から求められた場合、第三国移転に より、パレスチナとの紛争が続くイスラエルに輸出される可 能性も否定できない。 日本の製品が紛争国で使われれば、日本は紛争に加担するこ とになる。国際紛争にかかわる自覚は、大半の国民にはない だろう。そうした中、新三原則は、さまざまな分野に波及し ている。     ■    ■ 防衛装備移転三原則は、日本と安全保障面で関係のある国と の防衛装備品の共同研究や開発を条件付きで認めている。こ れを受け政府は7月、英国との間で戦闘機に搭載するミサイ ル技術の共同研究を決めた。仏や豪州とも防衛装備品の共同 開発などを進める方針を打ち出している。 さらに政府は、米軍をはじめとする他国軍への自衛隊の後方 支援をめぐり、従来禁じてきた武器・弾薬の提供を可能とす る法整備の検討に入った。これも、武器禁輸政策の転換によ るものだ。 6月にフランスで開催された世界最大規模の兵器の国際展示 会には、国内の防衛産業各社が初めて参加した。これまでは 武器輸出三原則の下、出展したとしてもその後の輸出に制約 がかかるため、防衛産業側が参加を見合わせていた。日本企 業の参加は政府主導で行われ、武田良太防衛副大臣が視察に 訪れた。     ■    ■ 政府は新原則の下、テロや災害対策に活用できる装備品の輸 出先開拓により成長戦略につなげるとともに、安全保障分野 で各国と連携を強め、中国に対抗する狙いもある。 安倍晋三首相の掲げる「積極的平和主義」は、「経済戦略」 と「対中国戦略」の名目の下、「平和国家」の理念を後退さ せているのが現実だ。 集団的自衛権の行使容認と並び、安倍政権による防衛装備の 輸出積極策は、国際紛争への関与を避けてきた従来の平和政 策との整合性を著しく欠く。政治主導と「政治の横暴」を混 同すべきではない。 》

◆【社説】辺野古「殺人鉄板」 直ちに撤去し人命守れ◆

琉球新報】(2014年7月31日) ・辺野古「殺人鉄板」 国策に抵抗する者は負傷しても、死んでも構わないというの か。県民の生命を差し置いても普天間飛行場辺野古移設を 強行しようとする政府の手法に怒りを覚える。   沖縄防衛局がキャンプ・シュワブのゲート前に三角形の突起 が並んだ鉄板を設置した。移設に反対し、座り込みを続ける 市民らは抗議行動の排除を狙ったものだとして反発している。   防衛局はゲートに出入りする工事車両の「泥落とし」だと説 明している。この説明を真に受ける県民はほとんどいないで あろう。   「泥落とし」が目的ならば、ゲートの内側に鉄板を据えれば よいではないか。工事現場でタイヤや車体に付いた泥はその 現場の出口で洗い流せば済む話だ。舗装された国道を長く通 行してきて、ゲートに入る車両に多量の泥が付着するとは思 えない。防衛局の説明は矛盾している。市民が指摘するよう に抗議行動の抑止が目的であることは明らかだ。   市民と警察官のもみ合いが連日起きているゲート前に、鋭角 の突起物が並んだ鉄板を設置することがどれほど危険か、防 衛局の担当者が知らないはずはない。   鉄板の上で激しく転倒すれば、骨折などの重傷を負う恐れが ある。打ちどころが悪ければ生命にも関わるかもしれない。 それを予期した上で鉄板を設置したのならば、あまりにも残 酷だ。   鉄板などの設置について防衛省武田博史報道官は記者会見 で「歩行者等の安全な横断を確保することなどを目的に、ゲ ートの整備を行っている」と述べた。だが、実態はまるで正 反対だ。防衛局のやっているのは真逆のことだ。鉄板の設置 は市民に危害を加える行為に他ならない。現場を訪れた弁護 士は「鉄板の上で取り締まりがあれば必ずけが人が出る。殺 人罪、少なくとも傷害罪の未必の故意になる」と明確に指摘 している。   米軍統治下の反戦・反基地運動のさなか、憲兵隊は銃剣を突 き付けた。基地のない平和な島を希求する大衆運動に対する 威嚇行為だった。その非人道的な行為が普天間辺野古移設 の名の下に再現された。これも安倍内閣の専横の表れだとい える。   県内移設を拒む県民世論に支えられた抗議行動を敵視し、市 民の生命を奪うような行為は断じて許されない。憲法が保障 する「表現の自由」に照らしても「殺人鉄板」を直ちに撤去 すべきだ。》

公明党殿、「第1・1自民党」に御改名遊ばせ。戸田城聖が泣いている。

特定秘密保護法は廃案にせよ、権力に匕首を持たせるのと同じだ。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・偽物と言えぬ本物知らぬから    本庄 こだま岳人
・さてと言い何もせぬまままたさてと 東京 大野勝高
・8年目内ポケットを発見す     壱岐 中永郁子
 

≪■★■≫詩歌 逍遙(俳句) ≪■★■≫

加藤楸邨

「雪後の天」

・水打つて五つの石の日暮かな

・夏の雲鸚鵡ひそかにゐたりけり

・覗き見る床屋ひとなし西日さす

加藤楸邨(かとう しゅうそん)  (1905年5月26日 - 1993年7月3日) 本名武雄。山梨県出身。はじめ水原秋桜子に師事 したが、唯美的傾向にあきたらず、生活諷詠を基 調とする「寒雷」を創刊。戦中・戦後を通じて人 間性の回復のためにたたかった。「寒雷」「雪後 の天」「野哭」「起伏」等の句集のほか、芭蕉に 関する著書などがある。 Wikipedia:加藤楸邨 

◇◆◇『出家とその弟子』◇◆◇〈121〉

※恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての 親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の 法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。 本書には青年がどうしても通らなければならない青春の 一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に 示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その 衝撃力は失われず読む者に熱烈な感動を与え続けている。 〈この戯曲を信心深きわが叔母上にささぐ〉 極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)。  我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)。 煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)。  大悲無倦常照我(だいひむげんじょうしょうが)。                  (正信念仏偈

第三幕〈その32〉

第二場

親鸞聖人居間 清楚な八畳、隅に小さな仏壇がある。床に一枚起請文を書いた軸が 掛かっている。寝床の側に机、その上に開いた本、他の隅に行灯が ある。庭には秋草が茂っている。 人物 親鸞     唯円     僧二人     小僧一人 時  同じ日の宵 [親鸞]ふむ。(考える)やはり私の罪――過失だよ。そう云うこ     とを許して貰えるなら。朝姫をも――あの子の母の名だよ     ――私は隣人として取り扱う気だったのだ。     けれど遂にそうはゆかなくなったのだ。私が弱かったのだ。     おとなしい、けれども一途な朝姫の熱いなさけにほだされ     たのだ。     北国の永い巡礼で私の心は荒野のように淋しくなっていた     からな。私はなぜ何故亡くなった玉日の記憶を忠実に守っ     て独りで暮らすことが出来なかったのであろうか。それを     思うと自分を責める心に耐えない。私は苦しい。 [唯円]………… [親鸞]けれど朝姫は責めるには余りに善良な温和な女だったよ。     弱々しい感じを与える程だったよ。その裏には強い情熱が     かくれていたけれどね。私が京に帰るときにどんなにはげ     しく泣いたろう。 [唯円]もうおかくれ遊ばしたのですってね。 [親鸞]うむ。(間)私はもう幾人愛する人に死なれたか知れない。     慈悲深い法然様や貞淑な玉日や、甲斐々々しいお兼さんや     ―― [唯円]あの孝行な御嫡男の範意さまや。 [親鸞](目をつむる)みんな今は美しい仏様になっていられるだ     ろう。そして私たちを哀れみ護っていて下さるだろう。生     きているうちに私の加えた過ちは皆赦していて下さるだろ     う。 [唯円]逝くものをさびしく送ったこころで、残るものは仲よくせ     ねばならぬと思います。それにつけても善鸞様を一日も早    く赦してあげて下さいまし。 [親鸞]私は赦しているのだよ。あの子を裁くものは仏様の外には     無いのだ。 [唯円]では逢ってあげて下さいくまし。 [親鸞]………… (つづく)    

◆◇◆◇◆開高健名言辞典<漂えど沈まず>◆◇◆◇◆(15)

開高健名言辞典<漂えど沈まず>: 巨匠が愛した名句・警句・冗句200選 ・巨匠が愛した名句・警句・冗句200選 滝田誠一郎
新しい御馳走の発見は 人類の平和にとって 天体の発見以上のものである。 ――ブリア・サヴァラン『美味礼賛』―― (『新しい天体』巻頭言 光文社文庫
1)ブリア・サヴァラン(一七五五年〜一八ニ六年)はフランスの 法律家であり政治家であるが、食にまつわる随筆集として名高い 『美味礼賛』の著者として広く知られる。 ちなみに『美味礼賛』の原題は『味覚の生理学』と素っ気ないが、 それに《超絶的美味学の瞑想》という副題がつき、さらに〈文学 や科学のもろもろの学会の会員たる一教授からパリの美食家にさ さげられた理論と歴史と日常の問題を含む書〉という説明が付記 されている。続く

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆

Portrait Of A Gentleman, Said To Be The Rt. Hon.
  Spencer Perceval M.P. (1762-1812) 〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 2-minute illustrated biography (公開日: 2012/10/24) 【Mini-lecture for a page of The History of Visual  Techbnology by Jim Janossy, ISBN 978-1-60904-160-1  published by Stipes Publishing LLC, Champaign, IL (www.stipes.com). This multimedia-enabled workbook contains all material for a modern self-paced introduction to art history and visual technology, a course workbook that accompanies The Story of Art by Sir Ernst Gombrich. This book forms the basis for course GPH-205 at DePaul University, Chicago taught by the author, Jim Janossy.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Frank Sinatra - "Theme from New York New York" (Concert Collection) (1980)《42》 (2010/11/12 にアップロード) 【Frank Sinatra's "Theme from 'New York New York'" performance from the "Sinatra: The Man and His Music " special, part of the Frank Sinatra: Concert Collection 7-DVD box set. More info: http://www.shoutfactorystore.com/prod...】 ☆☆☆フランシス・アルバート・"フランク"・シナトラ ・Francis Albert "Frank" Sinatra (1915年12月12日 - 1998年5月14日) アメリカのジャズ・ポピュラー歌手。現在も歌い継がれる 数々の世界的大ヒット曲を世に送り出し、その卓越した歌 唱力によって「ザ・ヴォイス」と称された。エルヴィス・ プレスリーマイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀 を代表する歌手の一人である。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉 大な100人のシンガー」において第3位にランキングさ れた。第二次世界大戦前の1930年代より死去する1990年代 までの長きに渡り現役の歌手として活動し、数々のミリオ ンセラーを連発し、また多くのミュージシャンに影響を与 えた。映画俳優としても活躍し、1953年には第26回アカ デミー賞助演男優賞を受賞している他、数多くの名作、ヒ ット作に出演している。 ★Frank Sinatra BiographyWikipedia:フランク・シナトラ

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦

岡野弘彦さんは平成25年度文化功労者歌集 美しく愛しき日本』より 【誰びとか、民を救はむ】 親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 役人(つかさびと)・政治家(まつりごとびと)  真(まこと)なき世に生きて 民は何たのむべき 天意より人意この国をほろばさむ。 議事堂はただ 政争の場ぞ 国ほろび 民ほろびゆく時の間も  あはあはとして 言葉あらそう 誰びとか民を救はむ。 天皇(すめろぎ)は老いの身ふかく 跪きます

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆

■見よ、沖縄の今の現実を! 知れ、日本国の自国民への凶行を! 標的の村 国に訴えられた沖縄の住民たち (公開日: 2013/06/16) 【標的の村 国に訴えられた沖縄の住民たち  http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-ni...