2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「子孫に美田を残さず」という諺の出典がどうも見当たらぬ

「子孫に美田を残さず」という諺の出典がどうも見当たらぬ 【「子孫に美田を残さず、という諺がある。 俺は余命を悟ったらビタ一文残さずバク チをぶつか、さもなくば慈善団体に寄付 するからそう思え」と亡父は口癖のよう に言っていた。まこと因業な父であ…

私の祖母は粋で気っぷのよい辰巳の鉄火芸者だった

私の祖母は粋で気っぷのよい辰巳の鉄火芸者だった 【物心ついたころから、祖母はしばしば私を歌舞伎座 に連れて行ってくれた。当時の芝居見物は、庶民に とって、映画館に行くの同じほどの日常で、べつだ ん改まった予定もなく、「しばやに行くよ、支度し な…

私の祖父母は絵に描いたような江戸っ子であった

私の祖父母は絵に描いたような江戸っ子であった 【伊豆栄に鰻を食いに行ったとき、なかなか出てこな いので「遅いね」と言ったら、両方からゲンコをも らった。蒲焼は旨いものほど手間をかけて焼くので、 督促はご法度、というわけである。もちろんその逆 に…

母は私が海外にいる間に死んでしまった

母は私が海外にいる間に死んでしまった 【けっして冷たい人ではなかった。母は貴族的ビヘ イビアと、江戸前のダンディズムを貫いて生きた 人だった。どちらか片方を持つ人はいくらでもい るが、両方をきちんと持ち合わせている人を、私 はほかに知らない。お…

『椿山課長の七日間』、執筆の動機は母の死である

『椿山課長の七日間』、執筆の動機は母の死である 【母とは縁(えにし)が薄かった。十一歳のとき に生き別れ、ほどなく再会したが十四のときに また生き別れた。以来ひとつ家に暮らしたこと はなく無音であった時代も長かった。私たちに はそれぞれ放浪癖が…

「切れますよ」とおっしゃった外山先生のお言葉は神の声

「切れますよ」とおっしゃった外山先生のお言葉は神の声 【あの日の鴨川での予感は当たった。母の手術の あと、まるでそれまでの不運が嘘であったかの ように小説が売れ始めた。だから、母と外山先 生をモデルにした『天国までの百マイル』を、 精一杯の感謝…

私の母は外山雅章先生の執刀で心臓バイパス手術を受けた

私の母は外山雅章先生の執刀で心臓バイパス手術を受けた 【母はたいそう病弱な人で、若いころから糖尿病を 患っており、同居した四十そこそこの齢ですでに 狭心症の兆候が現れていた。五十代になってから は、しばしば発作に見舞われて、救急車のお世話 にな…

どうやら日本は、魂までアメリカに占領されてしまったらしい

どうやら日本は、魂までアメリカに占領されてしまったらしい 【私に身体髪膚を授けた実母は、介護どころか 一切の医療行為すら拒否して亡くなってしま った。C型肝炎に起因する肝臓癌であった。 発癌の宣告を受けたとたんに通院をやめ、そ れから、五年間を…

駅は別れの場所である

駅は別れの場所である 【十九の冬に愛する人と別れたのは、新宿駅のプ ラットフォームだった。今の恋人なら、さしず め、抱き合ってくちづけをかわすのだろうけど、 私たちは、握手をしただけだった。永遠に会う まいと胸に誓って、私は愛する人の手を握った…

小学校は一学年は四十人足らずの一クラスしかなかった

小学校は一学年は四十人足らずの一クラスしかなかった 【私はやんちゃでいたずらで、学級の問題児だった。 ――君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい。 礼拝のあとで、先生が微笑みながらおっしゃった 言葉を、今も、はっきりと覚えている。叱責でも 説教…

蔵王では聞きしにまさるゲレンデの雄大さに圧倒された

蔵王では聞きしにまさるゲレンデの雄大さに圧倒された 【山形の蔵王スキー場で年を越したのは、中学に 入学したころであったかと思う。何十年も昔の 話である。帰省客とスキー客でごった返す上野 駅のホームで奥羽本線の夜汽車に乗ったとたん、 途方もない、…