2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「私、アーニーと別れるつもり……」と広子さん

「私、アーニーと別れるつもり……」と広子さん {一ヵ月ののち、夫はアーニーを連れてロンドン へ帰って来た。そして、広子さんはアーニーと の同居を拒否した。アーニーはそのあと、一人 でパリへ行くと去ってしまった} 高尾慶子著『外国の男と結婚した日本…

夏のロワール地方は夢の国のようだ

夏のロワール地方は夢の国のようだ {小さな町のパン屋のクロワッサンもケーキもロン ドンで食べたことのない味で、ジョセフィンは、 「フランス人は幸運ね。パリに住まなくてもフラ ンス中に英国より何であるもの」と溜息を吐いた} 高尾慶子著『外国の男と…

英国人には料理に愛情がない、情熱もない いい舌もない

英国人には料理に愛情がない、情熱もない いい舌もない {シャルトルの可愛いホテルに一泊した。夕食のとき、 ジョセフィンが、「フランスのマッシュは、英国と 味が違う。フランスのほうが、おいしい」と言った} 高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女た…

ところが着いてすぐにジョセフィンと喧嘩が始まった

ところが着いてすぐにジョセフィンと喧嘩が始まった {私はたばこを吸うので「 TABAC」と書いて ある看板の店を探したいと言ったら、ジョ セフィンは「それは、タバと発音しないで、 タバックと発音するのだと」と言ったのだ} 高尾慶子著『外国の男と結婚し…

夫の唯一の妹ジョセフィンとフランスへ十日間の旅に出た

夫の唯一の妹ジョセフィンとフランスへ十日間の旅に出た {当時は、まだユーロースターは走行していなかったの で、ヴィクトリア駅から列車でフォークストンまで行 き、そこから、フェリーでフランスのブローニュの港 まで。ブローニュに着くとバスが待って…

でも、インド人は決して英国社会に同化しない

でも、インド人は決して英国社会に同化しない {インド人も、この国に来て、サウスホールで彼らの 町をつくり、うまくやっているのじゃないかね。あ そこはロンドンではなくインドだって言うじゃない か。サウスホールのインド人は豊かだと聞いたがね} 高尾…

シチリアは島の半分の人々がアメリカへ移民しました

シチリアは島の半分の人々がアメリカへ移民しました {社会主義体制の下で失業がなく、生活が保障されて いるなら、私はそのほうがいいと思います。自由と いっても、お金がなかったら、自由はありませんよ、 資本主義の国には――。私は貧乏を知っていますよ…

私の夫は彼の父に向かってとても失礼なことを言った

私の夫は彼の父に向かってとても失礼なことを言った {あなたはそう言うけど、今、ポーランドで貧 しい生活をしている人々を捨てて、この国に 逃げて来たんじゃないか。ポーランドから財 産をもち出してこの国にやって来て、不動産 を買い家主になり店子の家…

日曜日でも、ユダヤ人の店は昼から開店するんだ

日曜日でも、ユダヤ人の店は昼から開店するんだ {シチリアよ。ムッソリーニが殺されて、ドイツを 敵に回しているとき、連合軍がシチリアに上陸し てね、アメリカ軍も英国軍もポーランド軍も来た の。私たちの町に来たのはポーランド軍でね。私 は背が高くて…

マークの母親は典型的な南イタリアの女性で、黒い髪

マークの母親は典型的な南イタリアの女性で、黒い髪 {私がランコムの化粧品を初めて見たのは、 初めヨーロッパへシベリア鉄道でたどり 着いた、アムステルダムの美容院の化粧 品の並んだガラスケースの中だった} 高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女た…

私はマルコが床にじかに座るのが嫌なんです

私はマルコが床にじかに座るのが嫌なんです {私も西洋に憧れて日本を出たのに、インド 音楽をやる人なんかと結婚してしまって… …、私はフランスやイタリアのものが好き なんす。でも、ロンドンへ来てしまって…} 高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女た…

東洋の音楽は「訳のわからないメロディー」

東洋の音楽は「訳のわからないメロディー」 {どんな立派な演奏しても、彼の両親はインド 音楽には関心がなかった。夫の父はロドリゴ のギターは聴いても、息子のレコードは聴か なかった。息子のコンサートに両親が来たの はロイヤル・アルバート・ホールだ…

食べたいだけ食べなさい、肉や魚は別の胃に入るから

食べたいだけ食べなさい、肉や魚は別の胃に入るから {まったく下手なイタリアンレストランよりおいしかった ので、私は、何度も御代わりをしたらマークが、「パス タは前菜なんだ。イタリアでは、パスタで満腹になって はいけない。料理はこれからだ」と言…

マークも両親のことを「パパ」「マンマ」と呼んだ

マークも両親のことを「パパ」「マンマ」と呼んだ {マークの家では、イタリア製品で埋められているだけ ではなく、家庭の中では親子三人が話す日常会話はイ タリア語だった。三人とも、英語は流暢だったけれど、 三人で話すときは、私たちの前でもイタリア…

この家庭は、イタリア人の母親がすべて采配している

この家庭は、イタリア人の母親がすべて采配している {広いドローイングルームに通されて、そこには 立派な年代物の客を呼んだときのディナー用の 長いテーブルがありテーブルの上にはイタリア の銀のカトラリーが並びとても上等な麻のサヴ ィエトが各椅子の…

ご両親は初めて見る日本の女たちを笑顔で迎え入れてくれた

ご両親は初めて見る日本の女たちを笑顔で迎え入れてくれた {何しろマークのの母親は、連合軍としてシチリアへ やって来たポーランド軍の父親と知り合ったのが、 十七歳だったといういうのだ。戦争が終わって、ポ ーランドがソヴィエトの衛星国になるとわか…