小説家に「なりたい」のではなく、「なる」と決めつていた

小説家に「なりたい」のではなく、「なる」と決めつていた

【ただし偉そうなことを考えていたわりに、デビ
 ューまで長い年月を要した。最初の十年は意地、
 次に十年は執念、続く数年は身も心も削るよう
 にしてようやく小説で飯が食えるようになった】

浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(26)

第三章 骨のかけら(10)
◇骨のかけら◇上

小説家に「なりたい」のではなく、「なる」と決めつていた

《「 ◆ドキッとするピクチャー(Source:REUTERS) ◇Dangerous journey 【A home-made aluminum boat carrying 16 Cuban migrants pulls up to a dock, seeking what they said was refuge from rough seas, in Grand Cayman island August 28, 2014. REUTERS/Peter Polack】 【Displaced people from the minority Yazidi sect, fleeing violence from forces loyal to the Islamic State in Iraq, walk towards the Syrian border, on the outskirts of Sinjar mountain, near the Syrian border town of Elierbeh of Al-Hasakah Governorate August 11, 2014. REUTERS/Rodi Said】 【An African migrant descends from the border fence, as Spanish Civil Guard officers stand under, during their attempt to cross into Spanish territories, between Morocco and Spain's north African enclave of Melilla August 13, 2014. REUTERS/Jesus Blasco de Avellaneda】          高校時代の私は、まこと捉えどころのない風 変わりな少年であったと思う。 家出をしたきりアパートを借りて自活してい た。夜遅くまでアルバイトをしていたので、 学校ではほとんど眠っていた。週末は悪友た ちと連れ立ってのディスコ通いである。勉強 をした記憶は皆無といっていい。 ただし本を読むことと小説を書くことにはひ たすら情熱を傾けており、風変わりな学生生 活の余剰部分は、ことごとくそれらに捧げつ くされていた。 その点、受験勉強をせかされることのない中 大杉並のカリキュラムは、実に居心地よかっ た。おのれで勝手に決めた文学専攻過程を、 わが母校は用意してくれていたのである。 いずれは小説家になると決めていた。「なり たい」のではなく、「なる」と決めつていた とろが、今思い返しても面白い。 しかしそうした志を口にすることはたいそう 恥ずかしいので、周囲には悟られぬよう気遣 っていた。読み書きの精進よりもことらの意 志貫徹の方がずっと難しかったような気がす る。 志は命そのものである。天から授かったのち は誰からも関与されるものではなく、また誰 に依存するものでなく、ひたすら磨き続ける ほかないのだと、あのころの私は信じていた のあろう。 青白い文士のイメージは大嫌いだった。そう いうものは日本固有の陰湿な文化を造り出し た幻想で、芸術の本質はけっしてなよなよし たものではなく、快活で誠実で、鞏固かつ精 緻なものだと考えていた。 まあ、まちがいではあるまい。ただし偉そう なことを考えていたわりに、デビューまで長 い年月を要した。 最初の十年は意地、次に十年は執念、続く数 年は身も心も削るようにしてようやく小説で 飯が食えるようになった。 ちかごろ文学賞の選考委員をいくつか務める ようになって、作家志望の人にいかに多いか 知った。わが国には年間二百以上の新人文学 賞があり、それらすべてに数百篇から千篇を 超える応募がある。 なおかつそのさき小説家として残ることので きる者は、全受賞者中のほんの一人か二人な のである。 それくらい過酷な選抜と淘汰が続いていなけ れば、文学という文化は維持できない。 」》 ■《志は命そのものである。天から授かった のちは誰からも関与されるものではなく、ま た誰に依存するものでなく、ひたすら磨き続 けるほかない》 箴言と言える。努力というものが、もはや、 努力というカタチを見せることなく、呼吸化 しています。私は、努力する人って、大好き なんです。格好いいんです。 努力といえば、どうしても思い出してしまう のが、過去にも取り上げたことがありますが、 『言海』の大槻文彦、その人。 日本で初めて、近代的国語辞典『言海』の編 纂者として知られ、宮城師範学校(現・宮城 教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・宮 城県仙台第一高等学校)校長、国語調査委員 会主査委員などを歴任し、教育勅語が発布さ れた際にいち早く文法の誤りを指摘したこと は、当時、たいへんな語り草になりました。 妻に先立たれ、さらには、幼女を失いながら も17年を費やし、ついに『言海』を完成さ せたのでした。 明治八年、二十八歳のとき文部省から国語辞 書の編集を命じられた大槻文彦は、以来ほと んど独力で、イギリスのウェブスターに比肩 する日本最初の近代的国語辞書の創造にとり くみました。 それは、一語ずつ、発音、語別、語源、語釈、 出典など辞書に不可欠な条件を満たさなけれ ばならなかったから、そういう条件を欠いた 古来の日本の辞書類にその範を求めることが 出来ず、まさに「創造」ともいうべき仕事で した。 たとえば「猫」については、こんなぐあい。 「人家ニ飼フ小サキ獣、人ノ知ル所ナリ。温 柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕レバ飼ウ。 然レドモ、窃盗ノ性アリ。形、虎ニ似テ二尺 に足ラズ。性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。ソノ 瞳、朝ハ円ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如 ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、暁ハ再ビ玉 ノ如シ。」 後に、その苦労を語っています。 「酒縁談笑のあいだにも、ゆくりなき人のこ とばの、ふと耳にとまりて、はたと膝打ち、 さなりさなりと覚りて、手帳にかきつけなど して、人のあやしみをうけ、又、汽車の中に 田舎人をとらえ、その地方の方言を問いつけ て、はては、うるさく思われつることなど、 およそ、かかる愚かなる事のしばしばありき」 明治17年、やっと膨大な原稿は完成しまし たが、その後の文部省の事情で、自費出版の やむなきに至り、ようやく『言海』が世に出 たのは、明治二十四年四月のこと。 その間星霜十七年、彼は四十四歳となり、な んと、彼の最愛の妻とただ一人の幼女は、そ の前年に亡くなっています。 言葉の海と書いて「言海」という。ネーミン グが洒落ています。
敷島や やまと言葉の海にして 拾ひし玉は みがかれにけり
後書きにある、和歌です。 なお、大正元年からは『言海』を増補した 『大言海』の編集にとりかかりました。 この間の事情は、高田宏著の『言葉の海へ』 に詳しく描かれています。いい本です。 ・「言海大槻文彦 ★言葉の海へ (1978年) 言葉の海へ (1978年) ★宮城道雄:春の海 シュメー Chemet (2012/10/14 に公開 ) 【宮城道雄(シュメー編):春の海 ヴァイオリン:ルネ・シュメー 筝:宮城道雄 Michio Miyagi (Arr. by Chemet) : HARU NO UMI Vn: Renée Chemet, Koto: Michio Miyagi Victor (JP): 13220】 ★Debussy: La Mer (Valery Gergiev, London Symphony Orchestra) (2008/11/26 にアップロード ) 【Valery Gergiev conducts the London Symphony Orchestra performing Debussy's La Mer. Recorded in March, 2007.】  つづく (1865dys-1092ent) (1866dys-1092ent休)火 ★浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』 君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい ・文庫本:277ページ ・出版社:文藝春秋(2011/12) ・「本を読むより外で遊べ」と説教され、「まさか小説家にな ろうとしているわけじゃなかろうな」と非難された少年時代。 生き別れた母を想い、ともに暮らす家族に尽くし、週末ごとの 競馬を傍らに全身全霊で小説の神様に向き合ってきた人気作家 が、胸熱くする人生に景色を、深く洒脱に紡ぐ。名人の酔いし れる傑作エッセイ集。 ◎浅田次郎(あさだ・じろう)。1951(昭和26)年、東京生ま れ。著書に「プリズンホテル」「地下鉄(メトロ)に乗って」 (第16回吉川英治文学新人賞)「蒼穹の昴」「天切り松闇がた り」「勇気凛凛ルリの色」「鉄道員(ぽっぽや)」(第117回 直木賞)「霞町物語」「天国までの百マイル」「壬生義士伝」 (第13回柴田錬三郎賞)「王妃の館」「椿山課長の七日間」 「五郎治殿御始末」「輪違屋糸里」「お腹召しませ」(第1回 中央公論文芸書、第10回司馬遼太郎賞)「中原の虹」(第42回 吉川英治文学賞)「一刀斎夢録」「赤猫異聞」「かわいい自分 には旅をさせよ」「一路」「黒書院の六兵衛」などがある。 ・浅田次郎

浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(26)

―――――◆◎◆◎立ち読み◎◆◎◆―――――

★『秘密法で戦争準備・原発推進』〈73〉 

【―市民が主権者である社会を否定する秘密保護法】
・単行本:157ページ ・出版社:創史社 (2013/11) ・内 容:市民が主権者である社会を否定する秘密保護法、      市民生活を破壊し、民主主義さえ崩壊させかね      ない秘密法に反対。 ・著 者:海渡雄一  1981年弁護士登録。30年間にわたって、もんじゅ訴訟、 六ヶ所村核燃料サイクル施設訴訟、浜岡原発訴訟、大間 原発訴訟など原子力に関する訴訟多数を担当。1990年か ら日弁連公害対策環境保全委員会委員、2010年4月から 12年5月まで日弁連事務総長。3.11後福島原発告訴団、 東京電力株主代表訴訟、東海第2原発訴訟などの弁護を  務め、脱原発弁護団全国連絡会共同代表、脱原発法制定 全国ネットワーク事務局長。 ★秘密法で戦争準備・原発推進―市民が主権者である社会を否定する秘密保護法

★第七 秘密保全法制は戦争準備のためのもの(2)

二 ある北大生の受難―国家機密法の爪痕(その1)

・ある北大生の受難―国家秘密法の爪痕 ある北大生の受難―国家秘密法の爪痕 《「――秘密保全法について考える際に、ぜひとも読んでいただ いたい本が上田誠吉『ある北大生の受難ー国家機密法の痕跡』 (朝日新聞社、一九八七年。花伝社より二〇一三年再刊)である。 一九四一年一二月八日、日米開戦を伝える午前七時のラジオ臨時 ニュースを聴いた宮澤弘幸は、北大構内の外国人教師宿舎にレー ン夫妻を訪ねた直後に、構内で特高に逮捕された。 旅行好きの宮澤が旅行先である樺太根室の軍の施設の場所を教 えたという容疑である。根室の海軍飛行場の存在は、一九三一年 リンドバーグの太平洋横断後の着陸地として世界中に報道されて いた。 レーン夫妻からアメリカへの通報の事実もなく全くのえん罪であ った。札幌地裁・大審院で有罪判決を受けることとなった。自宅 でレーン夫妻と女中の石上シゲも逮捕された。 北大工学部も家宅捜査。宮澤弘幸は札幌、夕張、江別警察署で取 り調べられ、「逆さ吊り」拷問を受けたとされる。 ――」》 ※※※ ・2013/12/06:深夜の国会採決 ☆特定秘密保護法参議院・特別委員会で強行採決された瞬間 (公開日: 2013/12/05) 【自民 https://ssl.jimin.jp/m/contact  公明 https://www.komei.or.jp/contact/  みんな https://www.your-party.jp/contact/mai...  維新 https://j-ishin.jp/contact/  委員長 中川 雅治 自民  http://www.nakagawa-masaharu.jp/conta... (FAX)03−6551−0904 (TEL)03−6550−0904  ツイッター https://twitter.com/Nakagawa参院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保 護法案の採決をめぐり、中川雅治委員長(左端) の周りでもみあう委員。右端は森雅子・特定秘 密保護法案担当相=2013年12月5日 ※参院国家安全保障特別委員会中川雅治委員長 (参議院議員 自由民主党公認東京都選挙区選出) ◆◆歴史に残る暴挙を子どものために忘れない!◆◆ ※※※

原発事故後の本県教育考える 伊達でICRP対話集会◆

福島民報】(2014/09/01 08:55) 放射線教育などについて意見を交わす参加者 東京電力福島第一原発事故を受けた国際放射線防護委員会(IC RP)の対話集会「ダイアログセミナー」は最終日の31日、伊 達市伊達中央交流館で専門家らが県内の子どもに対する教育の在 り方、避難先の生活環境の向上策などについて意見を交わした。   「福島で子どもを育(はぐく)む」をテーマに、30日から2日 間にわたり開かれた。母親、教育者、医師、ICRP委員、仁志 田昇司市長、一般市民ら約70人が参加した。   出席者からは「科学的な知識を教え、自ら判断できる子どもを育 てる」「自主避難者の帰還のために、信頼できる専門家が見解を 示すべき」「県の未来の力になる中高生に対して、教育と支援が 必要」といった意見が出された。   ICRP委員のジャック・ロシャール氏(フランス)が「子育て は複雑な問題。未来に目を向けて取り組むべき」と総括した。》

◆福島知事が受け入れを正式表明 中間貯蔵施設、政府に◆

【47NEWS>共同ニュース】(2014/09/01 11:36) ・中間貯蔵施設受け入れを巡り、面会する 根本復興相(左から2人目)、石原環境相 (同3人目)と(右から)双葉町の伊沢史 朗町長、大熊町の渡辺利綱町長、福島県佐藤雄平知事=1日午前、福島市内のホテル 東京電力福島第1原発事故の除染で出た廃棄物を保管する中間貯 蔵施設について、福島県佐藤雄平知事は1日午前、福島市内で 石原伸晃環境相根本匠復興相に会い、国が候補地とした大熊、 双葉2町への建設受け入れを正式に伝えた。 大熊町の渡辺利綱町長、双葉町の伊沢史朗町長も同席。午後には 官邸で佐藤知事と安倍晋三首相と会談する方向で調整が続いてい る。 佐藤知事は8月30日に施設の建設受け入れを表明。その上で、 国に対し(1)使用開始から30年以内に福島県外で最終処分す ることを確実に法制化する(2)交付金を予算化する―ことなど を求める考えを明らかにした。》

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(214)
・第6章 軍事化される半島――謎秘める自衛隊基地軍(18)
大小の「海の耳」(その6)

海自八戸航空基地は北に向けた大きな抑止力

北朝鮮工作船と搭載武器類を一般公開 ・2001年5月31日より9月30日まで「船の科学館」  (東京お台場)で一般公開された時のポスター。 →https://www.sof.or.jp/jp/news/51-100/68_4.php 《「――つまり、海自八戸航空基地は北に向けた大きな抑止 力として、今もなお位置付けられ、機能し続けているという ことだ。 その「北」の中にロシアはもちろん、新型の戦略型原潜(核 弾道ミサイルを搭載)を配置する一方、大型空母の保有に突 き進む中国や、工作船による領海侵犯問題を度々引き起こす 北朝鮮が含まれていることは想像に難くない。 「基本的に、任務内容は冷戦時から変っていません」と続け る寺尾一左。P3Cの年間飛行回数は? と聞くと、簡単に 一言「残念ながら、申し上げられません」。 津軽海峡をはじめとした日本列島周辺のチョークポイントは、 今なお緊張をはらんでいるようだ。 ――」》

辺野古新基地「埋め立て絶対止める」市民ら抗議集会 ◆

沖縄タイムス】(2014年9月1日 11:12) ・新基地建設に抗議し、座り込みに参加す る市民ら=名護市辺野古・米軍キャンプ・ シュワブのゲート前、1日午前9時38分 【名護】米軍普天間飛行場の移設に伴う、名護市辺野古の新 基地建設で、米軍キャンプ・シュワブのゲート前では1日午 前も抗議の市民ら約100人が集まり、「埋め立ては絶対止 める」などと訴えた。 9時半すぎから開かれた集会では、7月の着工からの2カ月 間を振り返り、当初は立ち入りできなかった海域の航行が可 能になったことなどを抗議行動の成果として確認した。 ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「戦いを積み重ね、 常に前向きに抵抗運動を続けていこう」と呼び掛けた。平和 運動センターの山城博治議長も「陸上でも連動して、埋め立 て用土砂の搬入は体を張って止める」と意気込んだ。 一方、シュワブ沿岸部では2基のスパット台船がくいを海中 に打ち込み、作業を続ける様子が確認され、抗議の船やカヌ ーが反対の声を上げた。》

◆「在沖基地は脆弱」 ナイ氏寄稿 日米同盟再考求める◆

琉球新報】(2014年9月1日 ) ジョセフ・ナイ氏   【ワシントン=島袋良太本紙特派員】米民主党系の対日政策 に強い影響力を持つジョセフ・ナイ元米国防次官補がこのほ ど米ニュースサイト「ハフィントン・ポスト」に寄稿し、 「多くの日本人は日米同盟の非対称性に憤りを抱いており、 特に沖縄の基地負担に対する怒りもある」と指摘した。ナイ 氏は「中国のミサイル技術が発展し、沖縄の米軍基地は脆弱 (ぜいじゃく)になった」とも指摘。沖縄に米軍を集中させ る理由として日米両政府が説明してきた「地理的優位性」が、 実際は乏しくなり続けていることもあらためて認める形とな った。   論文寄稿は8月7日付。ナイ氏は「日米は同盟の構造を再考 しなくてはならない」と強調した。同盟の将来像について、 安倍政権が集団的自衛権の行使容認に踏み切ったことを「前 進」と評価。この文脈で在日米軍基地について「次第に日本 の管理下に移していき、米軍はこれらの施設をローテーショ ン(巡回配備)することが長期的なゴールだ」と指摘した。   一方、「ただその過程は注意深く行われるべきだ」とし、中 国のミサイル技術向上で在沖基地が「脆弱」になったことに 触れ、「米軍にとっての利益が減ったために基地を日本に返 すとの認識は避けなくてはならない」と強調。日米両政府で、 日米同盟に対する米側の「約束」を再確認した上で、米軍基 地の管理権移行を進める合同委員会を設置すべきだと提言し た。   ナイ氏は2011年、米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿し、 「海兵隊を県内で移設する現行計画が沖縄の人々に受け入れ られる余地はほとんどない」と分析した上で、在沖海兵隊の オーストラリア移転を提言した経緯がある。》

公明党殿、「第1・1自民党」に御改名遊ばせ。戸田城聖が泣いている。

特定秘密保護法は廃案にせよ、権力に匕首を持たせるのと同じだ。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・お年玉すぐ開けられて恥ずかしい 甲賀 三輪幸子
・今日絶対事故に遭えぬという下着 東京 水島た真子
・安全日毎日となりときめかず   志木 松焔

≪■★■≫詩歌 逍遙(俳句) ≪■★■≫

加藤楸邨

「雪後の天」

・青き夜空かぎり知られず桐の花

・北の涯のその霧の夜につづく梅雨

・蜩や雲のとざせる伊達郡

加藤楸邨(かとう しゅうそん)  (1905年5月26日 - 1993年7月3日) 本名武雄。山梨県出身。はじめ水原秋桜子に師事 したが、唯美的傾向にあきたらず、生活諷詠を基 調とする「寒雷」を創刊。戦中・戦後を通じて人 間性の回復のためにたたかった。「寒雷」「雪後 の天」「野哭」「起伏」等の句集のほか、芭蕉に 関する著書などがある。 Wikipedia:加藤楸邨 

◇◆◇『出家とその弟子』◇◆◇〈132〉

※恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての 親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の 法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。 本書には青年がどうしても通らなければならない青春の 一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に 示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その 衝撃力は失われず読む者に熱烈な感動を与え続けている。 〈この戯曲を信心深きわが叔母上にささぐ〉 極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)。  我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)。 煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)。  大悲無倦常照我(だいひむげんじょうしょうが)。                  (正信念仏偈

第四幕〈その7〉

第一場

黒谷墓地 無数の墓、石塔、地蔵尊等塁々として並んで いる。陰深き樹立ちあり。一寸した草地、所 々にばら、いちご等の灌木の叢(くさむら)。 路は叢の陰から、草地を経て樹立ちの中に入 っている。 人物 唯円     かえで     女の子、四人 時  春の午後 第三幕より一年後 [かえで]私を捨てて下さい。私はあなたに愛される価値(ねう      ち)がありません。私は汚れています。あなたは清い      清い玉のようなお体です。私は済ません。私は泣いて      耐え忍びます。      これまで何もかも怺(こら)えて来たのですもの。私      は一生男のなぐさみもので終わるものと覚悟していま      した。その侮辱さえも私の運命としてあきらめる気で      した。      あきらめないと云ったとて仕方はないのですもの。私      に力が無いのですもの。また皆が私にそうあきらめさ      せるように仕向けるのですもの。      どのお客も、どのお客も皆私をなぐさみものとして取      り扱いました。そして私に自分をそう思えよと強いま      した。      私はそれにならされました。自分はなぐさまれる犠牲      (いけにえ)、お客は呵責(かしゃく)する鬼ときめ      ました。      あなたは私を娘として取り扱って下さった最初の方で      した。私でも人間であることを教えて下さった最初の      方でした。      あなたは私でも仏様の子であるとまでおっしゃって下      さいました。(泣く)私はあなたのように私を取り扱      ってくれる人があろうとは夢にも思いませんでした。      あなたは天の使いのような方だと私は思いました。あ      なたとつきあっているうちに、私はだんだんと、失っ      ていた娘の心を恢復して来ました。      娘らしいねがいが、よみがえって来ました。雨のよう      なあなたの情けに潤うて、私の胸に蕾のままで圧し付      けられていた、娘のねがい、よろこび、いのち、おお、      私の恋が一時に綻(ほころ)びました。      私は嬉しくて夢中になりました、そして私の身の程も、      境遇も忘れてしまいました。私に許されぬ世界を夢み      ました。      今私は私の立っている地位を明らかに知りました。私      はあなたの玉のような運命を傷つけてはなりません。            私を捨ててください。私はあきらめます。あなたの事      は一生忘れません。私はしばらく私に許されたたのし      い夢の思い出を守って生きて行きます。                          (つづく)    

◆◇◆◇◆開高健名言辞典<漂えど沈まず>◆◇◆◇◆(26)

開高健名言辞典<漂えど沈まず>: 巨匠が愛した名句・警句・冗句200選 ・巨匠が愛した名句・警句・冗句200選 滝田誠一郎
アマゾンや、 どれが尻やら乳房やら (『オーパー』集英社文庫 40頁)
3)《淡水の多島海水の色さまざま1夜1日走っても両岸はジャン グル本流も支流もけじめがつかない“アマゾンや、どれが尻やら 乳房やら”南米銀行頭取のバレ句。この句だけ人の口にのぼる》 ちなみに、『オーパー』の取材ノートが見つかって関係者一同ア ッと驚いたのは、小説家はメモを取らないことで知られており、 『オーパー』の取材旅行中も同行者の誰一人として小説家がメモ を取るところを見た者がいなかったからだ。〆

◎◆◎アートのたのしみ《カジミール・マレーヴィチ》(3)◎◆

マレーヴィチ「刈り取る人 赤地」
〈1912-13年  Fine Arts Museum, Gorki蔵〉 (Oil on canvas 115 x 69 cm)
カジミール・マレーヴィチ
(Kasimir Malevich) 〈1878年2月23日 - 1935年5月15日〉 ロシア帝国ウクライナキエフ生まれ。両親はポーランド人 で、マレーヴィチにはウクライナ語で話し、ポーランド語で書 き、後に習得したロシア語で活動を行うという語学的分裂が生 じたとされる。 新印象主義、フォービズム、キュービズムを経て、1913年、モ スクワでシュプレマティスム(絶対主義)を提唱。モンドリア ンとともに、純粋に幾何学的な抽象表現の画家となる。1909年 「ダイヤのジャック」展などで、レジェ風にチューブ様のキュ ビズムで注目される。ロシア未来派として活躍。 やがてスターリン政権下のソ連で美術に対する考え方の保守化 が徹底し、前衛芸術運動が否定され芸術家は弾圧された。多く の同志たちと袂を分かち、マレーヴィチは一介の測量師として 写実的な具象絵画に戻り、その一生を終えている。
マレーヴィチ『自画像』(1933年)
〈ロシア美術館蔵 サンクト・ペテルブルク〉 (Oil on canvas 73 x 66 cm)    ★Kazimir Malevich (2010/05/31 にアップロード) 【Kazimir Severinovich Malevich (February 23, 1879 -- May 15, 1935) was a Russian painter and art theoretician, born in Ukraine of ethnic Polish parents. He was a pioneer of geometric abstract art and the originator of the Avant-garde Suprematist movement.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Frank Sinatra. L.A. Is My Lady. (1984) 《54》 (2010/12/17 にアップロード) 【Frank Sinatra. L.A. Is My Lady (studio recording) HQ.】 ☆☆☆フランシス・アルバート・"フランク"・シナトラ ・Francis Albert "Frank" Sinatra (1915年12月12日 - 1998年5月14日) アメリカのジャズ・ポピュラー歌手。現在も歌い継がれる 数々の世界的大ヒット曲を世に送り出し、その卓越した歌 唱力によって「ザ・ヴォイス」と称された。エルヴィス・ プレスリーマイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀 を代表する歌手の一人である。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉 大な100人のシンガー」において第3位にランキングさ れた。第二次世界大戦前の1930年代より死去する1990年代 までの長きに渡り現役の歌手として活動し、数々のミリオ ンセラーを連発し、また多くのミュージシャンに影響を与 えた。映画俳優としても活躍し、1953年には第26回アカ デミー賞助演男優賞を受賞している他、数多くの名作、ヒ ット作に出演している。 ★Frank Sinatra BiographyWikipedia:フランク・シナトラ

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦

岡野弘彦さんは平成25年度文化功労者歌集 美しく愛しき日本』より 【誰びとか、民を救はむ】 親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 役人(つかさびと)・政治家(まつりごとびと)  真(まこと)なき世に生きて 民は何たのむべき 天意より人意この国をほろばさむ。 議事堂はただ 政争の場ぞ 国ほろび 民ほろびゆく時の間も  あはあはとして 言葉あらそう 誰びとか民を救はむ。 天皇(すめろぎ)は老いの身ふかく 跪きます

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆

◆フィリップ・ホルム「戦争絶滅受合法案」◆

かって、「戦争絶滅受合法案」なるものがあった。前世紀の初め デンマークの陸軍大将フィリップ・ホルムが、各国に次のような、 法律があれば、地上から戦争がなくせると考えたのだ。
戦争が開始されたら一〇時間内に、次の順序で最前線に一兵卒と して送り込まれる。 第一、国家元首。 第二、その男性親族。 第三、総理大臣、国務大臣、各省の次官。第四、国会議員、     ただし戦争に反対した議員は除く。 第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。
――戦争は、国家の権力者たちがおのれの利益のために、国民を 犠牲にして起こすものだとホルムは考えた。だから、まっさきに 権力者たちがから犠牲になるシステムをつくれば、戦争を起こす ことができなきなるだろう、というわけだ。    (『犠牲のシステム 福島・沖縄』 (集英社新書) 38頁) 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ■見よ、沖縄の今の現実を! 知れ、日本国の自国民への凶行を! 標的の村 国に訴えられた沖縄の住民たち (公開日: 2013/06/16) 【標的の村 国に訴えられた沖縄の住民たち  http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-ni...