「四季・奈津子」私の大好きな青春の思い出の映画である

「四季・奈津子」私の大好きな青春の思い出の映画である

【私がいちばん好きなシーン、奈津子がひとり東京
 を目指して列車に乗る、それをひき止めようとす
 る地元の恋人、彼は中小企業のお坊ちゃまで、奈
 津子にプロポーズしている。彼の存在は安逸な故
 郷での人生そのものだ。だから彼女は彼をふりき
 って列車に乗る、すると彼は怒りをあらわにして
 叫ぶ。「バカヤロー」そう、あの時は魂が震えた】
 
 

林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(18)

◇大丈夫?◇(その3)

「四季・奈津子」私の大好きな青春の思い出の映画である

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Women at the top (General Motors Co (Fortune ranking #7) has named Mary Barra, the company's global product development chief, as its new CEO, marking the first time a major U.S. automaker has been led by a woman. REUTERS/Mike Cassese) 話は変わるが昨年のこと、由布院の亀の井別 荘に泊まった。ここには暖炉がある素敵な談 話室があり、本もいっぱい置いてある。ご主 人がかって助監督だったので映画関係の本も 多い。 東陽一監督を論じる本があり、「四季・奈津 子」の全台詞が載っていた。私の大好きな青 春の思い出の映画である。 今の使い捨てカイロのような映画と違い、あ の頃の映画は丁寧に製作され、長く上映され、 さらにずっと長く人の心に残っている。シナ リオを読んでいると、幾つかの場面がはっき りと浮かび上がってくる。 その中で私がいちばん好きなシーン、奈津子 がひとり東京を目指して列車に乗る、それを ひき止めようとする地元の恋人、彼は中小企 業のお坊ちゃまで、奈津子にプロポーズして いる。 彼の存在は安逸な故郷での人生そのものだ。 だから彼女は彼をふりきって列車に乗る、す ると彼は怒りをあらわにして叫ぶ。 「バカヤロー」 そう、あの時は魂が震えた。恋人役の風間杜 夫さんに恋をした瞬間である。あの時に私の 男性の好みが決定づけられたといっていい。 スクエアで普通の男が好きになったのである。 それなのに、この頃映画を見ても、テレビを 見てもこのテの男が少ない。みんな信じられ ないくらい美しくて、カッコいいコばかりだ。 画面に美少年が多過ぎるのではないか、とい うのが私の不満である。殺人犯も、刑事も、 みんなアイドル系の美青年で、眉を綺麗に整 え一時間かけブロウしたような髪をしている。 「もっと普通の男を出してくれ」 と私は叫びたくなる。 」》 ■《「バカヤロー」。そう、あの時は魂が震 えた。恋人役の風間杜夫さんに恋をした瞬間 である。あの時に私の男性の好みが決定づけ られたといっていい。》 ドッキとしました。作家というのは、ほんと うにすごい。いきなり、心の中を暴露します。 《「四季・奈津子」私の大好きな青春の思い 出の映画である》 ……なるほどと思う。ハヤシさんがよくわか ったように思います。 ヒロインの奈津子には、3年越しの恋人であ る達夫がいましたが、達夫からのプロポーズ に素直に答えられない。自分の人生には、未 知の可能性があるような気がしている。 まだ何も決めたくない、奈津子はそんな気持 ちでした。反対する達夫を押し切って、奈津 子は東京に向かってしまう。ハヤシさんが、 感動したのはよくわかります。自分を投影し ていたのでしょう。 ところで、「四季・奈津子」は1980年の 話題作のひとつにでした。奈津子役の烏丸せ つこは、新人の抜擢でした。新人でありなが らも、バンバン脱いで、感覚的に当時、「ポ スト桃井かおり」として一部の評論家に評価 されました。 <ストーリー> 九州・博多に住む奈津子は22歳。嫁いだ長 女・波留子、東京の大学に通う三女・亜紀子、 神経を病んで入院中の四女・布由子の四人姉 妹。 布由子が九州に公演に来ているテント劇団を 観に行きたいといいだし、主治医も同行し、 奈津子はボタ山での公演に妹を連れて行きま す。 そのテント公演の帰り、奈津子は写真家の中 垣と知り合う。「私のヌード写真を撮って」 と中垣に頼む奈津子。中垣は奈津子を東京に 誘う。 そして、写真を撮ることを反対する達夫を押 し切って、奈津子は東京に向かうのでした。 なお、「四季・奈津子 (1980) 予告篇」の最 後のほうに、「バカヤロー」のシーンが出で きます。 ☆「四季・奈津子」80年の話題作のひとつに ☆四季・奈津子 [DVD] 四季・奈津子 [DVD] ☆四季・奈津子 (1980) 予告篇 (アップロード日: 2011/12/27) 【予告篇】 ・『四季・奈津子』は五木寛之原作の小説を 基にした映画。東陽一監督、烏丸せつこ主演。 〈キャスト〉 烏丸せつこ ..奈津子 佳那晃子 ... 波留子 影山仁美 ... 亜紀子 太田光子 ... 布由子 本田博太郎 ... 中垣 風間杜夫 ... 金森達田村隆一 ... 詩人・金子貞生 阿木燿子 ... ケイ 藤田敏八 岡田裕介 ... 医師・沢木 牟田悌三 ... 奈津子の父 山谷初男 ... 北京料理店のチーフ 火野正平 ... 中垣の友人・河本 岡田眞澄 ... 俳優・森隆人 星正人 ・五木寛之の同名小説を「もう頬づえはつかない」 の東陽一監督が映画化。平凡なOLがそれまでの殻 を破り経験する小さな冒険を軸に、現代女性の自分 らしい生き方を模索するさまを自由で軽快なタッチ で描いたドラマ。博多郊外に住む一家の4姉妹の次 女・奈津子。ある日、四女とともに前衛劇団の公演 を観たことで彼女の中の何かが触発される。そして、 そこで知り合った写真家・中垣に自分のヌード写真 を撮ってほしいと頼むのだった……。 (つづく) (1603dys-980ent) ★林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(文春文庫) いいんだか悪いんだか (文春文庫) ・文庫:256ページ ・出版:文藝春秋(初版奥付日2013年03月10日) ◇ペットショップの売れ残り犬をつい購入、輸送費も省みず、 高知の友にプレゼント、時間もお金もたっぷり使って見合い 場をセッティング、お節介はもはや病気の域に達する一方、 イタリアでオペラ鑑賞、ついには自ら舞台でヒロインに。時 代の最先端と変わらぬ人情を両立させながら、仕事に遊びに フル稼働。京都からイタリアま、マリコの爆笑ダイアリー、 2009年総集篇。 ◇林真理子。1954(昭和29)年、山梨県生まれ。日本大学藝術 学部文芸学科卒業後、コピーライターとして活動。1982年の エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセ ラーとなる。1986年『最終便に間に合えば』『京都まで』で 第94回直木賞を受賞。1995年『白蓮れんれん』で第8回柴田 錬三郎賞、1998年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞 を受賞。『ミカドの淑女』『女文士』『美女入門』『anego』 『コスメティック』『Ruriko』『私のこと、好きだった?』 『下流の宴』『六条御息所 源氏がたり』『正妻 慶喜と美賀 子』など多数の著書がある。現在、直木賞の選考委員のほか、 講談社エッセイ賞吉川英治文学賞中央公論文芸賞、毎日 出版文化賞選考委員を務めている。 ・林 真理子氏

林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(18)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(58)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。  ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

▼△第2章 「原子力平和利用」とヒロシマ △▼(30)

―――宣伝工作のターゲットにされた被爆者たち

・展示の内容――強調される医学への応用〈7〉

原子力利用の前途は無限に輝いているというメッセージに

《「――かくして、原子力利用は、発電のみならず、医療、農業、 工業など様々な分野で、今後飛躍的な一大進歩を遂げることが期 待されており、「全人類の福祉のために、その前途は無限に輝い ている」というメッセージになっていた。 さらには、今後、船のみならず、機関車や飛行機の動力にまで活 用される可能性が高いという、夢のような話を羅列したものであ った。 ちなみに、アイソトープに関しては、興味深いエピソードがあっ たことが、一九五五年一二月初旬、すなわちこの博覧会の東京開 催中に、東京のアメリカ大使館から国務省に送られた機密メモか ら知ることができる。 ――」》

◆第一原発で誤警報 ネズミがまた侵入か

福島民報】(2013/12/11 08:59) 東京電力は10日、福島第一原発の所内電源の配電盤などが入っ た建屋に9日、ネズミとみられる小動物が侵入し設備の異常を知 らせる警報が作動したと発表した。11月下旬にも同じ建屋でネ ズミとみられる小動物が侵入し警報が作動している。   東電によると、9日午後4時半ごろ、警報が鳴った。調査の結果、 設備に異常はなかったが、建屋内にネズミとみられる小動物のふ んと尿の跡が見つかった。東電は11月下旬に侵入が見つかって 以降、シールで隙間を埋めていたが、今回は食いちぎられたシー ルが散らばっていた。東電は再発防止策として、からしの成分が 入った粘性の液体を隙間に注入するなどした。 ■第一原発海側井戸過去最高値の150万ベクレル 東京電力は10日、福島第一原発敷地海側の井戸で9日に採取し た地下水から、ベータ線を出す放射性物質が過去最高値の1リッ トル当たり150万ベクレル検出されたと発表した。これまでの 最高値は5日採取の140万ベクレルだった。

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(102)
・第2章 核最終処分場の不安・東通村(36)
  
最終処分場への策動(その4)

そこは日本最大の「原子力センター」にされようとしている

《「――広報部の担当者は、「時間を下さい」と、即答を避けた。 翌日になって、「本敷地は、当社が発電所建設用に取得したもの であり、本敷地に最終処分場を建設するという考えはございませ ん」との回答が、編集部にファクシミリできた。 すでに六ヶ所村東通村も、原発マネーの中毒患者、といえる。 与えられるだけの補助金は、時間とともに減っていく。結局、な にものも生み出さない。無駄に空費させるだけだ。 だからこそ、また、最終処分場の建設需要、固定資産税、迷惑料 としての補助金、新税(核燃料税)などをあてにするようになる。 こうして、この東北の太平洋に面した、長い海岸線をもつ、ふた つの隣りあった六ヶ所村東通村とが、もっとも汚染の危険性の 高い、日本最大の「原子力センター」にされようとしている。 ――」》

◆米議会、グアム移転費の凍結継続 負担軽減は不透明に

琉球新報】(2013年12月11日 ) 【ワシントン=島袋良太本紙特派員】米上院のレビン軍事委員長 は9日、2014会計年度(13年10月〜14年9月)の国防 予算に関する声明を発表し、在沖米海兵隊のグアム移転に対する 日本政府の拠出金について、計画や設計事業など一部例外を除き、 予算の執行凍結を継続することで上下院が合意したことを明らか にした。   安倍晋三首相は8月に上院の重鎮マケイン議員らに凍結解除へ協 力を求めていたが、凍結が継続することで日本政府が沖縄の基地 負担軽減の柱とするグアム移転は依然不透明な情勢が続く見通し となった。   一方、米議会関係者によると、国防総省が14会計年度に米側の 費用として要求した8600万ドル(約89億円)については、 上院が6月に削除を決めていたが、下院との協議で承認の方針を 決定。上下院の協議でグアム移転の新規予算が復活するのは2年 連続となる。   ただグアム移転に対する米側の支出額は同費用を含めても10〜 14会計年度の合計で5億1900万ドル(約535億円)にと どまり、米側総事業費55億ドル(約5665億円)の1割足ら ずにすぎない。一方、日本政府はグアム移転事業に916億円 (09〜13年合計)を拠出しているが、その8割が凍結措置で 未執行となっている。   米上院はグアム移転費の積算がずさんだとして、国防総省に基本 計画の提出を求めている。レビン氏が9日公表した14会計年度 の国防権限法案では、基本計画提出などの条件が満たされない限 り予算凍結を続けるとの方針を重ねて示した。
★☆★琉球新報
★秘密保護法は何をねらうか 秘密保護法は何をねらうか

公明党殿、「第二自民党」に御改名遊ばせ。戸田城聖が泣いている。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
鍋奉行3人もいてまずくなり    東京 小松一郎
・血統書付きの犬引く馬の骨     勝浦 ナメロー
・手を合わせいただきますと試食する 西東京 檜村雅子

☆★☆≫詩歌 逍遙(俳句) ≪☆★☆

・春着着る子の遙けさよ熱の中

・橋の上の獅子舞は波を見つつ行けり

・喜雨亭に賜びし年酒の酔ぞこれ

石田波郷(いしだ はきょう)  (1913年3月18日 - 1969年11月21日) 本名哲夫(てつお)。松山市に生る。水原秋桜子の 「馬酔木」により、流麗な感覚を駆使した斬新な作 風で、新興俳句の重要な存在となった。戦後病篤の 時期をへてさらに写実に深さを加えている。当時、 俳壇の担い手の一人。「石田波郷句集」「胸形変」 惜命」など。 ※Wikipedia:石田波郷 

◇◆◇『出家とその弟子』◇◆◇〈20〉

※恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての 親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の 法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。 本書には青年がどうしても通らなければならない青春の 一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に 示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その 衝撃力は失われず読む者に熱烈な感動を与え続けている。 〈この戯曲を信心深きわが叔母上にささぐ〉 極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)。  我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)。 煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)。  大悲無倦常照我(だいひむげんじょうしょうが)。                  (正信念仏偈

第一幕〈その9〉   〈20〉

人物 日野左衛門         四 十 歳    お兼(その妻)       三十六歳    松若(その息。出家して唯円)十 一 歳    親鸞            六十一歳    慈円(その弟子)      六 十 歳    良寛(その弟子)      二十七歳

第一場(9)

[左衛門](飲み飲み語る)わしは悪人になってやろうと思うの      だ。善人らしい面をしている奴の面の皮を剥いでやり      たいのだ。      皆嘘ばかりついていやがる、わしはな、これで時々考え      てみるのだよ。だが死んでしまうか、盗賊になるか、こ      の世の渡り方は二つしか無いと思うのだ。      生きてるとすれば食わねばならぬ。人と争わずに食うと      すれば乞食をする外はない。      世の中の人間が皆もののわかる人間なら乞食はいちばん      気持ちのいい暮らし方だろう。だが嫌な人間から犬に物      を投げてやるようにして哀れみの目で見られて残り物を      貰っても生きるのは一番辛いつからな。      そして世の中の人間はみんなそのような手合いばかりだ      からな。乞食も出来ないとすれば、寧ろ力ずくで奪うほ      うが幾ら気持ちがよいか知れない。      どうせ争わねばならぬのなら、わしは慈悲深そうな顔を      したり、また自分を慈悲深いもののように考えたり虚偽      の面を被るよりも、わしは悪者ですと銘打って出たいの      だ。さもなくば乞食をするか。それも業腹なら死んでし      まうかだよ。      ところでわしはまだ死にともないのだ。だから強くなく      てはいけないのだ。だがわしは気が弱いでな。気を強く      する鍛錬をしなくてはいけないのだ。      きょうも吉助の宅でお袋に泣かれた時にはふらふらしか      けたよ。わしはわしを叱ってもっと気強くしなくてはな      らないと腹を決めて怒鳴り付けてやったのだよ。悪くな      りくらなら、俺だって幾らでも悪くなれるぞという気が      したよ。(酒を飲む)                    (つづく)     ////////////////////////////////////////////////////////////

◎■◇■超訳菜根譚』■◇■◎

《境野勝悟著 三笠書房 超訳 菜根譚 人生はけっして難しくない (知的生きかた文庫) ※『菜根譚』、中国明代末期、洪自誠による処世訓。 儒教や仏教、道教のエッセンスが詰まった「人生の 教科書」

〈3〉勢利粉華(せいりふんか)には近づかず

◆「名誉」や「豪奢」に、へたに近づかない◆ ・「勢利」とは、名誉である。「粉華」とは、派手な豪奢。この 二つに近づくと、肝心な自分の思い通りの人生が、だんだんでき なくなる。・

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆

Lady Harriet Maria Conyngham Later Lady Somerville
〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Simon & Garfunkel - Cecilia (アップロード日: 2010/02/27 ) 【"Cecilia" is a song written by US musician Paul Simon. It was first recorded by Simon and Garfunkel for their 1970 album Bridge Over Troubled Water. When released as a single, it reached #4 in the US charts. The single did not chart in the UK, despite being released as the follow-up to Simon and Garfunkel's number one hit "Bridge Over Troubled Water".】 ☆☆☆ サイモン&ガーファンクル Simon & Garfunkel サイモンとガーファンクルは、1960年代に活躍 した、ユダヤアメリカ人のポール・サイモンアート・ガーファンクルによるポピュラー音 楽ユニット。1964年にデビュー、1970年に活動 停止。しかし、それ以後も折に触れて2人で活 動している。1990年にロックの殿堂入りを果す。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大 な100組のアーティスト」において第40位。 ★Wikipedia:サイモン&ガーファンクル

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす ・『歌集 美しく愛しき日本』より ◆岡野弘彦さんは平成25年度の文化功労者に選ばれました。

◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"

安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

ヒトラー独裁政権の誕生の経緯

1933年1月30日、ヒトラー首相就任。 1934年8月02日、ヒンデンブルク大統領死去に伴い、 ヒトラーは直ちに「ドイツ国および国民の国家元首 に関する法律」を発効させ国家元首である大統領の 職務を首相の職務と合体させ、さらに「指導者兼首 相 (Führer und Reichskanzler)であるアドルフ・ ヒトラー」個人に大統領の職能を移したのである。

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆