聖徳太子「和を以て貴しとなす。忤うなきを宗となす」

聖徳太子「和を以て貴しとなす。忤うなきを宗となす」

【震災の混乱の中で、誰言うこともなく、天の啓示
 のように現れた「絆」という言葉は、この「以和
 為貴」と同義であろう。ありがたいことに、聖徳
 太子が、日本人に初めて授けた法は、その言葉を
 忘れてはいても、精神の中に生きていたのである】

浅田次郎著『ま、いっか。』(156、最終回)

◇文庫版あとがき◇(下)

聖徳太子「和を以て貴しとなす。忤うなきを宗となす」

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Syria's boy rebel (Mohammad (R), a 13 year-old fighter from the Free Syrian Army, aims his weapon as he runs from snipers loyal to the Syrian regime in Aleppo's Bustan al-Basha district October 29, 2013. REUTERS/Molhem Barakat) (Mohammad (2nd L), a 13 year-old fighter from the Free Syrian Army, sits with his fellow fighters in Aleppo's Bustan al-Basha district October 28, 2013. REUTERS/Molhem Barakat) 聖徳太子は「十七条憲法」の第一条に、「和 を以て貴しとなす。忤(さから)うなきを宗 (むね)となす」と記した。あまねく日本国 民に対する、初めての布告といえよう。 「平和と親しみが一番。戦ったり争ったりし ないように心がけなさい」という意味である。 太子は『礼記』にあるこの言を引いて、日本 の国是とした。 それから千四百年もの間、さまざまの「違憲 行為」があったけれど、同じ長い歴史をもつ 諸外国に較べれば日本は平和であった。「以 和為貴」は私たちの道徳であり、基本精神で あり続けた。 震災の混乱の中で、誰言うこともなく天の啓 示のように現れた「絆」という言葉は、この 「以和為貴」と同義であろう。ありがたいこ とに、聖徳太子が日本人に初めて授けた法は、 その言葉を忘れてはいても精神の中に生きて いたのである。 私たちは、こうした日本人であることを矜 (ほこ)りに思わねばならない。むろん、こ の精神がある限り、国難は克服されることは 歴史に見る通りである。 和を以て貴しとなす。忤うなきを宗となす。 しかし、この言を実行することはなかなか難 しい。四角四面に生きようとすれば和を乱し、 誠実さは時に諍いを招く。 そこで必要なものは、「謙譲」と「寛容」の 精神なのだが、それらは早い話が「ある程度 のいいかんげんさ」とも言える。 「以和為貴」(ま、いっか。) 聖徳太子尊い訓えに勝手にルビを振って、 エッセイの表題とした。争わず諍わずに生き てきた六十年を顧みれば、正しい解釈だと思 うゆえんである。  平成二十四年三月二十五日                 浅田次郎                   《完》 」》 ■昨日の『原発、いのち、日本人』の第一章 からの続きをもう少し―。どうも、学童疎開 が人ごとではないのです。 ――――― 今井 逃したんですよね(学童を)。日本民族の未来にために。 浅田 そう。疎開した子どたちはすごく苦労したと思うよ。苦労 したけれども、命はつないだんだよ。その人たちが、戦後の高度 経済成長を支えたわけだろう。 昭和二十年代にできたことが、今は、危機感もなければ、読みも ない。疎開させなくても大丈夫とうのは、ただの希望的観測にし かすぎない。  僕は、戦後六十六年の間に日本人は退行したと思う。特に、子ど もに対しての危機感という意味では、まったく退行した。 今回、福島のお母さんたちが自分で子どもを逃したとか、親戚に 預けたとか、あるいは家族で引っ越したとか、そういう話はよく 聞くけど、それで済む問題なのか。 まず、逃げられた子と逃げられなかった子が、将来福島に戻って きて仲よくやっていけるか。その家同士もね。これは、物理的な 崩壊ではなくて地域の心の崩壊。もうこれは致命的。 逃げた家が戻ってきたって、それは仲よくやっていけないわ。た ぶん、今すでに、そうなっている。あそこは残ったけど、あそこ は逃げたとかね。これは外部の人が気がつかない。 もう大変な破壊状態だと思うよ。だから、そういうことを全部防 ぐためにも、ともかく均一に全員一斉に疎開させるべきだった。 ――――― 10月29日に分かった政府・与党が検討し ている福島復興加速化案によれば、年間積算 放射線量が50ミリシーベルト超の「帰還困 難区域」について、帰還まで長期の時間がか かることを明確にした上で、移住先で住宅を 確保できるよう賠償金を手厚くする。政府が 事実上、「帰還できない」との見通しを初め て示しました。これで、避難した被災者の 「全員帰還」を原則としていた対策を、大き く転換させることになりました。 遅すぎます!そんなこと、最初から分かって いたはずだ! 政府は、一体全体、どれだけ、 人々の人生を狂わせば、気が済むのか。 さて、浅田次郎さんの『ま、いっか。』は今 日で終わります。長い間、ご愛読ありがとう ございます。 ありがたくて忘れられないコメントをいただ いたことはありました。これは、もう、私の 一生の宝ものです。 □通りすがりのものです。 2013/05/01 10:37 「つかっけ」が気になります。「つっかけ」では。 □ kuromori999kuromori999 2013/05/01 10:59 通りすがりのご親切な方さま ハイ、「つっかけ」が正しいです。 汗顔の至りです。 いつまでも、恥を晒すところでした。 ありがとうございます。 “通りすがりのものです” なんという思い遣りのある、お言葉でしょう。 この本で、浅田次郎さんの私生活をあまりに も知ってしまって、もう他人とは思えず、ど こかでお会いしたら、反射的に、お声をかけ てしまいそうで、マジで心配しています。 ☆聖徳太子から学ぶ日本の心 十七条憲法 冠位十二階   (公開日: 2013/07/31) 【聖徳太子から学ぶ日本の心。和国 日本。和を以って貴しとな し、十七条憲法1条。日本で最初に出来た憲法である。中央集権 国家体制の確立し実質日本国の確立とも言える。その偉業を成し た人物が聖徳太子である。私達日本人が大切にしているもの、そ れは和。この和こそ日本建国の確立の中心にあり、日本人そのも のである。 その和の精神は憲法一条に定められている。人には聖人も愚人も なく『共に凡人にすぎない』この世に完全無欠の人間等いないだ から意見が食い違うのは当たり前より良いものを作りには道理に あった議論が必要である。人間が持つべき5つの徳【智 義 信  礼 仁】。そして最も最高位にあるのが徳である。 智 知恵があっても正義がなければ略奪に過ぎず 義 人は正義の元に争うが信頼があれば争う事はなく 信 信頼は感謝や尊敬、礼儀正しい人に集まり 礼 礼儀を知ると人の慈悲、人の仁愛を理解し 仁 人の為に尽くすのが仁であり 徳 それら全てを卓越した人に徳が備わる 聖徳太子は冠位を人の徳によって位を6つの大小に分けた。 これを冠位十二階を呼ぶ。今も尚息づく日本の心。互いを思いや り人を責める事なく苦あれば手を差し伸べ、協力し合い利益に翻 弄される事なく徳を積む。私心を捨て凡人である事を受け入れ神 を敬う。私達日本人は手を合わせる姿がとても似合う民族である】 ☆絆(混声三部合唱曲) 歌詞付き ※山崎朋子作詞作曲「絆」 出版:教育芸術社 (公開日: 2013/07/31) 【合唱曲の絆です。  歌詞  桜咲く あの日 希望と夢にあふれていた  大切な仲間 この場所でめぐり逢えた  僕らの出会いは この広い世界で ささいな出来事だけど  今も忘れない 君と過ごした日々 輝いてた毎日  君と僕の大切な絆 いつまでも切れないように  ずっと ずっと守り抜こう 心の中でつむいでいく  帰り道 君と夕日の中で話したよね  時が過ぎ 遠く離れても忘れないよ  青空の下で 未来を追いかけて ともに汗を流した日  苦しいときにも 友達という風 僕を支えてくれた  君と僕の思い出は かけがえのない宝物になる  分かち合った 強い思い 消えることはない いつまでも  君と僕の大切な絆 いつまでも切れないように  ずっと ずっと守り抜こう 心の中でつむいでいく  消えることはない いつまでも】 (1563dys-962ent) (1564dys-962ent金)休〜 (1567dys-962ent月)休 浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(156、最終回)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(40)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。  ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

▼△第2章 「原子力平和利用」とヒロシマ △▼(12)

―――宣伝工作のターゲットにされた被爆者たち
・広島ターゲット作戦第一弾――「広島に原発建設」を〈3〉

キリスト教的精神に基づく平和的な原子力の助成

《「――ポーターの広島訪問から一年後の五五年一月ニ七日、今 度は、アメリカ下院の民主党議員シドニー・イエーツが広島市に 日米合同の工業用発電炉建設する緊急決議案(建設費二億ニ五〇 〇万ドル、出力六万キロワット、資源はアメリカから持参、三年 計画)を下院本会議に提出し、二月一四日の本会議でも再度この 決議案に関する演説を行った。 建設計画地に広島を選んだ理由として、イエーツは、「最初に原 子力の破壊をこうむった広島こそ原子力の平和的恩恵を受ける資 格があると考えたから」と説明している。 マレー同様、これは日本に原爆を投じたアメリカとして真にキリ スト教的精神に基づく平和的な原子力の助成にはかならないとも 述べた。 ――」》

◆「果たしてない」6割 県内59市町村長アンケート

◆首相の「責任果たす」発言

福島民報】(2013/10/31 07:56) 東京電力福島第一原発の汚染水問題をめぐり、安倍晋三首相が五 輪招致で「責任を完全に果たす」と発言してから一カ月余が過ぎ たことを受け、福島民報社は県内全59市町村長に、現状に対す る見解などをアンケートした。 発言後の対応について「責任を果たしていない」と回答したのは 35人で6割を占めた。「責任を果たしている」は3人にとどま った。発言後も汚染水漏れや作業ミスなどが相次ぎ、「東電に任 せきり」「国の姿が見えない」などの声が目立った。ただ、今後 の国の対応に対しては23人が「期待できる」と答えた。 アンケートは8日から19日にかけて実施した。「安倍首相の 『責任を完全に果たす』との発言をどのように受け止めるか」の 質問に対する回答は、 「責任を果たしていない」が35人(59%)で最も多かった。 「分からない」が17人(29%)、その他4人(7%)、「責 任を果たしている」が3人(5%)だった。   責任を果たしていないと回答した浪江町馬場有町長は、安倍首 相の発言以降も東電福島第一原発で、港湾外の海水から放射性物 質が検出されたことを踏まえ、「東電任せで国の責任、リーダー シップが具体的に見えない」と国の姿勢を批判。飯舘村の菅野典 雄村長は「予算措置だけではなく、現場に常駐し万全を図るべき」 と国による人的支援の必要性を指摘した。   果たしているとした古殿町の岡部光徳町長は「政府主導で汚染水 対策を始めた」ことを理由に挙げた。 「分からない」と回答した相馬市の立谷秀清市長らは「情報不足 により判断できない」とし、国による詳細な情報提供を求めた。   「国の今後の対応に期待できるか」との質問に対する回答は、 「期待できる」と「分からない」が同数の23人(39%)、 「その他」が7人(12%)、「期待できない」が6人(10%) だった。   期待できると回答した北塩原村の小椋敏一村長は、平成32年の 東京五輪開催が決まり、同原発に対する国際的関心が高まってい ることを背景に「海外から懸念されないように対策を講じると思 う」とした。大玉村の押山利一村長は「期待できるできないでは なく、やってもらわないといけない」と国が積極的に問題解決に 取り組むよう求めた。   期待できないと回答した大熊町の渡辺利綱町長は「(汚染水対策 の)組織だけ大きく複雑化されたが、同じ大臣らが兼務している だけ」とし、実効性のある対応を求めた。只見町の目黒吉久町長 は、東電の社員の心身疲労を課題に挙げた上で「国が先頭に立ち、 内外の英知とマンパワーを結集して対応すべき」と提言した。   安倍首相は9月7日、国際オリンピック委員会総会での東京五輪 誘致のプレゼンテーションと質疑応答で「(福島第一原発につい て)状況はコントロールされている。全く問題ない。(福島の子 どもたちや選手に対し)責任を完全に果たす」などと発言した。

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(84)
・第2章 核最終処分場の不安・東通村(18)
原発計画(その4)

海軍工廠跡三菱系のに「むつ製鉄」が進出するはずだった

《「――一九八四年、「下北半島を日本有数の原子力基地に」と 中曽根首相は発言したが、それは、東北電力東京電力による 「東北開発」の方針に、政治力を与えたにすぎない。 それより一四年まえ、一九七〇年一月に竹内知事は記者会見をひ らき、「第二原子力センターの建設地として東通村を内定した」 と発表している。 その年の六月、竹内知事は東京、東北電力原発予定地とされて いる東通村の用地買収にあたって、両社と「買収取得協定」に調 印した。 東京電力の四七八、東北電力の四一ニヘクタールを県が買収して、 一九七一年一二月までに引き渡す、という内容だった。 陸奥湾に面したむつ市の旧海軍工廠跡(長い間、鉄骨むき出し、 破れトタンの巨大な建屋が風雨に曝されていた)に、三菱系の 「むつ製鉄」が進出するはずだった。 があっさり契約を破棄、日本の最初にして最後の原子力船「むつ」 の母港とされた。が、それも放射線漏れを起こして廃船となった。 ――」》

辺野古移設で北部振興 島袋氏「県外は非現実」

◆名護市長選一問一答

沖縄タイムス】(2013年10月30日 12時30分) ・市長選への出馬を表明する島袋吉和(前列右から2人目) =30日午前11時すぎ、名護市数久田・数久田地区会館 来年1月の名護市長選に向けて30日、市内で出馬会見を開いた 前市長の島袋吉和氏は出馬の動機を語った。記者団とのやりとり は次の通り。  −出馬への思いは。  島袋吉和氏「今の名護市の経済状況には閉塞感が漂っており、 何とかして豊かにしたいと。持論である、辺野古移設なくして北 部の振興発展はない、の観点から出馬に至った」  −出馬への経緯は。  島袋氏「ライフワークである北部振興推進協議会で北部や名護 の振興を考えてきた。市民大会も2回開き友人知人、周辺の後押 しがあればいつでも立候補したいとの気持ちで頑張ってきたが、 多くの支持者からの賛同を得た」  −保守陣営は票が割れるとの懸念もある。  島袋氏「保守革新が割れる、どうのこうのは全く考えていない。 私の相手は稲嶺・現市政と思っている」  −政府内には一本化を求める声も、末松氏との調整は。  島袋氏「今日は、堂々と戦うとしか申し上げられない。末松氏 には、辺野古移設を政策に入れないと私も立候補すると言ってき た。すりあわせは今のところない。稲嶺さんとの対立軸がないと 市民は判断に迷う。はっきり辺野古移設を表明、容認して戦うこ とで市民は納得いくと考える」  −末松氏が明日以降、辺野古容認を主張したら一本化の調整に   応じるか。  島袋氏「これは、今日お集まりの支持者の皆さんとよく相談し ながら。明日、明後日にどうの、という仮定の話はできない」  −自民県連は県外移設を掲げている。  島袋氏「県外、県外と政治家は軽く言うが、非現実的。いつど こに持って行くと言う人は一人もいない。県民にも認められてい ないと思う」  −あらためて争点は。  島袋氏「市民の生命財産を守ることが第一。医療福祉、産業や 雇用の創出などなどもろもろあるが、中でも普天間移設は先に通 らないといけない。私で終わりたいとの気持ちで頑張る」  −今後の支援態勢は。  島袋氏「名護市を豊かにする市民の会として、市民を網羅した 組織をつくっていく。また辺野古移設で一緒に頑張るという政党 があれば、相談してしっかりやっていきたい」

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・それぞれはいい人なのにする離婚 東京 日比谷始
・看護師が横目で過ぎる回復期   大和郡山 季ーヤン
・住民がそろってしまう敬老会   湯沢 馬鹿駄物
 

☆★☆≫詩歌 逍遙(俳句) ≪☆★☆

・蝌蚪死ぬ土くれ投げつ嘆かるる

・春暁の壁の鏡にベツドの燈

・春暁の川を煤煙わたりそめ

石田波郷(いしだ はきょう)  (1913年3月18日 - 1969年11月21日) 本名哲夫(てつお)。松山市に生る。水原秋桜子の 「馬酔木」により、流麗な感覚を駆使した斬新な作 風で、新興俳句の重要な存在となった。戦後病篤の 時期をへてさらに写実に深さを加えている。当時、 俳壇の担い手の一人。「石田波郷句集」「胸形変」 惜命」など。 ※Wikipedia:石田波郷 

◇◆◇『出家とその弟子』◇◆◇〈2〉

※恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての 親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の 法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。 本書には青年がどうしても通らなければならない青春の 一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に 示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その 衝撃力は失われず読む者に熱烈な感動を与え続けている。 〈この戯曲を信心深きわが叔母上にささぐ〉 極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)。  我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)。 煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)。  大悲無倦常照我(だいひむげんじょうしょうが)。                  (正信念仏偈

序 曲〈その2〉

死ぬるもの
――ある日のまぼろし――
[顔蔽いせる者]お前は甘えているな。 [人間](やや躊躇(ちゅうちょ)して後)わたしは恐れてはい ます。もしや死ぬのではなかろうかと。……あゝあなた は私の心を見抜きましたな。ほんとうは私も死ぬのだろ うと思っているのです。私の祖先の知恵ある長老たちも 昔から自分らのことをモータルと呼んでいますから。 [顔蔽いせる者]それはほんとうじゃ。禽獣(きんじゅう)草木      魚介の族と同じく死ぬるものじゃ。 [人間]あなたはどなたでございますか。その威力ある言葉を出     すあなたは? [顔蔽いせる者]わしは死なざるものに仕える臣じゃ。お前はわ         しを知らぬかの。 [人間]知っているような気もするのですが、……いゝえ、やは     り知りません。 [顔蔽いせる者]お前はたびたびわしの名を呼ぶようじゃ。こと         にこのごろはあまりたびたびなので煩(わずら)         わしいほどじゃ。 [人間]ではもしやあなたは? おそれながらお顔蔽いをとって     一度だけどうぞお顔をお見せくださいませ。 [顔蔽いせる者]わしはモータルには顔を見せぬものじゃ。死ぬ         るものには。 [人間]それはなぜでございます。 [顔蔽いせる者]モータルを見るとわしは恥ずかしくて死ぬるか         らじゃ。                          〈つづく〉 //////////////////////////////////////////////////////////

■◇■《シリコンバレー金言集》■◇■

梅田望夫著『ウェブ時代5つの定理』から
・文庫: 302ページ ・出版社: 文藝春秋 (2010/2/10) ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)インテルアンディ・グローブはこう言った。 「パラノイアだけが生き残る」。グーグルのマ リッサ・メイヤーはこう言う。「政治的になる な、データを使え」―。94年にシリコンバレー に居を定めて以来、ウェブビジネスの最先端に かかわってきた著者が読み解くシリコンバレー の言葉の数々を紹介。ここで取り上げられた言 葉は、皆、英語です。日本語訳は上杉隼人氏。 ※Wikipedia:梅田望夫
◆第4定理 グーグリネス

《みんなの合意が基本――マネジメントの三つの黄金訓》

会社は答えによってではなく、質問によって 運営している。(中略) ずばりその通りの答えを提示するのではなく、 質問をすることによって会話が刺激される。 イノベーションというものは、ある日朝起きて、 「私はイノベートしたい」と言って生まれるも のではない。質問として問うこと、よりイノベ ーティブなカルチャーが生まれるのだ。
―― エリック・シュミット
We run the company by questions, not by answers. (---)You ask it as a questions, rather than a pithy answer,and that stimulates conversation. Out of the conversation comes innovation. Innovation is not someting that I think you get a better innovation culture if you ask it as a question.
―― Eric Schmidt
Wikipedia:エリック・シュミット (84)

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆

Portrait Of George Nugent Grenville, Lord Nugent
〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆Surrender (HQ Sound) Elvis Presley (公開日: 2012/08/18) 【"Surrender" is a #1 song recorded by Elvis Presley and published by Elvis Presley Music in 1961. It is an adaptation by Doc Pomus and Mort Shuman of the music of a 1902 Neapolitan ballad by Giambattista and Ernesto de Curtis entitled "Torna a Surriento" ("Come Back to Sorrento"). It hit number one in the US and UK in 1961 and eventually became one of the best selling singles of all time. This was one of 25 songs Doc Pomus and Mort Shuman wrote for Presley. It has been recorded by many other artists.】 ☆☆☆ ・エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley) (1935年1月8日 - 1977年8月16日) アメリカのロックンロールミュージシャン、映画俳優。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人 のシンガー」において第3位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組 のアーティスト」において第3位。 「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」にお  いて第1位。 ロックンロールの王様。「ザ・キング」。モノマネの対 象として、ポップミュージシャンとしてはたぶん指折り。 ★Wikipedia:エルヴィス・プレスリー

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす ・『歌集 美しく愛しき日本』より ◆おめでとうございます。岡野弘彦さんが  平成25年度の文化功労者に選ばれました。
◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"
安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆