二十年近く前のこと、私はある女性の伝記を書いた

二十年近く前のこと、私はある女性の伝記を書いた

【明治の宮廷で、妖婦と呼ばれた女性だ。伊藤博
 文はじめ、明治の元勲たち何人かと関係を持っ
 たと言われているが、それは彼女の裏の顔で、
 表の方は、明治の女子教育の第一人者ともいえ
 る。しばらく、学習院の女学部長を務めている】

林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(55)

◇英雄の取り扱い◇(4/4)

二十年近く前のこと、私はある女性の伝記を書いた

《「 ◆ドキッとするピクチャー(Source:REUTERS)◇ ◇Carnival in Brazil (A reveller from the Perola Negra samba school takes part in the Special Group category of the annual Carnival parade in Sao Paulo's Sambadrome March 1, 2014. REUTERS/Paulo Whitaker) (Revellers from the Imperio da Casa Verde samba school take part in the special group category of the annual Carnival parade in Sao Paulo's Sambadrome March 2, 2014. REUTERS/Paulo Whitaker) さて、もう二十年近く前のことになろうか。 私はある女性の伝記を書いた。明治の宮廷 で、妖婦と呼ばれた女性だ。 伊藤博文はじめ、明治の元勲たち何人かと 関係を持ったと言われているが、それは彼 女の裏の顔で、表の方は明治の女子教育の 第一人者ともいえる。しばらく学習院の女 学部長を務めている。 ある時、地方に講演に行った時のことだ。 主催者は地元のソロプチミストの方々で、 終わった後会食をもった。 その時、着物をお召しの、いかにも地方の 名流夫人とおぼしき女性が、つかつかと私 のところに近づいてきたのだある。 「ハヤシさん、私は○○女子大学の卒業生  ですの」 「はっ」 「xxxは先生がおつくりなった女学校が  基になっておりますの」 そう、私が伝記を書いた女性はその昔女学 校を創設したのある。 「私たち同窓会は、一丸となってハヤシさ  んに抗議しようと話し合ったことがある  んですよッ」 でも、伊藤博文の愛人ということが証明さ れる資料も、ちゃんと残っていますよ、と 言っても無駄なことであった。 「ああいう女子大の創設者は、昔の卒業生  にとっては、神さまみたいな存在だから、  本当に気をつけなきゃ」 と母にも注意された。 ミュージカル「龍馬」も、心して演らなく ては。龍馬は「好きな歴史上の人物」、い つも一位である。 」》 ■《私はある女性の伝記を書いた》 その本は、『ミカドの淑女(おんな)』です。 ヒロインは、下田歌子。女官として宮廷に出 仕するや、その才気によって皇后の寵愛を一 身に集め、ついには華族子女憧れの的、学習 院女学部長にまで昇進します。 ところが「平民新聞」が、彼女の色恋沙汰を 暴露する連載記事が始め、突然の醜聞に襲わ れるのです。 小説に登場するのは、伊藤博文乃木希典、 そして明治天皇…。明治の異様な宮廷風俗を 描きつつ、その奇怪なスキャンダルの真相を 暴く異色の長編です。なお、松本清張が推薦 文を書いています。 ―――― 迷信残る平安の禁裏と大奥政治の江戸城とを 接ぎ木した明治の宮廷に咲く才色あふるるば かりの下田歌子。身は華族子女の教育者で偶 像の的。至尊も眩惑され、大官はその蠱惑に 屈する。 怪予言者が彼女と組む。これまでは書くのに 困難だった題材に小説として初めて成功した と思う。抑制した筆で感覚的な描写をもりあ げる著者の才能に目をみはる。学習院院長乃 木希典が歌子を処分した理由の新解釈も嶄新 だ。(まつもと・せいちょう)〈サイン入り〉  ―――― ここで、下田歌子の表の方もちょっと見てお かないとファアじゃないでしょう。 下田歌子は、容姿と才能に恵まれ、「明治の 紫式部」とも、あだ名されるほどでした。 明治5(1872)年、十八歳、多くの人々から の推挙を受け宮中に出仕して、明治天皇の皇 后(昭憲皇太后)にお仕えします。出仕の栄 えの日に、次のような歌を読んでいます。 敷島の 道をそれとも わかぬ身に かしこく渡る 雲のかけはし また、皇后の歌会で「春月」という題をいた だいた折りには、 手枕は 花のふぶきに 埋もれて うたたねさむし 春の夜の月 と詠い、そのすぐれた歌才を皇后に愛でられ ます。これにより、皇后より「歌子」という 名を賜ると共に、その評判は世に喧伝される ことになりました。その後、皇后の学事には 常に陪席を許されるなど、宮中で活躍するこ とになります。 ☆「春月」 下田歌子(1854 -1936) 実践女子大学・同短期大学図書館から) ☆ミカドの淑女(おんな) (新潮文庫) ミカドの淑女(おんな) (新潮文庫) (発売日:1993/7/29) (つづく) (1685dys-1017ent) ★林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(文春文庫) いいんだか悪いんだか (文春文庫) ・文庫:256ページ ・出版:文藝春秋(初版奥付日2013年03月10日) ◇ペットショップの売れ残り犬をつい購入、輸送費も省みず、 高知の友にプレゼント、時間もお金もたっぷり使って見合い 場をセッティング、お節介はもはや病気の域に達する一方、 イタリアでオペラ鑑賞、ついには自ら舞台でヒロインに。時 代の最先端と変わらぬ人情を両立させながら、仕事に遊びに フル稼働。京都からイタリアま、マリコの爆笑ダイアリー、 2009年総集篇。 ◇林真理子。1954(昭和29)年、山梨県生まれ。日本大学藝術 学部文芸学科卒業後、コピーライターとして活動。1982年の エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセ ラーとなる。1986年『最終便に間に合えば』『京都まで』で 第94回直木賞を受賞。1995年『白蓮れんれん』で第8回柴田 錬三郎賞、1998年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞 を受賞。『ミカドの淑女』『女文士』『美女入門』『anego』 『コスメティック』『Ruriko』『私のこと、好きだった?』 『下流の宴』『六条御息所 源氏がたり』『正妻 慶喜と美賀 子』など多数の著書がある。現在、直木賞の選考委員のほか、 講談社エッセイ賞吉川英治文学賞中央公論文芸賞、毎日 出版文化賞選考委員を務めている。 ・林 真理子氏

林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(55)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(95)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。  ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』

▼△終章 歴史からの問いかけに向き合うとき △▼(4)

<水素爆発> ・1号機の水素爆発を予測できた者はいない。

自分たちの過去を真摯に見つめる教育を怠ってきた私たち

《「――これとは対象的に、自分たちの過去を真摯に見つめる教 育を怠ってきた私たちは、政治に「建前と本音」があることを十 分知りつつも、自分たちの生活にさほど支障がない限り、政治家 や官僚が並べる「建前」をそのまま受容してしまい、事の本質で ある「本音」についてほとんど問わないという生活の仕方に流さ れてきたのではなかろうか。 したがって、福島原発事故のように、自分たちの身に本当に危機 が迫ったときだけ、突然「本音」を問題にするようになる。 しかし、その時点では、危機を回避するには遅すぎるという重大 な事態にすでに陥っている。 さらには、かような危機をいかに乗り越え、どのような目標設定 を行い、いかなる方法で目標を達成すべきかという将来への展望 も打ち出すことができない。 ――」》

◆再稼働容認2割 原発30キロ圏 同意不要に不満

東京新聞】(2014年3月2日 朝刊) 全国の原発の半径三十キロ圏にある百五十六自治体のうち、原子 力規制委員会が審査を終えれば原発の再稼働を「容認する」と答 えたのは、条件付きを含めても約二割の三十七自治体にとどまる ことが一日、共同通信社のアンケートで分かった。「判断できな い」との回答も約四割の六十六自治体に上っており、再稼働に向 けた手続きは難航しそうだ。 半径三十キロ圏内の自治体の内訳は二十一道府県と百三十五市町 村で、原発事故を想定した対策を求められている。事故時の住民 避難を尋ねたところ「どちらかといえば難しい」も含め、半数近 い七十二自治体が困難とし、避難準備が整わない実態も明らかに なった。再稼働の判断は規制委が審査中の原発の周辺自治体に絞 っても、同様の結果だった。 政府は規制委の審査を「お墨付き」にして再稼働を進める方針だ。 しかし安全性への不安が強いことに加え政府が自治体や住民への 説明方法、将来的な原発の位置付けを曖昧にしていることから、 自治体の慎重姿勢が目立つ結果となった。 「容認」は十三自治体、「条件付き容認」は二十四自治体に対し、 「容認しない」は三十二自治体だった。 東京電力福島第一原発事故後、政府は原子力災害対策の重点区域 を、従来の半径十キロ圏からおおむね三十キロ圏に拡大し、対象 は十五道府県と四十五市町村から大幅に増加した。再稼働の同意 を得る必要がある「地元」の範囲を聞いたところ、「立地自治体 のみ」が三十自治体だったのに対し、「三十キロ圏の全自治体」 を求める回答が五十八自治体に上った。 国と電力会社、立地自治体だけで再稼働を決める従来の手法への 不満が強いことをうかがわせた。 全電源に占める原発の比率は「段階的に減らし将来ゼロ」を求め る答えが七十八自治体と半数に上った。「即時ゼロ」も三自治体 で、「一定比率を維持」(二十五自治体)など政府方針と同様に 原発活用に前向きな自治体よりも「原発ゼロ」を求める自治体が 多かった。 原発別では、規制委の審査が先行する九州電力川内原発(鹿児島 県)などでは再稼働を、条件付きを含めると「容認する」が「し ない」を上回った。福島県自治体や、浜岡原発静岡県)では 「容認しない」が多かった。アンケートは二月中旬から下旬にか けて実施。自治体名を公表しない前提で、百五十六全ての自治体 から回答を得た。 ◆処分場「応じる」ゼロ 原発自治体アンケートでは、政府が高レベル放射性廃棄物の最 終処分場受け入れを申し入れた場合、約四割の六十一自治体が 「応じない」と回答し「応じる」はゼロだった。政府は国主導で 候補地を絞り込む方針だが、自治体の拒否感は強く、選定は難航 しそうだ。 政府は昨年、自治体が応募する従来の方式の見直しを始めた。た だ新方式は詳細が不透明で、四十二自治体が「無回答」など明確 な回答を避けた。》

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(139)
・第4章 フルMOXに脅かされる本州最北端・大間町(4)

温度に敏感なマグロの回遊と温排水の放流との矛盾

《「――いま、この「本州最北端の地」は、NHKの朝のドラマ によって、「まぐろ一本釣りの町」、あるいは「くろまぐろの町」 として知られるようになった。が、それ以前に漁港は漁業権を 手放して海をカネに替え、原発建設工事がはじまっている。 つくられるのは全量がプルトニウムを使うMOX燃料という。さ らに危険な原発だが、稼働したあと温排水の放流が心配されてい る。温度に敏感なマグロの回遊と温排水の放流とは、とんでもな い矛盾である。 かって、陸奥湾内の漁民が生活に疲弊していたころ、原子力船 「むつ」の定係港を受け入れた。補償金の誘惑に負けたのだ。が、 数年たって、船影があらわれたとき、湾内ではホタテ貝の養殖が さかんになっていた。 無数の漁船のピケを排除して無理矢理出航した「むつ」が、海上放射線漏れ事故を発生させ、海に帰らなくなった背景には、ホ タテ養殖がドル箱になっていた歴史のすれちがいがあった。 ――」》

辺野古反対:ヘイトスピーチに屈せず、大阪行動500回

沖縄タイムス】(2014年3月2日 09:30) 米軍普天間飛行場の県内移設に反対する世論を本土で広げるため、 JR大阪駅前で10年間、毎週ビラ配りや署名集めを続ける市民 団体「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が昨年末から 右翼団体によるヘイトスピーチ(差別扇動)を浴びている。トラ ブル防止を名目にJRから駅敷地を締め出されるなど苦境の中、 多くの市民が来援して周辺で粘り強く活動を続け8日に500回 を迎える。(新里健) 「中国の回し者か」「朝鮮へ帰れ」。2004年から大阪行動に 参加する大森正子さん(69)は12月21日、駅敷地で辺野古 移設反対を呼び掛けた時、2人から罵声を浴び執拗(しつよう) につきまとわれた。東京・新大久保などで在日コリアンを中傷す る「在日特権を許さない市民の会在特会)」の一派とみられる。 翌週には13人が現れて罵声が激化し、駅員と警官計40人が大 阪行動との間に割って入った。 駅敷地で大阪行動の活動を黙認してきたJRは、従来の活動スペ ースへの立ち入りを禁じた。一派が減った2月以降も駅員が監視。 メンバーの目の前に立ち「何やっとんねん」と言い、ビラ配りや 署名集めを阻んでいる。 JR大阪駅の石川好信副駅長は「敷地内で許可なく街頭宣伝をす ることは認めていない。彼ら(在特会)の意見を聞いて動いてい るわけではない」と話す。 松本亜季代表(31)は「在特会を理由にして私たちの意見表明 の自由を規制することは憲法上許されない」とJRや府警を批判。 「沖縄に過重な基地負担を押しつけているのは私たち本土の人間 だからこそ、これからも駅前で粘り強く訴え続けることが大事」 と語る。 危機感から応援に駆け付ける市民も増えた。1月4日には普段の 4倍の70人、以降も40人が参加する。応援の一人で反原発運 動に携わる大山裕喜子さん(35)は「人ごとじゃない。今まで 来れなくてごめん、という思いで加わった」と話す。 大阪行動などは8日午後6時半から、シンポジウム「本土移設を 求める沖縄の声を日本人はなぜ無視するのか」を大阪駅前第2ビ ル5階で開く。 講師は桃原一彦沖縄国際大学准教授ら。参加費500円。 「表現規制は許されぬ」識者 日弁連人権擁護委員会の元特別委嘱委員で、「ヘイト・スピーチ とは何か」を著した師岡康子弁護士は在特会やその一派の言動に 対し、差別撤廃を目的とした法規制が必要と指摘する。「マイノ リティーに沈黙を強い、時に自死にまで追いやり、社会から排除 しようとしている。民主主義を掘り崩す行為で表現の自由を乱用 している」と批判する。 一方、石埼学・龍谷大学法科大学院教授ら全国の憲法研究者は、 1月31日、JR西日本大阪府警に、大阪行動のビラ配りや署 名集めを妨害しないよう求める声明を発表した。3月1日現在、 賛同人は54人に上る。声明文は「(在特会など)敵対的聴衆を 理由に表現の自由を規制するのは憲法上許されない」「駅前の広 場や歩道がJRの私有地でも、自由に通れる公共性の高い空間で は公道と同様、表現行為の規制は原則的に許されない」としてい る。》

◆名護市長、辺野古受け入れられぬ 施政方針演説で強調

琉球新報】(2014年3月3日) 稲嶺進市長 沖縄県名護市の稲嶺進市長は3日、市議会本会議での施政方針演 説で、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古への移設は 「市民の生命財産をあずかる立場から、到底受け入れられない」 と述べ、反対する意思を重ねて示した。   稲嶺氏は「厳しい局面が待ち構えているが、正面から立ち向かい、 県内はもちろん県外、国外に不条理さを訴えていきたい」と強調 した。   仲井真弘多知事は昨年末、普天間の移設先、辺野古沿岸部の埋め 立てを承認した。稲嶺氏は今年1月の市長選で辺野古移設反対を 掲げ再選されたが、政府は移設を推進する姿勢を崩していない。 (共同通信)》
★☆★琉球新報
★つくられた放射線「安全」論 ---科学が道を踏みはずすとき つくられた放射線「安全」論 ---科学が道を踏みはずすとき

公明党殿、「第二自民党」に御改名遊ばせ。戸田城聖が泣いている。罪深し。

特定秘密保護法は早期に廃案にせよ、権力に刃物を持たせるのと同じだ。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・平等に便座は人を座らせる 仙台 加藤信子
・いやだなア金で釈放す制度 徳島 仲真平
・五十年米作っても五十回  熊谷 休耕田

≪■★■≫詩歌 逍遙(俳句) ≪■★■≫

・朝焼や畳の端を蟻の列

・炭つぐや誰れも黙りてその手見る

・吹きあがる落葉かかる夜笑はずや

加藤楸邨(かとう しゅうそん)  (1905年5月26日 - 1993年7月3日) 本名武雄。山梨県出身。はじめ水原秋桜子に師事 したが、唯美的傾向にあきたらず、生活諷詠を基 調とする「寒雷」を創刊。戦中・戦後を通じて人 間性の回復のためにたたかった。「寒雷」「雪後 の天」「野哭」「起伏」等の句集のほか、芭蕉に 関する著書などがある。 ※Wikipedia:加藤楸邨

◇◆◇『出家とその弟子』◇◆◇〈57〉

※恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての 親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の 法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。 本書には青年がどうしても通らなければならない青春の 一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に 示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その 衝撃力は失われず読む者に熱烈な感動を与え続けている。 〈この戯曲を信心深きわが叔母上にささぐ〉 極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)。  我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)。 煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)。  大悲無倦常照我(だいひむげんじょうしょうが)。                  (正信念仏偈

第二幕〈その4〉

場所 西の洞院(とういん)御坊。    本堂の裏手にあたる僧の控え間。高殿になってい    て京の町を望む。直ぐ下に通路あり。通行人あり。 人物 親鸞            七十五歳    松若改メ唯円        二十五歳    僧三人    同行衆 六人    内儀    女中    丁稚  二人        十二、三歳 時  第一幕より十五年後    秋の午後 [僧二]我々初め数知れぬお弟子衆は善知識を失うて、途方に暮れ     る事で御座いましょう。 [僧三]頼りに思う御子息善鸞様はあのような風で御座いますしね。 [僧一]当流の法統を継ぐべき身でありながら、父上にお背き遊ば     すとは浅ましい事で御座います。 [僧二]お師匠様とは打って変わって荒々しい御性質で御座います。 [僧三]不肖の子とでも申すので御座いましょうか。 [唯円]早く父上の御勘気が解けてくれればよいと思います。 [僧一]いやあの様なお身持ちでは御勘気の解けぬが当然と思いま     す。あの様な御子がお世継ぎとあっては当流の名にも懸り     ます。 [僧二]普教の障りにもなろうと思われます。 [僧三]たださえ世間では当流の※安心は万善を廃するとて非難致     している折で御座います。 [唯円善鸞様は善い方で御座います。あなた方の思っていられる     ような方ではありません。私は善鸞様と暫く話して直ぐに     好きになりました。どのような事をなされたかは存じませ     ぬが私はあの方を悪い方とは思われません。 ※安心(あんじん)仏教で、心を一つにとどめて不動であることを     いい、特に浄土門では阿弥陀仏の救いを信じ、浄土往生を     願う心。 (つづく)    

◎■◇■超訳菜根譚』■◇■◎

《境野勝悟著 三笠書房 超訳 菜根譚 人生はけっして難しくない (知的生きかた文庫) ※『菜根譚』、中国明代末期、洪自誠による処世訓。 儒教や仏教、道教のエッセンスが詰まった「人生の 教科書」

◎《胸中既に半点の物欲無ければ、已に雪の爐焔に消ゆ》◎〈40〉

◆「ありがとう」というと苦悩が消える◆ ◇「胸中」とは自分の心の中に、「半点」(はんてん)、ちょっ ぴりでも欲望がなければ、一切の苦悩は、「雪の爐焔(ろえん) に消ゆ」、雪が、ストーブの上に舞い落ちたように、サッと、消 える。◇

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆

Portrait of Mikhail Semyonovich Count Vorontsov 1782-1856
〈1821年 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 2-minute illustrated biography (公開日: 2012/10/24) 【Mini-lecture for a page of The History of Visual  Techbnology by Jim Janossy, ISBN 978-1-60904-160-1  published by Stipes Publishing LLC, Champaign, IL (www.stipes.com). This multimedia-enabled workbook contains all material for a modern self-paced introduction to art history and visual technology, a course workbook that accompanies The Story of Art by Sir Ernst Gombrich. This book forms the basis for course GPH-205 at DePaul University, Chicago taught by the author, Jim Janossy.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Billie Holiday - Easy Living (Decca Records 1947) (公開日: 2012/04/05) 【"Easy Living" (1937) is a jazz standard written by Ralph Rainger and Leo Robin for the film Easy Living directed by Mitchell Leisen. Billie's accompanied by Chris Griffin, Joe Guy tp; Bill Stegmeyer as; Hank Ross, Bernard Kaufman, Armand Camgros ts; Joe Springer p; Tiny grimes g; John Simmons b; Sidney Catlett ds; and Four strings. Recorded January 22, 1946, New York. (Decca Records)】 ☆☆☆ビリー・ホリデイ Billie Holiday(11915年4月7日 - 1959年7月17日) アメリカの黒人女性ジャズ歌手。「レディ・デイ」の呼称 で知られる。サラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルド と並んで、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人に数 えられる。人種差別や、麻薬・アルコール依存症との闘い など壮絶な人生を送った彼女は、多くの人々を魅了したそ の声も晩年にはかれ、音域も極端に狭くなっていた。しか し、なお情感豊かな唄声は他に並ぶ者がないほどの高い評 価を与えられ、ジャニス・ジョプリンをはじめとする多く のミュージシャンに影響を与えた。彼女の代表的なレパー トリー“Strange Fruit”、 “God Bless' the Child”、 “I Love You, Porgy”、 “Fine and Mellow”は、後年、 多くのミュージシャンに取り上げられるジャズ・ヴォーカ ルの古典となった。2000年にロックの殿堂入りを果たした。 ★Billie Holiday - Billie Holiday Story (公開日: 2013/05/28) 【vid】 ★Wikipedia:ビリー・ホリデイ

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦

岡野弘彦さんは平成25年度文化功労者歌集 美しく愛しき日本』より 【誰びとか、民を救はむ】 親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 役人(つかさびと)・政治家(まつりごとびと)  真(まこと)なき世に生きて 民は何たのむべき 天意より人意この国をほろばさむ。 議事堂はただ 政争の場ぞ 国ほろび 民ほろびゆく時の間も  あはあはとして 言葉あらそう 誰びとか民を救はむ。 天皇(すめろぎ)は老いの身ふかく 跪きます

◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"

安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

ヒトラー独裁政権の成立の経緯。手続き上は、合法的に。

1933年1月30日、ヒトラー首相就任。 1934年8月02日、ヒンデンブルク大統領死去に伴い、 ヒトラーは直ちに「ドイツ国および国民の国家元首 に関する法律」を発効させ国家元首である大統領の 職務を首相の職務と合体させ、さらに「指導者兼首 相 (Führer und Reichskanzler)であるアドルフ・ ヒトラー」個人に大統領の職能を移したのである。

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆