そしてお礼のメールを打つ。「また帰ったら一緒に飲もうね」

そしてお礼のメールを打つ。「また帰ったら一緒に飲もうね」

【「ねえ、マリちゃん憶えてる? マリちゃん
 がまだ独身の頃、原宿のマンションにA君と
 B君を連れてって泊まったんだよ」。私は全
 く憶えていないのだが、しこたま酔いつぶれ
 た三人は、うちの居間のソファで寝たらしい】
 

林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(9)

◇クラス会◇(下)

そしてお礼のメールを打つ。「また帰ったら一緒に飲もうね」

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Arisa Sato (Japan's Arisa Sato receives the ball to save a point against Brazil on the final day of their FIVB Women's Volleyball Grand Champions Cup 2013 in Tokyo, November 17, 2013. Brazil placed first while Japan placed third. REUTERS/Toru Hanai) そしてお礼のメールを打つ。 「また帰ったら一緒に飲もうね」 そういうのって、とても失礼ではないか。私 は田舎の友だちが東京に来た時は出来る限り 時間をつくり、六本木ヒルズや赤坂サカスに 案内する。 たとえばサトウ君は中華が好きなので、有名 店に案内したはず。私ってなんていい人だろ うとひとり頷いた時、ある女性はこう言った。 「ねえ、マリちゃん憶えてる? マリちゃん がまだ独身の頃、原宿のマンションにA君 とB君を連れてって泊まったんだよ」 私は全く憶えていないのだが、しこたま酔い つぶれた三人は、うちの居間のソファで寝た らしい。 「次の朝、マリちゃんはぷりぷりしてこう言 ったの。もうあなたたちと東京で会うのも最 後にしましょうねって」 「ウソー、私、そんなひどいこと言った憶え  ないよ」 「ううん、言ったよ。私たち憶えてるもの」 A君とは山梨に帰った時、今も時々会ってい る。だからそこで決裂したわけではないと思 うのだが。 「人って、自分に都合の悪いことはすぐ忘れ  るもんよねー。だけど相手はよーく憶えて  るのよね……」 私は深いため息をついた。そしてふと目をや ると、かってアイドルばりに可愛い顔をして いた○○君が。 「ねえ、えね、○○君、私、今思い出したん  だけど、高一の時あなたとデイトしたのよ  ね、オートバイの後ろに乗っけてもらって  さ。どこかのコンサートに行ったのよ。だ  けど私の体重の方が重くて途中で前輪が上  がったのよ!」 「えー、全然憶えていない、憶えていない」 激しく手をふる彼。私の思春の一ページが、 そこでかなり薄れたのである。そして、今原 稿を書いていると携帯が鳴った。サトウ君か らだ。 「集合写真と、お前がカラオケしてる動画を  送るぞ」 そんなものいらないと私は怒鳴った。 」》 ■私にとっても、特別なことがあったわけで はありませんが、クラスメートは、一生の宝 です。特別なことがあれば、なおさらでです。 有村千裕のノンフィクション「あっこと僕ら が生きた夏」は、NHK「土曜ドラマスペシ ャル」で、2012年4月14日・21日の2週にわ たって前後編の全2話が放送されました。 大分県・由志館高校の野球部マネージャーと して、ナインとともに甲子園を夢見るあっこ。 彼女は、毎日必死で練習に打ち込む部員と過 ごすこのグラウンドが、大好きでした。 しかし2年生の6月、あっこの体に異変がお きます。病院での診断結果は「上咽頭がん」 でした。早急に治療を始めなければ、命に関 わる状態でした。 夏の甲子園の予選大会を目前に控え、気合い の入る部員たち。練習後、そんな彼らの前で、 あっこは自分の病気と、入院することを打ち 明けます。 気持ちを押し殺し、気丈にグラウンドを立ち 去ろうとするあっこ。部員たちはそんなあっ こを追いかけ、こう告げました。 「約束する! 俺たち甲子園行くけん!」 「だから、あっこも約束や。戻ってこいよ」 キャプテンの信二からボールを受け取り、力 強く歩きだすあっこ。約束を果たすため、そ れぞれの闘いが始まりました。 楊志館高等学校は、第89回全国高等学校野 球選手権大会で県大会ノーシードから19戦 無敗で甲子園ベスト8進出の快挙を果たしま した。 ☆あっこと僕らが生きた夏 17歳女子マネージャーが  ナインに託した、命のバトン あっこと僕らが生きた夏 17歳女子マネージャーがナインに託した、命のバトン 〈目次 〉 第1章 野球少女、あっこ 第2章 がん見つかる 第3章 ベスト8の奇跡 第4章 退院、そして修学旅行 第5章 生き方の選択 第6章 熱く、短い夏 第7章 就職への夢 第8章 最後の「ことば」 第9章 あっこが架けた虹 第10章 命のバトン ◇大分県楊志館高校の2年生で、同校の野球部 マネージャーだった大崎耀子さんは、“あっこ” と呼ばれ多くの部員に慕われていた。だが2007年 6月に上咽頭がんが見つかり、すでに進行してい ると知らされる。自らはがんと闘いながらも、甲 子園を目指す野球部員たちを応援する、あっこ。 「絶対に、あっこを甲子園に連れていく」これが ナインの合い言葉となっていた。そして、2008年 の夏。あっこは、がんの治療をやめ“最後の夏” を仲間と一緒に生きることを決断する―。 (つづく) (1582ys-971ent) ★林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(文春文庫) いいんだか悪いんだか (文春文庫) ・文庫:256ページ ・出版:文藝春秋(初版奥付日2013年03月10日) ◇ペットショップの売れ残り犬をつい購入、輸送費も省みず、 高知の友にプレゼント、時間もお金もたっぷり使って見合い 場をセッティング、お節介はもはや病気の域に達する一方、 イタリアでオペラ鑑賞、ついには自ら舞台でヒロインに。時 代の最先端と変わらぬ人情を両立させながら、仕事に遊びに フル稼働。京都からイタリアま、マリコの爆笑ダイアリー、 2009年総集篇。 ◇林真理子。1954(昭和29)年、山梨県生まれ。日本大学藝術 学部文芸学科卒業後、コピーライターとして活動。1982年の エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセ ラーとなる。1986年『最終便に間に合えば』『京都まで』で 第94回直木賞を受賞。1995年『白蓮れんれん』で第8回柴田 錬三郎賞、1998年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞 を受賞。『ミカドの淑女』『女文士』『美女入門』『anego』 『コスメティック』『Ruriko』『私のこと、好きだった?』 『下流の宴』『六条御息所 源氏がたり』『正妻 慶喜と美賀 子』など多数の著書がある。現在、直木賞の選考委員のほか、 講談社エッセイ賞吉川英治文学賞中央公論文芸賞、毎日 出版文化賞選考委員を務めている。 ・林 真理子氏

林 真理子著『いいんだか悪いんだか』(9)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(49)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。  ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

▼△第2章 「原子力平和利用」とヒロシマ △▼(21)

―――宣伝工作のターゲットにされた被爆者たち

・広島ターゲット作戦――「原子力平和利用博覧会」〈3〉

名古屋、京都、大阪、広島、福岡、札幌、仙台と巡回

《「――当初アメリカ側では、広島を日本最初の開催地とし、開 催時期も原爆投下一〇周年目に当たる一九五五年内という案を検 討したこともあったという。 しかし、博覧会が原爆とあまりにも直結したものとして受け取ら れる恐れがあること、つまり、あまりにも意図があからさまで、 「原子力平和利用」促進という面からはかえって逆効果ではない かとの懸念から、結局、東京が選ばれた。 東京の後、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、札幌、仙台と巡回 しており、USISが作成した英語のパンフレットでは、各市の 地方有力新聞社が主催するという形になっている。 ――」》

◆情報の透明性 県民の不信感、依然根強く 核燃料取り出し

福島民報】(2013/11/19 08:43)            18日の東京電力福島第一原発4号機使用済み核燃料プールの燃 料取り出しの開始で廃炉作業は新たな段階に入ったが、東電の情 報公開に対する県民の不信感は依然、根強い。今後、非公開のま ま進む燃料取り出し作業に、いかに透明性を持たせるかが課題と なる。   東電は燃料取り出し開始の直前になって損傷した燃料が1〜4号 機の使用済み核燃料プールに計80本あることを明らかにした。   東電は「燃料取り出しを前に総点検した結果を公表した」と説明 し、「(損傷が確認されるたびに)政府や県には報告していた」 という。 しかし、県民にトラブルを公表する基準を設けた平成15年以前 に損傷した燃料が大半を占めるため「県民には公表されていなか った可能性が高い」としている。   これに対し、県の担当者も「報告を受けていたようだが、県が県 民に伝えていたかは不明だ」と話す。双葉郡の首長からは「今回 の損傷した燃料のように、いまだに知らない過去のトラブルがあ るかもしれない」と不信を抱く声も聞かれる。   県民は原発敷地に立ち入り、燃料取り出しなどの作業を監視する ことができない。最長で40年かかるとされる廃炉作業は危険性 を伴う作業が続く。県民の安心と安全を確保するためには、東電 の一層の情報公開と、県の監視活動の強化が欠かせない。

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(93)
・第2章 核最終処分場の不安・東通村(27)
海あればこそ(その4)

これからは、原発の影響で先のことはわからない

《「――東田さんの居間には、「水産庁長官」の「表彰状」が飾 られている。ヒラメ漁の漁具を改良した功績が顕彰されたもので ある。それ以前のヒラメ漁は、箱眼鏡で水中を見て、ヤスで突い ていたのだが、東田さんは三年をかけて、刺し網で獲る漁法を成 功させたのだ。 地先(沿岸)の海で、ヒラメ、アブラメ、ソイなどの高級魚を獲 る。「老人と海」のような、三時間にもおよぶクロマグロとの格 闘もある。 漁の多い魚種としては、イカ、サケ、マス、などがある。磯では サザエ、ウニ、アワビ、コンブ。不漁のときもあるが、海があれ ばこそ生きていける。いまはまだ恵まれた海として残されている。 が、これからは、原発の影響で先のことはわからない。 伊勢田さんと東田さんとの話は、明るいものにはならなかった。 ――」》

◆「県外とんでもない」菅・石破氏、県連に転換迫る

沖縄タイムス】(2013年11月19日 09時25分) 自民党石破茂幹事長との会談内容に  ついて、険しい表情で説明する県連の  翁長政俊会長(右)と照屋守之幹事長  =18日、自民党本部 【東京】自民党県連の翁長政俊会長らは18日、都内で菅義偉官 房長官、石破茂自民党幹事長と相次いで会談し、米軍普天間飛行 場の返還問題について協議した。両氏は「このまま県連の要望を 聞いていると、普天間の固定化がほぼ確実になる」などと述べ、 初めて明確に“固定化”に言及。会談後、菅氏は「県外移設なん てとんでもない。党本部の方針に従うべきだ」と関係者に語るな ど、辺野古の埋め立てに関する仲井真弘多知事の判断や名護市長 選が迫る中、県外移設を主張する県連側に強く方向転換を迫った。 会談後、取材に応じた翁長氏は「県民にとって重たい。憤慨を持 っている」と不満を表した。県連は県外移設の方針を堅持するか どうかを再協議し、今月末までに結論を出す方針だ。 同日午前に党本部であった石破氏との会談では、県連側からあら ためて「県外移設を再考してほしい」と要請。石破氏は「(辺野 古移設の)日米合意を推進したい。政府、党含めてその方針に変 わりはない」と述べた上で、辺野古へ移設できない場合、普天間 が「固定化」すると言及した。 翁長氏によると、石破幹事長は「辺野古が唯一の選択肢。その選 択肢を再考してほしい。時間がないので県連も理解してほしい」 と深々と頭を下げて、方針転換を迫ったという。 石破氏は同日午後の定例会見で「普天間の危険性だけが残ること は避けなければいけない」と強調。県連が「辺野古」へ転換した 場合、埋め立て承認申請に対する知事の可否判断について「少な からず影響を与える」と述べた。 菅氏も「歴代の内閣とは違う基地の負担軽減に対する政府側の取 り組みを理解して、評価してもらいたい」と述べた上で、県連側 に辺野古への転換を要請。同日の定例会見で「(県連には)県外 移設はあり得ないと、そこは厳しく、しっかり申し上げた」と強 調した。 翁長氏は今回の会談について「大変厳しい見解だ。県外をベース に今後も議論はする」と述べた。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・車椅子 手を貸すコツの難しさ 神戸 やっとかめ
・金持ちも貧乏人もみな世襲   川西 紅ちゃん
・人生の息継ぎ下手で心病む   伊勢 中川久美子
 

☆★☆≫詩歌 逍遙(俳句) ≪☆★☆

・昼顔に独りのわれは泳がなく

・穂麦の野川ゆき川の水やさし

・噴水のしぶけり四方に風の街

石田波郷(いしだ はきょう)  (1913年3月18日 - 1969年11月21日) 本名哲夫(てつお)。松山市に生る。水原秋桜子の 「馬酔木」により、流麗な感覚を駆使した斬新な作 風で、新興俳句の重要な存在となった。戦後病篤の 時期をへてさらに写実に深さを加えている。当時、 俳壇の担い手の一人。「石田波郷句集」「胸形変」 惜命」など。 ※Wikipedia:石田波郷 

◇◆◇『出家とその弟子』◇◆◇〈11〉

※恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての 親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の 法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。 本書には青年がどうしても通らなければならない青春の 一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に 示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その 衝撃力は失われず読む者に熱烈な感動を与え続けている。 〈この戯曲を信心深きわが叔母上にささぐ〉 極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)。  我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)。 煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)。  大悲無倦常照我(だいひむげんじょうしょうが)。                  (正信念仏偈

序曲〈その11〉

死ぬるもの
――ある日のまぼろし――
舞台暗黒。暴風雨の音。やがてその音次第に静まり、 舞台ほの白くなり、うす甘き青空遠くに見ゆ。人間 の姿屍のごとく横たわれるが見ゆ。かすかなる音楽。 童子の群れ(天に現わる。歌を唱う) すべての創られたるものに恵みあれ。 死なざるもののめぐし子に幸いあれ。 童子の群れ(消ゆ) [人間]((起き上がり天を仰ぐ)遠い遠い空の色だな。そこは かとなき思慕が、わたしをひきつける。吸い込まれる ようなスウィートな気がする。この世界が善いもので なくてはならぬという気がほんとうにしだした。たし かなものがあることは疑われなくなりだした。私はた しかに何物かの力になだめられている。けれど恵みに さだめられているような気がする。それをうけとるこ とが、すなわち福(さいわ)いであるように。行こう。 (二、三歩前にあゆむ)向こうの空まで。私の魂が挙げ れるまで。 ――幕――      〈つづく〉 //////////////////////////////////////////////////////////

■◇■《シリコンバレー金言集》■◇■

梅田望夫著『ウェブ時代5つの定理』から
・文庫: 302ページ ・出版社: 文藝春秋 (2010/2/10) ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)インテルアンディ・グローブはこう言った。 「パラノイアだけが生き残る」。グーグルのマ リッサ・メイヤーはこう言う。「政治的になる な、データを使え」―。94年にシリコンバレー に居を定めて以来、ウェブビジネスの最先端に かかわってきた著者が読み解くシリコンバレー の言葉の数々を紹介。ここで取り上げられた言 葉は、皆、英語です。日本語訳は上杉隼人氏。 ※Wikipedia:梅田望夫
◆第5定理 大人の流儀

《苦しいときこそ、大人が社会を鼓舞する》

真に偉大な企業は、欲によってではなく、情熱に よってつくられる。現在の市場環境は、強い情熱 を持ったアントレプレナーを見つけれための素晴 らしいフィルターである。
―― ウィリアム・ガーレイ
Truly great companies aren't built by the greedy, but by the passionate. Today's market is a great filter for finding passion-driven enterpreneurs.
―― William Gurley
  (93)

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆

Head Study of King George IV 1762-1830
〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆The Brothers Four ブラザーズ フォアー500MILES 500マイル (アップロード日: 2011/09/16) 【説明はありません。】 ☆☆☆ ・ブラザース・フォア The Brothers Four ブラザース・フォアは1957年にワシントン州シア トルで結成されたアメリカのフォークソング・グ ループ。1960年のヒット曲「グリーンフィールズ (Greenfields)」で知られる。 〈メンバー〉 ・ボブ・フリック (Bob Flick) ・マイク・マッコイ (Mike McCoy) ・マーク・ピアソン (Mark Pearson) ・カール・オルソン (Karl Olsen) ★Wikipedia:ブラザース・フォア

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす ・『歌集 美しく愛しき日本』より ◆岡野弘彦さんは平成25年度の文化功労者に選ばれました。
◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"
安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆