高校二年のとき、出版社に初めて原稿を持ちこんだ

高校二年のとき、出版社に初めて原稿を持ちこんだ

【むろん箸にも棒にもかからぬ代物であったけれ
 ど返却された原稿はていねいに赤が入れらてい
 た。そのとき編集者が開口一番におっしゃった
 言葉は「川端康成エピゴーネンだな」である】


浅田次郎著『ま、いっか。』(123)

第四章 星と口笛(14)
◇十六歳の原稿◇(上)

高校二年のとき、出版社に初めて原稿を持ちこんだ

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Storage site in Naraha town (Workers move waste containing radiated soil, leaves and debris from the decontamination operation at a storage site in Naraha town, which is inside the formerly no-go zone of a 20 km (12 mile) radius around the crippled Fukushima Daiichi nuclear power plant and currently a designated evacuation zone, Fukushima prefecture, August 24, 2013. REUTERS/Issei Kato) 高校二年のとき、出版社に初めて原稿を持ち こんだ。九十枚の小説であった。 むろん箸にも棒にもかからぬ代物であったけ れど、返却された原稿はていねいに赤が入れ らていた。そのとき編集者が開口一番におっ しゃった言葉は、「川端康成エピゴーネン だな」である。 私は今でも編集者のみなさんに、自分の原稿 の批評を執拗に要求する癖がある。つまりそ の言葉は、私の作家生活における記念碑的な、 編集者の第一声であった。 さて、読者は首をかしげるにちがいない。私 の小説は模倣(エピゴーネン)どころか、川 端康成とは似ても似つかぬはずである。 ところが、現在も大切に保管しているその十 六歳の原稿を読むと、なるほど文章も結構も 筋立ても川端さんの影響ははなはだしく、苦 笑を禁じ得ない。 まるでトレーシングペーパーで書きなぞった ような小説で、たぶん下敷きは「みずうみ」 であろうと思われる。 川端康成の小説は久しく読んでいないが、た とえば今、「みずうみ」という表題を書けば たちどころに、 「桃井銀平は夏の終り――というよりも、こ こでは秋口の軽井沢に姿をあらわした」とい う冒頭部分が頭にうかぶのだから、やはり相 当に私淑していたのであろう。 ちなみに、こう書いてしまってから原文を改 めてみると、「――」も「、」もまちがって いなかった。 正確な記憶は書写のたまものである。気に入 った文章にめぐりあうと原稿用紙に書き写す とう習癖があって、怖いことに今もしばしば これを行う。 ただし、学ぶつもりなどさらさらなく、てめ いが書いた文章と信じてひとり悦に入るので ある。 」》 ■「すべての創造は模倣から出発する。」 池田満寿夫氏が、著書『模倣と創造:偏見の なかの日本現代美術』の中で書いています。 「そして創造が真の意味の創造であるために は、その創造のための模倣が、創造的模倣で なければならない。もっと簡単に説明すれば、 芸術家の盗み方に創造の秘訣、あるいは独創 性が隠されているのである。」(p.40) と続きます。 ☆模倣と創造―偏見のなかの日本現代美術 (1969年) (中公新書) 模倣と創造―偏見のなかの日本現代美術 (1969年) (中公新書)エピゴーネン」(ドイツ語:Epigonen)は、 文学や芸術の分野などで、優れているとされ る先人のスタイル等をそのまま流用・模倣し て、オリジナル性に欠けた作品を制作する人 を指し、「模倣者」、「亜流」、「身代わり」 とも。 世には、エピゴーネンの例は、枚挙にいとま がありません。オリジナルの芸術等に高い価 値があり、エピゴーネンは芸術性において劣 っていると見なされます。 おもしろいのは、模倣した者の方が、同等か それ以上に優れていた場合は、エピゴーネン とは言わず、「影響を受けた者」「発展形」 という言い方をします。 歴史的にみれば、古典ギリシアにおけるさま ざまな芸術と、その文化の継承者であるロー マの関係は、大なり小なり創造者とエピゴー ネンの関係になります。 《返却された原稿はていねいに赤が入れらて いた》 すごいですね。その時の編集者は、浅田さん の才能を見抜いていたのだと思います。 《「川端康成エピゴーネンだな」》 これって、編集者の浅田さんへの激励の言葉 ですよね。 ところで、私は『みずうみ』という作品を知 りませんでした。 ちょっと調べましたら、川端康成の、いわゆ る、日本的鎮魂歌の路線とは異質な小説で、 1955年(昭和30年)、発表当初、衝撃的な作 品として受け取られたそうです。 美しい少女を見ると、憑かれたように後をつ けてしまう男、桃井銀平。教え子と恋愛事件 を起こして教職の座を失ってもなお、異常な 執着は消えることを知らない。 つけられることに快感を覚える女の魔性と、 罪悪の意識のない男の欲望の交差――現代で いうストーカーを扱った異色の変態小説なん です。 ちなみに、1966年(昭和41年)に『みずうみ』 を原案とした映画『女のみづうみ』が岡田茉 莉子主演で制作されています。 ☆みずうみ (新潮文庫) みずうみ (新潮文庫) ☆女のみづうみ [DVD] 女のみづうみ [DVD] (つづく) (1497dys-929ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(123)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(7)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。 ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

▼△序章 ヒロシマナガサキからフクシマへ△▼(7)

・日米軍事同盟と原発体制〈3〉

原点にアメリカによる「原子力平和利用」戦略がある

《「――広島・長崎の被爆者は、生涯にわたって爆風、火傷、放 射能による様々な病気に苦しんできた。先述したように被爆者は、 いつ癌やその他の致命的な病に冒されるか分からないという恐怖 に怯えるせ生活を余儀なくされている。 このように、長年にわたり無数の市民を無差別に殺傷する核兵器 の使用は、重大な「人道に対する罪」である。 今回の福島原発事故も、内部被曝の結果、これから数十年にわた って予想もつかないほどの多くの市民をして、無差別に病気を誘 発させる可能性を否定できない。 このことから、原発事故も「無差別大量殺傷行為」となりうるも のであり、したがって、「非意図的に犯された人道に対する罪」 と称すべき性質のものである。 被曝国・日本は戦後、核の危機に目をつむり、原発政策へと邁進 していった。その「原点」にアメリカによる「原子力平和利用」 戦略がある。 福島での深刻な原発事故を契機に、私たちはいま改めて、この 「原点」に向き合う必要である。 ――」》

■東電:福島副知事に謝罪 汚染水漏れで

毎日新聞】(2013年08月24日 20時30分) ・福島第1原発からの汚染水漏れで、内堀副知事(左)  に謝罪する東電の愛沢本部長(左から2人目)ら=  福島県庁で2013年8月24日、神保圭作撮影 東京電力福島第1原発で高濃度の放射性汚染水が貯蔵タンクから 漏えいした問題を受け、東電の相沢善吾副社長(原子力・立地本 部長)が24日、福島県庁を訪れ、内堀雅雄副知事に「組織改編 や点検体制を強化する。汚染水対策を喫緊の課題と捉え、経営層 も含めた全社で対応したい」と謝罪した。 内堀副知事は「県民が求めているのは謝罪ではなく実行だ」と述 べ、漏えい原因の特定や点検確認の徹底を求めた。 相沢副社長は面会で、貯蔵タンクから汚染水約300トンの漏え いが発覚した経緯を説明し、漏えいがあったものと同型のタンク の再発防止策や点検方法の見直しを検討していることを明かした。 【神保圭作】 ▼リピート「県民が求めているのは謝罪ではなく実行だ」、ハイ。

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(51)
・第1章 悲劇の六ヶ所村(46)
老抵抗者たちの現在(その2)

内水面漁協」は正会員を水増しして漁業権を放棄

《「――伊勢松村長は、寺下村長に対抗し、自民党電事連を後 ろ盾にして当選、開発ばかりか核燃まで強行採決で引き入れた。 土田浩村長は、「核燃凍結」を謳って反対派を撹乱し、反対運動 に亀裂を生じさせた。その傷は深かった。 反対派として立候補しつづけた高田さんが、「ライバルはみな死 んでしまった」と豪語するのを聞いて、私は笑ってしまった。 それは「選挙の勝敗など目じゃない、大事なのは命だ」というよ うに聞こえた。 鷹架沼の畔に住んでいる高田与三郎さんは、この沼の主ともいえ る人物である。祖父の代から、この沼で漁業をいとなんできた。 彼が所属していた「内水面漁協」が、正会員を水増しして漁業権 を放棄(開発地域でよくやる手法だ)したあとも、小舟をだして 漁業をつづけていた。彼ひとりだけ漁業権放棄に同意していまか った。 ――」》

■岩国オスプレイ不具合 部品取り寄せ2週間

沖縄タイムス】(2013年8月26日 09時35分) 【平安名純代・米国特約記者】米軍普天間飛行場に追加配備予定 で、現在も岩国基地山口県)に駐機している垂直離着陸輸送機 MV22オスプレイ1機は、油圧系統に不具合が生じ、米本土か ら部品を取り寄せて調整していたことが分かった。 26日以降に飛行テストを実施し、複数編隊で普天間に飛来する 予定。複数の在沖米海兵隊筋が本紙の取材に対して25日までに 明らかにした。 今回普天間に追加配備された12機は、ハワイ州カネオヘベイ基 地の所属部隊VMM−363(レッド・ライオンズ)が使用して いたもので、そのうちの2機は同部隊が訓練中に油圧系統の不具 合などで修理を行ったことなどがあったという。 在沖米海兵隊筋は本紙に対し、「米本土から部品の取り寄せに2 週間程度かかったため、普天間への飛来が遅れた」と認めたもの の、「修理は通常メンテナンスの範囲内で、運用能力に支障はな い」と安全性との関連性は否定した。 在沖米海兵隊筋によると、今月末までに第262飛行隊(フライ ング・タイガース)の編成式を行い、9月中旬ごろから24機体 制を始動させる見通し。 ★「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) [新書] 「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・捕まえりゃ何だ非番の同僚か  仙台 越後屋和男
・誰かではなくみんなが壊してる 延岡 浅井水道
・国ごとに定義の違う非国民   武蔵野 のさっく

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

・「セルマの歌」より オシアン・
                      夏目漱石  ・セルマ・ 暮れ果てゝ、わびしくも、 あらしの皐(おか)に一人、 峰に聽く風の音。岩を下る早瀬、 雨凌(しの)ぐ軒端(のきば)もなく、 風吹く皐に一人。 昇れ月、雲の底より。出でよ、夜の星。 導きの火影(ほかげ)もなきか。 狩り暮れて獨(ひとり)おはす君が方に。 弦(つる)張らぬ弓の傍(かたへ)。 喘(あえ)ぎ臥(ふ)す犬の中に、獨りおはす君。 高く鳴る瀬、高く鳴る風。思ふ人の聲を聞き得ず。 わがサルガアの歸らぬはいかに。 山に入る強(つわ)ものゝ誓(ちかい)。 巌(いわお)はこゝに、木もこゝに。 咽(むせ)ぶ流れもこゝにこそ。 こゝに今宵歸らんと誓ひし君はいかに。 わがサルガアの行方はいづこ。 君とならば行かんものを、父を棄(す)てゝも。 心驕(おご)る兄を棄てゝも、讎(あだ)あるは家と家、 敵(かたき)ならぬ君と我とは。 (漱石全集) ※夏目漱石(なつめ そうせき)  (1867年2月9日 - 1916年12月9日)) 英文学者・小説家・俳人。本名金之助。東京生まれ。 子規と交わり、日本派の俳句を作ったが、小説『吾輩 は猫である』で一躍名声を獲得、以後『坊っちゃん』 『草枕』『三四郎』『心』『明暗』等の小説を相次い で発表し、作風も浪漫的色彩に富むものから次第に人 間のエゴイズムを探求しようとする写実的態度に転じ、 最後に『則天去私』の境地に到達した。 ※Wikipedia:夏目漱石 

◇◆◇『西方の人』◇◆◇〈30〉

西方の人 イエス・キリストのこと。「西方」という言葉は、 地理的・文化的な「西洋」に対し、思想的・宗教的な意味をこめ て使われている。「西方」は〈さいほう〉〈せいほう〉の二つの 読みが現在行われている。
・30 ピラト・
ピラトはクリストの一生には唯偶然に現れたものである。彼は畢 (つひ)に代名詞に過ぎない。後代も亦この官吏に伝説的色彩を 与へてゐる。しかしアナトオル・フランスだけはかう云ふ色彩に 欺(あざむ)かれなかつた。

■◇■《シリコンバレー金言集》■◇■

梅田望夫著『ウェブ時代5つの定理』から
・文庫: 302ページ ・出版社: 文藝春秋 (2010/2/10) ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)インテルアンディ・グローブはこう言った。 「パラノイアだけが生き残る」。グーグルのマ リッサ・メイヤーはこう言う。「政治的になる な、データを使え」―。94年にシリコンバレー に居を定めて以来、ウェブビジネスの最先端に かかわってきた著者が読み解くシリコンバレー の言葉の数々を紹介。ここで取り上げられた言 葉は、皆、英語です。日本語訳は上杉隼人氏。 ※Wikipedia:梅田望夫
◆第3定理 技術者の眼

《テクノロジーで「一〇〇倍良くなる」未来を愛する》

科学やテクノロジーを梃子にして、世界に非常に大きな インパクトを与えられる機会がそこらじゅうにころがっ ている。 君たち一人ひとりが個性に応じたそれぞれの機会を追及 できる。君たちみんなが、そのことに興奮すべきだ。
―― ラリー・ペイジ
There are so many opportunies where you can have a huge impact on the world by the leverage of science and technology.All of you are uniquely positioned,and you should be exited about that.

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆◎

Portrait of Midshipman Michael Daintry
〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆Julie London - You'd Be So Nice To Come Home To (アップロード日: 2008/07/18) 【From the laser disc "Julie London Show", with the Bobby Troup Quintet, recorded on May-28-1964 in Japan.】 ☆☆ジュリー・ロンドン ジュリー・ロンドン(Julie London) (1926年9月26日 - 2000年10月18日) アメリカの女優、歌手。本名、カリフォルニア州サンタローザ 生まれ。両親はヴォードヴィルの歌と踊りのチームでラジオ番 組を持っていた。幼い頃のジュリーもその番組に出演しており、 3歳の時にはマレーネ・ディートリッヒのヒット曲「フォーリ ング・イン・ラヴ・アゲイン」を披露。1944年、『ジャングル の妖女』で映画女優としてデビューしたが下積み時代を過ごし た。1947年に役者のジャック・ウェッブ(Jack Webb)と結婚し、 徐々に主婦業に集中する。二人の娘を出産したが、1953年に離 婚。離婚後、芸能界へ復帰。1950年代になってから歌手に転向 し、ナイトクラブで歌うようになる。ジャズピアニストで「ル ート66(Route 66)」の作曲家としても有名なトゥループの指 導を受け、本格的なジャズシンガーとしてのキャリアをスター トさせた。1959年12月31日、トゥループと結婚し、トゥループ のプロデュースでアルバムもリリースした。 1955年、ファーストアルバム『Julie Is Her Name(邦題:彼 女の名はジュリー)』を録音。同アルバム内からシングル・カ ットされた『クライ・ミー・ア・リバー(Cry Me a River)』 がヒットして一躍人気歌手となった。 ★Wikipedia:ジュリー・ロンドン

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦◎より

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 歌集 美しく愛しき日本
◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"
安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆