小僧さんたちは、あらましお盆の薮入までにはいなくなった

小僧さんたちは、あらましお盆の薮入までにはいなくなった

【時は流れ、今では中学どころか大学や専門学校ま
 でが義務教育のような世の中になった。つまり大
 学卒が当たり前になってしまえば中学校が当たり
 前だった時代と同じである。そう思うと、まるで
 制服のような黒いスーツを着て会社訪問に飛び回
 る大卒予定者たちが現在の小僧さんに見えてくる】


浅田次郎著『ま、いっか。』(117)

第四章 星と口笛(8)
◇小僧さんの話◇(その2)

小僧さんたちは、あらましお盆の薮入までにはいなくなった

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇World Athletics Championships (Yana Maksimava of Belarus competes in the women's heptathlon high jump event during the IAAF World Athletics Championships at the Luzhniki stadium in Moscow August 12, 2013. REUTERS/Kai Pfaffenbach) この現象は近所の商店などでも同じだったら しく、八百屋やパン屋やクリーニング屋さん の小僧さんは、あらましお盆の薮入までには いなくなった。 「このごろの小僧は辛抱が足らなくていけね え」というのは、何度も耳にした祖父の弁で ある。 私の祖父はたいそう躾に厳しく、やれ鼻歌を 唄っただの畳の縁を踏んだだの、納豆のかけ すぎだの魚の食い方が贅沢だのと、はたが聞 いてもウンザリするような叱言を言ったから、 でめえがいびり出しておいて勝手なことを言 うもんだ、子供心にも怒りを覚えたものであ った。 小僧さんたちおしきせのシステムに従って、 とりあえず上京したのだろう。役場や学校が 斡旋した職場にいったん腰を落ち着けて、自 分の気に入った仕事を探していたのだと思う。 世の中は高度成長の端緒についており、その 気になれば民主的な職場はいくらでもあった はずである。 ともあれ春風とともにやってきた小僧さんた ちは、私の知り限りポップコーンのようには じけ飛び、みんなどこかへ行ってしまった。 あれから、どんな人生をたどったものか、六 十代七十代になった彼らに聞いてみたい気も する。 時は流れ、今では中学どころか大学や専門学 校までが義務教育のような世の中になった。 ところが、ずいぶん様変わりしたように見え て、実は、どこも変わっていないのではなか ろか。 つまり大学卒が当たり前になってしまえば、 中学校が当たり前だった時代と同じである。 そう思うと、まるで制服のような黒いスーツ を着て会社訪問に飛び回る大卒予定者たちが、 現在の小僧さんに見えてくる。 」》 ■《まるで制服のような黒いスーツを着て会 社訪問に飛び回る大卒予定者たちが、現在の 小僧さんに見えてくる》 この光景には、私はそこはかとなく哀れを催 します。かれこれ半世紀前の小僧さんと、現 在の大卒予定者と、を取り囲む環境がぜんぜ ん違うんですよね。 高度成長期の小僧さんたちは、それなりに、 どこかに潜り込めたように思います(同時代 なのに他人ごとのように言うな、ハイ)。 あの時代と今と、根本的に違うのは離職率の 高さです。私の年代だと、それこそ辛抱が足 りないじゃないのと、たしなめもしたくなり ますが、そんな次元の問題ではないんですね。 先週8月8日、厚生労働省が発表した2012年 の雇用動向調査によりまと、働く人に対する 離職者の割合(離職率)は14・8%となり 前年比0・4ポイント上昇しました。 現状は、新卒大学生のうち3年以内にやめる 人が4割にも昇り、この離職率の高さは重症 だと思います。 確たる原因があるようです。企業が従業員を 大切にしなくなったんですね。そのひとつが 劣悪な労働環境です。 会社によってはサービス残業当たり前で、毎 日朝から終電までといった過酷な労働を強い るところも存在しているようです。 最初はやる気になっていた学生も休みのない 環境で肉体的にも精神的にも疲労していき、 さらに、給料も時給換算されて、アルバイト 以下になってしまうこともあるそうです。 ☆若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) 若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書) 〈目次 〉 はじめに 「閉塞感の正体」を見きわめる 第1章 若者はなぜ3年で辞めるのか? 第2章 やる気を失った30代社員たち 第3章 若者にツケを回す国 第4章 年功序列の光と影 第5章 日本人はなぜ年功序列を好むのか? 第6章 「働く理由」を取り戻す ☆会社は2年で辞めていい (幻冬舎新書) 会社は2年で辞めていい (幻冬舎新書) 〈目次 〉 第1章 今の時代を働く考え方 第2章 人材価値のセルフマネジメント 第3章 会社の捨て方・選び方 第4章 女性のためのキャリア戦略 第5章 転職の実際 第6章 私の転職を振り返る ☆金馬 藪入り (アップロード日: 2010/08/22) 【説明はありません】
◎◎◎お知らせ◎◎◎
明日放映のNHKスペシャル『従軍作家たちの戦争』 (総合2013年8月14日午後10時00分〜10時49分) に浅田次郎さんが解説者で出演します。 作家・火野葦平の従軍手帳が解読され、日中 戦争から太平洋戦争にかけての陸軍のメディ ア戦略が明らかになった。文学者の戦争協力 を火野の従軍手帳を軸に描く。 日中戦争から太平洋戦争にかけての陸軍のメ ディア戦略が明らかになった。中国のプロパ ガンダに対抗し、火野を報道班に引き抜いた 陸軍は、さらにペン部隊を組織。南方にも徴 用作家を送り、占領地の宣撫工作にあたらせ た。火野はフィリピンで捕虜の再教育に尽力 するが、インパール作戦で軍の方針に疑問を 抱く。火野の従軍手帳を軸に、作家の戦争協 力を描く。 (つづく) (1484dys-923ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(117)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(1)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。 ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

▼△序章 ヒロシマナガサキからフクシマへ△▼(1)

・人類初の核実験「トリニティ」

オッペンハイマー「我は死となれり、世界の破壊者となれり」

《「― 一九三八年、ドイツの化学物理学者オットー・ハーンと リーゼ・マイトナーが、人類史上初めてウランの核分裂実験に成 功した。そのわずか七年後の一九四五年七月一六日午前五時半、 アメリカのアラモゴードでプルトニウム爆弾が炸裂し、この核実 験で人類は恐るべきパンドラの箱を開けてしまった。 原爆開発を目指すマンハッタン計画で原爆製造チームを主導した ロバート・オッペンハイマーは、六十二歳で亡くなる二年前の一 九六五年、人類初のこの核実験「トリニティ」を回想し、古代ヒ ンズー聖典『バガヴァッド・ギータ』から一節を引いて、「我は 死となれり、世界の破壊者となれり」とあの巨大なキノコ雲を見 ながら感じたと述懐している。 終末観を呼び起こさないでいられない、人類絶滅の潜在力を秘 めて核兵器の最初の実験「トリニティ」(父・子・聖霊の三位一 体をなすイエス・キリストを意味するキリスト教の言葉)の名が つけられたのは皮肉と称すべきなのか、それても予見的というべ きであろか。 その核実験から三週間後の八月六日午前八時一分、広島上空に投 下されたウラン爆弾が炸裂した。 たちまちにして七万から八万人の数にのぼる市民が無差別大量虐 殺の犧牲となり、その多くが文字通り「死の灰」と化して消滅し た。その年末までに、一四万人が主として放射能の影響で苦しみ のうちに亡くなった。 すざましい破壊による地獄のような混乱状態が続いている三日後 の午前一一時二分、今度は長崎にプルトニウム爆弾が投下され、 まさに「トリニティ」の象徴である浦上天主堂の上空で炸裂した。 結果は、四万人が即時に殺戮され、年末までに七万四〇〇〇人近 い人たちが亡くなっていった。それ以降も、両市で被爆した多く の人たちは放射能によって引き起こされる多種の癌や白血病で亡 くなり、しかも今なお苦しみ、いつ致命的な病に冒されるか分か らないという恐怖に怯えながら生活している被爆者たちがいる。 ――」》 ★1945年7月16日に行われた人類初の核実験「トリニティ」 ★原爆の図「救出」より (部分) (丸木位里丸木俊 作/原爆の図 丸木美術館 蔵)

■東電社員10人が外部被ばく 熱中症予防の霧浴び汚染か

福島民友新聞】(2013年8月13日10時44分) 東京電力は12日、福島第1原発で、熱中症対策の霧を体に浴びた 社員10人の頭や顔などの表面から、最大で1平方センチ当たり19 ベクレルの放射性物質が検出されたと発表した。 社内の管理基準とする同4ベクレル(国の管理基準は同40ベクレ ル)を上回る外部被ばくで、10人とも体を洗ったり、拭いたりし た結果、社内基準を下回ったという。東電は内部被ばくはなかっ たとしている。東電は、第1原発で気温が30度を超えた場合、作 業員の熱中症対策として免震重要棟の出入り口前で、霧状の水を 散布している。   10人は12日午後0時30分ごろ、敷地を出るため同棟前で送迎バス を待っていて霧を浴びた。同じころ、周辺の大気中の放射性物質 濃度を測る測定器で濃度が高いことを知らせる警報が鳴った。こ のため東電は、放射性物質を含むほこりやちりが舞うなどして局 地的に濃度が上昇した可能性や、霧に放射性物質が混じった可能 性があるとみて、詳しい原因を調べている。 ▼「東電は内部被ばくはなかったとしている」、そう祈る。
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(45)
・第1章 悲劇の六ヶ所村(40)
核燃と三代目たち(その6)

メーカーが子飼いのメンテナンス業者を連れてくる

《「――県内の大学工学部を出ている三代目の角栄さんは、 村の商工会青年部の中心人物である。「(核燃)施設を活用 して、生活水準をあげていきたい」「共存共栄で事業を拡大 し、世界の六ケ所村へ」と、将来に明るい見通しを語った。 ――危険性についてどう思いますか。 「それぞれのプロセスには、インターロックがかかっていて、 異常があれば自動停止します。被曝の問題はありますが、診 療所で定期的に管理しています」 楽観的である。角栄さんにとっての問題は、メーカーが子飼 いのメンテナンス業者を連れてくることだ。それで地元業者 を優先するように、商工会でも要請している。 二〇〇六年にくらべて、二〇〇九年は、再処理工場の設備点 検の仕事において、地元企業の参入は、ニ五社から六〇社へ とニ・五倍にふえた。作業従事者に占める県内出身者は三割 から四割にふえた、というのが、日本原燃の発表である。 ――」》

■沖国大ヘリ墜落から9年 集会開き「ダイイン」で抗議

琉球新報電子版】(2013年8月13日) ・地面に横たわる「ダイイン」で抗議の意思を示す  参加者=13日午前8時20分ごろ、北中城村安  谷屋のキャンプ・フォスター石平ゲート前 【北中城】米軍ヘリ沖国大墜落事故から9年になる13日、 北中城村のキャンプ・フォスター石平ゲート前で、オスプレ イの追加配備反対や米軍ヘリ宜野座墜落事故に抗議する集会 「メモリアルチューズデイ」が午前7時から開かれた。 約70人の参加者は1960年代に米国で誕生した地面に横 たわる非暴力の行動「ダイイン」などで抗議の意思を示した。 でいご娘の島袋艶子さんも駆け付け「艦砲ぬ喰ぇー残さー」 や「沖縄を帰せ」などを歌った。 集会は毎週火曜日に石平ゲート前で抗議行動を続ける「火曜 日朝の会」の小橋川共行さん(70)らが企画。小橋川さん は「今回の運動は拳を上げたり、怒鳴ったりするものではな い。米兵個人も尊重されるべき存在で、組織である米軍に抗 議の意思を示したい」と語った。   小橋川さんらが作成した沖国大墜落事故をイメージしたオブ ジェも置かれ、参加者が持ち寄った花が飾られた。集会は「 さとうきび畑」の合唱と1分間の黙とうで締めくくった。 ▼「今回の運動は拳を上げたり、怒鳴ったりするものではな い」、いぶし銀のように光る言葉。 ★いま、「憲法改正」をどう考えるか―― 「戦後日本」を「保守」することの意味 いま、「憲法改正」をどう考えるか――「戦後日本」を「保守」することの意味

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・制服が似合わなくて辞めてゆく   取手   ファミレス
・ブオトコもうけていればオトコマエ 八尾   お嬢ババ
・満員の席だけ写す腕の良さ     武蔵村山 エイチャン

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

・このをとめ・
ポール・フォール              上田敏  このをとめ、みまかりぬ、みまかりぬ、戀やみに。 ひとこれを葬(ほうむ)りぬ、葬りぬ、あけがたに。 寂しくも唯ひとり、唯ひとり、きのままに、 棺(ひつぎ)のうち、唯ひとり、唯ひとり、のこしきて、 朝まだき、はなやかに、はなやかに、うちつれて、 歌ふやう「時くれば、時くれば、ゆくみちぞ、 このをとめ、みまかりぬ、みまかりぬ、戀こいやみに」 かくてみな、けふもまた、けふもまた、野に出いでぬ。 (牧羊神) ※上田敏(うえだ びん)  (1874年10月30日 - 1916年7月9日) 文学博士、京大教授であった。号柳村、東京の生れ。 『文学界』によって文壇に出た。訳詩集『海潮音』 第二詩集『牧羊神』、その他評論活動等によって、 広く海外の文学を紹介した。象徴詩の詩風をひらい た人として有名である。 ※Wikipedia:上田敏 

◇◆◇『西方の人』◇◆◇〈29〉0822

西方の人 イエス・キリストのこと。「西方」という言葉は、 地理的・文化的な「西洋」に対し、思想的・宗教的な意味をこめ て使われている。「西方」は〈さいほう〉〈せいほう〉の二つの 読みが現在行われている。

◇◆◇『西方の人』◇◆◇〈24〉

西方の人 イエス・キリストのこと。「西方」という言葉は、 地理的・文化的な「西洋」に対し、思想的・宗教的な意味をこめ て使われている。「西方」は〈さいほう〉〈せいほう〉の二つの 読みが現在行われている。
・24 カナの饗宴・
クリストは女人を愛したものの、女人と交はることを顧みなかつ た。それはモハメツトの四人の女人たちと交ることを許したのと 同じことである。 彼等はいづれも一時代を、――或は社会を越えられなかつた。し かしそこには何ものよりも自由を愛する彼の心も動いてゐたこと は確かである。 後代の超人は犬たちの中に仮面をかぶることを必要とした。しか しクリストは仮面をかぶることも不自由のうちに数へてゐた。所 謂「炉辺(ろへん)の幸福」の嘘は勿論彼には明らかだつたであ らう。 アメリカのクリスト、――ホヰツトマンはやはりこの自由を選ん だ一人である。我々は彼の詩の中に度たびクリストを感ずるであ らう。 クリストは未だに大笑ひをしたまま、踊り子や花束や楽器に満ち たカナの饗宴きやうえんを見おろしてゐる。しかし勿論その代り にそこには彼の贖(あがな)わなければならぬ多少の寂しさはあ つたことであらう。

■◇■《シリコンバレー金言集》■◇■

梅田望夫著『ウェブ時代5つの定理』から
・文庫: 302ページ ・出版社: 文藝春秋 (2010/2/10) ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)インテルアンディ・グローブはこう言った。 「パラノイアだけが生き残る」。グーグルのマ リッサ・メイヤーはこう言う。「政治的になる な、データを使え」―。94年にシリコンバレー に居を定めて以来、ウェブビジネスの最先端に かかわってきた著者が読み解くシリコンバレー の言葉の数々を紹介。ここで取り上げられた言 葉は、皆、英語です。日本語訳は上杉隼人氏。 ※Wikipedia:梅田望夫
◆第3定理 技術者の眼

《変化の節目で何に賭け金を置くか》

ネットが負けるほうに賭けるのは愚かだ。 なぜなら、それは、人間の創意工夫と 創造性の敗北に賭けることだから。
―― エリック・シュミット
Betting against the net is foolish because you're against human ingenuity and creativity.
―― Eric Schmidt
Wikipedia:エリック・シュミット (45)

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆◎

Klemens Wenzel von Metternich (1773-1859),
German-Austrian diplomat, politician and statesman (detail) 〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆Bing Sings "The Merry-Go-Run-Around" (アップロード日: 2011/11/02) 【Bing Crosby, Bob Hope, and Dorothy Lamour perform "The Merry-Go-Run-Around" in Road to Bali (1952). The monkeys like it!】 ☆☆ビング・クロスビー ビング・クロスビー(Bing Crosby) (1903年5月3日 - 1977年10月14日) アメリカの歌手、俳優。アメリカ初のマルチエン ターテイナーのひとり。ワシントン州タコマで、 イングランド系の父親とアイルランドアメリカ 人の母親のもとに生まれる。1926年には当時の人 気オーケストラであるポール・ホワイトマン楽団 に歌手として入団、翌1927年にはホワイトマン楽 団内で結成された男性3人組コーラスグループ 「リズム・ボーイズ」のメンバーとなる。のち 「リズム・ボーイズ」はホワイトマン楽団から独 立して人気グループとなった。 1930年代に歌手としてトップスターの地位を確立 したクロスビーは、その後映画にも進出し、第二 次世界大戦前後の全盛期を通じて生涯で57本の 映画に出演した。 ★Wikipedia:ビング・クロスビー

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦◎より

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 歌集 美しく愛しき日本
◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"
安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆