その昔、私の家は集団就職の受け入れ先になっていた

その昔、私の家は集団就職の受け入れ先になっていた

【中野の社長宅には独身社員が住み込んでおり、
 毎朝オートバイをつらねて出勤した。朝食も
 夕食も私たち家族と一緒だったのだから涙ぐ
 ましくらい律儀な青年たちである。彼らの自
 由時間は土曜日の午後と日曜祝日だけだった】


浅田次郎著『ま、いっか。』(116)

第四章 星と口笛(7)
◇小僧さんの話◇(その1)

その昔、私の家は集団就職の受け入れ先になっていた

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇California wildfires (Motorists stop to watch, as fire spreads up the north side of the San Jacinto Mountains near wind turbines at the Silver Fire east of Banning, California August 8, 2013. REUTERS/David McNew) 花のほころぶ季節になると、私の生家には何 人もの小僧さんがやってきた。 かれこれ半世紀も昔の話である。中学を卒業 すれば都会にに出て働くというのが当たり前 の時代で、私の家はその集団就職の受け入れ 先になっていた。 「新入社員」などという上等な言葉は聞いた こともない。幼い私ですら彼らを「小僧さん」 と呼び、一年が経って新たな小僧さんがやっ てくると、呼び方も「若い衆(し)さん」に 昇格した。 全員がくりくりの丸坊主で中学の学生服を着 ており、今の子供よりよほど体格も貧しかっ たから、「小僧さん」という名がいかにもぴ ったりだった。 父の経営するカメラの卸問屋は神田にあった。 小川町の交叉点から大手町に向かう右側の、 立派なビルであったと記憶する。 父は三十代の前半であったから、今で言うな らさしずめ最先端のIT企業というところで あろう。 中野の社長宅には独身社員が住み込んでおり、 毎朝オートバイをつらねて出勤した。 朝食も夕食も私たち家族と一緒だったのだか ら、涙ぐましくらい律儀な青年たちである。 彼らの自由時間は土曜日の午後と日曜祝日だ けだった。 ところで、その「小僧さん」たちが一年経っ て「若い衆さん」に昇格する例は、実は稀で あった。たいていは坊主頭が伸びてポマード を塗り始めたころ、いなくなってしまうので ある。 遊び相手になってくれていた小僧さんがふい に姿を消して、悲しい気分になったことがあ ったことがしばしばあった。 」》 ■浅田次郎さんの随筆に「小僧さんの話」と 表題が出てくるとは思っても見ませんでした。 私のブログの副題は、「本屋の小僧」で、小 僧は私にとって、思い入れのある言葉なので す。 はい、志賀直哉の『小僧の神様』から、拝借 しました。この短編小説は、1920年(大 正9年)に雑誌「白樺」にて発表された作品。 この作品がきっかけで志賀直哉は「小説の神 様」と呼ばれるようになり、知名度を上げま した。 『小僧の神様』の小僧は、一度旨い寿司をた らふく食って見たいと考えていましたが、私 は、思う存分、本を読んでみたいという希求 が、「本屋の小僧」の命名の由来です。 雑駁ながら、『小僧の神様』のあらすじは: 神田の秤屋で奉公している小僧の仙吉は、番 頭たちが旨い鮨屋の話をしているのを聞いて いて、いつかは、自分もそんな店で鮨を食べ てみたいものだと考える。 ある日、使いに出された先で仙吉は鮨の屋台 をみつけ、こつこつ貯めた小銭を握りしめて 暖簾をくぐる。 ただ、ひとかん。そのひとかんを手にしたと き、屋台の主人は「四銭だよ」と値を告げる。 それは、持っていた銭の倍の値段だった。仙 吉は鮨にのせた手を おもわずひっこめ、屋 台を立ち去る。   その姿を、たまたまその場に居合わせた一人 の紳士が見ていた。彼は小僧に鮨を喰わせて やりたいと思ったものの、ためらいがあった。 ところが、後日、紳士は、秤を買いに行った 店で仙吉をみつける。 彼は仙吉を名指して秤を運ばせ、鮨屋へ連れ て行く。そこは、番頭らが、いつも話題にし ていた鮨屋だった。 紳士は仙吉ひとりを店に残し、食するに十分 足りる金を支払って去る。仙吉は鮨を食べる。 実に、三人前を平らげる。 店の女将らは、十分に金を預っているから、 ぜひまた、おいでと仙吉に言うが、彼はその 後、鮨を喰いに行くことはない。そこまでし たら、罰が当たるような気がしたのだ。 一方、紳士は自分の厚意が、存外、おのれの 心をスッキリさせなかったことに戸惑いを覚 える。 仙吉は仙吉で あの紳士は誰なのかとと考え てる。なぜ、自分が鮨を食べたかったことを 知っていたのだろうか。 しかも、番頭らが話しているその店に、真っ 直ぐ自分を連れて行ってくれたのだろうか。 そうこう思案するうちに、仙吉は、見えない 大きなものが自分を支えてくれているように 感じる。鮨屋の一件は、仙吉の大切な思い出 になった。 ☆志賀直哉(しが なおや) 訪町の自宅にて撮影(1938年) ☆清兵衛と瓢箪小僧の神様 (集英社文庫) 清兵衛と瓢箪・小僧の神様 (集英社文庫) 〈目次〉 ・菜の花と小娘 ・網走まで ・荒絹 ・母の死と新しい母 ・正義派 ・清兵衛と瓢箪 ・茫の犯罪 ・城の崎にて ・赤西蛎太 ・11月3日午後の事 ・小僧の神様 ・焚火 ・真鶴 ☆志賀直哉 (アップロード日: 2010/03/02) 【志賀直哉】 (つづく) (1483dys-922ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(116)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(274)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△終章「ヤクザと原発」の落とし前(40)△▼
・福島第二も水素爆発?・(その3)

運用する人間が完璧でない以上、ミスは必ず発生する

《「――原子炉建屋が崩壊しない程度の小爆発……絶望的とし か言えない1Fの深刻さとは比較にならないが、1Fばかりに 目がいき、2Fに注目するマスコミはいない。 マジックは観衆の目の前にかざした右手に注目を集め、誰もみ ようとしない左手で奇跡を演出する。些事とは言え、原発村に 存在する隠蔽工作の手口をあちこちで目撃した私は、2Fの水 素爆発を完全否定することは出来ない。 放射能というモンスターを利用するため、原発は常時、完璧な 運用を求められる。他の発電所なら許されることが、原発では 大きな問題になってしまう。 運用する人間が完璧でない以上、ミスは必ず発生する。限りな く100パーセントに近い安全を求められる原発は、必然的に ミスを隠蔽しようと動く。 表向きは任侠団体を標榜し、暴力という威嚇力で利益を得るヤ クザたち……。 取材の渦中で聞かされた組長のつまらないダジャレを思い出した。 「ヤクザは社会のヨゴレ、原発放射性廃棄物というヨゴレを永 遠に吐き続ける。似たもの同志なんだよ。俺たちは」 組長の得意顔がフラッシュバックする。ともにダブルスタンダー ドの常用を余儀なくされる点で、確かに似ている。(了) 〈長い間、ご愛読ありがとうございました〉 ――」》

福島第一原子力発電所 汚染水対策の地中の壁機能せず

【NHK】(2013年8月10日 21:00) 福島第一原子力発電所で汚染された地下水が海に流出している問 題で、東京電力が地下水の流出を止める対策として護岸に設けた 「地中の壁」よりも、すぐそばの井戸の水位の方が高いことが分 かり、対策が機能していないことが裏付けられました。 福島第一原発では、経済産業省の概算で1日およそ300トンの 汚染された地下水が海に流出しているとみられ、東京電力が流出 を止めるために、護岸沿いのおよそ100メートルにわたって地 中の深さ16メートルまで特殊な薬剤を注入し、壁のように固め た結果、せき止められた地下水の水位が上昇しています。 地中の壁は、地表から1.8メートルほどまでの浅い部分は固め ることが難しく、東京電力は、水位の上昇の状況を知るために地 中の壁の2メートル山側で新たに観測用の井戸を掘って調べまし た。 その結果、井戸の水位の方が地中の壁の最も上よりも60センチ ほど高いことが分かり、地中の壁が対策として機能していないこ とが裏付けられました。 福島第一原発では、1号機近くに新たに掘られた、これまでで最 も北にある観測用の井戸で8日、採取した地下水から放射性物質 の「トリチウム」が1リットル当たり2万3000ベクレルの濃 度で検出されていて汚染の範囲も広がっています。 東京電力は、上昇している地下水の水位を下げるために、9日か ら応急的なくみ上げを始めていますが、今後、有効な対策を打て るかどうかが課題になります。 ▼参議院選挙が終わったら、出てくるわ、出てくるわ、膿の塊。 ☆福島第1原発残骸 ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(44)
・第1章 悲劇の六ヶ所村(39)
核燃と三代目たち(その5)

開発ブームのころ、土木・建設工事を請け負って発展した

《「――「いやさか自動車」は、いまどきめずらしい安定経 営である。従業員四〇人ほどで、四億五〇〇〇万円ほどの売 り上げでる。息子の友和さんは、これからの新規事業として、 タクシー業務もはじめようかと考えている、といっていた。 それでその後の構想を聞いてみたかったのだが、ちょうど雪 が降り始めて、緊急のタイヤ交換に訪れた客に忙殺されてい た。とても、話ができる状態ではなかった。 彼の友人である、附田角栄さん(三七歳)が常務は務めてい る、「六ケ所エンジニアリング」は、「いやさか自動車」の 翌年に創立されている。開発ブームのころ、土木・建設工事 を請け負って発展した、附田建設の関連企業である。 再処理工場と壁を接するような距離にある六ケ所エンジニア リングは、オイルショックのあとに建設された国家事業・石 油備蓄基地のメンテナンスや労働者派遣などで急成長した。 いまは核施設の放射線測定機器の点検、環境分析なども請け 負う、業務の拡大を図っている。 ――」》 ■オスプレイ8機普天間着 県は遺憾表明 【沖縄タイムス】(013年8月12日 11時26分) 普天間飛行場に着陸するオスプレイ= 12日午前10時15分ごろ、宜野湾市海兵隊は12日午前、岩国基地山口県)に一時駐機して いたMV22オスプレイ普天間飛行場への移動を開始した。 岩国に駐機中の10機のうち、午前8時すぎまでに8機が離 陸し、同10時16〜24分にかけて全機が普天間飛行場に 到着した。 海兵隊は、キャンプ・ハンセンで5日起きた米空軍HH60 救難ヘリの墜落事故を受け、追加配備を一時見合わせていた。 事故からわずか1週間後の配備再開に、安全性を懸念する沖 縄側は反発している。 普天間飛行場の野嵩ゲート前では12日朝から、配備に反対 する市民グループなどが抗議した。 高良倉吉副知事は同日午前11時ごろ、県庁で記者団に「県 は配備見直しと配置分散を訴えてきた。そういう中での追加 配備は遺憾だ」と批判。県として引き続き配備撤回を求めて いく考えを示した。 海兵隊岩国基地に残る2機について移動するかどうか明ら かにしていない。昨年に続いて配備される第2陣の12機の うち、2機は3日に普天間に到着している。追加配備が完了 すると24機態勢となる。 ★原発と原爆---「核」の戦後精神史 (河出ブックス) 原発と原爆---「核」の戦後精神史 (河出ブックス)

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・異常者が半数超えたらどうなるの 東京  くうねる
・安全な道だけ回るパトロール   相模原 Q太郎
・群れていて一匹ずつは迷ってる  大阪  ヒヤケナス

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

・日曜・
ジュール・ラフォルグ             上田敏  しとしとと、わけもなく、事もなく雨が降る、 雨が降るぞや、川面(かわづら)に、羊の番の小娘よ…… どんたくの休日(やすみ)のけしき川に浮び、 上(かみ)にも下(しも)にも船がない。 夕がたのつとめの鐘が市(まち)に鳴る。 人氣の絶えた河岸つぷち、薄ら寂しい河岸つぷち。 いづこの塾の女生徒か(おお、いたはしや) 大抵はもう、冬支度、マフを抱へて有(も)つてるに、 唯ひとり、毛の襟卷もマフも無く 鼠の服でしよんぼりと足を引摺(ひきず)るいぢらしさ。 おやおや、列を離れたぞ、變だな。 それ驅出した、これ、これ、ど、ど、どうしたんだ。 身を投げた、身を投げた。大變、大變。 ああ船が無い、しまつた救助犬(いぬ)も居ないのか。 日が暮れる、向うの揚場に火がついた。 悲しい悲しい火がついた。(尤もよくある書割さ) じめじめと川もびつしより濡れるほど しとしととわけもなく、事もなく、雨が降る。 (牧羊神) ※上田敏(うえだ びん)  (1874年10月30日 - 1916年7月9日) 文学博士、京大教授であった。号柳村、東京の生れ。 『文学界』によって文壇に出た。訳詩集『海潮音』 第二詩集『牧羊神』、その他評論活動等によって、 広く海外の文学を紹介した。象徴詩の詩風をひらい た人として有名である。 ※Wikipedia:上田敏 

◇◆◇『西方の人』◇◆◇〈23〉

西方の人 イエス・キリストのこと。「西方」という言葉は、 地理的・文化的な「西洋」に対し、思想的・宗教的な意味をこめ て使われている。「西方」は〈さいほう〉〈せいほう〉の二つの 読みが現在行われている。
・23 ラザロ・
クリストはラザロの死を聞いた時、今までにない涙を流した。今 までにない――或は今まで見せずにゐた涙を。 ラザロの死から生き返つたのはかう云ふ彼の感傷主義の為である。 母のマリアを顧なかつた彼はなぜラザロの姉妹たち、――マルタ やマリアの前に涙を流したのであらう?  この矛盾を理解するものはクリストの、――或はあらゆるクリス トの天才的利已主義を理解するものである。

■◇■《シリコンバレー金言集》■◇■

梅田望夫著『ウェブ時代5つの定理』から
・文庫: 302ページ ・出版社: 文藝春秋 (2010/2/10) ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)インテルアンディ・グローブはこう言った。 「パラノイアだけが生き残る」。グーグルのマ リッサ・メイヤーはこう言う。「政治的になる な、データを使え」―。94年にシリコンバレー に居を定めて以来、ウェブビジネスの最先端に かかわってきた著者が読み解くシリコンバレー の言葉の数々を紹介。ここで取り上げられた言 葉は、皆、英語です。日本語訳は上杉隼人氏。 ※Wikipedia:梅田望夫
◆第3定理 技術者の眼

《変化の節目で何に賭け金を置くか》

インターネットが負けるほうに賭けるな。
―― エリック・シュミット
Don't bet against the internet.
―― Eric Schmidt
Wikipedia:エリック・シュミット (44)

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆◎

Mary, Countess of Plymouth
〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆Bing Sings "You Don't Have to Know the Language" (アップロード日: 2011/11/02) 【Bing Crosby and the Andrews Sisters perform "You Don't Have to Know the Language" in Road to Rio (1947). Note Bob Hope's helpful assist.】 ☆☆ビング・クロスビー ビング・クロスビー(Bing Crosby) (1903年5月3日 - 1977年10月14日) アメリカの歌手、俳優。アメリカ初のマルチエン ターテイナーのひとり。ワシントン州タコマで、 イングランド系の父親とアイルランドアメリカ 人の母親のもとに生まれる。1926年には当時の人 気オーケストラであるポール・ホワイトマン楽団 に歌手として入団、翌1927年にはホワイトマン楽 団内で結成された男性3人組コーラスグループ 「リズム・ボーイズ」のメンバーとなる。のち 「リズム・ボーイズ」はホワイトマン楽団から独 立して人気グループとなった。 1930年代に歌手としてトップスターの地位を確立 したクロスビーは、その後映画にも進出し、第二 次世界大戦前後の全盛期を通じて生涯で57本の 映画に出演した。 ★Wikipedia:ビング・クロスビー

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦◎より

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 歌集 美しく愛しき日本
◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"
安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆