どうやらこの頃「よそいき」が死語になってしまったらしい

どうやらこの頃「よそいき」が死語になってしまったらしい


【いつであったか、地下鉄の中で向こう前に座る男
 を睨みながら、祖母が私の耳元で囁いた。「おま
 い、まちがったって“つっかけ”で地下鉄に乗っ
 たりするんじゃあないよ」。以来私は、サンダル
 どころかスニーカーをはいて外出したこともない】

浅田次郎著『ま、いっか。』(61)

第2章 ふるさとと旅(9)
◇「よそいきの街」は今◇(上)

どうやらこの頃「よそいき」が死語になってしまったらしい

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Japan's Prime Minister Shinzo Abe (Japan's Prime Minister Shinzo Abe (2nd R) inspects the honour guard during a welcoming ceremony upon his arrival at Moscow's Vnukovo airport April 28, 2013. Japan and Russia expect to clinch up to 20 deals, launch an investment fund and reopen talks on a territorial row that has kept them from signing a peace treaty formally ending World War Two during Abe's visit to Moscow. REUTERS/Sergei Karpukhin) 私の生家は身なりにやかましかった。 祖父母からも父母からも、勉強をしろなどと いう説教はされたためしがなかった。そのか わり、登校するときも遊びに出るときも、厳 重な服装点検をされた。 よし、と言われるまでは何べんも着替えさせ られるのである。ために遅刻することはしば しばだったが、それでも傍目に悪い格好をす るよりはまし、というわが家の揺るがせざる 道徳であったらしい。 絵に描いたような江戸前の気風である。すこ ぶる人口が過密であり、しかもその人口の半 分は武家階級が占めていた江戸では、見栄を はるというよりそれくらい脇目を気にしたの であろう。 三つ子の魂百までの格言通り、百までは程遠 いがなかば五十をとうに過ぎた今日でもこの 習慣は変わらない。 外出前は亡き祖父母の視線を感じて、合格す るまで何度も着替えをする。 在宅の日ですら、朝昼晩と普段着を替えねば 気がすまない。年齢とともに衣裳も増えるの で、その手間にかかる時間たるや毎日一本の 短編小説が書けるのではないかと思うほどに なった。 そのようにしてようやく街に出ると、人々の 身なりはたいそうカジュアルになっている。 どうやらこのごろでは「よそいき」が死語に なってしまったらしい。 私の記憶によれば、かってネクタイを締めず に銀座通りを歩いている人は珍しかった。 とりわけ敷居が高かった銀座ばかりではなく、 新宿でも渋谷でも盛り場に出るときは、誰も が気合の入ったおしゃれをしたものである。 いつであったか、地下鉄の中で向こう前に座 る男を睨みながら、祖母が私の耳元で囁いた。 「おまい、まちがったって“つっかけ”で地 下鉄に乗ったりするんじゃあないよ」 以来私は、サンダルどころかスニーカーをは いて外出したこともない。 個人的にはさしたる気構えも思想もあるわけ ではないから、江戸前の躾に呪縛されている のであろう。東京とは元来、それくらいのよ そいきの街であった。 」》 ■《「おまい、まちがったって“つっかけ” で地下鉄に乗ったりするんじゃあないよ」》 こう言った浅田さんのお祖母ちゃん、もし、 ご存命で昨今の地下鉄に乗ったら、乗客のマ ナーの悪さに驚いて、悶絶してしまうでしょ うね。 電車の中で、お化粧したり、ものをたべたり、 床に座ったり、まさに「よそいき」の感覚は ゼロです。 最初、ラジオかなんかで聞いたことがあるの ですが、江戸の街角、雑踏のなかで足を踏ま れた方が、先ににあやまっちゃうんだそうで す(うかつあやまり)。 お互いに忙しい身なれば、喧嘩なんかで、時 間を浪費するのは、真っ平だいう、江戸っ子 の合理主義精神です。 また、江戸っ子には「江戸しぐさ」というマ ナーが行き渡っていました。江戸町方の行動 哲学でした。 当時、江戸は世界最大の都市であり、日本各 地から様々な人が集まっていることから、お 互いに気持ち良く暮らすための「工夫」が必 要であったとも言えます。 ・江戸しぐさの例・ ◇傘かしげ 雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないよ うにすれ違うこと。 ◇肩引き 道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に 寄せて歩くこと。 ◇時泥棒 断りなく相手を訪問し、または、約束の時間 に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪 (十両の罪)にあたる。 ◇うかつあやまり たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、 「すみません、こちらがうかつでした」と自 分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つ こと。 ◇七三の道 道の、真ん真ん中を歩くのではなく、自分が 歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急 時などに備え他の人のためにあけておくこと。 ◇こぶし腰浮かせ 乗合船などで後から来る人のためにこぶし一 つ分腰を浮かせて席を作ること。 ◇逆らいしぐさ 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆ら うことをしない。年長者からの配慮ある言葉 に従うことが、人間の成長にもつながる。ま た、年長者への啓発的側面も感じられる。 ◇喫煙しぐさ 野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、 非喫煙者が同席する場では喫煙をしない。 ☆江戸しぐさ ☆暮らしうるおう江戸しぐさ 暮らしうるおう江戸しぐさ公共広告機構江戸しぐさcm (アップロード日: 2007/12/08) 【old Japanese behavior.】 (つづく) (1380dys-867ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(61)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(219)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(37)△▼

セシウムイカとダチョウ狩り・(その4)

これ、4号機の脇で作ったスイカだ。セシウムイカだ。
《「―――この上会社はプラントメーカーを変えたことがなく、 その一途さが評価されていた。協力企業で構成する親睦会の会長 になったこともあり、まさに蜜月関係にあった。メーカーがこう いした実態を知っている可能性はある。 「報告書を書き上げる寸前、下請け作業員の一人が冷蔵庫から凍 ったスイカを取り出してきた。 「これ、4号機の脇で作ったスイカだ。3号機はメロンを植えて たな。汚染水はあちこちにいっぱいあっかんね。それで育てた。 セシウムイカだ」 日の当たっているアスファルトにスイカを置いて解凍した。テー ブルに置いても、スイカを食べてのは取り出した本人と私だけだ。 育ちが早く、すぐ収穫出来たらしい。スイカは異様に甘かった。 放射能の影響なのか判然としない。 ダチョウ狩りに出かけたこともある。狩るといってもシューティ ングはカメラだ。狩りには現場作業を早めに終わり、会社の事務 所整理を手伝った際に行った。 「大熊町の民間農場で飼育されていたダチョウが震災によって逃 げだし、大熊町内をうろうろしてる」 ――」》 ☆福島第1原発残骸 ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型
▼福島第1原発の汚染水漏れは、ヤバイぜよ
東京電力福島第1原発の地下貯水槽から、放射性汚染水が相次 いで漏れた問題は、事故から2年以上経過した現在でも、事故 が収束していません。国際原子力機関IAEA)も「汚染水 は最大の難題」と懸念を表明しています。 恐ろしいのは、施工ミスなど複数の原因が浮上していますが、 いまだに、原因不明なことです。 昨年7月3日、政府の原子力損害賠償支援機構は、東京電力へ の1兆円の出資を完了し、機構は議決権の50・11%をにぎ って実質国有化しました。国はもっと、問題解決に権限を使え。
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(185)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第五章 沖縄に照射される福島〈13〉・

・もう一つの神話――民主主義・(上)

日本人が沖縄人に米軍基地を強制しつづけて六十年
《「――一沖縄に対する無意識の植民地主義は、日本国憲法の 民主主義的原則によってむしろ正当化されているという議論を 知る必要はある。 日本人が沖縄人に米軍基地を強制しつづけて六十年。 日本人は、沖縄人への基地の強制を、選挙という民主主義の手 続きを通して実現してきた。 沖縄人への押しつけは、日本人の民主主義によって達成され、 その民主主義が日本国憲法という最高法規によって正当化され ているのだ。 つまり、日本人の民主主義は、最初から今日まで、多数者の独 裁によって堕落しつづけてきたのである。 沖縄人は日本国民人口の約一パーセントでしかなく、国会議員 も最高で十人しか出したことのない圧倒的少数派である。 多数決原理が採用されている以上、沖縄人の意志が踏みにじら れるのは最新からあきらかなのだ。したがって、民主主義と植 民地主義はけっして矛盾しないのである。 植民地主義はその内部に民主主義を含んでいる。現代の植民地 主義は民主的植民地主義なのだ。              (前掲『無意識の植民地主義』) ――」》 ☆「美ら海(ちゅらうみ)」名護市辺野古 
■4・28 政府と沖縄の落差 内外で注目
沖縄タイムス】(2013年4月30日) 政府が28日に開いた「主権回復の日」式典と、それに抗 議する「屈辱の日」沖縄大会の落差は、国内外のメディア から注目された。 安倍晋三首相の改憲志向や沖縄切り捨ての歴史を解説し、 オスプレイ配備に反対する県民大会や東京行動に比べて大 きな扱いだった。専門家は主権をめぐる認識の断絶が明確 だったことを要因に挙げ、安倍首相の誤算を指摘した。 朝日新聞は「沖縄『屈辱』再び」の見出しを付け、政府式 典とともに沖縄大会を1面トップで報じたほか、2、3、 第1社会面でも展開した。2面では「政権・沖縄 広がる 溝」などとして式典開催にこだわった安倍晋三首相の意向 と沖縄の反発を伝えた。第1社会面もトップで、「切り捨 て 怒りの拳」の見出しで、横長3段の大判写真とともに 大会の様子を伝えた。登壇した沖縄戦体験者の中山きくさ んの言葉などを紹介した。 →→→☆☆☆記事全文へ続く ▼片や、石破茂幹事長が国防軍創設を参院選公約にと公言   自民党石破茂幹事長は、29日、熊本市内で記者会見し、 自衛隊を「国防軍」と位置付ける憲法改正の実現を夏の参 院選公約に掲げる考えを示しました。   石破氏は「自衛隊の究極の任務は、国の独立を守ることだ。 これは軍だということをどうしても訴えていかなければな らない」と指摘。「どうすればご理解いただけるか、最大 限に努力して実現を期したい」と語っていました。 ・本音が白昼堂々と暴露されましたね。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・カーテンはまだ早いとまた言われ   青森 ねぶた囃子
・ウソだった地位が人間つくるって   雲仙 鳥獣戯句
・とーふーと言うように吹くラッパです 三鷹 市岡隆子

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

         室生犀星 
・象・
古き染附の皿には かげ青い象ひとつ童子に曳かれ歩めり。 この皿古きがゆゑ 底ゆがみ象のかげ藍ばみ 皿のそとにもかげを曳きけり。 かゝる古き染附そめつけの皿には うるしのごとく寂しく凝固たる底見え 日ぐれごろ 象のかげ長からず 歩まむとして歩むにあらず。 ちぢまり一入悲しげに見ゆ (忘春詩集) ※室生犀星 (1889年8月1日 - 1962年3月26日) 詩人・小説家。本名照道。金沢生れ。十七歳のとき 「新声」に投じた詩が認められ、早熟の才を示した。 萩原朔太郎と「感情」を創刊。詩集「愛の詩集」、 「抒情小曲集」「寂しき都会」「青き魚を釣る人」 「忘春詩集」「鉄集」など。小説「性に眼覚める頃」 「あにいもうと」など。 ※Wikipedia:室生犀星

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)侏儒の言葉(遺稿)◇
・或理想主義者・
彼は彼自身の現実主義者であることに少しも疑惑を抱いたことは なかった。しかしこう云う彼自身は畢竟理想化した彼自身だった。 〈138〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

☆《自然に言えるようになりたい会話表現》 1 年齢のことを考えると、彼は走るのは速い。 2 お風呂がわいているよ。 3 彼女は食べ物にうるさい。 4 彼は1度も挫折感を味わったことがない。 5 彼は付き合いにくいよ。 1 Considering his age, he runs fast. 2 The bus is ready. 3 She is a finicky eater. 4 He's never felt a sense of failire. 5 He's difficult person to be with. <NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は昨年4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆◎

Portrait Of The Hon, George Fane (1819 - 1848),
Later Lord Burghersh, When A Boy 〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Mel Torme - Comin Home Baby (アップロード日: 2007/08/01) 【Mel Torme - Comin Home Baby】 ☆☆メル・トーメ ・ルヴィン・ハワード・トーメ(Melvin Howard “Mel” Torme) (1925年9月13日 ? 1999年6月5日) アメリカのジャズ歌手。ジャズ作曲家、編曲家、ドラマー のほか、俳優としてラジオ、映画、テレビでも活躍した。 愛称は「ベルベットの霧」The Velvet Fog 。 ★Wikipedia:メル・トーメ