小説のよしあしは主人公の魅力にかかっている

小説のよしあしは主人公の魅力にかかっている

【かって『輪違屋糸里』を執筆するにあたり、私が
 最も苦慮した点はそれであった。幕末の京都島原
 を舞台に据えたこの物語には、男の視点がない。
 時代の傍観者であり犧牲者あるはずの女たちが、
 しまいには、歴史、そのものを造り出してしまう】

浅田次郎著『ま、いっか。』(48)

第1章 男の本音(48)
◇ふたたび花実双美◇(上)

小説のよしあしは主人公の魅力にかかっている

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Buenos Aires underwater (People wade through a flooded street after a rainstorm in Buenos Aires, April 2, 2013. REUTERS/Enrique Marcarian) 小説のよしあしは主人公の魅力にかかってい るといってよい。 かって『輪違屋糸里』を執筆するにあたり、 私が最も苦慮した点はそれであった。幕末の 京都島原を舞台に据えたこの物語には、男の 視点がない。 時代の傍観者であり犧牲者あるはずの女たち が、しまいには歴史そのものを造り出してし まう。 技術的にたいそう難しい小説だった。なぜな ら作者の私が男だからである。ましてや男を 愛するという趣味もまったくない。 女心を毛ばかりも理解せぬ典型的な日本人オ ヤジが、女性視点のみで上下巻の長編小説を 書こうというのだから、その難しさといった ら同じ新選組を素材とした『壬生義士伝』の 比ではなかった。 主人公は「糸里」という十六歳の娘である。 現実を傍観せず犧牲にもならず、このいたい けない少女がある決定的な場面に躍りこんで、 歴史の重大な局面を造り出してしまう。 構想は練り上げたものの、私は執筆のまぎわ まで彼女をはじめ視点者たる女たちの人間像 を捉えきれずに悩んでいた。 そもそも子供の時分からの文学三昧、ことほ どさように女を知っているわけではなかった。 連載開始も迫ったある日、糸里が育った島原 の置屋を取材した。今も文化財として保存さ れている「輪違屋」である。 かって太夫(たゆう)が起居したという二階 座敷の鴨居に、古い扁額がかかっていた。 ――花實雙美 花も実も双つ美し、読み下そう。 まったく思いかけずに、その言葉を読んだと たん小説ができ上がった。 」》 ■『輪違屋糸里』に「女たちの新選組」の副 題をそえると、どんな小説か想像がつくかと 思います。TBS系で2007年に2夜連続で放 送されて、糸里役は上戸彩が演じていました。 幼い頃、京都の輪違屋に売られ一流の芸妓に 成長した糸里と、新選組土方歳三は、初対 面でお互いにひかれあうようになります。 二人の関係を縦軸に、新選組の男たちに運命 をたくしながらも、力強く、必死に生き抜く “凛とした”女たちを描いています。 幕末の京都で攘夷派の志士や浪士たちを取り 締まる目的で、江戸から上ったきた新徴浪士 隊、のちの新選組土方歳三たちは、傍若無人な振る舞いから、 町民に怖れられていました。その土方が糸里 と出会うのです。 糸里は生まれてすぐ母親を亡くし、里親に育 てられ、六歳の時に女衒に連れられて京へ上 りす。 輪違屋に身を寄せた糸里は、舞いや鳴り物な どの芸事から、和歌、お茶の作法までを、辛 抱を重ねて身につけ、その頂点に立つ太夫の 位の手前まで成長していました。 糸里が十六歳になった夏、実の姉と慕ってい た音羽太夫が、浪士隊の芹沢鴨に無礼討ちと 称して惨殺されます。 度重なる芹沢の無軌道な行動に業を煮やした 京都守護職松平容保は、浪士隊隊長の近藤 勇や土方を呼び、芹沢を斬るよう厳命するの でした。 その芹沢が、ある日、土方に向かって、糸里 に心を寄せている芹沢の部下の平間重助と彼 女の仲をとりもつよう申し出たのです。 むろん、土方と糸里の関係を知った上での、 芹沢嫌がらせでした。 さて、土方の出方はいかに?。 ☆糸里役 上戸彩 ☆京都 島原 ☆京都 島原 (アップロード日: 2009/07/18) ☆輪違屋糸里 (Wachigaiya Itosato ) ・TBS系で2007年9月9日、10日に2夜連続(全2回)で放送 (アップロード日: 2010/03/15) 【Japanese Drama from September 9th to September  10th, 2007 by Tokyo Broadcasting System (TBS).  Starring: Ueto Aya as Wachigaiya Itosato  (Sakuragi-dayu) , and Ito Hideaki as Hijikata  Toshizo, among others.】 ☆輪違屋糸里 上 (文春文庫) 輪違屋糸里 上 (文春文庫) (つづく) (1354dys-854ent) (1355dys-854ent金)休〜(1357dys-854ent日)休 ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(48)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(206)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(24)△▼

・任侠界から来た男・(その4)

放射能? 関係ねえぺ。被曝ならもうみんなしてるって。
《「――ラッキーだったのは、部屋の冷蔵庫に鍵がかかってい たことだ。ゆっくり酒を飲もうと思えば外に出るしかない。 手当たり次第誘って飲みに出た。作業員のストレス解消法は、 酒か博奕か女かである。20歳から20年、福島の原発で働い てきたベテラン作業員が嘆く。 「もうどうしようもないっぺ。どうやって収拾付けたらいいの か、電力も東芝も、正直言えばわかんないんじゃないの。嫁さ んかい? 行くなとは言わない。働かないと飯食えない。放射 能? 関係ねえぺ。被曝ならもうみんなしてるって。作業員だ けじゃない。みんなそうだ」 彼の見解には信憑性があった。1F(東京電力福島第一原発) での作業は、あくまで外堀を埋めているだけで、本格的な復旧 作業は手つかずなのだ。 とりあえずの冷温停止には、めどが付いている。トラブルがな ければ成功するだろう。が、そのあとが問題である。 巨大なドームで建屋を覆ったところで、根本的な対策にはほど 遠い。 9月、1号機の原子炉建屋対策に、東電が新兵器を開発した。 鉛と鋼鉄で作られた特別装甲車で、これに乗って作業員がぎり ぎりの地点まで近づき、そこから遠隔操作のロボットを使って 作業をするのだ。 試作品のテストが失敗した。5・5トンも重量があり、上手く 走らないのだ。 ――」》 ☆福島第1原発4号機  ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型 もんじゅに「特定安全施設」方針 規制委、テロや災害対応 【福井新聞】(2013年4月4日)  原子力規制委員会は3日、日本原子力研究開発機構の高速増殖 炉「もんじゅ」(敦賀市)に対し、商業用原発軽水炉)と同 様、大規模自然災害やテロにも対応できる緊急時制御室や原子 炉冷却設備を備えた「特定安全施設」の設置を要求する方針を 決めた。 もんじゅ運転の際に要求する新たな基準案に盛り込む。基準案 は4月中にまとめるが、7月の基準施行段階では、軽水炉の基 準をベースにした内容が中心となり、高速増殖炉特有の基準は 中長期的に検討する。 特定安全施設は万一の事故の際にも、溶け落ちた核燃料の冷却 のほか、原子炉格納容器の破損を防止し、放射性物質の拡散を 防ぐ狙いがある。もんじゅは水に触れると爆発的に反応するナ トリウムを冷却材に使うため、同施設の整備も軽水炉とは違っ た対応が求められる。 ⇒⇒⇒■◇■記事全文へ続く ▼「もんじゅ」に対し、商業用原発と同様に、「特定安全施設」 の設置を要求するのは当然としても、在来の状態でも満身創痍 ではないか、どうしようというのだ。 「もんじゅ」は試運転中の1995年12月にナトリウム漏洩 ・火災事故を起こして停止、2010年5月、14年ぶりに試 運転を再開したのも束の間、8月には炉内中継装置の脱落事故 で再び停止しました。 実用化は、一応2050年とされていますが、これまで延期に を繰り返しており、実用化のめどは全く立っていません。 開発に1兆円以上もかかり、停止中でも維持費が年間二百数十 億かかっています。どんな神経の人たちが、関わっているいる のでしょうか。 ☆もんじゅ
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(172)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第四章「植民地」としての沖縄〈33〉・

・沖縄は眠ってなどいなかった・(その2)

日本人が、沖縄のことを無視しても生きてこられたのは、
《「――一ここでは沖縄の人々の意思はまったく無視されてお り、沖縄の人々の生活、その運命を日米両国民が決定するのは 当然とするパターナリズムが、その暴力性に気づいているのか、 いないのか、いささかの躊躇もなく表明されている。 しかし、もちろん沖縄は寝ていたわけではなかった。 沖縄が寝ていたなどと思っていたとすれば、それはまさに、植 民者である日本人が、沖縄のことを無視しても生きてこられた、 沖縄のことを知らなくとも、生きてこられたという、その特異 性を表しているのである。 そもそも、鳩山民主党が新たに移設問題をつくり出したかのよ うに思いこんでいること自体、それまでまったく沖縄の基地問 題に関心を向けていなかったことの証左である。 沖縄のは眠ってなどいなかった。戦後ずっと、そうであった。 そのことを知らないこと自体、まさに植民地主義そのものなの だ。                     (・第四章「植民地」としての沖縄) ―」》 ☆「美ら海(ちゅらうみ)」名護市辺野古    ■政府施策に批判噴出 菅氏へ県内報道各社 【琉球新報】(2013年4月4日) ・県内マスコミ各社を訪問し、普天間飛行場 県内移設や「主権回復の日」式典に理解を 求める菅義偉官房長官=3日午後、 那覇市琉球新報社 菅義偉官房長官は3日午後、那覇市内の地元新聞社、テレビ局 を相次いで訪れ、各社代表と意見交換した。報道機関側からは 28日の政府主催の「主権回復の日」式典開催への疑義や、米 軍普天間飛行場の県内移設に対する批判なども相次いだ。 官房長官が特定の政策テーマをめぐり地方報道各社を訪問する のは極めて異例。基地問題で反発が強まる沖縄の世論を和らげ たいとの思惑がにじんだ。 しかし、菅氏はこれまでの政府説明の繰り返しに終始。地元に 寄り添う姿勢を強調し、政府の沖縄施策への理解を求めたが、 政府と県民との受け止めの相違が浮き彫りなった形だ。 ⇒⇒⇒■◇■記事全文へ続く菅義偉官房長官が訪れた県内マスコミ各社: ◎琉球新報社の富田詢一社長 ◎沖縄テレビ放送の宮城真一専務 ◎沖縄タイムス社の武富和彦編集局長 ◎琉球放送小禄邦男最高顧問 なお、◎琉球朝日放送は菅氏の訪問を非公開としました。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・不可能か可能か議論する春画     野田 夢の市
・美人の湯行ってきたんじゃなかったの 福岡 横松真一
・あの水着なんでビキニと言うだろ   半田 仏の徳
   

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

         堀口大學 
・泥鼠(どろねずみ)・
泥田の中の泥鼠 泥にまみれて日を暮す おのれ故このおのれ故 ああ 人生は退屈だ 太陽よ 太陽よ 桃色の太陽は 呼びかけても答へない 聾(つんぼ)で不親切な 電話交換手 ああ 何と混線とお話中と 人生に多いことだ 山の端に美しい月が出て 世は銀色の夜となる 泥田の中の泥鼠 牝を抱いて寢てしまう      (新しき小徑) ※堀口大學 (1892年1月8日 - 1981年3月15日) 東京生れ。外交官の父に従い十数年間海外に暮す。 フランス語に精通し訳詩文に多大の業績あり。 「月下の一群」は昭和詩壇に影響を与え、「夜ひ らく」は新感覚派出現の動機となった。創作詩集 「月光とピエロ」「砂の枕」「新しき小径」など。 ※Wikipedia:堀口大學

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)侏儒の言葉(遺稿)◇
・処世術・
最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因 襲と矛盾せぬ生活をすることである。
・女人崇拝・
    「永遠に女性なるもの」を崇拝したゲエテは確かに仕合せもの の一人だった。 が、 Yahoo の牝(めす)を軽蔑したスウィフトは狂死せずには いなかったのである。 これは女性の呪であろうか? 或は又理性の呪いであろうか? ※ Yahoo ヤフー。スウィフトの『ガリバー旅行記』の中に出て 来る動物。人間の形をした狡猾な獣。ガリバーは帰国後も妻子が ヤフーに見えて食事ができなかったと書かれている。                         〈125〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

彼のどこがいいのかね。
I wonder what you see in him.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は昨年4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

泉にて(At the Fountain)
〈1892年 ミルウォーキー美術館、ミルウォーキーウィスコンシン州、米国〉
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Natalie Cole - So Many Stars (Ask a woman who knows Live) (アップロード日: 2010/09/14) 【So Many Stars performed live by Natalie Cole Buy Ask a woman who knows DVD on: http://www.amazon.com/Natalie-Cole-As...】 ☆ナタリー・コール ナタリー・コールNatalie Cole、Stephanie Natalie Maria Cole) シンガーソングライター。ナット・キング・コールの実娘。 〈1950年2月6日 - 〉 ★Wikipedia:ナタリー・コール