紫外線を厭う人々と愛する人々の合理的な説明はつかない

紫外線を厭う人々と愛する人々の合理的な説明はつかない

【欧米人で肌が灼けているのは、南の島でバカ
  ンスを過ごしてきたという意味で、要するに
  おのれがセレブだと自慢するために、たまの
  休みにはできるだけ太陽を浴びるのだそうだ】

浅田次郎著『ま、いっか。』(44)

第1章 男の本音(44)
◇肌か心か、心か肌か◇(中)

紫外線を厭う人々と愛する人々の合理的な説明はつかない

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇ ◇China Fashion Week {] (A model presents a creation for Hempel Award 21st China International Young Fashion Designers Contest, at China Fashion Week in Beijing, March 25, 2013. REUTERS/Jason Lee) まことしやかに流布している説に、こういう ものがある。 欧米人で肌が灼けているのは、南の島でバカ ンスを過ごしてきたという意味で、要するに おのれがセレブだと自慢するために、たまの 休みにはできるだけ太陽を浴びるのだそうだ。 まさかそんなはずはなかろう、と私は思う。 たかだかのミエが、シミや癌の恐怖を超克す るわけはない。したがってこれは仮説の域を 出ない。 また一方で、こんな説も聞く。 欧米人は日常生活で紫外線が少ないので本能 的な太陽信仰があり、このときとばかりに肌 を灼くのだそうだ。 やはり説得力に欠ける。この説に従って決定 的に紫外線が不足する白人の国を挙げるとし たら、北欧かせいぜいドイツ、ロシアの一部 ぐらいであろう。 だとするとワイキキの浜辺で一日中干物にな っているアメリカ人や、ゴールドコーストの オージーたちは何ものか。 ましてや太陽信仰を言うなら、天照大神を戴 く私たちは何ものかという疑問も生じる。 つまり紫外線を厭う人々と愛する人々の合理 的な説明はつかないのである。しいて言うな ら美学のちがい、あるいはそうと信じる健康 法のちがいであろうか。 」》 ■一九八〇年代後半のバブル経済華やかなり し頃、銀座のホステスのあいだで、冬場にハ ワイへ行って、肌を灼くのが流行ったことが ありました。ホステスたちは、肌の妬け具合 を競い合っていました。 私も、ある夜、一応は客の外交辞令として、 あるホステスに、 「よく、灼けてるね、ハワイへいってきた」 とお世辞をいいました。 そしたら、そのホステスは憮然として、 「アカプルコよ!」 とのたまうのでした。そんじょそこらのハワ イ行きとは、ちがいますわよ、ということ。 憧れは、遠きにあるほど、ふくれあがります。 アカプルコは、アメリカ映画でみていて、私 も憧れていました。 後年、機会にめぐまれてアカプルコへ行くこ となりました。結論をいいますと、シーリゾ ートとして、ハワイのほうが、アカプルコよ り上等です。 アカプルコで、見たのは、虚栄と貧困の背中 合わせです。ホテルの前の通りの道端で、乳 飲み子を膝にのせたお母さんが、ガムを売っ ているのですが、それがバラにした一枚、一 枚のガムを売っているのです。それで、なん ぼになることか。 そして、見てはいけない光景をみてしまいま した。私は、ぼんやりと水着オンパレードの ビーチに座っていました。 7歳くらいの女の子と5歳くらいの男の子が 私の前を通り過ぎようとしたとき、男の子が いきなり、しゃがんで、砂に中に落ちていた ピーナッツの一粒を拾って、口に入れようし たとき、おねいさんは、私の視線に気づいて、 弟の手を払って、その一粒のピーナッツを捨 てさせたのです。 その誇り高きおねいさんは、いま、どうして いるかなと思うと、胸が張り裂けそうになり ます。そして、虚栄の罪を深く覚えます。。 ☆Acapulco Mexico ☆Acapulco Cliff Divers (アップロード日: 2006/04/17) 【A double cliff dive in Acapulco Mexico 2006】 (つづく) (1346dys-850ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(44)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(202)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(20)△▼

・刺青を彫った作業員・(その3)

刺青を彫った作業員は想像以上に多かった
《「――作業員の話を訊きたいと熱望していた私は、過剰なほ どフレンドリーに振る舞い、あらゆる人間に話しかけた。 同じ会社の作業員はもちろん、現場に出ている東電社員やプラ ントメーカー社員をはじめ、他の会社の作業員にも積極的にア プローチした。とはいえ、ゆっくり話す機会はあまりない。 午前5時に旅館を出発し、汗だくになって作業をした後、旅館 に戻るのは午後2時を過ぎている。経費節減のためか部屋の浴 室は使えず、大浴場で風呂につかる。世間話をするにはうって つけの場所である。 刺青を彫った作業員は想像以上に多かった。会社によっては作 業員の半数近くが刺青を入れていた。 一般的に刺青=暴力団という認識が定着しており、浴場の脇に も「刺青・タトゥーを入れた方の入浴はお断りいたします」と いうプレートがあった。当然、旅館側の要望は完全無視だ。 全身に和彫りの刺青を入れていた作業員に「昔、ヤクザだった んですか?」と訊いた。私服、装飾品、車なども暴力団テイス ト満載だったからだ。 「俺も昔はやんちゃやったからさぁ〜」 数分世間話をして、暴力団とは無関係と確信した。組織の名前 や近隣の親分の名前を出しも、それっぽいことは言うが、返答 が曖昧すぎる。調べてみるとごく最近刺青を入れたらしく、暴 力団に対して憧れを持っている人間と分かった。 ――」》 ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型 ■このところ、毎日新聞がシリーズで、原発容認に向けた「プ ロパガンダ(思想宣伝)」を取り上げていますが、悪質な妨害 に負けることなく真相に肉薄してほしい。記者諸君が挫折しま せんように祈願しています(この意味分かります?)。 原発報道に関しては、情報隠蔽に加担してきた記者クラブメデ ィアの旧態依然が、いまだ、殻を破っていないのもガンです。 日本の電力会社10社の連合体である「電気事業連合体」から、 メディアに、長年にわたり広告費1位の年間約800億円もの 広告が出稿されていました。これで、メディアの経営者は、頭 が上がらのです。 ちなみに、広告費2位のパナソニックが約700億円、トヨタ でさえ、約500億円ですよ。いったい800億円はどこに使 われのか、分かったもんではない。マフィアに殺し屋だって頼 めます。 ところで、NHKのイケメン男性アナが4月1日付で退職しま す。看板番組「ニュースウオッチ9」のリポーターや、32歳 の若さで「Bizスポ」の総合司会に抜擢されるなど輝かしい 経歴を持つ堀潤氏(35)です。 NHKの石田研一放送総局長は記者会見で、堀アナの退職につ いて「突然辞めたので驚いた。本人の強い希望」と白々しく語 っていましたが、退職に追い込まれたのは、ほぼ間違いないで しょう。堀アナは福島原発事故後、ツイッター原発事故をめ ぐるNHKの報道姿勢を批判していたからです。 なお、堀氏、昨年春から留学した米国・UCLAで、反原発ドキュメンタリー映画『変身』を制作し、現地で市民向け上映 会を企画したところ、NHKに認められなかったそうです。 ☆「Bizスポ」は、私にとって必見の番組
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(168)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第四章「植民地」としての沖縄〈29〉・

・可視化されたからこその「感謝」表明・(その1)

日米安保体制から利益を得てきた安保マフィアの逆襲
《「――一鳩山首相とその政権の意志と能力、そして準備の如 何によっては、ほんのわずかでも植民地状況を改善に向けて動 かすことができたかもしれない。 「ほんわずか」というのは、普天間基地が沖縄外に移設された としても、沖縄の負担は七四パーセントから一・六パーセント しか減らないからだ。 その「ほんのわずか」でさえ動かそうとすれば、既得権益勢力 からの猛烈な逆襲によって蹉跌を余儀なくさせられるのだ。 政権交代後、鳩山首相が県外移設の方針を捨てないと見るや、 日米安保体制から利益を得てきた安保マフィアといわれる勢力 をはじめ、政権与党の民主党のなかからも、国外移設や県外移 設といったことは夢物語であって、そのような方針にこだわる ことは日米同盟関係を危うくするものだという論議が強まった。 日本のマスメディアのほとんだが、戦後日本の基軸であった日 米同盟関係を揺るがしかねないとして危惧を表明し、反対キャ ンペーンを張った。 そうした鳩山包囲網のなかで、日本の政治のリーダーである首 相自身が孤立して追いつめられていく流れがつくりだされてい った。 ―」》 ☆「美ら海(ちゅらうみ)」名護市辺野古    ■自民小池氏、沖縄メディアを批判 【沖縄タイムス】(2013年3月27日) 【東京】自民党小池百合子元防衛相は26日の党の国防部会 ・安全保障調査会合同会議で、沖縄の議員らが米軍普天間飛行 場の移設に対する思いを訴えたことを受け「沖縄の先生方が闘 っているのは沖縄のメディア」と述べ、報道が県内移設に反対 する論調をつくっているとの考えを示した。 小池氏は「あれ(地元メディア)と闘って今回も当選されてき たということは、沖縄のメディアが言っていることが本当に県 民をすべて代表しているとは、私ははっきり言って思わない」 との見解を示した。 これを受け、県選出の国場幸之助衆院議員は「(闘っているの は)沖縄のメディアじゃない。日本国民として安全保障を真剣 に考えていただきたい。メ ディアうんぬんではなく、沖縄の問題でもなく、日本として自 立した国家としてアメリカとの関係をいかにして構築していく か最大限の共通認識として国防部会で持ってほしい」と訴えた。 ▼小池百合子氏は、2008年(平成20年)の、中国製ギョーザ中 毒事件に関連して、「自殺願望の人が農薬を口にしたが偽装農 薬で死ねず、良かったといってお祝いでギョーザを食べたら死 んでしまった」といったジョークを述べたことがあります。 政治家が、メディアのせいにしたら、オシマイだ。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・石仏春はやさしい顔になり     神戸  北村行生
・目を見てというが鼻毛が気にかかり 西東京 丁の字
・金貸したやつを見舞って安心し   北九州 西村文隆
 

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

        萩原朔太郎 
・猫・
まつくろけの猫が二疋 なやましいよるの家根のうへで ぴんとたてた尻尾のさきから 絲のやうなみかづきがかすんでゐる。 『おわあ こんばんは』 『おわあ こんばんは』 『おぎやあ おぎやあ おぎやあ』 『おわああ ここの家の主人は病氣びょうきです』 (月に吠える) ※萩原朔太郎 (1886年11月1日 - 1942年5月11日) 詩人。前橋市生まれ。慶應義塾大学予科中退。 大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本 近代詩の父」と称される。 ※Wikipedia:萩原朔太郎

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)
・作家・(2)
     又 文を作らんとするものの彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自 身を恥ずる心の上には如何なる独創の芽も生えたことはない。    又 百足 ちっとは足でも歩いて見ろ。   蝶 ふん、ちっとは羽根でも飛んで見ろ。    又 気韻は作家の後頭部である。作家自身には見えるものではない。 若し又無理に見ようとすれば、頸の骨を折るのに了(おわ)る だけであろう。    又 批評家 君は勤め人の生活しか書けないね?   作家 誰か何でも書けた人がいたかね? 〈121〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

彼女は細かいことによく目が届く。
She has a good eye for detail.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

孤独(Solitude)
〈1890年 メアリーヒル美術館、ゴールデンデイル、米国〉
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Billie Holiday - All or nothing at all (アップロード日: 2011/09/13) 【All or nothing at all】 ☆ビリー・ホリデイ ビリー・ホリデイBillie Holiday) 〈1915年4月7日 - 1959年7月17日〉 ★Wikipedia:ビリー・ホリデイ