内実の教養というものは遠い昔から普遍の価値である

内実の教養というものは遠い昔から普遍の価値である

【どうも近ごろは見た目にばかり囚われて中味
 のない人間が多いようであり、当然のごとく
 社会で浮遊してしまう彼ら彼女らが友や恋人
 に次々と去られて、わが宿命を慨嘆している
 ようである。私のどこが気に入らないのかし
 ら、と。私には何ひとつ落度がないのに、と】

浅田次郎著『ま、いっか。』(39)

第1章 男の本音(39)
◇行く夏の庭にて◇(下)

内実の教養というものは遠い昔から普遍の価値である

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇ ◇Cross-country skiers (Cross-country skiers start during the Engadin Ski Marathon on the frozen Lake Sils near the village of Maloja, Switzerland, March 10, 2013. More than 12,000 skiers participated in the 42.2 km (26.2 miles) race between Maloja and S-chanf near the Swiss mountain resort of St. Moritz. REUTERS/Michael Buholzer) このごろ、人は見た目が何割というような思 想が横行しているようであるが、世の人が惑 わされてはならぬと思う。 それは私が若い時分、一九六〇年代にかけて マクルーハンが展開したメディア論の中です でに語りつくされていた。 たしかにその後の世の中の推移を見ると一理 もニ理もあったのだが、社会ではなく個人の 人生を基軸として考えれば、さほど説得力は ない。 容貌もしくは容貌のもたらすイメージによっ て形成された関係を長く持続できるほど、現 代人は審美的ではなく、また肝心の美の基準 についても、ほんの一年か二年の間にころこ ろと変わってしまうのだから、追求するのは 不可能であろう。 しかし内実の教養というものは、遠い昔から 普遍の価値である。 人類史上最も審美的であった古代ギリシャ人 ですら、その内実の教養を美の一部と考えて いた。 そうこう思えば、どうも近ごろは見た目にば かり囚われて中味のない人間が多いようであ り、当然のごとく社会で浮遊してしまう彼ら 彼女らが、友や恋人に次々と去られて、わが 宿命を慨嘆しているようである。 私のどこが気に入らないのかしら、と。 私には何ひとつ落度がないのに、と。 しかしどれほど非情な友人でも恋人でも、ま さか面と向かって、「君はつまらない」とは 言うまい。 夏の日は昏れた。 やがて読書の秋である。   (『MAQUIA』二〇〇七年十月号) 」》 ■たしかに、長い間付き合っていて、「君は つまらない」なくはないと言える人は、読書 とは限らず、なんであれ、その物事に絶えず 研鑽を積んでいます。会うたびに、話題が新 鮮で、会う前から、期待でワクワクする人な んです。 さて、池田理代子さんが、東京音楽大学声楽 科に入学したと、知ったとき、私はびっくり してしまいました。 劇画「ベルサイユのばら」の著者が、47歳 にして音大声楽科の学生になったのです。 すでに、劇画家として名を成していたのに、 こんどは声楽家として活躍するには、ものす ごい血のにじむような努力をしました。 45歳で、音大受験を決意し受験勉強を始め、 2年後には音大生となり(1995年)、4年間、 学生生活を送ります。 実は、池田さんは、40歳から更年期障害に 悩まされ、残りの人生について深く考えるよ うになったのです。 そして、子どものころからやってみたかった ことをリストアップして、今ならまだできる こと、死ぬまでにぜひとも実現したいことを じっくり検討したのでした。 リストの中には、キャビン・アテンダントも ありましたが、これは年齢的に無理。そして 音大生になる夢に賭けたのでした。 人間の記憶力は加齢によって衰えるのもので はなく、しかも、理解力は増進・進歩するこ とを体験します。 40は人生の後半生のスタートラインでもあ あります。後悔しない生き方というのは、あ り得ないないけれど、死ぬときに納得して死 ねるように、だれでもきっと夢があるはず。 人生経験を経た今、いったん諦めるところを、 諦めない人生は始まるのです。努力すること が身上と語る池田さんです。 池田さんは、作品の中でこんなことも言って います。 ――― 人間というのは、決して幸福になるために、 この世に生まれてくる訳ではないということ だ。人間は、ただこの生を生きるために生ま れてくるのだ。 それを誤解して、幸福になることが人生の意 味であるかのように思い込むところから、す べての苦しみが始まる。 幸福になることを目標に置くことは決して悪 いこととは言わないが自分が幸福になるため にこの世に生まれてきたのだなどとは、ゆめ 思わないほうがいい。 そうすれば過度な期待を抱いて苦しむことも ないだろうし、不当な仕打ちをした他人を恨 むこともなくなるだろう。 ――― 池田さんの、この間の事情は著書『あきらめ ない人生』に詳しいです。 ☆池田理代子さん ・1947年、大阪生まれ。東京教育大学(現・ 筑波大学)文学部哲学科中退。東京音楽大学 声楽科卒。劇画家、声楽家東京教育大学在 学中より劇画を描き始める。1972年から連載 を始めた『ベルサイユのばら』で一躍脚光を 浴び、その後、次々と話題作を発表。1980年、 『オルフェウスの窓』で第9回日本漫画家協 会賞優秀賞受賞。1995年、47歳にして東京音 楽大学声楽科に入学、1999年卒。故・東敦子 氏に師事。日本ペンクラブ会員。 ☆あきらめない人生―ゆめをかなえる  四〇からの生きかた・考えかた あきらめない人生―ゆめをかなえる四〇からの生きかた・考えかた (つづく) (1337dys-845ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(39)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(197)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(15)△▼

・敷地内の喫煙・(その5)

次の扉が開くと、ようやく全面マスクを外せる
《「――ついでに、現場から戻った作業員の手順を紹介したい。 作業員はまずヘルメットをプレハブ小屋に戻し、係員の指示に 従ってひとつ目の扉を開ける。 安全靴を脱ぎ、1枚目のゴム手、継ぎ目を塞いだテープを外し、 タイペックを脱ぎ捨て、次の扉が開くと、ようやく全面マスク を外せる。 マスクは透明のビニール袋のしまわれ、帽子や綿手、1枚目の 軍足を捨て、肌着になったあと、ビニール袋に入ったマスクを 持って検査員の前にたつ。 常時4人ほどの検査員がいて、それぞれの前に並んだ作業員を 一人ずつ、頭の先から足の裏まで汚染を計り、最後にマスクの 汚染をチェックする。 マスクは現場作業中、常に外気に触れている。もっとも汚染す るのがマスクだ。が、勤務初日から解雇されるまで、全面マス クが作業途中で交換されたことは一度もなかった。 表面汚染の結果も多くて200前後にとどまり、IAEA(国 際原子力機関)の汚染の目安は10万カウントだから、まった く汚染していないと言っていい。 ――」》 ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型 ■メディアの取り上げ方、政治家に都合のよいものばかり 今日発表の毎日新聞の全国世論調査によれば、安倍内閣の支持 率は70%に達し、2月の前回調査から7ポイント上昇して、 「支持しない」は5ポイント低下し、14%でした。おめでた いもんです。銀座通りで、提灯行列でもやったらどうしょうか。 ひとつ救いなのは◆原発の安全規制の権限を持つ原子力規制委 員会は7月に新安全基準を施行で、安全基準が満たされても、 再稼働を「認めるべきではない」との回答は52%を占め、か たや「認めるべきだ」(42%)を上回っており、依然として、 根強い原発不信が浮き彫りになったことです。 さて、安倍政権の原発政策は「できる限り依存度を低減する」 と原発の新増設にも含みを持たせ、原発の使用済み核燃料の再 処理事業は継続する方針です。 日本の核分裂プルトニウム保有量は国内外に約30トン。長 崎型原爆数千発分に相当する。青森県六ケ所村の日本原燃再処 理工場が完成し本格稼働すれば、プルトニウムは年約5トンず つ増えていきます。 こうして生まれたプルトニウムの使い道として、電気事業連合 会は国内16?18基の原発で燃料として使う計画(プルサー マル)ですが、事故で廃炉が決まった東京電力福島第1原発3 号機や、活断層の存在が指摘される日本原電敦賀原発2号機な どが含まれ、30年までに運転40年を超える原発も他に7基 あります。 今後の再稼働が見通せない現状は、末期的な病状なのに、平然 と構えている連中の神経が理解できません。
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(163)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第四章「植民地」としての沖縄〈24〉・

・無意識の植民地主義・(その5)

沖縄人はいつも犧牲で、日本人はいつも利益を奪取している
《「――一「沖縄人にだけ米軍基地の負担を押しつけるのでは なく全国民で負担しよう」と真剣に主張する日本人はほとんど 皆無だ。 それもそのはず。沖縄に米軍基地を集中させることは、沖縄人 を犧牲にすることによって日本人が負担を逃れる方法であり、 まぎれもなく日本人の利益となる。 したがって両者の関係をあたかも自然現象のように「温度差」 などと表現するのは日本人に都合のよいだけの大嘘だ。 現実は正反対の利害関係であって、沖縄人はいつも犧牲で日本 人はいつも利益を奪取しているのだから、植民地主義的関係に ほかならない。(野村浩也『無意識の植民地地主義』) この植民地主義的関係は、意識的というよりは無意識的である がゆえにいっそう厄介なものである。 ―」》 ☆「美ら海(ちゅらうみ)」名護市辺野古 辺野古浜通信より   ▼漢那小4年の新川秀治君は「騒音で授業に影響があり、……」 ■静かな生活返せ オスプレイ撤去訴え区民大会・宜野座城原 【琉球新報】(2013年3月18日) オスプレイの訓練即時中止などを求め、 ガンバロー三唱する城原区民ら  =17日、宜野座村城原 【宜野座オスプレイ配備以降、集落付近で低空飛行や夜間訓 練が繰り返されている宜野座村城原区のオスプレイ撤去区民総 決起大会(同実行委員会主催)が17日、同区公民館で開かれ た。 区民ら約120人が参加した大会では「静かな生活を取り戻す」 として、(1)城原空域での訓練即時中止(2)着陸帯の即時 撤去―を求める決議を採択した。宛先は首相や米大統領ら6者。 城原区は当真淳村長と協力し、県外には郵送、近く在沖米軍や 沖縄防衛局には直接決議文を手渡す。   大会には区民の半数近くが参加。主催者を代表し、大嶺自孝区 長は「昼夜を問わない騒音と震動で区民は耐え難い苦痛を受け ている。被害が日常化することに激しい憤りを覚える」と厳し い現状を指摘した。   小学生から老人会、行政委員まで、各層の代表が登壇。漢那小 4年の新川秀治君と稲嶺結さんは、騒音で授業に影響があり、 「5年、10年たってもオスプレイが出て行かない限り、この 運動はやめません」と述べた。   集落で着陸帯に最も近い場所に住む泉忠信さんは「オバマ大統 領、アメリカに持って帰ってください。安倍首相、オスプレイ の飛ばない平和な地域をつくってください」と呼び掛けた。  

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・死にたいと言うくせにカツラ新調し 堺  山本秀毅
・今日の品復唱しないレジで買う   諫早 シオマネキ
・全員が合格祈願困る神       福山 石田直
 

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

        佐藤惣之助 
・わが家の下婢(かひ)・
すでにかの女は ふしぎな野山の匂ひをもち 夜半の 發光する奇蹟をたつぷり身にふくむでゐるやうな 眼をひかり のろり、のろりと家の深みを歩いて どこかあいらしい鬼狐の友だ。 瓜をたべると ものの隅に跼(うづくまり、髪をたれて もう夢を見てゐる 幼いやうな、悲しいやうな だんまり、むつつり うしろは、へんに茂つた ふかい田舎の歴史がぼうぼう どこかに泥をふくむで ぢつとしたかの女は もう 梢に半月をもつた宵よいの梟である。            (情艶詩集) ※佐藤惣之助 (1890年12月3日 - 1942年5月15日) 詩人、作詞家。神奈川県川崎市出身。佐藤紅緑に師事 し俳句を学び、1916年(大正5年)に最初の詩集である 『正義の兜』を出版。1933年(昭和8年)1月、妻の花 枝が死去。同年、詩人萩原朔太郎の妹、萩原愛子と再 婚。作曲家、古賀政男と組み多くの楽曲を世に送り出 す。なお、川崎信用金庫本店の所在地が佐藤惣之助の 生家跡であり、同店敷地内に「佐藤惣之助生誕の地碑」 が建てられている。 ※Wikipedia:佐藤惣之助

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)
・幼児・
我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は 少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である。    又 我我の恬然(てんぜん)と我我の愚を公にすることを恥じないの は幼い子供に対する時か、――或は、犬猫に対する時だけである。                       〈116〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

きっと彼女は遅れてるんだよ。
She must be running late.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

チモーネとイフィジェニア(Cymon and Iphigenia)
1884年 ニュー・サウス・ウェールズ美術館、シドニー
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆PEGGY LEE - Johnny Guitar (アップロード日:2009/09/25) 【Peggy Lee】 ☆ペギー・リー ・ペギー・リー(Peggy Lee) 〈1920年5月26日 - 2002年1月21日〉 ★Wikipedia:ペギー・リー