昔から長く交わりの続いている友人はみな読書家

昔から長く交わりの続いている友人はみな読書家

【読書すると美しくなるという説があるけれど、それは
 少々詭弁であろう。ただし友情や愛情を持続するにふ
 さわしい、面白みのある人間になることはまちがいな
 い。つまり活字に親しんでいない人は、よほど天性の
 キャラクターを持ってでもいない限り、話材にこと欠
 き、思慮も浅いので、長い間に飽きてしまうのである】

浅田次郎著『ま、いっか。』(38)

第1章 男の本音(38)
◇行く夏の庭にて◇(中)

昔から長く交わりの続いている友人はみな読書家

《「 ◇Animal friends (BoonLua, a long-tailed macaque, lives with Toby, a rabbit, in Ayutthaya province about 80 km (50 miles) north of Bangkok September 6, 2008. BoonLua, the six-year-old wild monkey, lost both its legs and one arm during an attack by dogs three years ago. It dragged itself to a nearby temple where it received medical treatment and survived. He now lives in a custom built enclosure with the rabbit. REUTERS/Sukree Sukplang) さほど冷淡な性格ではないと思うのだが、な ぜ「何だか冷めっちゃった」のか「何だかつ まらなくなっちゃった」のか、ここはおのれ の人生を顧みる必要があると考えた。 そこでかなり独善的な結論を見たのである。 あくまで私の場合であるが、昔から長く交わ りの続いている友人はみな読書家で、いっと きは仲が良かったものの別れてしまった人は、 みなそうではなかった。 読書すると美しくなるという説があるけれど、 それは少々詭弁であろう。ただし友情や愛情 を持続するにふさわしい、面白みのある人間 になることはまちがいない。 つまり活字に親しんでいない人は、よほど天 性のキャラクターを持ってでもいない限り、 話材にこと欠き思慮も浅いので、長い間に飽 きてしまうのである。 まさか口には出さぬが、私は内心「何だか冷 めちゃった」「何だかつまらなくなっちゃっ た」と呟いた、その「何だか」という得体の 知れぬままの真相は、それであったような気 がする。 また一方、おたがいに文句を言い合いながら いつまでも続いている友人が多くいる。いわ ゆる「腐れ縁」である。 彼ら彼女らの共通点はみな読書家で、性格の よしあし、相性のよしあしにかかわらず、け っしてつまらない人間ではない。飽きないか らこそ永遠の友なのである。 はたしてこれは、読み書きを生業(なりわい) とする私の個人的な人生観であろうか。 」》 ■本を読むという欲求は、人間の本能に根ざ した性質ではないかと思います。 あのクレオパトラも大の読書好きでした。当 時、クレオパトラが住んでいたアレキサンド リアは商業で栄え、世界一の文化都市でした。 そこに世界唯一世界最大の図書館があったの です。ここには、世界中から文物が集められ ていました。 クレオパトラはこの図書館に毎日通い、王族 や学者、一部の商人などと共に、本を読んで いたのです。 クレオパトラが成長し弟と王権を争うまでに なった時、エジプトにローマ軍が進駐してき ました。   当時の軍司令官が、例のジュリアス・シーザ ーでしたが、もともと軍人ですから、軍事の 知識はあっても、教養となると、まことにお 粗末なものでした。 クレオパトラからみれば、辺境の地ローマか ら、やってきた武骨な一介の男でしかありま せんでした。しかし、いやしくも占領軍の司 令官ですから、表向きは従わなくてはなりま せんでした。   最初、シーザーは、エジプト支配のために、 クレオパトラをうまく利用しようとしたので すが、たちまち、その聡明さ、教養の高さに、 魅了されてしまいました。 なにしろ、クレオパトラの教養は、世界最高 の知識の殿堂アレキサンドリア図書館にバッ クアップされていたのですから。   そうこうしているうちに、アクティウムの海 戦が勃発。シーザーの船団、22隻の3層櫓 の軍船、50隻のガリー船、船台の38隻が 炎上。 この火災によって港の小麦倉庫から、ついに はアレキサンドリア図書館が炎上してしまい ました。この王立図書館の蔵書は、50万冊 〜70万冊といわれて世界最古の最大規模の 図書館でした。   クレオパトラは、王宮のテラスからアレキサ ンドリア図書館の炎上を目の当たりにして、 シーザーに消火するように懇願しますが、国 王軍や暴徒と化した市民の中ではどうするこ とも出来ませんでした。 図書館の蔵書の中にはエジプト史があり、紀 元前3000年頃からの王朝から前332年 のアレキサンダー大王までの歴史書があって、 古代の英知を収録した図書館が灰塵に帰して しまったのでした。 「美女のうらに読書あり」、これ、私の言葉。 ☆クレオパトラ(紀元前69年−前30年) (つづく) (1333dys-844ent) (1334dys-844ent休)金〜(1336dys-844ent休)日 ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(38)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(196)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(14)△▼

・敷地内の喫煙・(その4)

工程表を実現するためなら、この程度の不正は見逃していい
《「――どうせ規約を破るなら、命に関わる水を持ってくるの が合理的だ。が、作業員の価値観では、水はご法度、タバコは オッケーだった。 原発作業員の感覚に戸惑って、飲み終えた容器は再びポケット にしまった。すぐ横では、他社の作業員が全面マスクを装着し、 こちらを見ないふりで機材の片づけをしていた。ここはトイレ もあって、小便なら可能だ。 なぜ喫煙室のあるシェルターに戻らないのか? 現場に出た人間なら、装備の着脱でかなり疲労することが理解 できるだろう。作業の合間、5〜10分程度、椅子に腰掛け、 タバコを一服したい。そんためにわざわざシェルターに戻るの は効率が悪すぎる。 工程表を実現するというなら、この程度の不正は見逃していい。 それに7月、8月の放射線量は、事故当時の3月、4月、5月 の3ヵ月と比較してかなり低かった。 ただ、以前から構内でタバコを吸っていた作業員は、内部被曝 を測定するホールボディの結果が高く、途中、上会社の2人が 待機となっている。 当月の線量が低く、さほどの汚染がないだろうことは、全面マ スクの扱いをみるとわかりやすい。マスクはそのままシェルタ ーの中に持参し、再びその同じマスクを装着して現場に出る。 休憩を挟み2度の作業をしなければならない時でも、マスクは 交換しない。スクリーニングの結果、問題ない値と判断された からだ。 ――」》 ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型 ※安倍政権の原発政策の問題点を的確に抽出した秀逸な記事だ と思います。「原発銀座」と言われるほど多くの原発14基を 抱える福井県のローカル紙ならでは、透徹した論旨に惹かれま した。ご閲覧をお勧めします。 ■安倍政権の原発政策 反省と責任、展望を明確に【福井新聞】                (2013年1月13日午前7時48分) 衆院選から1カ月近く経過し、安倍内閣は経済再生へ果敢な取 り組みを見せる。だが国家の経済と国民生活を支える肝心のエ ネルギー、原子力政策は放置状態。民主党政権が打ち出した 「2030年までに原発ゼロ」を目標とする革新的エネルギー ・環境戦略を見直す方向だが、どう見直すのか見えてこない。 「脱原発」が連呼された衆院選に次いで、7月には参院選が控 える。国民の支持動向をにらみ、慎重を期す戦術だろうが、重 要政策の先延ばしは無責任と言わざるを得ない。スピード感を 持って取り組むべきだ。 ■重要政策を先送り■ 自民党政権が背負っているものは過去50年以上にわたって推 進してきた原発政策が東京電力福島第1原発事故で破綻したと いう事実だ。民主党政権の事故対応のまずさは責められようが、 「しっかり検証する必要がある」と述べた安倍晋三首相の発言 は事故の徹底検証とともに、自民党自身にも向けられるべきだ。 自民党は事故後、原子力政策を見直したが、見極めができなか った。政権公約では「再稼働は、すべての原発について3年以 内の結論を目指す」「当面の最優先課題として3年間、再生可 能エネルギーの最大限の導入を図る」とし「判断の先送りは避 けつつ、遅くとも10年以内には将来にわたって持続可能な電 源構成のベストミックスを確立する」と明記した。この内容で は総花的で先も見通せない。参院選が終われば「本音」が出て くる可能性もある。世論調査では過半が「脱原発依存」だ。政 権は民意をどうくみ取るのか。 ⇒⇒⇒☆★☆記事全文へ続く ●7月の参院選を控えて猫かぶりの安倍首相に厳重注意せよ!
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(162)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第四章「植民地」としての沖縄〈23〉・

・無意識の植民地主義・(その4)

99パーセント(ヤマト)対1パーセント(沖縄)の格差
《「――一ここには、米軍基地負担の沖縄への差別的押しつけ という現実を無視して、沖縄の自然や文化を「愛して」みたり、 沖縄の基地反対運動に「連帯」して年に、一回、沖縄を訪れて 「ヤンキー、ゴー・ホーム!」と叫んでみたり、「沖縄の人だ って同じ日本人じゃないか」と言って安心しようとしたりする 日本人に対する、根本的な不信と批判が皮肉たっぷりに描き出 されている。 沖縄人からの問いかけに対して、日本人は沈黙し答えないでい さえすれば、植民者としての既得権益を維持することができる。 それが「権力的沈黙」である。 人口比にして九九パーセント(ヤマト)対一パーセント(沖縄) という格差は、圧倒的な差を示している。 日本人は沈黙に引き籠ってしまいさえすれば、放っておきさえ すれば、現実を変えず、植民地支配から利益を上げることがで きのだ。 ―」》 ☆「美ら海(ちゅらうみ)」名護市辺野古 辺野古浜通信より   ※沖縄を分断させる政府の謀略に沖縄の悲劇の多重性をみる ■辺野古移設、推進派と反対派が相次いで要請 【琉球新報辺野古移設を推進するよう与世田兼稔副知事  に求める北部地域振興協議会の島袋吉和特別  顧問(手前右)ら=13日午前、副知事室   辺野古移設の埋め立て申請を受理しないよう  又吉進知事公室長らに求める「基地の県内移  設に反対する県民会議」メンバー  =13日午前、県庁会議室 政府が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けて3月中に 知事への公有水面埋め立て申請を行うことを受け、移設推進派 と反対派が13日午前、相次いで県庁を訪れ、要請行動をした。   北部地域振興協議会の特別顧問の島袋吉和前名護市長らは与世 田兼稔副知事に辺野古移設の推進を要請。島袋氏は「普天間の 危険性除去のためにと我慢して17年間頑張ってきた。われわ れは一貫して辺野古移設を容認している」と強調した。 これに対し与世田副知事は「知事は県外移設を公約に掲げ、辺 野古は事実上不可能だという立場だ」と述べ、辺野古移設の実 現に否定的な考えを示した。   県議会議員や市民団体でつくる「基地の県内移設に反対する県 民会議」のメンバーらは又吉進知事公室長に、政府の埋め立て 申請を受理しないよう要請。又吉公室長は「出されたものは受 理しなければならない」と法にのっとって行政手続きを進める 考えを示した。【琉球新報電子版】(2013年3月13日)

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・アナの目が泳ぎ出したぞラストだな 熊本 永石真丸
・外人に一昨日来いの意味聞かれ   登米 つくしんぼ
・顔文字で声色つけていくメール   東京 西原景子
 

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

         金子光晴 
・落下傘・
   一 落下傘がひらく。 じゆつなげに、 旋花(ひるがほ)のやうに、しをれもつれて。 青天にひとり泛びたゞよふ なんといふこの淋しさだ。 雹や 雷の かたまる雲。 月や虹の映る天體を ながれるパラソルの なんといふたよりなさだ。 だが、どこへゆくのだ。 どこへゆきつくのだ。 おちこんでゆくこの速さは なにごとだ。 なんのあやまちだ。    二 この足のしたにあるのはどこだ。 ……わたしの祖國! さいはひなるかな、わたしはあそこで生れた。  戰捷の國。 父祖のむかしから 女たちの貞淑な國。 もみ殼や、魚の骨。 ひもじいときにも微笑む。 躾。 さむいなりふり 有情(あわれ)な風物。  あそこには、なによりわたしの言葉が   すつかり通じ、  かほいろの底の意味までわかりあふ、    額の狭い、つきつめた眼光、   肩骨のとがつた、  なつかしい朋黨達がゐる。 「もののふの  たのみあるなかの  酒宴かな。」 洪水(でみず)のなかの電柱。 草ぶきの廂にも ゆれる日の丸。 さくらしぐれ。 石埋(きめ)あたらしい 忠魂碑。 義理人情の竝ぶ家庇。 盆栽。 おきものの富士。    三 ゆらりゆらりとおちてゆきながら 目をつぶり、 双つの足うらをすりあはせて、わたしは祈る。   「神さま。  どうぞ。まちがひなく、ふるさとの樂土に   つきますやうに。  風のまにまに、海上にふきながされて   ゆきませんやうに。  足のしたが、刹那にかききえる夢で   あつたりしませんやうに。  萬一、地球の引力にそつぽむかれて、   落ちても、落ちても、   着くところがないやうな、   悲しいことになりませんやうに。」              (人間の悲劇) ※金子光晴 (1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日) 愛知県津島市生まれの詩人。本名は安和。弟に詩人で 小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に 翻訳家の森乾。暁星中学校卒業。早稲田大学高等予科 文科、東京美術学校日本画科、慶應義塾大学文学部予 科に学ぶも、いずれも中退。 ※Wikipedia:金子光晴

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)
・作家所生の言葉・
  「振っている」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文 壇に行われるようになったのは夏目先生から始まっている。 こう言う作家所生(しょせい)の言葉は夏目先生以後にもない訣 ではない。 久米正雄君所生の「微苦笑」「強気弱気」などはその最たるもの であろう。 なお又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のもの である。 我我は常に意識して帽子を脱いでいるものではない。のみならず 時には意識的には敵とし、怪物とし、犬となすものにもいつか帽 子を脱いでいるものである。 或作家を罵る文章の中にもその作家の作った言葉の出るのは必ず しも偶然ではないかも知れない。〈115〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

それはよくあることよ。
That happens all the time.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

ハーレムの光華(Light of the Harem)
1880年 個人蔵〉
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆[HD]The Sound of Music - Julie Andrews /サウンド・オブ・ミュージック (アップロード日: 2009/02/21) 【The Sound of Orchestra (1/8) Japan concert, August 1993】 ☆ジュリー・アンドリュース ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)  〈 1935年10月1日 - 〉 ★Wikipedia:ジュリー・アンドリュース