米国では四組に一組の割合で夫婦が離婚するらしい

米国では四組に一組の割合で夫婦が離婚するらしい

アメリカでは、結婚そのものがすこぶる柔軟に、
 社会習慣や道義性とはさほど関係なく、「愛し
 合った男女が生活を共にする」という唯一の目
 的のために行われるらしい。だから離婚に際し
 てはさしたる原因を必要としない。愛情が冷め
 れば、これにまさる離婚理由はないわけである】

浅田次郎著『ま、いっか。』(34)

第1章 男の本音(34)
バンジージャンプ・ウェディング◇(上)

米国では四組に一組の割合で夫婦が離婚するらしい

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇ ◇Odds on the next pope Cardinal Peter Turkson of Ghana is the odds on favorite for the next pope with 5/2 odds from Irish bookmaker Paddy Power and 9/4 odds from British bookmaker William Hill.Turkson (2nd L) is seen during the Ash Wednesday mass at the Vatican February 13, 2013. REUTERS/ Alessandro Bianchi) 聞くところによると、アメリカでは実に四組 に一組の割合で夫婦が離婚するらしい。 むろん全国民のうち四人に一人というわけで はない。生涯独身主義の男女も数多いし、い わゆるバツニ、バツ三もあたりまえであるか ら、あくまで「結婚」という事実の破綻する 割合が四分の一という意味である。 つまりかの国では、結婚そのものがすこぶる 柔軟に、社会習慣や道義性とはさほど関係な く、「愛し合った男女が生活を共にする」と いう唯一の目的のために行われるらしい。 だから、離婚に際してはさしたる原因を必要 としない。愛情が冷めれば、これにまさる離 婚理由はないわけである。 まことに理に適っている。かっての燃えたぎ る恋愛感情などは夢のまた夢、惰性と生活の 便宜と世間体という理由だけで、事実上の家 庭内離婚を何十年も続けるわが国の夫婦より は、よほど幸福な結婚観といえよう。 近ごろでは日本も、次第にこの結婚観を学び つつあるようだが、思想が伴わぬまま離婚率 という現実だけが先行してしまっているよう で、これでは当事者の苦労も多いはずである。 たとえが「事実婚」という妙な言葉がある。 日本の民法は戸籍届出による法律婚主義をと っているが、客観的に婚姻を認められる事実 関係があれば、なるたけ社会もこれを容認し ようではないか、という考え方がこの「事実 婚」なる言葉を生み出した。 進歩的であるようでありながら、実はすこぶ る日本的な言葉である。 「そんなこと認められるわけではないけど、 仕様がないから認めよう」という意味がこめ られている。日本固有の「和」の精神が作り 出した、うまい現実妥協案ではあるが、社会 の自然な推移を著しく阻害する言葉であろう と思われる。 」》 ■今日は、あまり心が弾むというような話題 ではありません。 が、いま、私が、心配していますのは、非婚 率が上昇していることです。 2005年の国政調査では、30歳代前半男 性の非婚率(有配偶者以外の比率)が、49 ・4パーセントと、ほぼ半数に達していまし たが、2010年の調査では、50・1パー セントと、ついに過半数に達しました。 非婚化の原因は、構造改革によって男性の所 得格差が拡大したことにあります。 労働政策研究・研修機構が、2002年の就 業構造基本調査を再集計した結果によります と、年収1000万円以上1500万円未満 の20歳代後半男性の結婚率は、72・5パ ーセントですが、年収の下落とともに結婚率 は低下し、年収200万円から400万円未 満は、22・8パーセント、年収100万円 台では15・3パーセントとなっています。 なにも、統計をみるまでもなく、年収が下が ると結婚が難しくなるのは、誰にも分かるこ とでしょう。 非正社員の拡大は続いており、所得格差が大 きくなる中で、今後も非婚率が上昇していく 可能性は否定できないでしょう。 安倍晋三首相は「頑張る人が報われる社会に する」と、言いますが、非正規雇用社員は、 いくら頑張っても、構造的に報われないのは、 自明の理ではありませんか。 同じよなことを、小泉政権下、竹中平蔵氏が 口癖のように言っていました。これは、まさ に小泉・竹中政治の復活です。 週刊誌によりますと、安倍首相が、日銀総裁 にホンに望んでいたのは、竹中平蔵氏だそう ですね。ホンにおそろしか。 ☆LOVE STORY (1970) - Arthur Hiller, Erich Segal (アップロード日: 2008/10/28) 【Love Story (1970)】 ☆『ある愛の詩』( Love Story) ・1970年のアメリカ映画。恋愛映画。 雪のセントラルパーク。ベンチに腰かけた、 オニールの回想ではじまる。ふごうの息子だ った彼は、ある娘(マックグロウ)と周囲の 反対を押し切って結婚。懸命に勉強して弁護 士資格を得るが。彼女は白血病で死ぬ。フラ ンシス・レイの音楽が印象的。 エリック・シーガルによる同名の小説を原作 とする。ただし、未完の小説を原作として映 画の製作が始まり、小説と映画が同時進行で 作られた。先に映画が完成し、映画の脚本を 基に小説が執筆された部分もある。先に発表 されたのは小説であり、その数週間後に映画 が公開された。 ・公開: 1970年12月16日 (世界初) ・監督: アーサー・ヒラー ・音楽: フランシス・レイ ・脚本: エリック・シーガル ・受賞: アカデミー作曲賞     ゴールデングローブ賞 作品賞 (つづく) (1306dys-840ent) (1307dys-840ent休)金〜 (1309dys-840ent休)日 ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(34)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(192)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(10)△▼

・外国人技師への不満・(その3)

日本的な構造が、業者間の癒着が情報を隠蔽しているのだ
《「――その国の慣習に従うという美徳は、外国人にはない。 起こるべくして起きた遅延といえる。 専門家の中にも、「汚染水処理はすべて日本の技術で可能だ」 という声もあった。 巨費を投入した米仏の装置がトラブル続きで、バックアップ装 置のはずだったサリーが主役となった事実をみれば、外国製品 の導入は失敗だったようにもみえる。 が、個人的見解で言えば、外国人技師の参入は大きなプラスに なったと感じている。 現場はきわめて日本的な構造となっており、業者間の癒着が情 報を隠蔽しているからだ。 その壁をぶちこわすのは簡単ではない。外国人が入ってくれた おかげで、村社会に存在するオメルタ――マフィア的沈黙の掟 は、ようやくほころび始めた。 外国勢という異分子が悪役となることで協力会社の不満が爆発 し、情報の防御壁が壊れたのである。 これまでのように仲間内での作業なら、内情を知ることは難し かったろう。 ――」》 ■福井県敦賀市 原発マネーの人件費繰り入れ 蟻地獄のごと ▼3法交付金が麻薬のごとく市政を蝕み中毒から抜けられない 原発3基が立地する福井県敦賀市では、昨年度、市立病院や保 育園、学校給食センターなどの職員213人の給与の一部とし て、8億9000万円の3法交付金を使い市の総人件費の1割 を超えまています。 地域の中核病院である市立敦賀病院では昨年度、事務職員など 60人の人件費として2億5000万円の3法交付金が充てら れました。 同病院は電子カルテのシステム整備などにも3法交付金を使い、 この数年はぎりぎり赤字を免れていて、市の担当者は「地域医 療が3法交付金で支えられているのが現実」だと漏らす。 「3法交付金」とは、1974年、原発が立地する地域の振興 を名目に制定されました。当初は公共施設や道路整備などに使 途が制限されていましたが、自治体の要望などで03年、福祉 サービスなどの人件費にも充てられるようになっていきました。 市立保育園13園では昨年度、保育士や調理師など88人の給 与として3億7000万円が充てられました。市の担当者は、 「最低限の保育士数を確保する必要があり、3法交付金が減る と人件費の捻出は厳しい」と話す。 担当者が心配するのは、同市の原発3基の存廃。3法交付金廃炉決定と同時にゼロになるからです。同市は福島第1原発事 故後も原発推進を訴えている理由が分かります。 引用:《毎日新聞(2013年03月01日)「記者の目」原発マネー     =柳楽未来(福井支局敦賀駐在)》
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(158)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第四章「植民地」としての沖縄〈19〉・

・0・6パーセントの土地に74パーセントの負担・(3)

沖縄を植民地支配しているのは、日本人(ヤマトの日本人)
《「――一このような状況に対して、日本政府はしかし抗議も しない。なぜならそれは、日米両政府によって正当化された事 態だからだ。 そして、このような状況から利益を得ているのは米国側だけで はなく、日本政府もまたそうだからである。 沖縄の植民地的状況は、日米両政府によって正当化されている。 ところで、その日米両政府の政策を是認し、支えているのはだ れかといえば、それは日米双方の国民である。 とくに、沖縄が日本国の一部である以上、政府が認めなければ 米軍はそこにいることができないのだが、その日本政府の政策 を是認し、支えているのは日米国民なのである。 要するに、日本国民が有権者として選択している政府の政策に よって、沖縄の植民地的状況が生み出されている。 ということは、沖縄を植民地支配しているのはつまるところ日 本人(ヤマトの日本人)だということにならざるをえない。 ―」》   ■オスプレイ:仲井知事、負担軽減につながるかは分からない (沖縄タイムス) ▼日米合同委員会で合意の飛行ルールすら守られない現状! 仲井真弘多知事は、6日、米軍普天間飛行場に配備されたMV 22オスプレイ12機のうち3機による初の本土訓練が始まっ たことに対して、沖縄の負担軽減につながるかは、「分からな い」と効果は限定的なものにとどまるとの見方を示した。 仲井真知事は短期的な本土での訓練ではなく本土へのオスプレ イの再配置や、普天間配備見直しを政府に求めている姿勢を強 調。その上で「他の地域のことをあれこれ言う話ではないが、 その県、その県の人たちの感想や意見が出てくるはずなので、 それを観察したい」と述べた。 また、日米合同委員会で合意された飛行ルールすら守られてい ないと訓練の現状を批判。「(沖縄では)町の真ん中の飛行場 から毎日のように飛んでいるオスプレイを見てもらうだけでも、 沖縄の基地問題について、他の県の人たちに理解がいただける のではないか」と述べた。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・結局はひとりで入る手術室      福島 生憎の雨
・嘆くなよパーに負けてもチョキで勝つ つくば げん五郎
・英語だけできて仕事のできぬ人    つくば さくさくら
 

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

         八木重吉
・光・
ひかりとあそびたい わらつたり 哭(な)いたり つきとばしあつたりしてあそびたい           (貧しき信徒)
・秋の空・
     秋が呼ぶやうなきがする そのはげしさに耐へがたい日もある 空よ そこのところへ心をあづかつてくれないか しばらくそのみどりのなかへやすませてくれないか                 (八木重吉詩集) ※八木重吉 (1898年2月9日 - 1927年10月26日) 詩人。東京府南多摩郡堺村(現在の町田市)に生まれ。 神奈川県師範学校在学時より教会に通いだすようになり、 1919年には駒込基督会において富永徳磨牧師から洗礼を 受けた。 ※Wikipedia:八木重吉

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)
支那
蛍の幼虫は蝸牛を食う時に全然蝸牛を殺してはしまわぬ。いつも 新らしい肉を食う為に蝸牛を麻痺させてしまうだけである。 我日本帝国を始め、列強の支那に対する態度は畢竟この蝸牛に対 する蛍の態度と選ぶ所はない。    又 今日の支那の最大の悲劇は無数の国家的羅曼主義者即ち「若き支 那」の為に鉄の如き訓練を与えるに足る一人のムッソリニもいな いことである。〈111〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

これからは自分でやるのよ。
Now you're on your own.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は2012年4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

ナウシカ(Nausicaa)
1878年 個人蔵〉
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Sarah Vaughan - Over the rainbow (アップロード日: 2008/06/17) 【Sarah Vaughan - Over the rainbow】 ☆サラ・ヴォーン サラ・ヴォーンSarah Vaughan)  〈1924年3月27日 - 1990年4月3日〉 ★Wikipedia:サラ・ヴォーン