「デブ」議論をかわしたメンバーは全員デブだった

「デブ」議論をかわしたメンバーは全員デブだった

【それにしても、日本人は肥えた。小学生時代
  のモノクロ写真を見ると、どの子供も、痛ま
 しいくらい痩せている。すでに、食べ物には
 不自由する時代ではなかったのだが、やはり
 摂取するカロリーは、少なかったのであろう】


浅田次郎著『ま、いっか。』(8)

第1章 男の本音(8)
◇「デブ」とは何か◇(その3)
「デブ」議論をかわしたメンバーは全員デブだった
《「 ◆ドキッとするピクチャー(Source:REUTERS◇ ◇Cirque Du Soleil showcase (Artists perform during the Cirque du Soleil's Kooza show in London's Royal Albert Hall, January 4, 2013. REUTERS/Paul Hackett) 昔の給料の単位である「一人扶持」は、玄米 一日五合の計算だった。 つまり副食物の少なかった昔の人は、一日五 合も米を食べていたのである。 必要なカロリーを毎日五合の米から摂取して、 仕事もせずごろごろしていたのではまちがい なく太る。 それも炭水化物型特有の、力士のごとき「で ぶでぶ」になるにちがいない。 だいたい以上が、この夜に提示された仮説で あった。 “development”“double chin”“double” 等の英語語源説。 しかし鮨屋は国会でないから、結論を出す必 要はない。酒の肴である。 まことに不毛な議論であったけれども、仕事 の話や家庭の愚痴や、政治論やダイエット談 義をくりかえすよりも、ずっと知的で楽しい 会話であった。 それにしても、日本人は肥えた。小学生時代 のモノクロ写真を見ると、どの子供も痛まし いくらい痩せている。 ☆終戦直後 浮浪児(毎日新聞) ・痩せこけた足。何日もロクな食事もしていない。 すでに食べ物には不自由する時代ではなかっ たのだが、やはり摂取するカロリーは少なか ったのであろう。 昭和三十年代の子供らは、むしろ体重をステ ータスを考えていた。だから月に一度の身体 測定の日などは、朝食を無理に詰め込み、ト イレにも行かずに登校した記憶がある。 一億国民がこぞってダイエットに走る未来な ど、予想だにしていなかった。 むろん私自身も、自分がかようなデブになる とは思ってもいなかったのである。 その夜、私たちはたらふく鮨を食って散会し た。帰りの車中で「デブ」の語源に悩みなが ら、ふと気付いて独り笑いした。 議論をかわしたメンバーは、全員「デブ」で あった。 」》 ■《一億国民がこぞってダイエットに走る未 来など、予想だにしていなかった。》 人々が、ダイエットに走るというのは、著者 の浅田次郎さんより、十五歳年長の私にとっ ては、お天道さまが西から昇るような、あっ てはならない現象に感じます。 何を、放埒なことをやっているのだ。人間の 命をつなぐ食べ物を何だと思っているのだ。 食べ物への感謝の念が完全に欠落しています。 罰当たりだと思います。 いつだったか、「日本人って、食いしん坊で すね」と日本在住のイギリス人に言われった ことがあります。日本人って、食うことしか 考えていないのかという、皮肉です。 日本のテレビで、食べ物の番組が多いのに驚 いていました。その番組自体が悪いわけでは ありませんが、概して、食べ物に対する敬虔 な感謝の気持ちが感じられない番組が少なく ないと思います。 なかでも、ヒドイのは、「大食い競争」の番 組です。食への冒涜。これは神をも恐れぬ蛮 行だと感じています。企画する方もする方、 かぶりつくやくもやつだ。哀れすぎます。 江戸期をとっても、寛永の大飢饉享保の大 飢饉、天明の大飢饉天明の大飢饉と四つの 大飢饉に襲われています。 とくに天明の大飢饉は、日本の近世史上で最 大の飢饉で、被害は特に陸奥で深刻甚大で、 弘前藩で8万人とも13万人とも伝えられる 死者を出しており、逃散した者も含めると藩 の人口の半数近くを失う状況になりました。 また、津軽藩では、死者が十数万人に達した と伝えられ、飢餓と共に疫病も流行し、全国 的には1780年から1786年の間に92万人余り の人口減をまねいたとされています。 ☆人肉を食らうといわれた天明大飢饉 今も世界では9億2500万人が、飢餓で苦 しんでいることを知っていますか? 世界の7人に1人、アフリカ全体では3人に 1人が飢えています。地域別では以下の通り です。 ◇アジア・太平洋 ▼5億7800万人 (世界でもっとも人口が多く、栄養不足人口も最大) ◇サハラ以南のアフリカ ▼2億3900万人 (栄養不足人口の比率が世界最大 32%) ◇中東・北アフリカ ▼3700万人 (開発途上世界の中で栄養不足人口の増加率が最大  13・5%) ◇ラテンアメリカカリブ海 ▼5300万人 (栄養不足人口の増加率 12・8%) (参照:Wikipedia:日本国際飢餓対策機構 人類の歴史は、飢餓との闘いでした。 (つづく) (1258dys-814ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(8)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(167)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第四章 ついに潜入! 1Fという修羅場(37)△▼

・飼い主を失ったペット・(その1)

あばらが浮き出た雑種犬がよろよろとバスに近づいてきた
《「――約20分後、バスはガソリンスタンドの前で停車し、 運転手と作業員の約半数が全面マスクを装着した。後部座席に 座る私の同僚たちは、ゆっくりタバコを燻らし、世間話に興じ ている。 〈これじゃ内部被曝するんじゃないだろうか? 大丈夫かな?  でも仕方ない。彼らがマスクをつけるときまで待とう〉 平静を装ってバスの外に目を向けると、たくさんの犬や猫―― 震災で飼い主を失った動物たちが遠巻きにこちらを凝視してい た。犬も猫も体毛はぼろぼろで、体が極端に痩せている。 まだらハゲとなり、あばらが浮き出た雑種犬が一匹、よろよろ とバスに近づいてきた。その首には飼い主がはめただろう真っ 赤な首輪があった。 私が泊まっていた旅館のフロント前には、動物愛護団体が持っ てきた餌が置かれている。 その理由が飲み込めた。自分たちが20キロ圏内に入れないた め、作業員に餌やりを託しているのだ。 〈すまん、今日、俺、勤務初日なんだよ。次は餌を持ってくる。 約束する〉 バスは3分ほど停車し、1Fに向かった。バスが見えなくなる まで、動物たちはずっとその場に立ち尽くしていた。 ――」》 ■「青森県を最終処分地にしない」 知性ある持ち主の言葉か 三村知事は17日、経済産業省を訪れ、茂木経産相に青森を核 のゴミ「高レベル放射性廃棄物」の最終処分地にしないことを 改めて要請しました。 茂木氏は「約束を厳守したい。国が前面に立って取り組みを強 化したい」と応じたという。 国による最終処分地の選定は進展がない白紙の現状で、何を根 拠に「約束を厳守したい」と言えるのか? 元総理の鳩山由紀 夫氏の「トラスト・ミー」と正に同次元の言葉である。 こちらの知性も疑う。「従来にない強い言葉、意志をお示しい ただいた。これまでの約束が守られることが確認できた」と、 三村知事は茂木氏と面会後、ほぼ「満額回答」を得たことに満 足そうな表情を見せていたという。こんな言葉で、満足するな んて、お人好しも、甚だしい。せめて、空手形でも、約束の期 限を切りなさい。それが交渉というものです。 三村知事は2008年4月に「青森県を最終処分地にしない」 との確約書を、当時の甘利経産相から手渡されており、その後、 ほぼ歴代の経産相に確約が引き継がれているかを確認してきま した。 これまで、政府は最終処分地の選定を進めると繰り返し表明し てきましたが、2002年から始まった候補地公募に応募した のは2007年の高知県東洋町(その後白紙撤回)の1件だけ。 その後も全く何の進展もありません。 国はいつまで青森県を騙すつもりです。「騙す方」も「騙され る方」も真実を知っていて、茶番を演じているにすぎません。 しかるべき知性の持ち主なら、裸の王様だと分かっています。  ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(132)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈69〉△▼ ・ニ. この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・

・「日本」イデオロギーの表出・(その1)

「日本は一つ」などのスローガン連呼は暴力なのでは?
《「――以上、天罰論に含まれる問題を見てきたが、そこには 政治的その他の自説を開陳する機会として利用する危うさがあ った。そのことに関連して、いくつか指摘しておきたいことが ある。 今回の東日本大震災福島原発事故をめぐる言説状況の中で注 意しなければならないことの一つに、テレビなどマスメディア を通して「日本頑張れ」「日本は強い国」「日本は一つ」「日 本人の誇り」というようなスローガンが連呼されたことがある。 民放テレビ各局は、震災、原発事故発生直後から通常のコマー シャルを取りやめ、ACジャパンのコマーシャルに切りかえた が、そこでも驚くほど徹底して「日本」イデオロギーが表出さ れたのである。 さっそく指摘されたのは、こうしたスローガンと被災地の人々 の意識とのあいだに、いかにギャップがあるか、ということだ った。 被災者は、津波ですべてを流され、家族や友人を喪って悲嘆に くれていたり、原発事故で着の身着のまま「難民化」せざるえ なかったり、放射線被曝の不安におののいていたりする。 そうした人々に向かって、安全地帯にいる人々が、「頑張る」 ことや「強く」あることや、「一つになる」ことなどを一方的 に、繰り返し繰り返し求めることは、暴力なのではないかと、 というもっともな疑問が提起されたのである。 ――」》   ■いまごろ、なんだ、遅い! 不適正な除染作業発覚 東京電力福島第1原発事故を受けて国が直轄で実施している福 島県内の除染事業で、洗浄に使った水を回収せずに、そのまま 側溝へ流すなど不適正な処理が発覚しました。ひどい話です。 やはり、そうでしたか。 除染の枠組みを定めた放射性物質汚染対処特別措置法に違反す る悪質な事例はなかったといいますが、不適切な行為が繰り返 されれば、政府のやる除染作業を誰も信用しなくなります。 環境省は、現場での監視・監督体制の強化を速やかに実施して ください。除染事業の費用も膨大で、環境省が今年度分として 発注済みの田村市など4市町村分で約340億円に達していま す。シロアリに喰われないにお願いします。 ★徹底検証! V-22オスプレイ (サイエンス・アイ新書) 徹底検証! V-22オスプレイ ティルトローター方式の技術解説から性能、輸送能力、気になる安全性まで (サイエンス・アイ新書)

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔冬〕(天文) あかつきの地上絵雪の駅広場
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

          三好達治 
・信號・
小舎(こや)の水車 藪(やぶ)かげに一株の椿 新らしい轍(わだち)に蝶が下りる   それは向きをかへながら 靜かな翼の抑揚(よくよう)に   私の歩みを押しとどめる 「踏切ふみきりよ ここは……」私は立たちどまる                   (南窗集) ※Wikipedia:三好達治

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・天才・ 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一 歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らな ければならぬ。    又 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は 常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里 の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。 後代は又その為に天才の前に香を焚いている。    又 民衆も天才を認めることに吝かであるとは信じ難い。しかしその 認めかたは常に頗る滑稽である。    又 天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心の好い名声」を与えられる ことである。    又 耶蘇「我笛吹けども、汝等なんじら踊らず。」 彼等「我等踊れども、汝足らわず。」 〈85〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

今日の試験はまあまあだった、
I did so-so on the test today.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

無言歌(Song Without Words〔Elegy〕)
〈1860-1年 個人蔵〉テイト・ギャラリー ロンドン
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Worth It by Whitney Houston
☆⇒⇒⇒Worth It by Whitney Houston | Song | Free Music, Listen Now on Myspace“Worth It”  ☆ホイットニー・ヒューストン ・ホイットニー・エリザベス・ヒューストン  (Whitney Elizabeth Houston)   1963年8月9日〜2012年2月11日 ★Wikipedia:ホイットニー・ヒューストン