国家という枠組みも、長い年月の間には移り変わる

国家という枠組みも、長い年月の間には移り変わる


{戦前日本政府は「満洲には明るい未来が開かれており、
 チャンスに満ちている」という“印象”の宣伝をした。
 それを信じた私の一族は、財産をすべて失い、敗戦後、
 着の身着のままで帰国した。私の祖母は死ぬまで「国
 のいうことだけは、信用したらいかん」が口癖だった}

竹内一郎著『ツキの波』(43)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(154)

▼△第四章 ついに潜入! 1Fという修羅場(24)△▼

・チャラい東電講師・(その4)

法令では、年間で50ミリシーベルトと定められています
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(119)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈56〉△▼ ・ニ. この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・

・原爆は天罰か、天恵か・(その3)

戦場から長崎に戻ったら最愛の妻子は黒い骨と化していた

竹内一郎著『ツキの波』(43)

・第2章 直感は考え抜いた末に出来上がる(19)

◇鉄火場のルール◇(その2)
国家という枠組みも、長い年月の間には移り変わる
《「 ◇今日の注目写真(Source:REUTERS◇ ◇Syria in ruins (A man walks past a burnt car and damaged buildings along a street at the al-khalidiya neighbourhood of Homs November 19, 2012. REUTERS) 「市民の理」を理解していないと、現代社会 で生きていくのは無理だろう。 しかし、「市民の理」を盲信していては、ま た生きるうえで不都合がある。 たとえば国のいうことは正しい、というのは 「市民の理」である。その建前に立たないと 市民生活は成り立たない。しかし、それ以外 の要素がふんだんにあることを忘れてはなら ない。 戦前日本政府は「満洲には明るい未来が開か れており、チャンスに満ちている」、という “印象”の宣伝をした。 それを信じた私の一族は財産をすべて失い、 敗戦後、着の身着のままで帰国した。 私の祖母は死ぬまで「国のいうことだけは信 用したらいかん」が口癖だった。 年金制度や企業の終身雇用への不信感をいう 向きは多いが、そもそも何か大きなものに、 委ねるような考え方は危険なのである。 諸行は無情――。憲法であっても、国家とい う枠組みであっても、長い年月の間には移り 変わるものである。 「信ずべし、信ずべからず」という身の処し 方は、「自然の理」を生きることで身に付い てくる。 」》 ◎本文の“私の祖母は死ぬまで「国のいうこ とだけは信用したらいかん」が口癖だった” とあるのは、私も身につまされます。国家と いうのは、いざという時、国民を見捨てます。 これは、歴史が証人です。 満蒙開拓移民は、満州事変以降太平洋戦争ま での期間に日本政府の「国策」(最近もまか り通っていますね)に、よって推進された、 中国大陸の旧満州内蒙古華北に入植した 日本人移民の総称です。 昭和11(1936)年、広田内閣は「満州開拓 移民推進計画」を決議し、1936年から1956年 の間に500万人の日本人の移住を計画。 日本政府は1938年から1942年の間に、20万 人の農業青年を、1936年には2万人の家族移 住者を、それぞれ送り込んでいます。満州開 拓移民の総数は27万人とも、32万人とも されます。 ソ連の参戦によって、ほとんどが国境地帯に 取り残されしまい、日本に帰国できたのは、 わずか11万人ほどででした。 各地の開拓移民は、引き揚げの途中で多くの 死者、行方不明者、収容所での感染症による 病死者を出し、無事に帰国できた開拓団はい ませんでした。 また、国境を越えてきたソ連兵に捕らえられ シベリアへ送られた男子入植者は、シベリア 抑留者となり帰国は更に困難を極めました。 しかも、命からがら大陸から帰国した開拓民 は、同胞の日本人からも「引揚者」として差 別されました。こんな酷いことてありますか。 開拓民の帰国の道程は、凄惨を極めました。 関東軍は、開拓民ら一般居住者を、置き去り にして、軍用列車で逃走してしまいました。 発車間際の軍用列車にしがみついて乗りこう もとして、手首を軍刀で斬り落とされた人も いました。実話です。 ちなみに「日本人にとって満洲とは何であっ たのか」のかテーマに取り組んだ小説があり ます。 なかにし礼の小説『赤い月』です。戦前・戦 中の旧満州を舞台に、日本人の生き様を描い た物語で、なかにし礼の実際の体験をもとに した自伝的小説です。 ☆「満蒙開拓団」の出発風景 長野県大日向村 ・大日向村は「分村移民」を初めて進めた村  で、満蒙開拓団のモデルケースとなる ☆赤い月〈上〉 (新潮文庫) 赤い月〈上〉 (新潮文庫) ☆赤い月〈下〉 (文春文庫) 赤い月(下) (文春文庫) (つづく) (1220dys-801ent)

『ツキの波』

新書: 189ページ 出版社: 新潮社 (2010/04) ・人間はツキを支配や制御することはできないが、その性質を 知り、波を利用することはできるのではないか。ツキという不 思議な存在を誰よりも深く考え、語り続けてきた作家、阿佐田 哲也(色川武大)。その思想は現代人にとって大きな指針となる。 遺された至言の数々を『人は見た目が9割』の著者が読みとく。 〔目次〕 第1章 運の総量は一定である 第2章 直感は考え抜いた末に出来上がる 第3章 勝利は終末への第一歩 第4章 ヒットを打つよりフォームを固めよ 第5章 真理は市民社会の外にある 第6章 「運の達人」たちに学ぶ 終章  世界は乱雑なまま肯定される 〔著者〕 ☆竹内一郎(竹内たけうち いちろう)☆ ・1956(昭和31)年福岡県久留米市生まれ。劇作家・演出 家・著述業。横浜国大卒。博士(比較社会文化、九大)。 さいふうめい名義で『哲也―雀聖と呼ばれた男―』の原案を担当。 『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞受賞。 著書に『人は見た目が9割』など。 ツキの波 (新潮新書)参照:2011-11-21「できる人は「声」が違う!」『人は見た目が9割』

竹内一郎著『ツキの波』(43)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(154)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第四章 ついに潜入! 1Fという修羅場(24)△▼

・チャラい東電講師・(その4)

法令では、年間で50ミリシーベルトと定められています
《「――時間が経つに連れ、私語が目立つようになってきた。 遅刻してきた隣の作業員にも4人の仲間がいて、前後に座った 同僚に向かい、「おい、飯どうする」とか、「お前、テストに 落ちたら恥ずかいぞ」などとささやいていた。 時折、教育とは無関係の部分で笑い声が聞こえたりする。真剣 な顔で、一字一句聞き逃さいように必死にメモを取っていたの は私だけだ。 不埒な作業員である私にとっては教育と同時に取材なわけで、 他の作業員にとっては退屈だったろう。なにしろ、a・b教育 は平時の作業員のために行われている。 「法令ではですね。実効線量限度は5年間で100ミリシーベ ルト、年間で50ミリシーベルトと定められています」 と説明されても、1F(東京電力福島第一原発)はその定義に 当てはまらない。そのたび、講師も困った顔になっていた。 「まぁですね。第二原発に行かれる方はともかく、第一原発で はご存知のような状態……」 説明のたび、語尾が尻切れトンボになる講師を責めるのは酷だ。 突っ込まれば言葉がない。現実とかけ離れた講義は、説明して いる側の方がつらい。 ――」》 ◎仏・ブレニリス原発廃炉作業 27年間に亘るも未完 日本原子力発電敦賀原発2号機の再稼働が認められず、廃炉を 迫られる公算が大きくなりました。原発敷地内の断層を調査し た原子力規制委員会が、10日、外部の専門家4人を交えた評 価会合で、原子炉建屋直下の断層を活断層の可能性が高いと判 断したためです。 原発廃炉に関しては、電力の原子力依存率が75%の「原発 大国」のフランスでさえも難渋しています。いまや、フランス も、再生エネの拡大に取り組み、「脱原発依存」の道を歩んで いるものの、廃炉に伴う放射性物質を含んだ解体物の行き場の 問題で、廃炉作業が長期化しています。 すなわち、フランス北西部ブルターニュ半島の森林部にあるブ レニリス原発が、放射性廃棄物の処理に頓挫しているのです。 ブレニリス原発は1967年に運転開始した、フランス最古の 原発です(ちなみに、フランスには原子炉が58基あり)。 1985年から27年間にわたり断続的に廃炉作業が続いてい ます。 同原発は、1979年、ブルターニュ独立派による原発テロに よって送電不能に陥り、EDF(フランスの電力供給会社)は 1985年、廃炉解体を決定しました。 第一ステップとして、除染と原子炉以外の建屋の解体し、次の ステップとして、核燃料の除去作業を終えました(ここまでの コスト5億ユーロ(600億円)。そして、最終段階の「原子 炉建屋の解体」に入ろうとしました。 ところがです、建物の高放射性ガレキなどの廃棄物をどう処理 するか、解体作業で周囲の環境が汚染されしまい、さらに作業 を継続すればどれだけ環境が破壊されるかの問題が浮上して、 問題は解決されず、現在なお、膠着状態のままです。 さて、さて、日本は、どうする? ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘
第4章 ついに潜入!1Fという修羅場
第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(119)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈56〉△▼ ・ニ. この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・

・原爆は天罰か、天恵か・(その3)

戦場から長崎に戻ったら最愛の妻子は黒い骨と化していた
《「――戦場から長崎に戻ってみたら、故郷は廃墟になってお り、最愛の妻子は黒い骨と化していた。 「わしゃ、もう生きる楽しみはなか」と嘆く市太郎は、原爆は 天罰だった。殺された者は悪者、罪人というなら、自分の妻子 は悪者、罪人であったのかと、割り切れない思いを抱いて問い かける。 それに対して「私」は、自分は「反対の思想」をもっている、 原爆が浦上に投下されたのは神の「大きな摂理」であり、「恵 み」であるから、「浦上は神に感謝をささげねばならぬ」と答 える。 「感謝ですか?」と訝しげに問い返す市太郎に、「私」は「こ れは明後日の浦上天主堂の合同葬に信者代表として読みたいと 思って書いたのですが、ひとつ読んでみてくださいませんか」 と言って、原稿を差し出す。 ここには、天罰論に対して天恵論をもって、市太郎に象徴され る被爆者遺族と、被爆生存者を慰めうとする永井の思いが表現 されている。 そして永井は、実際、浦上カトリック教会で行われた原子爆弾 合同葬で弔慰を読んだのだが、その弔辞がほぼ原形のまま『長 崎の鐘』のなかに引用されている。 ――」》 ◎怖ろしいのは日本原子力発電敦賀原発の体質 問題は、日本原子力発電敦賀原発2号機の原子炉建屋直下を浦 底断層が通っていたのは、2091年に分かっていたことです。 浦底断層は、1066年の1号機の設置許可時には存在を知ら れていなかったそうですが、1987年に2号機が営業運転を 開始した数年後の1991年には、学術書活断層と記載され ていました。 それでも、日本原子力発電はその事実を否定し続け1904年 には、3、4号機の増設許可を申請したことです。活断層だと 認めたのは、1908年3月になってからです。 ずさんな電力会社の調査を見逃してきた国の安全審査は、単な る通過儀礼だったのか。原子力ムラの団結は怖ろしい。

◆11月1日現在:福島県民の県外避難者5万8608人(県発表)

福島民報社のニュースサイト ◆◆除去土壌仮置き5096カ所 10月末の県内 8月末より1898カ所増 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔冬〕 時候  高層の皇居を囲む十二月
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◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・批評学・(4)    「この『半肯定論法』は『全否定論法』或は『木に縁(よ)っ て魚を求むる論法』よりも信用を博し易いかと思います。  『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』とは先週申 し上げた通りでありますが、念の為めにざっと繰り返すと、或作 品の芸術的価値をその芸術的価値そのものにより、全部否定する 論法であります。  たとえば或悲劇の芸術的価値を否定するのに、悲惨、不快、憂 欝(ゆううつ)等の非難を加える事と思えばよろしい。  又この非難を逆に用い、幸福、愉快、軽妙等を欠いていると罵 (ののし)ってもかまいません。  一名『木に縁って魚を求むる論法』と申すのは後に挙げた場合 を指したのであります。  『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』は痛快を極 めている代りに、時には偏頗(へんぱ)の疑いを招かないとも限 りません。  しかし『半肯定論法』は兎(と)に角かく或作品の芸術的価値 を半ばは認めているのでありますから、容易に公平の看を与え得 るのであります。  「就ついては演習の題目に佐佐木茂索氏の新著『春の外套(が いとう)』を出しますから、来週までに佐佐木氏の作品へ『半肯 定論法』を加えて来て下さい。 (この時若い聴講生が一人、「先生、『全否定論法』を加えては いけませんか?」と質問する)いや、『全否定論法』を加えるこ とは少くとも当分の間は見合せなければなりません。佐佐木氏は 兎に角声名のある新進作家でありますから、やはり『半肯定論法』 位を加えるのに限ると思います。……」〈73〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

肘から血が出てるわよ。
You're bleeding from elbow.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《ノーマン・ロックウェル》◎◆◎

Breakfast Table Political Argument by Norman Rockwell
Breakfast Table Political Argument(選挙で夫婦喧嘩)
・1948年10月30日号『サタデーイブニングポスト』誌表紙作品。 (全作品322点の256番目の絵画。ロックウェルは、1948年  に「ポスト」誌に7点の絵を発表。この絵は1948年の第6番の  作品になります。ちなみに、彼は1916年から1963年にかけ、  47年間にわたり「ポスト」誌とのタイアップは続きました) 1948年のアメリカ合衆国選挙では、共和党のトマス・エドマンド・ デューイか、民主党のハリー・S・トルーマンか、で、アメリカの 国民の誰もが、喧々諤々の議論を交わしていました。 この絵は、昨日紹介した Woman and Man Seated Back to Back (選 挙で男女背中合わせ)と同様に、夫と妻の政治論争をテーマにして います。そして、今回は、政治というものが、家族全員に悪影響を 与えてしてしまう情況を見せてくれます。 絵の中で、夫は、妻が自分と異なる候補者に投票することに、過激 に反応していますが、いずれにせよ、“支配階級による”民主党候 補者 versus“支配階級による”支配階級に共和党候補者ですから、 目くじら立てるほどの差異は生じないのです。 みなさん、お気づきのように、選挙は政治の一つのプロセスに過ぎ ず、選択肢はただの幻想に過ぎなのです。政治の変化とか変革とい うのは、単なる幻想なのであります。 いづれにせよ、この若い夫は、自分の若い妻が自分とは違う候補者 に投票すると聞いて、心底、取り乱しています。彼はデューイ支持 の「ザ・トリビューン」紙を手にし、妻はトルーマン支持に「リフ ォーマー」紙を掴んで放しません。ここは、ほんとうにオカシイ。 夫の激昂に、狼狽しているのは、妻だけではありません。赤ちゃん は床で泣いていて、そのよこのテディベアも耳を塞いでいます。妻 の足もとの犬は犬で、この騒動から災難が起きないようにと見構え ています。 猫は? 猫は猫です、動じません。でも、割を食います。餌を貰え なくなり、カワイがっても、もらえなくなるかも。 かごの中の鳥は、羽をバタバタさせて飛び回っていますが、ご主人 さまほど、ワイルドではありません。 おそらく、時間が経てば、この若い夫は落ち着きを取り戻し、現実 に目覚めることと思います。ちなみに、彼が支持したデューイ候補 は、1948年11月2日、大統領選挙に敗北しました。 ◆ノーマン・ロックウェル Norman Rockwell (1894年2月3日‐1978年11月8日〈84歳〉) ・ノーマン・ロックウェルアメリカの画家、イラストレーター。 軽いタッチでアメリカの市民生活を描いて、アメリカで幅広い大 衆的人気を博しています。 ニューヨーク生まれ、美術学校を出てから、アメリカ・ボーイス カウト協会の雑誌などに絵を書き始め、ボーイスカウト運動への 貢献に対して、後に、世界で十数人しか与えられていない功労賞 (シルバー・バッファロー章)を受賞しています。 1916年から1963年にかけて『サタデー・イーブニング・ポスト』 紙の表紙を飾り、とりわけ1940年代から1950年代のものが人気が あります。 アメリカ人の日常生活を描くことが、作品の重要な主題で、子ど も、とりわけ、少年や犬などの小動物が作品に頻繁に現れるのは、 彼の生い立ちに影響しています。両親とも画家の家庭に、1884年 ニューヨーク郊外で生まれました。 ☆Norman Rockwell ☆Norman Rockwell: 332 Magazine Covers  (Tiny Folios Series) [ハードカバー] Norman Rockwell: 332 Magazine Covers (Tiny Folio) ☆American Chronicles: The Art of Norman Rockwell- part 1 (NormanRockwellMuseum さんが 2008/05/06 にアップロード) 【Promotional video for the nationally touring exhibition organized by Norman Rockwell Museum. Narrated by son and renowned sculptor Peter Rockwell. Visit www.nrm.org to learn about current and upcoming venues. This film was made possible by Ford Motor Company. c2007 Ford Motor Company.】 ☆American Chronicles: The Art of Norman Rockwell- part 2 (NormanRockwellMuseum さんが 2008/05/06 にアップロード) 【Promotional video for the nationally touring exhibition organized by Norman Rockwell Museum. Narrated by son and renowned sculptor Peter Rockwell. Visit www.nrm.org to learn about current and upcoming venues. This film was made possible by Ford Motor Company. c2007 Ford Motor Company.】