遠藤周作氏や吉行淳之介氏ら第三の新人とほぼ同時代

遠藤周作氏や吉行淳之介氏ら第三の新人とほぼ同時代

{四十になって阿佐田哲也名で麻雀小説のブーム
 を起こし、四十代半ばから色川名で純文学を書
 き始める。どちらの名前で書いても人の一生を
 ツキで見立てる人間観はまったくぶれていない}

竹内一郎著『ツキの波』(9)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(120)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(26)△▼

・20人の決死隊・(その1)

「死んでもいい人間を用意してくれ」という要請
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(85)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈22〉△▼ ・ニ この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・ ・石原都知事の天罰発言・(その2)   
ババアは有害」「障害者に人格はあるのか」の発言で物議を

竹内一郎著『ツキの波』(9)

・第1章 運の総量は一定である(7)
阿佐田哲也の経歴◇(その2)
遠藤周作氏や吉行淳之介氏ら第三の新人とほぼ同時代
《「 ◇今日の注目写真(Source:REUTERS◇ ◇Southeast Asia boosts defense purchases (By John O'Callaghan SINGAPORE - Wary of China and flush with economic success, Southeast Asia is ramping up spending on military hardware to protect the shipping lanes, ports and maritime boundaries that are vital to the flow of exports and energy.) 生まれたのは昭和四(一九ニ九)年。遠藤周 作氏や吉行淳之介氏ら第三の新人とほぼ同時 代だが、独立独歩の作家生活だった。 旧制中学時代に文学に目覚め同人誌を作る。 戦時中だったため、時局にふさわしくないと いう理由で放校処分になる。 戦後は数年麻雀をを中心として賭博に明け暮 れ、小さい出版社で編集者の見習いのような ことをやる。 やがて、後発の出版社が発行する娯楽雑誌に、 チャンバラ小説のような読み物を書き始める。 一方では、作家へお思い捨てがたく、純文学 系統の勉強や同人雑誌に参加している。 三十二歳のとき、『黒い布』で中央公論新人 賞を貰うが、その後は娯楽読み物のアルバイ トも辞め、両親の家で仕事もせずブラブラす ることになる。 四十になって阿佐田哲也名で麻雀小説のブー ムを起こし、四十代半ばから色川名で純文学 を書き始める。どちらの名前で書いても、人 の一生をツキで見立てる人間観はまったくぶ れていない。 ナルコレプシー(瞬間睡眠症)という奇病が あり、麻雀対局中に眠ったりすることが有名 だった。 戦後(昭和二十年代)の第一次麻雀ブームに どっぷり浸かり、その頃の体験を下敷きにし た『麻雀放浪記』で、昭和四十年代の第二次 麻雀ブームを牽引している。 その時代に麻雀に出会った私が、『週間少年 マガジン』で『哲也 雀聖と呼ばれた男』の 原案を書くことになる。 その『哲也』は平成十年代の第三次麻雀ブー ムの火付け役だったから、「麻雀というば阿 佐田哲也」というイメージは強い。 平成元(一九八九)年に六十歳で他界。岩手 県一関市で、心筋梗塞で倒れてから一週間後 に亡くなっている。 」》 ◎京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教 授のノーベル医学・生理学賞の朗報で、週が 明けました。 悔しかったら、もらっみろと、だれかさんに いってあがたいところ。これミミッチイかな。 ノーベル賞といえば、一つ、楽しみがまって います。世界最大規模のブックメーカー(賭 け屋)、英ラドブロークスは9月10日まで に、今週中にも発表されるノーベル文学賞受 賞者を予想するオッズ(賭け率)を発表し、 日本の作家村上春樹氏に8倍(10日現在) とトップの評価を付けていました。 かって、第三の新人の一人、遠藤周作さんが、 ノーベル文学賞候補に挙げられことがありま した。ノーベル候補に挙がって、受賞ででき なかった時の落ち込みは、想像を超えるもの でした。 遠藤周作さんは、昭和56年から2年かけて 朝日新聞に「女の一生」を連載執筆していま した。私は、毎日、愛読していたのですが、 ある時、物語の進行が、急に、早くなり、あ れよあれよという間に、連載は終わってしま いました。 後日、知人の編集者から聞いたのですが、ノ ーベル賞受賞を逃したことに、落胆して、構 想通りに小説を書き終えることができなくな ったということです。 ☆2009年2月15日 村上春樹エルサレム賞イスラエル大統領シモン・ペレス氏と村上氏 (つづく) (1157dys-767ent)

『ツキの波』

新書: 189ページ 出版社: 新潮社 (2010/04) ・人間はツキを支配や制御することはできないが、その性質を 知り、波を利用することはできるのではないか。ツキという不 思議な存在を誰よりも深く考え、語り続けてきた作家、阿佐田 哲也(色川武大)。その思想は現代人にとって大きな指針となる。 遺された至言の数々を『人は見た目が9割』の著者が読みとく。 〔目次〕 第1章 運の総量は一定である 第2章 直感は考え抜いた末に出来上がる 第3章 勝利は終末への第一歩 第4章 ヒットを打つよりフォームを固めよ 第5章 真理は市民社会の外にある 第6章 「運の達人」たちに学ぶ 終章  世界は乱雑なまま肯定される 〔著者〕 ☆竹内一郎(竹内たけうち いちろう)☆ ・1956(昭和31)年福岡県久留米市生まれ。劇作家・演出 家・著述業。横浜国大卒。博士(比較社会文化、九大)。 さいふうめい名義で『哲也―雀聖と呼ばれた男―』の原案を担当。 『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞受賞。 著書に『人は見た目が9割』など。 ツキの波 (新潮新書)参照:2011-11-21「できる人は「声」が違う!」『人は見た目が9割』(1)

竹内一郎著『ツキの波』(9)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(120)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(26)△▼

・20人の決死隊・(その1)

「死んでもいい人間を用意してくれ」という要請
《「――話を佐藤のケースに戻す。 冷却システムがダウンして1F(東京電力福島第一原発)が危機的 状況に陥ると、佐藤の携帯に東京電力関係者から「緊急対応の作業 があるから行けるかな?」と、直接かかってきた。 前述した通り、彼の会社のボスは「死んでもいい人間を用意してく れ」という要請を受け、社員の派遣をためらっていた。 「うちが行きますよ。誰も行かないのはまずいでしょう」 ここでの撤退は後々の営業戦略に大きな影響を与えるだろうと、佐 藤は踏んでいた。土壇場のピンチを逃げ出さずに踏ん張れば、東電 は作業員を派遣してくれた会社に恩義を感じるはずだ。 他の会社を含め、佐藤の現場から合計20人あまりが1Fに向かう ことになった。マイクロバスがJヴィレッジに到着したのは午前2 時だった。電気が不通のため、あたり一面は真っ暗で、建物も静ま りかえっている。 「様子……真っ暗でなにも見えないっすもん。ちょっと離れた場所 にもう一台バスが駐まってて、東芝の放管の人らがいて、そこでク イクセルの配布とか、そういうのやってるだけです。 東電の社員の人たち……見てないっすね。あとは放水車が駐まって て。ほんと暗くて周りの状況が分かんなかった。バスの車内の照明 だけを頼りにタイペック着て、全面マスクを付けて、朝5時まで、 Jヴィレッジでマイクロバスの中にいましたね。 1Fには6時くらいに着きました。どう思ったか? ああ、1Fは 終わりだなぁって。あれ見たら誰だってそう思います」 ――」》 ◎国より悪質な福島県原発事故対応 不手際、また、ゾロ 東京電力福島第1原発事故を受けて、福島県が実施している県民健 康管理調査の検討委員会を巡り、4月に県民から議事録の情報公開 請求を受けた際、当時存在しなかった議事録を県が、急きょ作成し て開示していたことが判明しました。 東日本大震災関連の会議で国の議事録未作成が問題化した後で、県 職員が手持ちのメモを基に作ったとされ、ページ数は通常の半分以 下という悪質さ。 福島県は、原発事故の被災県なので、遠慮していましたが、福島県 は、原発を大いに利用してきました。 「原発をやらないと、ニ一世紀のエネルギーは確保できない。政治 生命をかけてもいい」 「原発を造れば作るほど国民は長生きする」 などと舌禍事件を起こしていたのが元民主党最高顧問の渡部恒三。 2006年11月12日に投開票された福島県知事選挙において、渡部 恒三の秘書を長く勤め、当時参議院議員民主党所属)だった渡部 の甥(姉の長男)である佐藤雄平を擁立し、佐藤は当選を果たしま した。 渡部恒三は故郷の福島の被災者の味方のような白々しく顔をして、 こんな発言をしていました。 「原発事故については、東京電力や政府に怒っている。故郷で生活 できなくなり、仕事も奪われたのだから。東電の清水正孝社長は事 故後、体調不良一週間も姿を消していた。組織のトップとして恥ず かしい。這ってでも出てきていたら、被害者の気持ちはここまでひ どくなかった」 非の打ち所がないがない正論。ご立派ですね。これが日本の政治家。 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(85)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈22〉△▼ ・ニ この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・ ・石原都知事の天罰発言・(その2)   
ババアは有害」「障害者に人格はあるのか」の発言で物議を
《「――石原知事は。「被害者の方々はかわいそうですよ」とも述 べているが、この天罰発言に対しては当然ながら、「では被災者の 人々は何か悪いことをして罰を受けたというのか」という反発が起 こった。 そして石原知事はこの発言を撤回せざるをえなかったのである。 「ババアは有害」「障害者に人格はあるのか」などの発言でしばし ば物議を醸してきた石原都知事だが、今回は、自ら四選をめざして 立候補を表明していた東京都知事選の直前だったせいか、珍しく謝 罪・撤回の表明が速やかだった。 政治家の発言である以上、政治的な利害計算がそこに潜んでいるこ とは当然考えられるのだが、石原氏は従来、日本では戦後、我欲に とりつかれた人間が国全体を堕落させているという、「我欲」に対 する批判を繰り返してきた。 我欲を捨てるために徴兵をしいて若者を鍛えたらよいという議論す ら行なってきた人だから、これは元来の持論だとも言える。 ――」》 ◎原子力ムラの暴走を許した「エネルギー政策基本法」をお忘れ? さきに自民党政調会長に就任した甘利明氏が、インタビューに、こ う答えています(毎日新聞「民自新役員に聞く」2012年10月9日)。 記者―元経済産業相の立場もあって「原発推進派」と言われるが。 甘利―推進派ではない。一つのエネルギー源に頼りきらない「ベス トミックス派」だ。 うまいもんですね。あまいもんですね。 おもえば、エネルギー政策の大きな方向性を示すことを目的とした 「エネルギー政策基本法」は、2001年11月8日に、自民党の甘利 明、細田博之、保守党の小池百合子ら7名によって衆議院に提出さ れ、2002年6月7日に成立、同月14日公布、施行されました。 実は、この議員立法の黒幕は、元東京電力副社長の加納時男を参議 院議員でした。 そして、原子力ムラ旋風が、日本を席巻しました。

福島県:全国の避難者 9月12日現在 99,521人(復興庁)

福島民報社のニュースサイト ◆◆仮の町「分散型」選択 馬場浪江町長示す 日本災害復興学会で 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 動物  むつつりと子供の留守居小鳥来る
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☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

 西條八十
・烏の手紙・
山の烏が 持ってきた 赤い小さな ?袋(じやうぶくろ) あけて見たらば 「月の夜に   山が燒けけ候(そろ)   こわく候」 返事書こうと 眼がさめりゃ なんの もみじの 葉がひとつ         (赤い鳥) ※Wikipedia:西條八十 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)仏陀・    悉達多(しったるた)は王城を忍び出た後六年の間苦行 した。  六年の間苦行した所以(ゆえん)は勿論(もちろん)王 城の生活の豪奢(ごうしゃ)を極めていた祟(たた)りで あろう。  その証拠にはナザレの大工の子は、四十日の断食しかし なかったようである。    又  悉達多は車匿(しゃのく)に馬轡(ばひ)を執(とら) せ、潜(ひそか)に王城を後ろにした。  が、彼の思弁癖は屡(しばしば)彼をメランコリアに沈 ましめたと云うことである。  すると王城を忍び出た後、ほっと一息ついたものは実際 将来の釈迦無二仏(しゃかむにぶつ)だったか、それとも 彼の妻の耶輸陀羅(やすだらだ)ったか、容易に断定は出 来ないかも知れない。    又  悉達多は六年の苦行の後、菩提樹(ぼだいじゅ)下に正 覚(しょうがく)に達した。  彼の成道の伝説は如何に物質の精神を支配するかを語る ものである。  彼はまず水浴している。それから乳糜(にゅうび)を食 している。最後に難陀婆羅(なんだばら)と伝えられる牧 牛の少女と話している。〈39〉  

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

物が二重に見える。
I have double vision.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《アメリカ》◎◆◎

Checkup (虫歯予防デー
(1957年・個人蔵) ・1957年9月7日号『サタデーイブニングポスト』誌表紙作品。 三人の少女、それぞれに、表情が違いますね。中央の少女がお ねいさんぶって、歯が抜けたばかりの女の子の口の中をのぞき 込み、本人は落ち着き払っています。 でも、歯が抜けた少女は少々興奮気味です。彼女にとって初め ての経験なんでしょうね。かたや、左側の少女はうらやましそ うな表情で立ちすくんでいます。この少女は、まだこの成長の しるしを経験していないんでしょうね。 細かいようですが、三人は同じブランドのスニーカーを履いて いますが、靴ヒモはそれぞれ異なっています。ロックウェルは 細部をも見逃がすことがありません。 ◆ノーマン・ロックウェル Norman Rockwell (1894年2月3日‐1978年11月8日〈84歳〉) ・ノーマン・ロックウェルアメリカの画家、イラストレーター。 軽いタッチでアメリカの市民生活を描いて、アメリカで幅広い大 衆的人気を博しています。 ニューヨーク生まれ、美術学校を出てから、アメリカ・ボーイス カウト協会の雑誌などに絵を書き始め、ボーイスカウト運動への 貢献に対して、後に、世界で十数人しか与えられていない功労賞 (シルバー・バッファロー章)を受賞しています。 1916年から1963年にかけて『サタデー・イーブニング・ポスト』 紙の表紙を飾り、とりわけ1940年代から1950年代のものが人気が あります。 アメリカ人の日常生活を描くことが、作品の重要な主題で、子ど も、とりわけ、少年や犬などの小動物が作品に頻繁に現れるのは、 彼の生い立ちに影響しています。両親とも画家の家庭に、1884年 ニューヨーク郊外で生まれました。 ☆Norman Rockwell ☆Norman Rockwell: 332 Magazine Covers  (Tiny Folios Series) [ハードカバー] Norman Rockwell: 332 Magazine Covers (Tiny Folio) ☆Norman Rockwell: An American Icon (amLira さんが 2008/01/28 にアップロード) 【A Documentary I made for US History on  Norman Rockwell. I used an awesome clip  from denis61 who made an animation of him!】