何故、あの人にはツキがあって、私にはないのか

何故、あの人にはツキがあって、私にはないのか

{ツキと呼ばれる現象を風、人間を帆船に、見立てるとわ
 かりやすい。帆船は、風を支配することはできない。だ
 が、風という現象はあるのだから、風を上手に利用する
 ことを考える。同じ風向き、同じ風速の風を使っても、
 船を速く進められる船長と、それができない船長がいる}

竹内一郎著『ツキの波』(2)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(113)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(19)△▼

・佐藤の告白・(その5)

佐藤は世間が放射能におびえる中幸せの絶頂にある、皮肉な話
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(78)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈15〉△▼ ・市民の責任・(その2)
戦争が開始されたら第一に国家元首が最前線に送り込まれる

竹内一郎著『ツキの波』(2)

◇ はじめに(下)◇
何故、あの人にはツキがあって、私にはないのか
《「 ◇今日の注目写真(Source:REUTERS)◇ ☆Protesting Ahmadinejad (Sept. 24 - Protesters rally outside President Mahmoud Ahmadinejad's New York hotel, voicing their opposition against the Iranian leader's visit to UN.) 麻雀で“バカツキ”の状態がくるときがある。 最初からいい牌(パイ)が並んでおり、さら に欲しい牌を次々にツモってくる。 他の人は“手がつけられない状態”だと感じ る。一方で、数時間麻雀をやっても箸にも棒 にもかからないときがある。 私はツキがあるのだろうか――。それともな いのだろうか――。私のツキはあるともない ともいえない。ツキのある時と、ない時があ るだけなのである。それも偶然そうなってい るだけ。 人はツキを制御することはできない。だから、 ツキに関しては、夏目漱石の次お言葉のよう に処すのが、理性的な方法だと考えている人 が多いはずだ。 「運命は神の考えるものだ。人間は人間らし  く働けばそれで結構だ」(「虞美人草漱石は努力して結果が出せたから、それでよ い。しかし、一般人はなかなか割り切れない。 何故、あの人にはツキがあって、私にはない のか、と。 水商売や営業職の人は、“ツキの波”のよう なものをとりわけ強く感じながら、生きてい る方が多いのではのではあるまいか。 この本の結論にあたることだが、ツキと呼ば れる現象を風、人間を帆船に見立てるとわか りやすい。 帆船は風を支配することはできない。だが、 風という現象はあるのだから、風を上手に利 用することを考える。 同じ風向き、同じ風速の風を使っても、船を 速く進められる船長と、それができない船長 がいる。 同じように、ツキを支配や制御することはで きないが、現象はあるのだから、利用できな いだろうか、と誰よりも深く考え、語り続け た作家がいる。 麻雀小説で一時代を画し、雀聖(麻雀の神さ ま)と呼ばれた、阿刀田哲也である。 本書の目的は、彼が生涯をかけて語り続けた 「ツキ」というつかみどころのないもについ て考えてみることである。 私自身がそうであったように、人間観、世界 観に関する大きな気付きが得られることと信 じている。 」》 ◎“ツキと呼ばれる現象を風、人間を帆船に 見立てるとわかりやすい”のたとえは、実に 説得力があります。 ツキには、歴史的時間軸において、ツイてい ないこともあります。 慶長遣欧使節。慶長18年(1613年)に仙台 藩主伊達政宗が、フランシスコ会宣教師ルイ ス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、 エスパーニャ帝国(スペイン)の国王フェリ ペ3世、および、バチカンローマ教皇パウ ルス5世のもとに派遣した使節です。 伊達政宗の大きな期待を受けて出国した常長 でしたが、不幸にも(ツイていない)、出国 直後から日本国内でのキリスト教に対する環 境は急速に悪化しました。 常長が帰国したとき、日本はすでに禁教令が 出されており、歴史上、彼が果たした偉業と は裏腹に、キリシタンの洗礼を受けていた常 長は、世を忍んで暮らし、失意のうちに死を 迎えました。 そのとき、伊達政宗は、同藩の陸奥国領内で、 約500トン級、日本で最初のガレオン船 (16世紀半ば〜18世紀ごろの帆船の一種) を建造しています。 慶長遣欧使節は、仙台とローマとの往復のう ち太平洋横断において同船を使用しました。 その名は「サン・ファン・バウティスタ号」。 使節団は、慶長18年9月15日(1613 年10月28日)にサン・フアン・バウティ スタ号で、牡鹿半島の月ノ浦(現在の宮城県 石巻市)を出帆し、ヌエバエスパーニャ太 平洋岸のアカプルコへ向かいました。 1617年7月4日、使節団はセビリアを出 発し、ヌエバエスパーニャまで戻り、16 18年4月2日、迎えのサン・フアン・バウ ティスタ号でアカプルコを出港。 同年8月10日、フィリピンのマニラに到着。 サン・フアン・バウティスタ号をマニラで売 却することになります。支倉常長もツイてい ませんが、サン・フアン・バウティスタ号も ツイていませんでした。 ◇支倉常長 ◇「サン・ファン・バウティスタ号」 支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇 (中公新書) 支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇 (中公新書) (つづく) (1143dys-760ent)

『ツキの波』

新書: 189ページ 出版社: 新潮社 (2010/04) ・人間はツキを支配や制御することはできないが、その性質を 知り、波を利用することはできるのではないか。ツキという不 思議な存在を誰よりも深く考え、語り続けてきた作家、阿佐田 哲也(色川武大)。その思想は現代人にとって大きな指針となる。 遺された至言の数々を『人は見た目が9割』の著者が読みとく。 〔目次〕 第1章 運の総量は一定である 第2章 直感は考え抜いた末に出来上がる 第3章 勝利は終末への第一歩 第4章 ヒットを打つよりフォームを固めよ 第5章 真理は市民社会の外にある 第6章 「運の達人」たちに学ぶ 終章  世界は乱雑なまま肯定される 〔著者〕 ☆竹内一郎(竹内たけうち いちろう)☆ ・1956(昭和31)年福岡県久留米市生まれ。劇作家・演出 家・著述業。横浜国大卒。博士(比較社会文化、九大)。 さいふうめい名義で『哲也―雀聖と呼ばれた男―』の原案を担当。 『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞受賞。 著書に『人は見た目が9割』など。 ツキの波 (新潮新書)参照:2011-11-21「できる人は「声」が違う!」『人は見た目が9割』(1)

竹内一郎著『ツキの波』(2)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(113)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(19)△▼

・佐藤の告白・(その5)

佐藤は世間が放射能におびえる中幸せの絶頂にある、皮肉な話
《「――「結婚しよう」 「いいよ。式はどこで挙げるの?」 「ハワイにしようぜ!」 「ほんと、マジ?」 「でもいわきの、ね」 いわきのハワイとは、湯元の観光のメッカだった『スパリゾートハ ワイアンズ』のことだ。映画『フラガール』の舞台ともなったここ は、一見するとそう被害がないように見えるが、中に入ると壊滅的 な状況を呈している。 現在、急ピッチで新しいビルを建設中で、この頃、いわき湯本イン ターを降りると、巨大なクレーンが見えた。 フクシマ50とホステスが、ともに本気だったとしても、二人の夢 が叶うのは、物理的に2012年2月8日のグランドオープン後と いうことになる。 もちろん、まだまだ1F(東京電力福島第一原発)事故は収束しな い。新郎の休みが取れないので、夢の実現はさらに先だろう。 それでも佐藤は十分に満足している。 「おじいちゃんとおばあちゃんが、近所に、『うちの孫はフクシマ 50』って自慢してるんだって聞いて、俺、すっごく嬉しくて」 佐藤は世間が放射能におびえる中、幸せの絶頂にある。なんとも皮 肉な話である。 ――」》 ◎なぜ、原子力損害賠償法が作られたか。 日本の原子力発電所は、1966年に東海発電所の稼働で始まりし た。その計画中の1960年に、当時の科学技術庁原子力産業会 議に対して、東海発電所で、もし大きな事故が起きた場合、どのよ うな被害が出るか、試算を委託しました。 その試算は、破局的な被害の計算結果でした。政府は、その天文学 的な数字に驚き、その報告書は、秘密にされてしまいしました。 あまりにも膨大な数字を知ってしまった政府は、これは電力会社だ けでは補償などできないと判断し、原子力損害賠償法という法律の もとで、電力会社を免責し、一定以上の被害は国家が、国会の議決 を経て、電力会社の面倒を見る法律を作ったのです。 なお、その秘密にされた報告書は、1990年代半ば、国会で追求 されて、日の目を見ました。 ひどい話でしょう。これは、まさに確信犯の犯罪行為です。 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(78)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈15〉△▼ ・市民の責任・(その2)
戦争が開始されたら第一に国家元首が最前線に送り込まれる
《「――だからこそ、デンマークの陸軍大将フィリップ・ホルムが 提唱したという「戦争絶滅受合法案」を引き合いに出したのである。 ホルムの「法案」はこういうものだ。 「戦争が開始されたら一〇時間内に、次の順序で最前線に一兵卒と して送り込まれる。 第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大臣、 各省の次官。第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。 第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。 ここに示されているのは、責任にはその権限に応じて軽重があり、 また、その人が何をしてきたか(戦争に反対したか、反対しなかっ たか)などに応じても違いがある、ということだ。 私がホルムの「法案」を引いたのは、内閣総理大臣の責任も、都市 部の人間の責任も同じだと言うためではなく、それぞれの立場に質 と程度の異なる責任がある、というためだった。 ただし、「問題は、しかし、誰が犧牲になるのか、ということでは ない。犧牲のシステムそのものをやめること、これが肝心なのだ」 ということは確認しておきたい。 ――」》 ◎日本政府はチェルノブイリ原発事故を完全に無視してきた。学ぶ ところ、いくらでもあったのに、原発安全神話亡者には、それが見 えなかった。 9月23日に放送された、NHK・ETV特集 シリーズ チェルノ ブイリ原発事故・汚染地帯からの報告 第2回「ウクライナは訴え る」を観て、つくづく思う。 放射性物質の体内濃縮から体内被曝に至りますが、かって、枝野幸 男官房長官が「ただちに健康に問題ない」と言ったのは、無知から とはいえ、明白な犯罪行為です。 また、原子力安全・保安院の西山英彦審議官などは、チェルノブイ リ原発事故ではニ九人しか死んでいないと、ほざいていました。ま ったく現実認識のお粗末さ。 チェルノブイリ原発事故の健康被害者は七〇〇万人に達していると の報道もあり同事故の死亡者は一〇〇万人との報告書も出ています。

福島県:全国の避難者 9月12日現在 99,521人(復興庁)

福島民報社のニュースサイト ◆◆「成果十分でない」 細野原発相、知事に政調会長内定報告 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 地理  議事堂は空母船団の鰯雲
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☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

       
・戦争が廊下の奥に立つてゐた
           渡辺白泉 ※Wikipedia:渡辺白泉 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・或自警団員の言葉・(後段)  しかしショオペンハウエルは、――まあ、哲学はやめに し給え。我我は兎に角あそこへ来た蟻と大差のないことだ けは確かである。  もしそれだけでも確かだとすれば、人間らしい感情の全 部は一層大切にしなければならぬ。自然は唯(ただ)冷然 と我我の苦痛を眺めている。  我我は互に憐まなければならぬ。況(いわん)や殺戮 (さつりく)を喜ぶなどは、――尤(もっと)も相手を絞 め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。    我我は互に憐まなければならぬ。ショオペンハウエルの 厭世観(えんせいかん)の我我に与えた教訓もこう云うこ とではなかったであろうか?    夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不変(あいかわ らず)頭の上に涼しい光を放っている。  さあ、君はウイスキイを傾け給え。僕は長椅子に寐ころ んだままチョコレエトの棒でも噛(かじ)ることにしよう。 〈32〉 

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

彼は楽観的になる傾向がある。
He hsa a tendency to be optimistic.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“登録簿へのサイン”
(Signing the Register) (所蔵:ブリストル・アート・ギャラリー、英国) エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】