「慶子さん、これ読んでくれる?」

「慶子さん、これ読んでくれる?」

{私もそれを受け取り、封筒から手紙を取り出
  した。裸電球の下で私は読み始めた。一目で
  アメリカ人とわかるスペルの書き方、初めに、
 「 Dearest HIROKO」と書いてあるのも、とて
  もアメリカ人、英国人は普通「 Dear 」と書
  く。私は読んでいるうちに涙が頬を伝った}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(72)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(103)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(9)△▼ ・茶髪のフクシマ・(その2)
「えっ? フクシマ50なの」
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(68)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈5〉△▼ ・第一義的な責任は「原子力ムラ」にある・(その2)
原発訴訟、圧倒的に国寄りの判決、司法すらも「原子力ムラ」

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(72)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(59)◇ ・アーニーのが十七歳年上のアンヌマリーと結婚(その6)
「慶子さん、これ読んでくれる?」
《「 ☆Richard Whitehead of Great Britain runs in the men's 200m - T42 Final (Richard Whitehead of Great Britain runs in the men's 200m - T42 Final on Day 3 of the London 2012 Paralympic Games at Olympic Stadium.) ◇ロンドン2012パラリンピック日本代表Official Site アーニーは、普通のアメリカ人のように大き な声でしゃべり、大げさにゼスチャーをする 人ではなかったかけれど、優しい人だったか らだ。 マークのようないいかげんな男ではなかった かと思う。 でも、どうして、広子さんは彼女のほから、 「結婚しよう」と言わなかったのだろう。ア ーニーに広子さんとの結婚の自信がなかった かとしても、広子さんのほうから迫っていれ ば、彼は案外、受け入れたと思う。これはあ くまで私の想像だけれど。 アンヌマリーとの結婚は、きっと、彼女のほ うが情熱的に迫ったのではないか。 それにしてもパリの区役所のレジスターオフ ィスで、アーニーが結婚の誓いをしている姿 を想像すると私は頬がゆるむ。 三千代さんとクリスの結婚式にも、アーニー と広子さんは出席したのだ。広子さんはあの とき、どんな感慨をもっていたのだろうか。 「慶子さん、これ読んでくれる?」 広子さんは、突然、ベットの上に立ち上がり、 頭の上の棚から小箱を取り出すと、その中か ら一通のエアメールの封筒を取り私に渡した。 私もそれを受け取り、封筒から手紙を取り出 した。 裸電球の下で私は読み始めた。一目でアメリ カ人とわかるスペルの書き方、初めに、 「 Dearest HIROKO 」と書いてあるのも、と てもアメリカ人、英国人は普通「 Dear 」と 書く。私は読んでいるうちに涙が頬を伝った。 「昨夜、夢を見た。ぼくは夢なんかめったに 見ない。大きな広い通りでぼくが立っていた ら、向こうのほうにヒロコが立っていた。 ぼくは思わず大声で『ヒロコ』とよんだ。 ヒロコはぼくに向かって走って来た。ヒロコ は、ぼくの腕の中に走ってきた。ぼくはヒロ コをしっかり抱いた。 ヒロコは大きな笑みでぼくを見上げた。 ぼくはヒロコを強く強く抱きしめた。そして、 目が覚めた。 暗闇の中で、ぼくはもう一度夢の続きを見た いと眠ろうと努力した。でも、眠れなかった。 And I had tear in my eye in darkness. 」 それだけだった。ほかは何も彼自身のことは 書いていなかった。目が覚めて暗闇の中でベ ットで涙を浮かべたアーニー。手紙の差出先 はカルカッタだった。 私とヒロコさんは黙った。二人とも、しばら くしゃべらなかった。雨が降り始めたのか、 小さな窓に雫が流れていた。 「あした、ヒースロウまで送っていくわね」 広子さんはポツンとつぶやいた。 」》 ◎このところ、女の人の強さに感嘆していま した。女の人の強さには、男は、その足もと に拝跪しても、追いつかない。 人類が、こんにちまで、生き永らえて来られ たのも、女性の強さがあってこそと、つくづ く思います。 そんななか、NHK:EテレのETV特集 「吉田隆子を知っていますか〜戦争・音楽・ 女性〜」(9月2日)を観ました。震えまし た。 悔しいことに、私は、吉田隆子さんのことを 知りませんでした。戦時中、拷問で悪名高い 特別高等警察の幾度もの検挙に耐えて、おの れの信念を曲げることはありませんでした。 特高の厳しい監視や、重い病気と必死で闘い ながら、反戦と女性解放を掲げて、新しい音 楽を目指した作曲家でした。 昭和の激動の時代、男性中心のクラシック音 楽界にあって、隆子は独学で作曲を学び、自 ら演奏家を組織して楽団「創生」を結成し、 聴衆との接点をつくりだそうとしました。 しかし、男性に対抗する、この新しい音楽運 動がもとで、思想犯として4度も検挙され、 拘留中の悪環境がたたって結核を病み、昭和 15年から6年にわたり闘病生活に入ります。 それでも、音楽への熱い思いを決して捨てる ことはありませんでした。 ☆作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して 作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して 〈目次〉 ・吉田隆子の生涯と音楽(月日は待ってくれない) ・勉強しろ―隆子の生いたち(1910‐28) ・「男」と平等にあれ! 我に勉学の自由を与えよ! ・人形劇団プークからプロレタリア音楽同盟(PM)へ(1929‐34) ・嘘のない作曲を! 嘘のない音楽を! ・「楽団創生」の創立と活動(1935‐39) ・ただ無性に書きたい! 書きたい! 念しきりなり ・「病床日記」を読む(1940‐45) ・悩みや憤りや、喜びや悲しみを彼女たちに代わって ・戦後の転換と創作への希求(1946‐56)) ・吉田隆子「病床日記」 (つづく) (1123dys-750ent) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(72)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(103)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(9)△▼ ・茶髪のフクシマ・(その2)
「えっ? フクシマ50なの」
《「――「いつもなんの仕事をしているんでか?」 どう答えていいか悩んだ。軽いジャブで応酬した。 「俺の仕事? ゆすり、たかり、恐喝」 「マジっすか?」 取材対象が暴力団なので、とっさにそう嘘をついた。 「いや、でも実際いつもそんな感じの場所にいる」 「形から入るのが詐欺師のやり方だもん」 「クックックッ。すげぇ、なんかすげぇ感じです」 責任者は、右腕で両目を覆いながら、純朴な仕草で笑った。 「そうだ。俺、会社から名詞作ってもらったんです」 受け取った名詞には、G社の会社名の下に『 FUKUSHIMA 』と印刷 してあった。 「えっ? フクシマ50なの」 「一応、です」 俗にいう『フクシマ50』の定義はひどく曖昧である。 一般的には、「東日本大震災によって発生した“想定外”の津波が 1F(東京電力福島第一原発)に来襲し、冷却システムがダウン、 1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、1Fに残った 職員・作業員」となろう。 インタネットのフリー辞書である Wiki にもある程度の記述がある。 サイトには関係者の大半が避難するなか、死を覚悟して原発の収束 作業に当たった50人……実際は約70名だったと書かれており、 取材の印象で言えば、その程度なら信用してもいい。 ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎いまの野田政権周辺は、総理を筆頭に 前原誠司政策調査会長、玄 葉光一郎外務大臣松原仁国土交通副大臣樽床伸二民主党幹事長代 行など、党と政府の主要な役職に、松下政経塾の出身者たちは就いて います。 松下政経塾をとやかく言うつもりはありませんが、彼らには、ある共 通の短所があります。塾を単に出ただけで、行政の経験もなければ、 民間の企業での勤務の経験もありません。行政や経済については素人 なのです。というよりも一般社会の何たるかを学んできませんでした。 塾くらいで学べるわけがありません。 とうぜんのことながら、経済界や行政に人脈もありません。いくら、 政治主導をうったとところで、そのノウハウを持ち合わせていません でした。想えば、選んだ私がバカでした。かっこいいしに騙されまし た。不覚の極み。 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(68)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈5〉△▼ ・第一義的な責任は「原子力ムラ」にある・(その2)
原発訴訟、圧倒的に国寄りの判決、司法すらも「原子力ムラ」
《「――原発を稼働させるために安全性の承認を与え、原発安全神 話にお墨付きを与えてきた学者・専門家たち、安全神話を国民に流 布して莫大な広告費をせしめてきたマスメディアも「原子力ムラ」 の重要なアクターである。 そのマスメディアに再三登場し神話の流布に寄与してきた文化人・ 芸能人たちもここに含めることができるかもしれない。 忘れてならないのは、司法の責任である。安全性への疑問から運転 差し止めなどを求めて起こされてきた原発訴訟で、原告側が勝訴し たのは三五件ニ件しかなく、その二件も上級審でくつがえされた。 圧倒的に国寄り、行政寄りの判決が出されてきたのだが、福島原発 事故で過去の判決の妥当性があらためて疑問に付されている。 伊方原発訴訟最高裁判決(一九九二年一〇月ニ九日)は、原発の安 全審査と設置許可に関して司法が国側の決定を追認していく出発点 となったが、そのときの味村治判事が原発メーカー・東芝に天下っ ていた事実は、司法すら「原子力ムラ」の一部であったかと思わせ るに足る(「原発と司法」については『週刊金曜日』第八六六号を 参照)。 ――」》

福島県 3・11 から1年6ヶ月後も県内外に16万人が避難生活中

◇◇◇福島からの声に耳を傾けてください(@福島民報)◇◇◇ ◎そりゃあ、還りたいさ。でも、国による除染では「居住できない」 が480人(約62%)に上り、住民が除染効果を不安視している 実態が浮き彫りに。住民の苦難は、なおも、続く。 →山木屋の住民65%帰還の意思 福島県川俣町は4日、計画的避難区域に設定されている山木屋地区 住民の意向調査結果(速報値)を公表した。483人(約65%) が帰還の意思を持っていることが分かった。ただ、国による除染で 居住できるようになるかどうかを尋ねた質問では「居住できない」 が480人(約62%)に上り、住民が除染効果を不安視している 実態が浮き彫りになった。(2012/09/05 10:02 福島民報☆記事全文へ福島民報社のニュースサイト 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

沖縄戦は終わっていない。今も戦争PTSDに苦しむお年寄り。

琉球新報のニュースサイト沖縄タイムスのニュースサイトWikipedia:沖縄県の歴史 ★沖縄の島守―内務官僚かく戦えり 沖縄の島守―内務官僚かく戦えり

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 地理  自転車のサドルを高く花野晴れ
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
むづかりし嬰児あやし立つ庭に夕べねぶたの囃子聞こゆる
安田渓子(65歳)青森県 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・創作・  芸術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れな い。しかし作品そのものを見れば、作品の美醜の一半は 芸術家の意識を超越した神秘の世界に存している。  一半? 或は大半と云っても好い。    我我は妙に問うに落ちず、語るに落ちるものである。 我我の魂はおのずから作品に露(あらわ)るることを免 れない。  一刀一拝した古人の用意はこの無意識の境に対する畏 怖(いふ)を語ってはいないであろうか?    創作は常に冒険である。所詮(しょせん)は人力を尽し た後、天命に委(ま)かせるより仕方はない。  少時学語苦難円 唯道工夫半未全  到老始知非力取 三分人事七分天  趙甌北(ちょうおうほく)の「論詩」の七絶はこの間の 消息を伝えたものであろう。芸術は妙に底の知れない凄 (すご)みを帯びているものである。  我我も金を欲しがらなければ、又名聞を好まなければ、 最後に殆ほとんど病的な創作熱に苦しまなければ、この無 気味な芸術などと、格闘する勇気は起らなかったかも知れ ない。〈22〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

このワインはとてもこくがある。
This wine has a lot of body.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“市の立つ日”
(Market Day) (1900年・所蔵:ライン・アート・ギャラリー、ニューカッスル         ・アポン・タイン、英国) エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】