一度だけ、死者との再会が叶うとしたら――

一度だけ、死者との再会が叶うとしたら――

{私の『ツナグ』という小説は死を扱った話で、
 たった一人と一度だけ、死者との再会が叶う
 としたら――、というテーマ。その再会を仲
 介してくれる存在の名前を“ツナグ”という}
『ネオカル日和』〈著者〉辻村 深月(27)
《2 おおむね本と映画の宝箱》から ◇本への幸福な勘違い◇(3)
一度だけ、死者との再会が叶うとしたら――

自分の小説が、作者以上に、読者のものになる

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(15)

▼△序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」△▼(15)
・指が欠けていても(その1)・

●『仕事で怪我した』って適当な嘘いって、就労

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆(60)

▼△第8章 「日本病」と原発政策)(15)△▼
プルサーマルは福島で実施しないこと再確認(その2)・

新潟県泉田裕彦知事も東電プルトニウム利用計画に反対

『ネオカル日和』〈著者〉辻村 深月(27)
《2 おおむね本と映画の宝箱》から ◇本への幸福な勘違い◇(3)
一度だけ、死者との再会が叶うとしたら――

自分の小説が、作者以上に、読者のものになる

《「 ・ツナグ [単行本]・ ツナグWikipedia:辻村深月・ (このたび私の『ツナグ』という小説が、光 栄なことに第三十二回吉川英治文学新人賞を いただいた) この小説は、死を扱った話で、たった一人と 一度だけ、死者との再会が叶うとしたら――、 というテーマ。その再会を仲介してくれる存 在の名前を“ツナグ”という。 三十代になったばかりの今の私の年で「死」 について語ることはまだ早いのではないか、 傲慢ではないのか、と迷いながら、だけど、 書き始めてみなければわからいこともあるは ずだと腹を括って、五人の主人公を書いた。 彼らが会いたいと望むのは、憧れていたアイ ドルや、癌で逝った母親、喧嘩したまま別れ た親友や、失踪した婚約者など。 すると、刊行した後で、私よりずっと年配の 方々から「自分だったらこの人に会いたいで す」という手紙をたくさんもらった。 中には、「本の奥付にある番号にかければ、 ツナグが出てくれるんじゃないかと、何度も 電話しようと思ったかわかりません」という のまで。 それを読んだ時、自分の小説が、作者以上に、 読者の誰かのものになる瞬間があることをは っきりと目の当たりにできた気がした。 受賞後に故郷に戻った際、私が通っていた図 書館を訪ねると、かってそこで働いていたと いう元職員の男性が「『ツナグ』、すごくよ かったです。おめでとうございます」とぎゅ と手を握ってくれた。 「ありがとうございます」と笑顔を返そうと したその時、彼の口元に八重歯が覗き、あっ と思って、それから胸がいっぱいになった。 今の私の仕事が、読者に、その昔私がそう読 んだような「自分の話」として幸福に勘違い され、傍らに置いてもらえているならば、作 者にとってこんなに嬉しいことはない。 書いた話を、自分の思惑さえ通り越して、よ り豊かに読んでくれる人たちが必ずいると確 信できる私は、これもまた、おめでたい勘違 いかもしれないけれど、それでもやっぱり、 幸せな作家だ。
辻村深月『ツナグ』新潮社〈立ち読み・書評/対談など〉
」》 ◎今日の場面で、辻村深月さんが、受賞後に 故郷の図書館を訪ねると、かってそこで働い ていた元職員の男性が「『ツナグ』、すごく よかったです。おめでとうございます」とぎ ゅと手を握ってくれた、と感動的なシーンが ありますが、あれっ、この人、既出の“八重 歯のお兄さん”と同一人物なのかな? 辻村 さんが、明言してくれないので、こんな時、 小心な我輩は焦れてしまうのです。 当エントリー(2012-03-19付け)掲載の「本 との出会いは、巡り合わせと運しかない」の 文中のこうありました。 “当時、町の図書館から、絵本や児童書を載 せたワゴン車が近所の神社や公園を回ってく れていたのだが、車を運転するお兄さんは笑 うと八重歯が見えて、“八重歯のお兄さん” に貸し出しカードの手続きをしてもらうのが、 毎週、一番の楽しみだった” これは、明らかに、乙女の恋心が芽生えてい ます。 コンテクストから判断して、同一人物だと推 量出来たとしても、一読者としては、濃密に 再会の喜びを描いてほしかったのです。そし て、もっと、酔いたいのです。辻村さーん、 「本との出会いは、巡り合わせと運しかない」 (つづく) (Y225-94) (Y226-95休)〜(Y228-97休) **『ネオカル日和』 単行本: 280ページ 出版社: 毎日新聞社 (2011/11/25) 《待望の初エッセイ集! 大好きがいっぱい! 【ネオカルチャー】辻村深月が独断と偏愛で選ぶ日本の 〈今〉を象徴する、おもしろいもの、かわいいもの、お  いしいもの、ヘンなもの、そんなものぜんぶ。  国民的マンガからパワースポットまで、“ネオカル”  の現場を人気ミステリー作家が潜入!辻村深月のマニ  アックなこだわりとキュートでトホホな日常を綴る初  ルポ&エッセイ集》〔表紙帯から〕 〔目次〕 1 ネオカルチャー新発見  (支えは藤子・F・不二雄さんの人格 ドラえもん  レッツ・のう能!のうのう能 ほか) →2 おおむね本と映画の宝箱  (私をまっすぐ映すものオマージュのための ショートストーリー&エッセイ ほか) 3 四次元の世界へ  (あしたも、ともだち世界で一番好きなラブ ストーリー『パーマン』 ほか) 4 特別収録 ショートショート&短編小説  (彼女のいた場所写真選び ほか) 5 女子とトホホと、そんな日々  (a day in my life 私をハイにする…― ウッカリショッピング ほか) 〔著者〕 ☆辻村 深月(つじむら・みづき)☆ 一九八〇年ニ月ニ十九日生まれ。山梨県出身。千葉大学 教育学部卒業。二〇〇四年に『冷たい校舎の時は止まる』 で第三十一回メフィスト賞を受賞しデビュー。二〇一一 年『ツナグ』で第三十ニ回吉川英治文学新人賞受賞。他 の著作に『子どもたちは夜と遊ぶ』『凍りのくじら』 『ぼくのメジャースプーン』『スロウハイツの神様』 『名前探しの放課後』『ロードムービー』『ゼロ、ハチ、 ゼロ、ナナ。』(第一四ニ回直木賞候補作)『V.T.R.』 『光待つ場所へ』(以上、講談社)、『ふちなしのかが み』『本日は大安なり』(以上、角川書店)、『オーダ ーメイド殺人クラブ』(集英社)『太陽の坐る場所』 『水底フェスタ』(以上、文藝春秋)など多数。新作の 度に期待を大きく上回る作品を刊行し続け、幅広い読者 からの熱い支持を得ています。

『ネオカル日和』〈著者〉辻村 深月(27)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(15)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−  「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】 
▼△序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」△▼(15)
・指が欠けていても(その1)・

●『仕事で怪我した』って適当な嘘いって就労

《「――自ら原発で働いた経験を持つ暴力団員にも会えた。事故を起 こした1F(東京電力福島第一原発)だ。 「どこの現場でも一緒。ヤクザがいると思って間違いない。みんな原 発ばっかに目がいってて見向きもしないけど、Jヴィレッジのすぐそ ばに広野火力発電所があるだろう。あそこにも一杯いたよ。ちょっと 前、磯子火力発電所山口組は入ってきて、利権争いになった。 地元はもともと会社を作ってるし、他団体が現場に入るときは兄弟分 を使って利権に入ってくる。そういうネットワークで来られたら、や っぱり譲歩しちゃう時があるね。その代わり、こっちからも向こうの 現場に人夫を出せる。人出が足りないときには、こちらからも頼むと きもある」 彼は自分の放射能管理(放管)手帳も見せてくれた。原発経験者とし て、これ以上ない物的証拠だ。 「俺たちの仕事は、基本、中抜きなんで、いまどき自分で現場に行く ことは少ねぇだろうけどな。俺は若いとき、一度入ったんだよ。あと は舎弟に任せた。関電工の下請けで、ヤクザとしちゃあ、俺も舎弟も ひよっこけど、もちろん現役バリバリだ。 周囲は……だいたいヤクザが多かったなぁ。刺青……全然出してたね。 A服、B服なんかに着替えるけど、注意されたことはなかった。指が 欠けていても問題ないわ。いっぱいいたね。『仕事で怪我した』って 適当な嘘いって」 ――》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ →序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ・「シノギ(しのぎ)- 日本語俗語辞書」・ ◎【暴力団ミニ辞典:断指】断指とは、肉体的苦痛を強制する私的制 裁、私刑の一つで、刺青とともに暴力団社会で広く行われている特異 な蛮行。断指は、文字通り手の指を切断するもので、俗に「指ツメ」 (指を詰める、切るの意)とか、「エンコヅメ」(エンコとは暴力団 社会で使われている隠語で指のことを意味し、自ら自分の指を刃物で 切断し、その切断した指を謝罪または誠実の証として、親分等相手方 へ差し出すものです。原子力ムラには、どんな掟があるんでしょうか、 知りたいです。 //////////////////////////////////////////////////////////////
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆(60)

《嘘と欺瞞のメルトダウン。すべての議論はここから始まる!  国が操る「原発全体主義政策」の病根を知り尽くした  前知事がそのすべてを告発》【表紙帯から】
▼△第8章 「日本病」と原発政策)(15)△▼
プルサーマルは福島で実施しないこと再確認(その2)・

新潟県泉田裕彦知事も東電プルトニウム利用計画に反対

《「――〇五年末の段階で発表された東京電力の利用計画(案)の中 に、プルサーマル実施の事前了解を取り消した柏崎刈羽原発が明記さ れていたことに対し、新潟県泉田裕彦知事が、東京電力原子力委 員会に対し、プルトニウム利用計画に名前を入れないよう求めて文書 を提出していたこともあり、東京電力としては具体的場所を示せなか ったのだろう。 これは計画だけで実現しないことを、少なくとも、電力会社はわかて いる。 近藤駿介原子力委員長も、定例会後の記者の質問にこう洩らしている。 「(原子力委員会が)どうせダメ、とは言えない」 私は、記者たちにこう答えておいた。 「計画がどのようなものであれ、県内で実施することはあり得ない」 ――》 福島原発の真実 (平凡社新書)平凡社 (2011/6/23) ◎東電の西沢俊夫社長は、21日夕刻、よくもシャーシャーと「説明不 足や言葉足らずがあり、皆様におわび申し上げたい」と、記者団に対 し企業向け料金値上げに対する説明が不足していたことを陳謝してい ました。「作為的に」説明を割愛し、「作為的に」言葉を省略した行 為を、「説明不足」とか、「言葉足らず」とは、言いませんよ、社長!  学校出てるんでしょう?

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔春〕生活  逆上がりみんなで支へ卒業す
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
正門の菊の御紋は古びたり若葉萌えたる廃鉱の春
足立勝蔵(66歳)兵庫県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
知合い(acquaintance n.)
先方の金はこれを借り受けるという程度には 知っていても、こちらから貸してやるという ところまでは行っていない間柄の人。相手が 貧乏だったり無名だったりした場合には、ほ んの顔見知り程度と言われ、金持ちだったり 有名だったりした場合には、親密な、と言わ れる友人関係。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

それを繰り返して言わなくちゃいけないの?
Do I need to repeat that?
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 講師>

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

ローレンス・アルマ=タデマ“テピダリウム(微温浴室)にて”
(In the Tepidarium) 1881年・Lady Lever Art Gallery,Port Sunlight,UK) ◎この絵画は、アルマ=タデマの作品の中でも最も官能的な 作品と言われています。当時問題を引き起こしていた、マネ の「オランピア」や「草上の昼食」よりもはるかにエロチィ ックで、挑発的な作品にも見えますが、この作品については、 何の非難もありませんでした。この扱いの違いは、時代背景 にありました。マネの作品の舞台は明らかに同時代の情景で、 それが非難の対象となったのです。アルマ=タデマの裸体画 の背景は古代ローマで、「テピダリウム」というタイトルも、 古代ローマ風のブロンズの鉢の植えられた夾竹桃や大理石の モチーフは、すべて古代の情景でした。変な理屈ですが、そ れが理由で非難の対象とならなかったそうです。 ◇ローレンス・アルマ=タデマ (Lawrence Alma-Tadema, 1836年1月8日 - 1912年6月25日) イギリス、ビクトリア朝時代の画家、ラファエル前派。 オランダ、 ドゥロンレイプ生まれ。1852年、アントワープの美術アカデミーに 入学。1863年、新婚旅行でポンペイへ旅行し、これを機にエジプト、 ギリシア、ローマの古代世界に関心をもつようになります。パリに 移住したのち、普仏戦争を逃れて1870年にロンドンへ渡り、73年に イギリスに帰化。1879年にはロイヤルアカデミー正会員。
Lawrence Alma-Tadema + Ludovico Einaudi(作品集)
(Cassa712 さんが 2011/06/16 にアップロード) 【Slideshow con alcuni dipinti del grande  Lawrence Alma-Tadema, prestigioso pittore  dell'epoca vittoriana】