『春のめざめ』(劇団四季)(上)

『春のめざめ』(劇団四季)(上)

{学校の授業で行われる、黒板に図を描き、堅い
 言葉で先生が語る「性教育」にちっともリアリ
 ティーが感じられなかった経験は、私以外にも
 多くの人たちに共有されているものだと思う}
『ネオカル日和』〈著者〉辻村 深月(5)
《2 おおむね本と映画の宝箱》から ◇青春のただなかに
『春のめざめ』(劇団四季)(上)

なぜ、恋が後ろめたかったのか?

◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆

☆佐高 信『原発文化人50人斬り』毎日新聞社☆(49)

▼△第3章 東京電力の歴史と傲慢△▼ (15)
・電力の自立を守った木川田一隆(その1)

●木川田は、右翼に家に爆竹を投げこまれても泰然としていた

佐藤栄佐久 (著) 『福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆(38)

▼△第7章 大停電が来る(8)△▼
・第一原発6号機再稼働に「了」(その1)

週刊東洋経済』も、矛先を、佐藤知事に向けてくる

『ネオカル日和』〈著者〉辻村 深月(5)
《2 おおむね本と映画の宝箱》から ◇青春のただなかに
『春のめざめ』(劇団四季)(上)

なぜ、恋が後ろめたかったのか?

劇団四季 最新作 春のめざめ:Spring Awakening JAPAN
(shikichannel さんが 2009/05/07 にアップロード) 【劇団四季最新ミュージカル『春のめざめ』  のプロモーションVTRです】 《「 『春のめざめ』の「春」とは、まさに、思春 期だ。 思春期の頃の私は、周りの大人をささやかに 軽蔑していた。 大人の多くが、自分が今夢中になっているよ うな楽しみの一切を忘れているか、もしくは 知らないように見えて、自分が子供であるこ と、多くの秘密を楽しむことができる立場に いることを誇らしく思っていた。 恋や性の問題は、その楽しみのの最たるもの。 十代の頃の恋愛を想い出すと、とにかく一生 懸命で、不器用ながらにドラマチック、そし て危険に足を踏み入れるような後ろめたさと 常に隣り合わせにいた気がする。 なぜ、恋が後ろめたかったのか。理由は大人 の「禁止」に尽きる。 他の話題にはいくらでも饒舌になる親や先生 たちが、性の問題になると途端に気まずそう に顔をそらし、少しでも性描写があるドラマ や漫画は「悪影響」の名のもとに私たちの前 から遠ざけられた。 恋についても同様で、私たちが必死に互いを 求め、想う心は「子供の遊び」のように鼻で 笑われるか、「心配だから」という言葉によ って規制や禁止を受けた。 その実、誰もその本質について教えたくれな い。なぜいけないのか、きまずいのか。 学校の授業で行われる、黒板に図を描き、堅 い言葉で先生が語る「性教育」にちっともリ アリティーが感じられなかった経験は、私以 外にも多くの人たちに共有されているものだ と思う。 『春のめざめ』の観た時にまず感じたのは、 あたかも自分の思春期を補完、肯定してくれ るような圧倒的なリアリティーだった。 しかつめらしい顔をした大人が語る「性」が、 自分の現実や、今まさに同じ教室にいる男の 子ときちんと、地続きであることを教えてく れる。 思春期の私が大人に、求めていたものは「教 育」ではなく「共感」だったのだと、あの時 期を抜けた今になって初めてわかった。 」》 (つづく) (Y187-78)
劇団四季:『春のめざめ』:東京公演千秋楽カーテンコール
(shikichannel さんが 2010/06/01 にアップロード) 【劇団四季 ミュージカル 春のめざめ 春の目覚め   spring springawakening 千秋楽 カーテンコール】 http://www.shiki.gr.jp/applause/springawakening/index.html ◎「春のめざめ」は、性へのめざめ。少年少 女の性への無知と大人達の無理解による悲劇 を描く。舞台は19世紀末のドイツ。1891年 に初演されましたが、その後、性のきわどい 扱い方が社会問題に発展し、20世紀前半ま で上演が禁止されていました。 2006年にロック・ミュージカルとして、ブロ ードウェイで開幕し、第61回トニー賞で、 ミュージカル作品賞を含む8部門で受賞した 話題作。難しいテーマによく挑戦したものだ と感心しています。

『ネオカル日和』

単行本: 280ページ 出版社: 毎日新聞社 (2011/11/25) 《待望の初エッセイ集! 大好きがいっぱい! 【ネオカルチャー】辻村深月が独断と偏愛で選ぶ日本の 〈今〉を象徴する、おもしろいもの、かわいいもの、お  いしいもの、ヘンなもの、そんなものぜんぶ。  国民的マンガからパワースポットまで、“ネオカル”  の現場を人気ミステリー作家が潜入!辻村深月のマニ  アックなこだわりとキュートでトホホな日常を綴る初  ルポ&エッセイ集》〔表紙帯から〕 〔目次〕 1 ネオカルチャー新発見  (支えは藤子・F・不二雄さんの人格 ドラえもん  レッツ・のう能!のうのう能 ほか)
2 おおむね本と映画の宝箱
 (私をまっすぐ映すものオマージュのための ショートストーリー&エッセイ ほか) 3 四次元の世界へ  (あしたも、ともだち世界で一番好きなラブ ストーリー『パーマン』 ほか) 4 特別収録 ショートショート&短編小説  (彼女のいた場所写真選び ほか) 5 女子とトホホと、そんな日々  (a day in my life 私をハイにする…― ウッカリショッピング ほか) 〔著者〕 ☆辻村 深月(つじむら・みづき)☆ 一九八〇年ニ月ニ十九日生まれ。山梨県出身。千葉大学 教育学部卒業。二〇〇四年に『冷たい校舎の時は止まる』 で第三十一回メフィスト賞を受賞しデビュー。二〇一一 年『ツナグ』で第三十ニ回吉川英治文学新人賞受賞。他 の著作に『子どもたちは夜と遊ぶ』『凍りのくじら』 『ぼくのメジャースプーン』『スロウハイツの神様』 『名前探しの放課後』『ロードムービー』『ゼロ、ハチ、 ゼロ、ナナ。』(第一四ニ回直木賞候補作)『V.T.R.』 『光待つ場所へ』(以上、講談社)、『ふちなしのかが み』『本日は大安なり』(以上、角川書店)、『オーダ ーメイド殺人クラブ』(集英社)『太陽の坐る場所』 『水底フェスタ』(以上、文藝春秋)など多数。新作の 度に期待を大きく上回る作品を刊行し続け、幅広い読者 からの熱い支持を得ています。

『ネオカル日和』〈著者〉辻村 深月(5)

◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆

☆佐高 信『原発文化人50人斬り』毎日新聞社☆(49)

原発安全神話を捏造してきたのは誰か!   政財界、メディアと御用学者とタレント文化人  ――原発翼賛体制のすべてを暴き、フクシマの  惨事を招いた者たちを、怒りをこめて告発する》  (表紙帯から)
▼△第3章 東京電力の歴史と傲慢△▼ (15)
・電力の自立を守った木川田一隆(その1)

●木川田は、右翼に家に爆竹を投げこまれても泰然としていた

《「――松永安左エ門は一九七一年六月一六日、九六歳で大往生を遂 げたが、その葬儀に中日友好協会名誉会長の郭沫若が長い弔電をよこ した。若い頃、日本に亡命していた郭を、松永がかくまった恩義に感 じてである。 それに対して木川田は自ら筆をとって礼状を書いた。リベラルな木川 田は、共産主義の中国になんの偏見も持っていなかった。 むしろ、できるだけ早く国交を回復した方がいい、と思っていた。 そんな思いを込めて書いた礼状に、郭は、 「中国と日本とのあいだには、長く不幸な時代がありましたが、もし あなたに、そのお気持ちがあるなら、中国の各地を旅行してみまんせ か、そしてお互いに語り合ってみたいとも思います」 という手紙をよこした。 この手紙は、台湾から中国へ“転身”しようとしていた財界人たちに 絶好の口実を与える。次々と名乗り出る厚かましい便乗組によって、 肝心の木川田は顧問にされ、その年の一一月、東海林武雄を団長とす る「東京経済人訪中団」は出発した。 しかし、右翼は誰が中心人物かを見誤らず、木川田の家に爆竹が投げ こまれる。それでも木川田は泰然としていたという。――》 原発文化人50人斬り孫文をかくまった頭山満宮崎滔天梅屋庄吉とともに、ここにも、 郭沫若をかくまった松永安左エ門がいる。そして、少なくとも、孫文 をバックアップした日本人チームがなかりせば、辛亥革命が成功しな かったことを知っている中国人は、どれほど、いるのだろうか。 ///////////////////////////////////////////////////////////
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久 (著) 『福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆(38)

《国が操る「原発全体主義政策」の病根を知り尽くした  前知事がそのすべてを告発》(表紙帯から)
▼△第7章 大停電が来る(8)△▼
・第一原発6号機再稼働に「了」(その1)

週刊東洋経済』も、矛先を、佐藤知事に向けてくる

《「――新潟県平山征夫知事は、すでに稼働を始めていた柏崎刈羽 原発6号機に加えて、七月九日に平沼赳夫経産相が出した4号機の 「安全宣言」を受けて、再稼働の承認を与えた。 しかし平山知事は、原子力安全・保安院のあり方について、「国の対 応にこだわる」と強調し、保安院分離が再稼働受け入れの焦点だと言 明した。 これに対して、平沼大臣は「保安院の独立性を高める法改正で理解が 得られる」「原子力政策を推進するには(通産省が)安全面で掌握す ることも必要」と、まったく原発政策のガバナンスを前進させる気の ないメッセージを発していた。これが官僚の「意志」ということなの だろう。 『週刊東洋経済』〇三年七月一ニ日号は、私が「『首都圏大停電』を 盾にとって、国のエネルギー政策の中核に注文を突きつけて」と、前 半は事実ではないが、後半は正しい評価をした上で、こう分析してみ せた。――》 福島原発の真実 (平凡社新書) ◎ときの平沼赳夫経産相原発立地地域からの要望を拒否した歴史的 事実は、永遠に残ります。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔春〕時候  手術室へ余寒の扉また扉
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
この村で生まれ歌はれ踊らるる藪波祭りのフィナーレ
       ※藪波、富山県小矢部市にある村の名前 西田陸子(62歳)富山県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
拷問台(rack n.)
とにかく議論の多い道具であって、かっては、誤った 信仰を熱狂的に奉じている者を説得して、生きた真実 を抱かせようとするのに盛んに用いられた。だが、い まだに異教の徒である者への招きとして、拷問台が特 別の効果をあげたことは、ついぞ一度もなく、今日拷 問台は、一般にさして高く評価されていない。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

人前であがることある?
Do you get stage fright?
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 講師>

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

ジョージ・フレデリック・ワッツ“希望 Hope”
1886年・所蔵:テート・ギャラリー、ロンドン) ◎ワッツの代表作「希望」。絶大な人気を博しました。しかし、一見、 画調とはそぐわない不思議な題名の絵です。怪我か何かで包帯をまい て、視力を失ったかと思われる女性が、地球を模した球体の上に坐っ て、たった一本だけの弦で音を爪弾いています。痛ましいその姿。だ だ、ひとつ残った弦に希望の音を聞きとろうとしています。「物を描 くのではなく思想を描くこと」を主義とした寓意画家の真骨頂の作品 です。 ◇ジョージ・フレデリック・ワッツ (George Frederic Watts,1817年2月23日 - 1904年7月1日) イギリスの肖像画家、寓意画家、彫刻家。ラファエル前派・象徴主義。 愛と生、死をテーマに寓意画を描き、肖像画も多く残しました。ワッ ツは、もともとも肖像画家で有名でしたが、象徴性によってラファエ ル前派に通じ、甘美な抒情性と象徴性のある作品によって、19世紀 後半(ヴィクトリア朝時代)、イギリスを代表する画家となりました。 1867年にロイヤルアカデミーの正会員に。准男爵への推挙を2度も断 る。87歳で生涯を閉じました。 “自画像”(1864年・テイトギャラリー、ロンドン)
George Frederick Watts〈作品集〉
(jrmythcom さんが 2011/12/11 にアップロード) 【George Frederick Watts  Music by G. Mahler.  Ich bin der Welt abhanden gekommen  Poem by Friedrich Ruckert  LIVE from Schwetzinger Festspiele, 30 April 2008  Magdalena Kozena - Mezzo Soprano】 ・上掲画像の音楽参照画像

Gustav Mahler - "Ich bin der Welt abhanden gekommen"

(Ruckert) - Fischer-Dieskau (英訳詩添付) (FiDiTanzer528 さんが 2009/03/01 にアップロード) 【 During the summers of 1901 and 1902, Gustav Mahler set to music five poems by the German Romantic poet Friedrich Ruckert. The third of these, "Ich bin der Welt abhanden gekommen", portrays a world-weary artist who exists in our everyday world, but who actually lives his life in another, more ethereal plane reserved for great artists. Mahler, much maligned as composer during his lifetime, identified strongly with the poem, saying that it expressed his very self. In fact, he felt so strongly about this song that he reused much of the music in the famous Adagietto of his Fifth Symphony, which he composed during the summer of 1902.  】 ◎グスタフ・マーラー Gustav Mahler Ich bin der Welt abhanden gekommen         from Funf Ruckertlieder 「 私はこの世に忘れられて 」      5つのリュッケルトの詩による歌曲より 詩: リュッケルト(Friedrich Ruckert) Ich bin der Welt abhanden gekommen, Mit der ich sonst viele Zeit verdorben, Sie hat so lange nichts von mir vernommen, Sie mag wohl glauben, ich sei gestorben! 2. Es ist mir auch gar nichts daran gelegen, Ob sie mich fur gestorben halt, Ich kann auch gar nichts sagen dagegen, Denn wirklich bin ich gestorben der Welt. 3. Ich bin gestorben dem Weltgetummel, Und ruh' in einem stillen Gebiet! Ich leb' allein in meinem Himmel, In meinem Lieben, in meinem Lied! 私はこの世に忘れられた。 私はこの世とともに多くの時間を費やしてきたが、 今やこの世では私の事を聞かなくなって久しい。 私は死んでしまったとこの世では思っているだろう。 この世が私が死んでしまったと思っても、 私には関係ないことだ。 またそれに対して否定もできない。 それは私がこの世から本当に死んでしまったからだ。 私はこの世の喧燥から死んでしまい、 静かなる地で安らいでいる。 私はひとりで己の平安のなかに、そして 己の愛と歌のなかに生きている。