生き抜くため、他人の土地へ侵入し、先住者を殺戮し、土地を奪い

アメリカの黒人たちは、彼らの先祖が奴隷だった
 という劣等感や哀しみを抱いているかも知れない
 が、アメリカの白人たちだって、先祖はヨーロッ
 パで、奴隷のような底辺の人たちだったのだ。}
(イギリス・ニッポン政治の品格)

『イギリス・ニッポン政治の品格 』〈著者〉高尾 慶子(77)

ホームレスでも豪邸に住める国・イギリス

・まだ見ぬアメリカについて考える
「支配するアメリカ」「屈服させるアメリカ」にしがみつく
生き抜くため、他人の土地へ侵入し、先住者を殺戮し、土地を奪い
◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆

☆佐高 信『原発文化人50人斬り』毎日新聞社

「第1章 原発文化人と原発戦犯」より

▼・BC級戦犯のタレントたち
そんなにおカネが欲しいのか
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久 (著) 『福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆

・第6章 握りつぶれた内部告発(23)
・「中間とりまとめ」の発表
原子力委員会はピエロではないのか。これは、経産省の言いなりだ」

『イギリス・ニッポン政治の品格 』(77)

ホームレスでも豪邸に住める国・イギリス

・まだ見ぬアメリカについて考える
「支配するアメリカ」「屈服させるアメリカ」にしがみつく
「《 しかし、アメリカの共和党は、いつからこん なバカばっかり立候補するようになったのだ ろう。ニクソンから以後、ガラガラとひどい 大統領を排出するようになった。 奴隷解放のため立ち上がったリンカーンも、 アメリカを民主主義国家へと宣言したジェフ ァーソンも、共和党だったのに。 ヨーロッパをヒットラーから解放し、のちに 大統領になったアイゼンハワーだって悪くな かった。アイゼンハワーのおかげで日本の復 興は速かったと思う。 日本に原爆を落とすと命令をしたトルーマン は、民主党だったのだ。ケネディ大統領から 民主党のイメージは変わったのではないか。 しかし、アメリカ人というのは、一般日本人 の考える寛大な優しいアメリカではなく、彼 らが望むアメリカは、いつも「支配するアメ リカ」、「強いアメリカ」、「屈服させるア メリカ」である。 オバマ大統領がどういう人格であれ、アメリ カ國民の大半は、オバマ大統領と思想が違う。 彼らの先祖はヨーロッパの底辺からアメリカ へ渡って行き、生き延びてアメリカを建国し ていった。 貧乏人たちが作った国、支配されていた人び とが、強い国になって支配する側になりたく なったのだ。
ハリー・S・トルーマン
( Harry S. Truman, 1884年5月8日- 1972年12月26日) 米国第33代大統領(任期:1969年1月20日? 1974年8月9日) ◇フランクリン・ルーズベルト大統領の死を受けて1945年に副大統領 から大統領に昇格。日本への原子爆弾投下については、彼が投下書類 (投下命令書)を承認したことで知られます。
生き抜くため、他人の土地へ侵入し、先住者を殺戮し、土地を奪い
アメリカの黒人たちは、彼らの先祖が奴隷だ ったという劣等感や哀しみを抱いているかも 知れないが、アメリカの白人たちだって、先 祖はヨーロッパで奴隷のような底辺の人たち だったのだ。 のちにアメリカが物質的・経済的に余裕がで きると、ヨーロッパから科学者を金で招いて、 テクノロジー世界一の国家にしていった。 アメリカでWASPと胸を張っている人たち の先祖の国・英国では、それこそ着るものも まともになく、食べることさえ事欠いて、英 国の資本主義の犠牲となってアメリカへ逃げ 出していったのだ。 生き抜くために他人の土地へ侵入してゆき、 固有の先住者を殺戮し、土地を奪い、先住者 は制服されて指定の居留地に追いやられ、サ クソンやケルティックの名字をむりやり名乗 らせられるようになった。 広い土地で綿やとうもろこしのプランテーシ ョンを思いつくと、そこで働く労働力が必要 になり、アフリカからアフリカ人を狩ってき て奴隷として働かせ、ヨーロッパで奴隷のよ うに資本家の下で働いていた白人たちは、ア フリカ人に自分たちのされてきたことを継承 させていったのだ。
アイゼンハワーニクソン(1952年11月4日、選挙に勝利して)
◇ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー (Dwight David Eisenhower, 1890年10月14日 - 1969年3月28日) 米国第34代大統領(42期 1953年1月20日- 1957年1月20日)        (43期 1957年1月20日- 1961年1月20日) ・ニクソンとのエピソード・ 副大統領のニクソンに対しては複雑な感情を抱いていたと言われます。 ニクソンは、副大統領としてアイゼンハワーを支え続けた8年間の間、 多くの汚れ役を背負い、その仕事を忠実にこなしました。これを誇り に感じていたニクソンは、1960年の大統領選挙において、経験に欠け たケネディに対して8年間の副大統領としての実績をキャンペーン。 しかし、アイゼンハワーは、ニクソン共和党の候補として出馬した 際にニクソンを指名するように依頼された時、冗談めかして「1週間 くれ。そうすれば、考えてもよい」と返答し、単なる一共和党候補と して不承不承にニクソンを支持しました。結果、ニクソンは、ケネデ ィに対して歴史上に残る僅差で敗北すると、アイゼンハワーを強く非 難しました。 ◇リチャード・ミルハウス・ニクソン (Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日- 1994年4月22日) 米国第37代大統領(任期: 1969年1月20日? 1974年8月9日) 中間選挙の予備選真っ只中の1972年6月に起きた民主党全国委員会 オフィスへの不法侵入・盗聴事件、いわゆる「ウォーターゲート事件」 でアメリカ史上、初めて、大統領任期中の辞任に追い込まれた大統領 として有名です。 (つづく) (Y071-26)
◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆

☆佐高 信『原発文化人50人斬り』毎日新聞社

原発安全神話を捏造してきたのは誰か!   政財界、メディアと御用学者とタレント文化人――原発翼賛体制のす  べてを暴き、フクシマの惨事を招いた者たちを怒りをこめて告発する》  (表紙帯から)

「第1章 原発文化人と原発戦犯」より

▼・BC級戦犯のタレントたち
そんなにおカネが欲しいのか
《「――蟹瀬誠一や福澤朗はまさに、エセのジャーナリストであり、 エセのキャスター。 九州電力の原爆PRアニメをつくった松本零士や、関西電力のCM音 楽をつくった中島みゆきは、九電のイメージキャラクターをつとてい た映画監督の大林宣彦と共に、「どうなってんの、そんなにおカネが 欲しかったの」と聞きたい感じである。 宗教学者山折哲雄は日本原子力文化振興財団発行の『原子力文化』 で「パクス・ヤポニカ」を連載していたが、「パスク・原発」を連載 すべきだったろう。 ホラー作家の鈴木光司はやはり『原子力文化』でホラーまなく科学に ついて語り、豊田有恒は批判精神のカケラもなく積極的推進派である。 一九九八年末の『原子力発電四季報』で、豊田は「原発で町起こしを」 と訴えている。一九八〇年に豊田は『原発の挑戦』という本を出した が、まったくと言いていいほど売れれなった。 原発反対の本を書けば一〇〇万部は売れるとアドバイスしてくれた人 がいたのにと嘆きつつ、「その手の反対派と対談したことがあるが、 どうみても商売人としか思えなかった」とか書いている。 しかし、反対が「商売」にならないことは、少しでも反対すれば、骨 身に染みてわかったはずである。 そして、豊田はこう続ける。 「あのころと比べれば、原子力発電も市民権を得つつある。私設応援 団を買って出て、非国民扱いされた経験のある人間にとって、嬉しい 傾向にある」 とんでもない事故がおこったいま、豊田はどう考えているのか。私に は豊田の方が「どうみても商売人としか」思えない。 原発安全PRで見逃せない“活躍”をしているのが俳優の寺田農であ る。大震災直前の『日経ビジネス』三月一四日号の東京電力の広告に 登場した寺田は、福島原発の第一印象は「ゆとり」だと言い、その “落ち着き”は長い歴史とさまざまな経験によるところが大きいのだ ろうと持ち上げているが、寺田は「ゆとり」があるから、この広告に 出たのか、ないから出たのか、尋ねてみたい気がする。――》 原発文化人50人斬り ◎それほどまでに、カネを稼ぐのが大変なんでしょう。
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久 (著) 『福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆

《国が操る「原発全体主義政策」の病根を知り尽くした前知事が  そのすべてを告発》(表紙帯から)
・第6章 握りつぶれた内部告発(23)
・「中間とりまとめ」の発表
原子力委員会はピエロではないのか。これは、経産省の言いなりだ」
《「――ところが、同じ一九日、原子力委員会は「核燃料サイクルの 推進について」と題する声明を発表した。 (1)原子力長期計画に示す通り、わが国はエネルギー資源を海外に 依存しており、その供給構造の脆弱さと地球環境問題への対応を踏ま えると、原発を基幹電源と位置づけ、プルサーマルをはじめとする核 燃料サイクルを国内で実用化することが必要。 (2)東電の自主点検作業記録の不正が、原発に対する國民の信頼を 揺るがし、核燃料サイクルの円滑な展開に影響を及ぼしていることは 誠に遺憾。 (3)原子力委員会としては、原子力安全委員会や他の機関と連携し つつ、國民や立地地域の意見を広く聴きながら、原子力に対する國民 の信頼回復へ努力を傾注する。 (4)プルサーマルをはじめとする核燃料サイクルをはじめとする核 燃料サイクル政策の全体像については、さらにわかりやすい説明を行 い、今回の問題を契機にするさまざまな課題にどうのような対策を採 るべきか検討する。 この文書が私のもとに回ってきたのは、県のエネルギー政策検討会の 席上だった。読み進めるにつれ、さすが怒りを抑えきれなくなり、つ い、こんな激しい言葉が出た。「原子力委員会はピエロではないのか。 これは、経産省の言いなりだ」――》 福島原発の真実 (平凡社新書) ◎こういう無責任な人たちに、税金が支払われているのすね。
Sir John Everett Millais “箱舟への鳩の帰還”
(1851年・アシュモレアン博物館収蔵) (サー・ジョン・エヴァレット・ミレー, 1829年6月8日 − 1896年8月13日) ◇19世紀のイギリスの画家。ラファエル前派の一員。ミレイと表記されること も多いですが、『落穂拾い』などで知られるフランスの画家ジャン=フランソ ワ・ミレーとは別人。なお、ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood) とは、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した美術家・批評家 (また時に、彼らは詩も書いた)から成るグループ。19世紀後半の西洋美術 において、印象派とならぶ一大運動であった象徴主義美術の先駆と考えられて います。

『イギリス・ニッポン政治の品格 』(77)

…なかやすみ…

Overture and Minuetto, by Thomas Linley "the Younger"
『イギリス・ニッポン政治の品格』
単行本: 253ページ 出版社: 展望社 (2011/05) 〔目次〕 ◎ベニハナでウィリアム王子に説教した私  ・ウィリアム王子に贈った養毛剤  ・英国労働党・新党首の父は移民のユダヤ人  ・企業の宿命、再び  ・スーザン・ボイルと英国人の夢  ・名門校出身と結婚の関係 ◎矢沢永吉さんにサーヴィスしたこともあった  ・高級ホテルのトイレのチップ  ・ドルチェ&ガッバーナのバッグと、ブランドいろいろ  ・有名人で賑わった日本レストラン ◎ネルスン・マンデーラの南アフリカ  ・ネルスン・マンデーラと南アから来た友人たち  ・英国と南ア共和国の今昔物語 ◎イスラムの国々とつきあうのは難しい  ・スコットランド人の寛大さ  ・モズレムからもらったクリスマスカード ◎ホームレスでも豪邸に住める国・イギリス  ・まだ見ぬアメリカについて考える  ・「RETIREMENT VISA」を知ってますか?  ・日本国は日本国民を守ってくれない 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお・けいこ) 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校 に進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て1972年、英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年、二人で帰国、京都で暮らす。1982 年、離婚。1988年、再び英国へ。ロンドンの日本レスト ランのウェイトレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハ ウスキーパーなどを経て、1998年『イギリス人はおかし い』を発表し、注目を浴びる。著書に、『イギリス人はかな しい』『イギリス人はしたたかさ』『わたしのイギリス人  あなたのニッポン』『イギリス・ニッポン 言わせてもらい まっせ』『許すかNOか―イギリス・日本 57年目の和解』 『イギリス ウフフの年金生活』『まだまだ言うぞ イギリ ス・ニッポン』『書かずに我慢できない イギリス・ニッポ ン』がある。 イギリス・ニッポン政治の品格

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕動物  高跳びのバー目印の赤とんぼ
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
葦原の風の旋律聴くやうなト音記号に似たるあをさぎ
下村久子(63歳)埼玉県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、西川 正身 (翻訳)
鑑定家(connoisseur n.)
ある特別のことについては、何一つ知らない ところがないくせに、それ以外のことについ ては、何一つ知るところのない専門家。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

そんなにそわそわしないで。 Don't be so antsy.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 講師>

Δ▼Δ▼好奇心丸出し

復興財源にJT株の一部売却を
復興財源にJT株一部売却を=全株放出は議論必要―財制審 復興財源にJT株の一部売却を - ライブドアニュース

◇◇◇アラウンド 野田佳彦首相

■◇気になるサイト◇■

Tony Bennett: The Official Site - Home
Tony Bennett | The Official Site
All Time Greatest Hits [Import, from US]
All Time Greatest Hits
Tony Bennett & Amy Winehouse - Body And Soul

☆☆ヨーロッパ古城巡り☆☆ <フランス>

Le chateau de Montguyon
est une forteresse medievale situee a Montguyon, en Charente-Maritime. Château de Montguyon — Wikipédia

◎▽<世界のホテル案内> ◇ニュージーランドクイーンズタウン》▽◎

Crowne Plaza Hotel Queenstown
Beach Street, Queenstown, 9300, New Zealand Crowne Plaza Queenstown hotel video :

コンラッドヒルトン、ヒルトンホテルを創った男の曾孫パリス・ヒルトン

☆★☆ParisHilton Twitter Selection:
The architecture in Paris is absolutely stunning! Such a beautiful city! Love it here! :) http://lockerz.com/s/147979432 10月18日