東日本大震災によせて(2)

独占企業体質の東京電力の職員の実力
菅総理が自ら計画停電に協力をと、涙ながら に懇願されたので、こちとらも浪花節なので 全面的に節電を実行しようとしたのに、肩透 かしを食わされてしまいました。 東京電力の職員たちの、記者会見席上におけ るお粗末さは、何事ですか。下町の零細企業 でも、あれほど劣悪ではない。 記者会見が始まる直前、大勢の記者たちが待 ち構えいるのを尻目に、黒板に向かって、こ の期に及んで、白墨で、一字一字、字をを書 いているではないですか。ただ、あんぐり。 東京電力という会社は、事務処理能力におい て、石器時代の会社かとおもいました。「マ イクロソフト・パワーポイント」などを使っ たらとまでは言いません。 呼んだ記者たちを待たせて、いまどき、黒板 に字を書いている感覚が理解出来ないのです。 小学生以下です。 こんな安穏な職員たちで構成されている東電 だから、計画停電によって、命にも関わる影 響(電動装置の医療器具に頼っている人たち のこと)をまったく想像不能なのでしょう。 社長の顔をよく見たいよ。 これは、福島第一原発の現状について会見す る東京電力の広報担当者ら 13日の夜、テレビ報道各社は、計画停電の 詳しい情報は、馬鹿の一つ覚えのように、 『http://www.tepco.co.jp/』 へどうぞと 連呼していました。それが、全然、つながら ないのです。途中で、テレビ局も、チェック すべきです。 現実に役に立たない情報をいくら流したって、 それこそ、電力の無駄です。13日の夜、ど れだけの人のエエネルギーと消費電力が無断 になったことでしょうか。 ところで、東京電力は、この度の、計画停電 の実施にあって、膨大なアクセスを予想して、 ホームページのPC容量の増設をしたのでし ょうか? はなはだ疑問に思います。 やっとのこと、ホームページにアクセスした ら、今度は、PDFファイルの情報を見るめ に、外部リンクから、Adobe Readerダウンロ ードする必要がありました。アジャ。 ましてや、東電の福島原発に対する対応のま ずさは、犯罪的です。会社の隠蔽体質、職員 の保身行動は、目にあまります。菅首相が、 東電に怒りの声をあげたというのには、同情 申し上げます。 水素爆発後の写真、米衛星が撮影 福島原発3号機 せっかく、外国からは、日本はよく見られて いるのに、誠に残念です。
The Wall Street Journal 【社説】不屈の日本(抜粋)
(2011年 3月 13日) この社説は執筆されたときからタイムラグが あり、多少事実のズレが見られますが、筆者 の過大評価には赤面するところがあります。 「 11日に日本を直撃したような規模の地震から は、どの国も無傷ではいられない。地震では 少なくとも1000人が死亡した。その被害にも かかわらず、1億2600万人の人口を抱えるこ の島国が、1900年以降で5番目の規模の大地 震にいかに適切に対応しているかは、注目す べきことである。 この巨大地震にもかかわらず、日本人が母な る大地からのこの猛威を切り抜けるために比 較的よく準備ができていたことについては言 及せざるを得ない。日本は文字通り、立ち上 がっている。いかにすれば、人間の計画と産 業社会が自然災害に対処できるかの証として。 日本の準備態勢は昨年のハイチ地震や、7万 人が死亡した08年の中国四川大地震などとは 対照的だ。ハイチは何十年も続いた失政によ る貧困のせいだとしている。 中国は富はあるが、その政府は誰からも責任 を問われない。95年の阪神地震以来、日本 は度重なる改革を行ってきた。 日本は最近、マスコミなどでは評判が悪い。 経済成長は低迷し、政治家の失政に、大部分 が生産的な国民は当惑している。しかし、間 違いなく日本は依然として産業大国だ。11日 の地震の壊滅的な影響にもかかわらず、近代 国家としての日本の業績がもたらす自国を守 るという恩恵は指摘せずにはいられない。 」
日本列島人の無常観
どうして、日本人は、甚大な被害にあっ ても、穏やか表情でいられるのか。昨日 に引き続き、エントリー「2010-09-09 日本列島人の宗教観とは何なのか」の一 部をご参照ください。 「 たとえば、ハリケーンアメリカを襲い、 南部のニューオーリンズはものすごい被 害を受けました。 あのときの被災者の方々の表情を思い出 してください。怒りと悲しみと苦しみで 全身が爆発するような表情だった。神を のろい、政治を批判し、全身で怒りをぶ つけるような、そういう表情だった。 スマトラ沖を襲ったあの大津波のときも そうでした。被災者の表情は、絶望的な 悲しみに打ちひしがれていました。 中国の大地震もそうでした。パキスタン を襲ったあの大地震のときもそうだった。 そういうさまざまな地域における大災害 に遭遇した世界の人々の表情と、この日 本列島の人々が災害に直面したときに示 す表情は、どうしてかくも違うのでしょ うか。 私は考えました。三日、四日考え続けま した。この日本列島に住む人々の世界観 とか自然観、そして場合によっては宗教 観と深い関わりがあるのかもしれない。 そう思うようになったのです。 だとすれば、その世界観とは何か、自然 観とは何か。日本列島人の宗教観とはい ったい何なんでしょうか。
「無常」という言葉の三つの原理
次の問題が出てきます。そこで、私は仮 説を立ててみました。もしかすると、そ れこそまさに無常感かもしれないとね。 諸君は「無常」という言葉を知っている か。一言で言えば、「常が無い」と書く 言葉ですね、「無常」というのは。 この世の中で永遠なるものは一つもない。 いいですか。形あるものは必ず滅する。 人は生きてやがて死んでいく。 この三つの原理によって生み出された考 え方が、「無常」というものだと私は思 っております。 この三つの考え方、すなわちこの世の中 で永遠なるものは一つもない。形あるも のは必ず壊れる。生きている人間はやが て死を迎える。 この三つの原理を否定することのできる 人間がいますか? おそらくどこにもい ないと思いますよ。 この三つの原理を備えた無常という考え 方は、あえて言うと、アインシュタイン の唱えた一般相対性理論とまったく同じ くらい客観的な真実性を備えている。 そう、思いませんか。
無常感に由来する穏やかな表情なのか
ただ問題は、この無常感を受け入れる文 明と、受け入れない文明があるというこ とです。たとえばヨーロッパの方々はお そらくこの無常という考え方を受け入れ ないでしょう。 ユダヤキリスト教文明、あるいはヨー ロッパ文明、そういうものはおそらくこ の考え方を積極的には受け入れないと思 います。 ところが、不思議なことにアジアの文明、 仏教の文明、道教の文明というのはこの 無常という考え方を受け入れてきました。 ここで、眉に半分唾をつけて聞いてもら いたいんだけれど、地震という災害に遭 っても穏やかな表情をすることができる 日本列島の同胞たち、悲惨な状況の中で ああいう表情を浮かべることのできる日 本人というのは、もしかするとその心の 奥底に、この無常感が横たわっているか らかもしれない。 世の中に永遠なるものは一つもない。形 あるものは壊れる。 ところが、そういう無常感を受け入れな いヨーロッパの方々は、その理不尽な自 然災害というものに対して大いなる抗議 の声をあげる。 怒りの気持ちをぶつける。それが表情に 出てくる。これ私の仮説です。君たちが 一人になったとき、この仮説を自分自身 で考えてみてほしい。 」 ところで、今回の地震でも、災難の真っ 只中にあって、確かに、怒っている表情 の被災者を拝見しませんね。 皆さんは、どう見ましたか。私たちは、 素晴らしい人間を見ているんです。 これは、すごいことです。17歳からの死生観 高校生との問答集)から (M214-79) http://d.hatena.ne.jp/kuromori999/edit?date=20100909