「称賛すべき冷静さと不屈の精神」とフィナンシャル・タイムズ

このたびの東日本大震災により被災された
皆なさまに心よりお見舞い申しあげます。
一日も早い復旧を心からお祈り申し上げま
す。

本稿は、しばらくの間、シリーズ(日教組)
編集を中断し、「震災」編集に切り替えし
ますので、ご寛容ください。

世界中が、東日本大震災の惨状に心配して、
今までに、約70ヵ国が日本への緊急支援
を申しでています。ほんとうに有り難いこ
とです。

なかでも、関係のギクシャクしていた中国
の温家宝首相が、菅直人首相にあてた見舞
い電報で支援提供を表明してくれました。

また、日露間のとげとげしい雰囲気の中、
プーチン首相は、「日本は親しい隣国。さ
まざま問題はあるが、われわれは信頼でき
るパートナーであるべきで、エネルギー資
源の供給に支援に全力を尽くす必要がある」
と述べました。

地球人の連帯が感じられて、心が暖まりま
ります。

災難にあたって、ふだん、私たち日本人が
当たり前と思っていることを褒められて、
気恥ずかしくなることがあります。

イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙が
「称賛すべき冷静さと不屈の精神」と日本
人の美徳をたたえていました。



帰宅難民が、都心から、各地へ、集団とな
って、規律正しく、黙々と歩みを進めてい
る姿には、神々しさえ感じらました。それ
は、遠い過去から、遙か彼方へ進んでいく
日本人の帯のようでした。

これぞ日本人の精神を表す一葉の写真があ
ります。1945年、長崎で、アメリカ軍
の報道写真家ジョー・オダネルが、撮影し
た「焼き場に立つ少年」です。少年のまな
じりを見よ。


[朝日新聞創刊120周年記念写真展より]

「少年は焼き場のふちに、5分か10分も
立っていたでしょうか。白いマスクの男達
がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひ
もを解き始めました。この時私は、背中の
幼子が既に死んでいる事に初めて気付いた
のです。男達は幼子の手と足を持つとゆっ
くりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に
横たえました」


ご参考までに、エントリー「2010-09-08
なぜだ、被災者は皆穏やかな表情をして
いた」を一部再掲載させていただす。

被災者の微笑
今日、京都から来ました。先ほど着いた ばかりですが、悪い予感がしたんですよ ね。嵐が来るのではないかと。本当に来 ました。私が動くと何かが起こる。 大げさなことを言いますと、実はこの間 中越沖地震が起きましたね。あの前に、 九州と日本列島を横断する台風が襲って きました。 私はちょうど、京都から東京まで新幹線 に乗っておりました。一時間の遅れでな んとか東京駅に着きましたが、東京で一 泊して翌日は千葉県流山市でNHKのラ イブのシンポジウムに出席することにな っていました。 午前十時にシンポジウムが始まりました。 すると間もなく、あの中越沖地震が発生 したんです。舞台の上におりましたが、 大ホールが大きく揺れました。 私が座っていました壇上の天井には大き な照明器具が二機、備えつけられていま したが、左右に大きく揺れ始めた。 そのとき予感がありました。台風に送ら れるようにして東京に出てきて、翌日、 会場で何かあるかもしれないと思ってい た。そうしたら実際、地震がやってきた わけです。 それからもう一つ。今(二〇〇七年)か ら十二年前、住んでいた京都で阪神淡路 大震災に遭遇しました。 京都はそれほど揺れませんでしたが、私 の書斎の本箱から本がどさどさとこぼれ 落ちてきた。 さらにそのときから二十年ほど前には、 東北の仙台におりまして、宮城県沖地震 に襲われた。 そのときは研究室が九階にありまして、 ものすごい大きな横揺れに恐怖を覚えた ことがあった。私が動くと何かが起こる んです。 それにしても、今日はものすごい嵐でし た。雨に降り込められてここに到着しま したが、話の最中地震が襲ってくるかも しれない。二度あることは三度ある。 それで今日は地震の話から入りたいと思 います。
なぜだ、被災者は皆穏やかな表情をしていた
今回の中越沖地震もそうでしたし、三年 前の中越地震のときもそうでしたが、被 災地で被災された方々の顔がテレビの画 面に毎日のように映し出されていました。 諸君も毎日のようにそれを見ていたと思 います。 三年前の中越地震の後、被災地の状況を テレビで見ているうちに不思議な気持ち になりました。 どういうことかと申しますと、そこで被 災された方々が、そのときの恐怖と被災 の状況をつぶさに語っているのですが、 被災者の方々がまず例外なく穏やかな表 情をしていたのです。平和は表情でした。 心の中は怒りと悲しみと苦しみに満たさ れているにもかかわらず、顔には、その 独特の穏やかな表情が浮かび出ていたの です。 初めそれをなんの気なしに私は見ていま したが、二日経ち、三日経つうちに、ど の方の表情も穏やかであることにだんだ ん心を引かれるようになりました。 なぜなのか。男の方も女の方も、若い人 も年寄りも例外がありませんでした。 むしろ驚くべきは、うちがつぶれてしま ったおばあさんが、微笑みを浮かべて災 害の状況を語っていたことです。 「いろいろ支援を受け、救援物資を運ん でいただいてとても感謝しています」。 言葉少なにそう語りながら顔には微笑を 浮かべていたんです。 どうしてだ。どうしてこんな穏やかな表 情をすることができるのだろう。だんだ ん不思議に思うようになりました。 考えてみると、十二年前の阪神淡路の大 震災のときもそうでした。あの地震の被 害はもっと甚大なものでした。それでも 被害者の方々の表情は相変わらず穏やか でした。 諸君、そのことに気がつきましたか。 それが単なる偶然ではないかもしれない と思うようになったのは、その間に発生 した世界のさまざまな地域における大災 害の状況をテレビで見たことがきっかけ でした。 (17歳からの死生観 高校生との問答集)から (M213-79) http://d.hatena.ne.jp/kuromori999/edit?date=20100908