『日教組 (新潮新書 ) 』〈著者〉森口 朗(12)
GHQの威を借りて実現した農地改革
終戦 後、GHQには誰も逆らえない状況下、
高知県 教員委員会は「県民によって選出さ
れたわれわれが、外国指令で日本人の首を
切るなど
売国 的な行為はできない」として、
一切の首切りを拒否しましたことを知って
凄いと思いました。半端ではありません。
1947(昭和22)年、GHQの指揮の
下、日本政府によって農地改革(農地解放
ともいう)が行われました。
日本側が自発的に実施した改革であるとさ
れるていますが、地主層の抵抗が強くて実
施できなかったものを、GHQの威を借り
て実現したといわれています。
GHQの最高司令官
マッカーサー は、寄生
地主が日本の
軍国主義 に加担したとして農
地改革を命じたのです。
これにより、地主が
保有 する農地は、政府
が強制的に安値で買い上げ、
小作人 に売り
渡されました。
これは、全国的に行われ実に7割余りの農
地が地主から
小作人 のものに換わりました。
GHQ側は内心ビクビクしていたそうです。
地主がそう簡単に土地を手放すであろうか
と。なにしろ、西部劇のお国柄ですから、
銃をもって血を流しても土地を奪い合いと
いう歴史がありましから。
結果的に、流血騒ぎはありませんでした。
これは、GHQの威力と日本人の従順さを
如実に 物語っている事象です。
いつの世にも、気骨ある日本人がいること
に希望を見出します。
海のむこうで:リビア 争乱で小国マルタが大活躍
地中海に浮かぶ小さな島国マルタが、地理的
な
リビア への近さから、各国が自国民をリビ
アから避難させる際の輸送拠点になっている
(
リビア の首都
トリポリ は東部の主要都市ベ
ンガジよりマルタの方が近い)。
インド、ロシア、中国、フィリピンなどの国
々が
チャーター機 やフェリーを使って、混乱
が増す
トリポリ から自国民を脱出させている。
マルタ自体も、
チャーター機 で、
エジプト人
900人を
リビア から出国させた。
人口41万のマルタを経由して
リビア から逃
れた
外国人労働者 たちは、この1週間で1万
2000人にも上る。マルタは国際的な人道
援助の中継地としても、各国に協力している。
〈2011年03月04日
Newsweek 〉
マルタは、できれば中立の立場を守りたかっ
ただろうでしょうね。
しかし先週、
リビア の戦闘機の
パイロ ット2
人が
リビア 市民への爆撃を拒否してマルタの
空港に着陸すると、マルタは立場をはっきり
示さなければならなくなりました。
マルタは戦闘機2機の返却を求めた
リビア 政
府の要求を拒絶しました。2機はイギリス空
軍に引き渡され、2人の
パイロ ットは政治亡
命を求めています。国家も人間個人も、運命
に翻弄されることがあります。
マルタ、そんな国あったけ。私は、ジョン・
ヒューストン監督の
ハンフリー・ボガート が
出演した、映画『マルタの鷹』(1941)
を懐かしく思い出しています。
第一章 「日教組 」の誕生
「
さて、ここまで新教育指針から
日教組 誕生ま
でをざっくりと眺めてきました。これにより
「
日教組 とはまさに
戦後民主主義 の申し子で
ある」という歴史的事実がはっきりと浮かび
上がったのではないかと思います。
「
日教組 は子どもたちに
自虐史観 を押し付け
るからけしからん」という人がいます。
とんでもない。封建時代にまでさかのぼって
日本を断罪し日本人は劣っているから教師は
それを自覚して生徒を導かなければならない
と言い出したのは文部省です。
日教組 は文部省から手渡された手引書によっ
て誕生し、その手引き書の教えを愚直に守っ
てきたに過ぎません。
「先生は聖職者だ。それを労働者とする日教
組はけしからん」という人がいます。
お門違いです。批判したいのならば、教職員
組合と労働契約を結んだ文部省をまず批判す
べきでしょう。
労働協約 を結んだ教員が自分
達は労働者だと考えたとして、どこに問題が
あるのでしょうか。
「
日教組 は教育をそっちのけにして政治活動
をするのはけしからん」という人がいます。
八つ当たりです。新教育指針には、教師は政
治を正しい方向に指導しろと書いてあります
(私は
日教組 の方向が正しいとは思いません
が、それは主観に過ぎません)。
それに文部省と教
職員組合 が最初に結んだ労
働協約には、「組合員の政治活動に妨害をあ
たえない」と書いてあります。
後になって協約を反古にして政治活動の自由
を奪ったのは政府や
地方自治 体の方です。
戦後教育の責任、自民党政権 、文部省にも
「
日教組 が
体罰 を禁止したから子どもがダメ
になった」という人がいます。
ウソです。次の章で詳述しますが、
体罰 は戦
前から法律で禁止されていました。
実際には
体罰 が横行していましたが、それは
日教組 の教員も同じです。彼らは戦後の一時
期まで法を犯し、ビシビシと
体罰 に励んでい
ました。
多くの
日教組 批判は言いがかりです。
日教組
は少なくとも外見上は
戦後民主主義 を当初の
形どおり行ってきたに過ぎません(幹部の本
音は別のところにあったという話も次章でし
ます)。ですから、
日教組 を批判したいので
あれば、戦後民主教育も同時に批判すべきな
のです。
では、戦後民主教育を推進してきたのは誰か。
それは戦後ほぼ一貫して政権を担ってきた自
民党とその前身政党です。
あるいは文部省(後に
文部科学省 )です。彼
らを批判せずに
日教組 だけを批判するのは、
不公平というものです。
この問題は極めて重要な問題なので、第四章
「『戦犯』としての
日教組 」で詳述します。
ここでは、
日教組 は戦後民主教育の一環とし
て誕生し、表面上は、それをほぼ愚直に推進
してきただけの団体であるというところを押
さえておきたい思います。
所業(1)一九四七年「六・三制完全実施」
さて、一九四七年六月に誕生した
日教組 は、
その後どのような活動をしてきたのでしょう
か。重要な活動は別の章で詳しく見るとして、
ここでは、時系列に従って概観して起きまし
ょう。
小学校六年・中学三年という現在の義務教育
制度は、
日教組 の誕生と同じ一九四七年にス
タートしました。
ところが、中学校には校舎が足りません。当
時の
日教組 の調査によると独立した校舎をも
つ中学校は一五%に過ぎませでした。
そのため小学校に同居したり、二部授業や三
部授業を行ったり、もっと悲惨なのは馬小屋
を教室に転用して授業を行っていた学校まで
ありました。
このような状況を正せ。政府はちゃんと教育
予算をつけて六・三制を機能させろ。それが
日教組 の最初の要求でした。
日教組 の要求は国民の願いと一致していまし
た。翌年の
教育委員会 選挙(教育委員は一九
五六年に改正されるまで公選制でした)にお
いて
都道 府県教育委員定数二七〇人に対して
日教組 推薦の現職教員が九五人も当選した事
実は、この時期の
日教組 がいかに国民から支
持されていかを雄弁に物語っています。
所業(2)一九四九年「レッドパージ 反対」
一九四九年の
中華人民共和国 の誕生に危機感
を覚えたGHQは、
共産党 を目の敵にするよ
うになります。
そもそも、獄中にいた
共産党 員を釈放して、
彼らを
軍国主義 と戦ったヒーローにしたのは
GHQですが、この時期になると戦略ミスに
気づいて急激に方向転換します。
GHQ自身の指令としてではなく、政府に、
共産党 党員とその同調者の教職員を追放する
よう口頭で指示を出しました。
政府は直ちに全国教育長会議を開催しGHQ
の意向だからすぐに処置するように各
都道 府
県に伝えました。この
レッドパージ で追放さ
れた教員は一七〇〇人程度と言われています
(この数が多いか少ないのかは微妙なところ
です。実数は決して少なくありませんが、戦
争直後に戦争協力者として
公職追放 された教
員数の一〇分の一に過ぎません)。
日教組 は反対声明を出し、文部大臣に抗議し
ましたがそれ以上のことはしませんでした。
GHQには誰も逆らえないといったそんな空
気の中、
高知県 教員委員会は「県民によって
選出されたわれわれが、外国指令で日本人の
首を切るなど
売国 的な行為はできない」とし
て、一切の首切りを拒否しました。
本当に勇気ある人というのはこういう人たち
のことを言うのだと思います。
」
(つづく)
(M207-77)
・単行本: 239ページ
・新潮社 (2010/12)
◇
日教組 とは何か?生徒の
学力低下 に荷担したと糾弾され、先生
の
指導力 低下を放置したと非難され、挙げ句には日本をダメにし
た元凶とまで名指しされてきた。そして今、
民主党政権 の誕生に
よって再び注目されている。が、実態は意外と知られていない。
GHQ 指令下、文部省によって作られ、かつては校長以下九割以上の
先生が加入していた組織の歴史をたどりながら、その思想、所業、
暗部、すべてを丸裸にする。
◇目次◇
序 章 ある平凡な
日教組 教員の日常
第1章「
日教組 」の誕生(すべては「新教育指針」から
「押し付け=悪」の原点 ほか)
第2章「教団」としての
日教組 (なぜ教師が「聖職者」なのか
戦後民主主義 の布教者 ほか)
第3章「ムラ」としての
日教組 (校長も教頭も加入していた
勤務評定を拒否した校長たち ほか)
第4章「戦犯」としての
日教組 (「
日教組 が日本の教育をダメにした」
という神話 ・とにかく批判されつづけた ほか)
第5章
日教組 とのつき合い方(なぜ
民主党 は
日教組 の言いなりなのか
正常化を装う
日教組 ほか)
◇〈著者〉森口 朗
1960(昭和35)年、
大阪府 生まれ。教育評論家。東京都職員。
中央大学 法学部卒業。
佛教大学 修士 課程(通信)教育学研究科修了。
95〜05年まで、都内公立学校に出向経験がある。著書に『戦
後教育で失われたもの』『授業の
復権 』『いじめの構造』など。
☆森口朗公式ブログ
http://d.hatena.ne.jp/moriguchiakira/
≪都会歳時記≫
[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「
文學の森 」刊]
読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
電動のカキ氷機を買わないのは削るあなたの背が好きだから
渡邊由依(18歳)
兵庫県
平成万葉集
アンブローズ
ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、西川 正身 (翻訳)
☆★☆とっさに言えない英会話☆★☆
こんなものなんの役にも立たない。This thing is good for nothing.
<NHKラジオ 「英語5分間ト
レーニン グ」
岩村 圭南 講師>
☆☆ヨーロッパ古城巡り☆☆ <フランス>
The Chateau de Termes
is a ruined castle near the village of Termes in the Aude
departement of France. It is one of the so-called Cathar castles.
Château de Termes - Wikipedia
スタンダール (世界の文学セレクション) [単行本]
■◇気になるサイト◇■
Hall & Oates - Kiss on My List (1980)
VIDEO
◎▽<世界のホテル案内> オーストリア > ウィーン▽◎
Hotel Am Konzerthaus
Am Heumarkt 35-37, Vienna, Austria
Hotel in Austria :
Hotel am Konzerthaus Vienna :
VIDEO
☆★☆ParisHilton Twitter Selection:
Flying back home from the race. Love Helicopters, such incredible views of Vegas and beats the traffic :)
http://twitpic.com/46y1dx
3:45 PM Mar 6th Twitpicから