沖縄の無念を思う

岸恵子著『私の人生 ア・ラ・カルト』(18、了)

第七部 「時代をわたる風」(3)“ひめゆりの塔”&“沖縄の戦後”

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沖縄の無念を思う

岸恵子著『私の人生 ア・ラ・カルト』(18、了) 第七部 「時代をわたる風」(3)“ひめゆりの塔”&“沖縄の戦後” 今日の岸恵子さんの沖縄に関する文章は、 大田昌秀氏が沖縄県知事在任中(平成6 年〜平成10年)の時期のお話です。 時を経ても、沖縄の根源的惨状は一向に 改善されていません。 鳩山由紀夫首相は、普天間基地移設結論 を5月末まで待てと言っていますが、魔 法のような解決策はあるのでしょうか。
沖縄の無念を思う
ひめゆりの塔” 沖縄の海は青かった。 映画界で嘗てあった五社協定の掟に阻ま れ、出演出来なかった映画「ひめゆりの 塔」の碑も、戦没アメリカ兵も含んだ二 十余万人の死者の名を刻んだ「平和の礎 (いしじ)」も白日に晒され、観光客の キャメラに包囲されて無残だった。 それはちゅうど、紀元七三年、国破れ、 離散(ディアスポラ)の憂き目にあった ユダヤ過激派の残党九百六十人が、もは やこれまで「死して罪過の汚名を残すこ となし」と自決した死海のほとりの岩山、 マサダの砦跡(とりで)を見た時と同じ 虚しさだった。 ローマの大軍が三年がかりで攻めたてた 断崖絶壁の砦は、今、ケーブルカーが五 分で観光客を頂上へ連れてゆく。 中東のギラギラと照りつける強烈な太陽 と、あっけらかんと青い空に晒され、観 光客や巡礼者に踏みしだかれた、ユダヤ 玉砕の遺跡は、やはり無残であった。 十年前、そこに立った私は、灼熱の暑さ を洞窟に避け、日暮れを待った。 一番星が浮かぶ頃、遺跡はざわめき出し、 死海から吹き上げる風に魑魅魍魎がうご めいた。私はユダヤ二千年の無念を思っ た。 炎天下の沖縄で、私は人々が引き揚げる のを待てなかった。撮った写真は露出過 剰で、若い命を呑み込んだ壕が黒々と口 を開け、周りは白く飛んでいた。 あんな場所で記念写真を撮る不謹慎を思 い知った。 大田知事に表敬訪問をして、「陰ながら 応援しています」と言ったら、「皆さん、 蔭ながらです。表ながらの人が欲しい」 と、知事はゆっくりとした笑みを浮かべ て応えられた。 [後 記] ユダヤ二千年の無念を思ったのは、世界 中に離散した国無き民が、差別と虐殺の 辛酸を乗り越えて、勝ち取った独立国 「イスラエル」の四十周年記念日に、現 地を取材した一九八八年のことだった。 今は、そのユダヤに土地を奪われ、非道 (ひど)い抑圧に悲鳴をあげながら、抵 抗するパレスチナの無念を思う。 昨秋パリで亡くなったパレスチナ暫定自 治政府の議長、ヤセル・アラファトの無 念を思う。 沖縄の無念を思う。
日本の敗戦はまだそこに在った。
“沖縄の戦後” 嘉手納基地を見学した。そこは日本では ないが、アメリカでもない。 強いて言えば、敗戦後、わが横浜の廃墟 をこともなく整地し、林立したカマボコ 兵舎や、将校用芝生つき箱型ハウスの連 鎖に似ていた。 子供の眼にもそれらは異形であったが、 その異形からは勝者の匂いが立ち昇って いた。 酷暑の昼下がり、基地内は妙に静かで、 広大な緑の敷地に戦闘機が蹲り、すれ違 う米兵の顔は暗かった。 沖縄の人たちの気持ちを汲んで温存され たのであろう原生林や島民が命を落とし た掩蔽壕(ブンカー)。 勝者が敗者になす心遣いが無残だった。 基地を持つ沖縄の不幸は、駐屯する米兵 の不幸であるかも知れないと思った。 戦後五十三年が経ち、ベルリンの壁は撤 去されたというのに、日本の敗戦はまだ そこに在った。 戦争のさまざまを思う。二年前、親善大 使としてベトナムで、両足を地雷で失っ た青年が、市場で元気に物を売り、仲間 の虐殺されたかってのベトコンが言った。 「アメリカ人を憎んではいない。米兵も  枯れ葉剤の後遺症を病んでいる。悪い  のは国と政府だ」 その枯れ葉剤で歪曲し、立つことも出来 ない幼児がにっこり笑った。 その話をしたら沖縄の女性が 「枯れ葉剤を載せた戦闘機はここから発  ったんです」 と言って声を詰まらせた。 戦闘機はどこから発とうが、殺人兵器で ある。住民からよく見える基地の高台に、 少し立派過ぎる日の丸が、星条旗と並ん だ海風にあおられ同じ方向に向かってへ んぽんと翻っていた。 その日、奇しくも七月十四日の「パリ祭」、 フランス革命二百九回目の記念日であった。 (『私の人生 ア・ラ・カルト』了)      * * * 私自身も、私なりに、沖縄の無念を思う。 海軍司令官大田実小将の自決直前の電報 の言葉を思い起こします。 太平洋戦争最後の激戦であった沖縄戦の 際に於ける海軍側代表として沖縄根拠地 隊司令官であり米軍上陸時に約一万人の 部隊を率いて沖縄本島小禄半島での陸戦 を指揮しましたが、米軍の攻撃を受けて 司令部が孤立し那覇小禄地区豊見城にあ った海軍壕内にて拳銃で自決。死後海軍 中将に特別昇進。 大田実小将が自決する直前の6月6日に 海軍次官宛てに発信した電報の最後の言 葉をです。 当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛 下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言 葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の 様子を訴えています。 ―――                              糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ (口語訳) 食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。 沖縄県民はこのように戦い抜いた。 県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。 ――― 日本人よ、忘れるなかれ。 (N179-26)(N180-27休み)

沖縄の無念を思う

嘉手納基地
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私の人生ア・ラ・カルト (単行本)
私の人生 ア・ラ・カルト

私の人生 ア・ラ・カルト

単行本: 270ページ 出版社: 講談社 (2005/01) 発売日: 2005/01 <目次> 第1部 私を女優にした眼 第2部 母と娘、それぞれの孤独 第3部 ドジな女の大騒動 第4部 「干渉の義務」 第5部 なつかしい人たち 第6部 「あの女、メトロのにおいがする」
第7部 時代をわたる風
第8部 大義と正義の罪 以上
あの人は…今岸恵子さんと娘さん
デルフィーヌ=麻衣子・シャンピ Delphine Ciampi
Royal Hawaii あの人は今・・・岸恵子とその娘

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夕暮れの車中に響く「よし大丈夫」日記閉じるよう携帯たたむ
千石直美(35歳)群馬県 平成万葉集
☆ヨーロッパ古城巡り☆ スペイン
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Íscar - Wikipedia Ref. モンポウ:ピアノ曲全集(4枚組)/Mompou: Complete Piano Works [Box set]
モンポウ:ピアノ曲全集(4枚組)/Mompou: Complete Piano Works

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◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

殺す(kill vt.)
後継者の指名を行うことなく、空席を生じさせる。
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