邂逅は運命のいたずらを待つ方をとる

岸恵子著『私の人生 ア・ラ・カルト』（７）

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邂逅は運命のいたずらを待つ方をとる
    岸恵子著『私の人生 ア・ラ・カルト』（７）
第五部「なつかしい人たち」
　　　“ローレン・バコールがいる”（７）



    
すべては一場の夢である
    いよいよ今日で、「ローレン・バコール
がいる」は最終回を迎えました。この節
の「後　記」をどうしても読んで頂きた
く、えんえんと（７）回まで続けてまい
りました。いきなり先に「後　記」をお
見せするわけにいきませんので。ここに
岸恵子さんの生きざまのエッセンスがみ
られからです。

「後　記」その後、ローレン・バコール
に会うチャンスはなかった。バコールや
キャプシーヌ、亡きホールデン、私の連
ねた失言の数々が今となっては取り返し
のつかないほどなつかしい。そして、遂
にまみえることのなかった生涯の恋人、
マーロン・ブランド……。すべては一場
の夢である。

では、本文に入ります。



    
「お化粧おとしていいかしら」
    すみれ色のガウンに身を包んだバコール
は、歳月を越え、世界中のファンを夢中
にさせた、あの妖し気な存在感でほとん
ど直立不動といってもいいスキのない姿
で立っていた。

「なにをお飲みないなる？」

といい乍ら、彼女は自分のグラスになみ
なみとバーボンウイスキーを注いでいた。

「スコッチを頂きます」

私にグラスを渡してくれるとき、毅然と
張り詰めていた立ち姿が不意にくずれて、
ガラス細工のように脆い、とりとめのな
い痛さが部屋中に流れ出した。

五十八歳にしてブロードウェイでロング
ランを打ち、受賞し、歌い踊り、いのち
ある限り大女優たらんとする天賦の才能
と気丈さの蔭に、大女優なればこそもっ
ている赤児のような傷つき易い心に、私
は無関心ではいられなかった。

バーボンウイスキ―をほとんどいっきに
飲んで蹌踉と揺れている大女優に、私は
くつろいでほしかった。

「ずッと前、お眼にかかったことがある
  のです。チャーリーとキャプシーヌの
  パーティーで……」

「ああ、チャーリー・フェッドマン」

バコールは急にリラックスしたようだっ
た。

「お化粧おとしていいかしら」

化粧台の前の藤椅子になだれるように坐
って足を組んだバコールをみて、私はハ
ッと思いだした。



    
邂逅は運命のいたずらを待つ方をとる
    二十余年前のガーデンパーティである。
花柄のスカートを花のように拡げ、藤の
寝椅子に坐っていた彼女は、私の当日の
衣装が、当時パリで売れっ子のアルウィ
ンの作品と知るや、堰をきったように私
にフランス語ではなしてくれたのだ。

「あなたはフランス語をおはなしなりま
  すのね、今思い出しました。パーティ
  で私にフランス語ではなしかけてくだ
  さった最初の方ですね」

「そう、あなたはビル・ホールデンとキ
  ャプシーヌのお友達ね、パリに棲んで
  いる日本の女優さん。ああパリはどう
  しています。私の大好きになパリは」

「ビルもチャーリーもいなくなってしま
  ったけど……、パリは健在です。あい
  かわらずうつくしいわ」

「今年は是非行くつもりよ。自叙伝出版
  のときには日本へも行きたいわ」

「ぜひそうなさいませ」

私は私の連絡場所をいわなかった。こい
した邂逅は運命のいたずらを待つ方がず
っと粋なのだから。

ブロードウエイの深夜は零下二十五度だ
った。


なお、「あとがき」にこうあります。

人生、という道程の中で、あちこちに散
らばった私じしんの断片。どうしうもな
く、早とちりで気が良くて、コトは一目
瞭然、自明の理、というような状況に直
面した時にさえ、救い難く鈍感で、事態
を把握しない私（生まれ落ちてから今に
至るまで）。パリやハリウッドに圧倒さ
れ、へまや失言を繰り返し幼かったころ
の私。


傲慢のそしりを恐れずに言えば、「ロー
レン・バコールがいる」を読み終えて、
岸恵子さんの人生の一端を共に生きてき
た思いがします。

爽やかに疲れました。でも、生きる喜び
をもらいました。ありがとうございます。
（この項完）（本稿続く）(N168-25)





    
邂逅は運命のいたずらを待つ方をとる
    


    
キャプシーヌ（Capucine)
    キャプシーヌ - Wikipedia





    
波止場 コレクターズ・エディション [DVD]
    
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私のパリ 私のフランス (単行本)
    
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私の人生ア・ラ・カルト (単行本)
    
私の人生 ア・ラ・カルト
  

単行本: 270ページ 
出版社: 講談社 (2005/01) 
発売日： 2005/01 

＜目次＞
第1部 私を女優にした眼
第2部 母と娘、それぞれの孤独
第3部 ドジな女の大騒動
第4部 「干渉の義務」
第5部 なつかしい人たち
第6部 「あの女、メトロのにおいがする」
第7部 時代をわたる風
第8部 大義と正義の罪
以上





    
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イヴ・シャンピ（Yves Ciampi, 1921年 - 1982年）
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初めてのデイサービスに行く朝夫は黙って味噌汁すする
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