演奏会用序曲「はしがき(其の二)」
――歳月が流れ、私は巴里に住む身とな
った。ある日、夫の友人がつぶやくよう
に言った。
「人生なんて、所詮は数コマ映像（イマ
ージュ）にしか過ぎないない」。ブルー
の瞳に皮肉な笑みを泛べる孤独の似合う
その人は、
モーリス・ロネ（俳優。「太
陽がいっぱい」など）。
少し掠れた声が祖父を憶い起こされた。
けれど、若い私はその言葉が気障にきこ
えた。
時はまた容赦なく流れ、友人は死に、私
と既に離婚していた前夫が、ある日私の
好きなシャンペン、クリスタル・ロード
レルを届けてくれた。
「君が旅から帰ったら一緒に飲もう」。
セーヌ河畔の石畳の道で私を振り返って
にこっと笑った。
それが彼を見た最後となった。私が旅か
ら帰ったとき、彼はもうこの世にいなか
った。――
そのとき、私のかってな想像では、セー
ヌ河畔には、
冬日がにび色によどんでい
ました。
嗚呼！、人生がドラマか、ドラマが人生
なのか。これほどのドラマを神は一人の
人間に課すものなのか。
第３８回（1965年度）アカデミー賞式典にて
第五部“
ローレン・バコールがいる”（４）
ある場所で何かが起こると、再びその場
所を訪れてたとき、同じ現象が起こるも
のらしい。
デジャ・ヴュ（既視感）ではなく、デジ
ャ・フェ（もうやったよ）の世界である。
たしか、一九六五年、
外国語映画賞必定
と評判の高った、既に
カンヌ国際映画祭
審査員特別賞受賞作の「怪談」がアカデ
ミー賞にもノミネートされた。
私はオムニバス二作目の「雪女」に出演
していて、胸をときめかせて再度ハリウ
ッド入りをした。
エスコートをしてくれたのは相変わらず
我がビル・
ホールデン。
前回の私の失言を鮮明に覚えていて、耳
打ちした。
「ケイコ、憶えいている？ 名前はカット
だよ」
「アンダスタンド」
折しもタキシードにロングドレス、眼も
くらむような
カップルが近づいてきた。
「奥さんとやってくるのはグレゴリー・
ペック。彼は最近、凄い評判をとって
いる」
そつなく、ざっくばらん、しかも、優雅
なビル・
ホールデンの紹介が終わると、
ペック夫人がしみじみと私を、ではなく
私のドレスを眺めて吐息まじりに言った。
「なんてステキなドレス！ 日本にこん
な素晴らしい
クチュリエがいますの？」
「いえ、これ、パリで……」
讃められた私はバカなことに赤面しなが
ら、夫君であるペック氏に軽いレベラン
ス（
バレリーナや舞台の幕切れの時に主
演女優がよくやる腰を沈めてのお辞儀）
までした言った。
「あのー、コングラチュレーション！
賞をおとりになった『コレクター』
二回観ました。ステキでした」
グレゴリー・ペックは、私の大好きなあ
のちょっとばかり甘くてニ
ヒルな唇をほ
ころばせた。
「残念。ぼくは『コレクター』に出演し
ていません。サムシィング・エルス？」
またやった！ コレクターはテレンス・
スタンプだったのに。監督がウィリアム
・ワイラーだったのでとんでもなく混乱
したのだ。ワイラーは、いつもペックと
組むだもの……。しかも私はペックのフ
ァンなのに――。
泣きべそを掻いた私の頬をビル・ホール
ンデンが突いた。
「ケイコ、次からは、作品も抜きだ」
「アンダスタンド」。
ちなみに、1965年（昭和４０年）という
年は、８月19日、
佐藤榮作総理大臣が、
太平洋戦争後総理大臣として初めて沖縄
県訪問。11月１日、
東海道新幹線「ひか
り」が東京新大阪間で当初予定の３時間
10分運転を開始した時代でした。
参考までに、第３８回
アカデミー賞受賞
は、作品賞
サウンド・オブ・ミュージッ
ク（THE SOUND OF MUSIC）、監督賞 ロバ
ート・ワイズ（
サウンド・オブ・ミュー
ジック）、主演男優賞
リー・マービン
（キャット・バルー）、 主演女優賞 ジュ
リー・クリスティ（ダーリング）、 主題歌
賞 THE SHADOW OF YOUR SMILE（いそしぎ）。
外国語映画賞は、THE SHOP ON MAIN STREET
（
チェコスロバキア）が受賞し、惜しくも、
『怪談』は賞を逸しました。
いずれにせよ、海外に行くということが、
夢のまた夢の時代でした。
（続く）(N164-24)
