〈当用漢字〉誕生の戦後秘話
『日本語教のすすめ』（４）
＜estelの記録帳 動物 板橋区立熱帯環境植物館＞
ラジオ型言語とテレビ型言語と
地球上に存在する多様な約六千種の言語 は、殆どがラジオ型言語なのに、日本語 は唯一例外でテレビ型言語であると鈴木 孝夫氏は主張します。 ラジオ型言語というのは、ラジオのよう に音（音声）だけで十分な伝達ができる ということです。それは音の中に全ての 必要な情報が含まれていて、文字がなく ても互いの伝達には支障がありません。 事実、世界の極めて多くの言語は近現代 に至るまで文字を持ちませんでした。今 でも文字を持たない言語は沢山あります。 また、文字のある場合でも、そのことと 無関係に音声言語だけで立派に社会生活 を送っている人（俗にいう文盲者、ある いは機能的文盲者）が、数多く存在する 言語も少なくありません。 この現象から、前世紀の中ほどまでは、 アメリカの言語学者のＬ・ブルームフィ ールドが唱える行動主義的な構造言語学 が幅をきかせて、音声だけが言語の全て であるという説が、一世を風靡していま した。 しかし、Ｎ・チョムスキーの変形生成文 法が登場して、構造言語学派はあっけな く消滅してしまいました。 ところが、構造言語学の考え方の一つ、 文字は言語の影か写真のようなもので、 言語の実体とは無関係な単なる記憶補助 の道具でしかないいう考え方が、多くの 人の頭に根強く残っていて、その影響が 色々なところに見られのです。当用漢字は〈当座の用〉を足すために
敗戦と共に、前に記したアメリカ言語学 における文字軽視の考えが占領軍ＧＨＱ の文教政策担当者によって持ち込まれま した。 それが、一部の識者が明治以来唱えて止 まなかったローマ字礼賛の声と相まって、 文字は記憶補助の手段に過ぎず、言語に とって本質的なものではないのだから、 文字は簡単で覚えやすく、その上国際性 のあるものが好ましいという気運が戦後 の言語問題に携わる人々の間に広く醸成 されてしまいしました。 そして、生まれたのが当用漢字です。近 い将来の漢字全面廃止までの〈当座の用〉 を足すためにという限定された目的の当 用漢字の設定や、日本語のローマ字化を 視野に入れた小学校へおローマ字教育の 導入などが、たいした混乱や反対もなく 実行されたのでした。 アメリカの言語学者の説を鵜呑みにして、 文字は言語の実体とは無関係なものだ考 える日本の学者がいた、あるいは、いる ことに驚かされます。 いつの世でも、識者とは、一体何なんだ。 いま書いていて無性に腹立たしい。 いよいよ次には、テレビ型言語の日本語 のすばらしさをお伝えしたいと思います。 （続く） (N89-4)『日本語教のすすめ』 新書: 252ページ 出版社: 新潮社 (2009/10) 発売日： 2009/10 ＜目次＞ 第1章 日本語は誤解されている(日本語ってどんな言語 漢字の読みはなぜややこしいのか ラジオ型言語とテレビ型言語) 第2章 言語が違えば文化も変わる(虹にはいくつの色があるのか 太陽は世界のどこでも赤いのか 蛾と鯨が同じ理由 文化によって異なる羞恥心) 第3章 言葉に秘められた奥深い世界(天狗の鼻は「長い」ではなく「高い」 形容詞の中身はなに? 江戸時代、「日本酒」はなかった) 第4章 日本語に人称代名詞は存在しない(身内の呼び方の方程式 日本語の人称代名詞を巡る問題 指示語と自己中心語のしくみ 「人称」の本質は何か) 第5章 日本語に対する考えを改めよう(日本人のもつ相手不在の外国語観 日本語教のすすめ) 鈴木 孝夫略歴： 1926(大正15)年、東京生まれ。慶応義塾 大学文学部英文科卒。慶応義塾大学名誉教授。
- 作者: 鈴木孝夫
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