太平洋戦争 戦死者の死に場所を教えられなかった国

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(7)

<estel の記録帳 東京の夜景 都庁ピンクリボンカラー添え>

日本軍の最終目的は何だったのか

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 は、最終章「太平洋戦争」を迎えました。 はるばる来たぜ、敗戦へ!、と感動を覚 えます。 この本は、クリスマスとお正月の間の五 日間、熱心に講義を聴いた優秀なる栄光 学園の生徒さんが居なければ、このよう な内容の濃い作品にはならなかってので はないかと、思います。 その時々に、生徒さんから発せられる的 確な質問に、加藤陽子先生も、教師冥利 に尽きたのではないでしょう。見てきた ような感想を述べて僭越ですが。 生徒−日本とアメリカには圧倒的な戦力 差ありことがわかっていたのに、どうし て日本は戦争に踏み切ったんですか。そ れと、戦争の前から日本がアメリカに劣 っていたということを、どれだけの人が 知っていたのかも気になる。    生徒−前の章に出てきた、中国の湖適は すごいな思ったんですけど、じゃあ日本 軍は、戦争をどんなふうに終わらせよう と考えていたんですか。満州や東南アジ アなどの資源のある地域をとって経済が 回復すればよかってのか、それともドイ ツ・イタリアと世界の主導権を握るまで 戦うつもりだったのか。日本軍の最終目 的が知りたいです。 加藤先生は、質問にフムッムッと感心し ながら、、難問を解き明かしていきます。 その全貌を知りたい人は、この本を読ん で頂くしかありませんね。

人間の常識を超えて

それは、1941年(昭和十六年)、午前六 時発表の臨時ニュースとしてラジオで流 されました。 「帝国陸海軍は今(こん)八日未明、西 太平洋において米英軍と戦闘状態に入れ り」。これを聞いて、普通の人々はどう 思ったか、なかなか記録には残らないん です。南原繁氏(戦後東大総長なる政治 学)は、開戦の日に次の短歌を詠んでい ます。
人間の常識を超え
学識を超えておこれり
日本世界と戦ふ
人間の常識を超えて、学問から導かれる 判断をも超えて戦争は起こされた、日本 は世界を敵としてしまったと嘆く。 かたや、中国文学者の竹内好氏は、開戦 から八日後に自ら主宰する雑誌に「大東 亜戦争と吾等の決意」という文書を残し ています。 <歴史は作られた。世界は一夜にして変 貌した。われらは目のあたりそれを見た。 感動にうちふるえながら、虹のように流 れる一すじの光芒のゆくえを見守って。> 庶民の多くのは、竹内氏の心情に近く、 「いよいよ始まる。キリリと身がしまる のを覚える」といった感想が持ったよう です。南原氏は少数派です。  戦争というものには、人々を集団ヒステ リーにおとしえれる魔物が住んでいるの でしょうかね。(了) (N69-4)
それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

<目次> 序章 日本近現代史を考える 1章 日清戦争 ―「侵略・被侵略」では見えてこないもの 2章 日露戦争 ―朝鮮か満州か、それが問題 3章 第一次世界大戦 ―日本が抱いた主観的な挫折 4章 満州事変と日中戦争 ―日本切腹、中国介錯
5章 太平洋戦争 ―戦死者の死に場所を教えられなかった国
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三ツ木史子(36歳)東京都 平成万葉集
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