『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』4

加藤陽子さんが高校生に語りました」4

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2章 日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題だ

歴史の解釈は時代で変わる
不謹慎の誹りを恐れずにいえば、日露戦 争の出来事の推移は、下手な小説より数 段におもしろい。登場人物がすべて主役 で、脇役がいないドラマを見ているよう で、おもしろいけれども、実に疲れる。 筋書きを追っているだけでもまいります。 そして、哀しいのは戦争を通して、国が 近代国家に成長していく現実です。 2章のサブタイトルにあるように、日露 戦争は、日本とロシアによる、朝鮮半島満州をめぐる権益の争奪戦でした。 日露戦争が、なぜ起きたかという質問へ の答え方は、時代ともに変化していきま す。 マルクス主義唯物史観という学問が強 く影響力を持っていた頃、1970年代まで は、日本という国は、帝国主義として成 長してきたのだから、中国東北部、つま り満州に、市場を求めて、ロシアに門戸 開放を迫るために戦争に訴えたのだとの 解釈が有力でした。 しかし、その後、ロシア側の史料や日本 側の史料が、公開されて明らかになった ところでは、朝鮮半島の、戦略的な安全 保障の観点から、日本はロシアと戦った という説が出てきました。 いま、ロシアでは、たくさんの史料が公 開されています。ロシアは面白い国で、 「帝国政府がやったことは悪いことでも 出してしまいましょう」というスタンス です。 ペテルブルグにあるロシアの資料館で、 日露交渉の史料をよく調べているルコイ ヤノフというロシアの歴史学者がいます。 日露戦争から百年をを記念して、日本、 ロシア、アメリカなどの学者が集まって 2005年に国際会議を開いたときに、この ルコイヤノフ先生は報告しています。 日露戦争に関しては、どちらがやる気で あったかという点では、ロシア側により 積極性があったのではないか。戦争を避 けようとしていたのは、むしろ日本で、 戦争をより積極的の訴えたのはロシアで あったと。
日露戦争も代理戦争
日清戦争帝国主義時代の代理戦争でし たが、日露戦争も代理戦争です。ロシア に財政的援助を与えたのがドイツ・フラ ンス、日本に財政的援助を与えたのがイ ギリス・アメリカです。日清戦争が始ま る直前、イギリスは、日英通商条約で不 平等条約の一部改定を約束して日本の背 中を押しました。 面白いことには日露戦争の前には、それ と同じことをアメリカがやっています。 まだ、日本が開戦の決意をしていない頃 ですが、軍部が陸海軍の共同演習をやり はじめた1903年十月八日、アメリカと日 本は同時にあることをやりました。日本 と清国の通商条約、そしてアメリカと清 国の通商条約を同時に、日本とアメリカ が申しあわせて改定を発表したのです。 日本と清の通商条約の改定は、「日本は 東三省における満州部分の門戸開放をや りますよ」というシグナルでした。 すなわち、この同時発表の条約は、日本 とアメリカは中国の満州地域の門戸を開 放し、都市に外国商人が自由に入れて、 会社なども経営できるようにするのだよ、 とのシグナルであったのです。 人も国も、その時々の利害関係で結ばれ るものなのですね。いま、ここで、話を しているのは、明治38年の頃の事柄です。 感嘆あるのみ。(続く) (N66-4)
それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

<目次> 序章 日本近現代史を考える 1章 日清戦争 ―「侵略・被侵略」では見えてこないもの 2章 日露戦争 ―朝鮮か満州か、それが問題 3章 第一次世界大戦 ―日本が抱いた主観的な挫折 4章 満州事変と日中戦争 ―日本切腹、中国介錯論 5章 太平洋戦争 ―戦死者の死に場所を教えられなかった国
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