『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』2

加藤陽子さんが高校生に語りました」2

<estelの記録帳 晴海客船ターミナル 風で動くオブジェ>

序章 ”日本近現代史を考える”から

国際連盟の破産は、なぜ、起きた
序説では、歴史は科学たりえるかどう かなどを、考察していきます。 そのなかの一項「なぜ二十年しか平和は 続かなかったか」がおもしろかった。な ぜ、戦争が絶えないのか、この万人が抱 えている問いを、ここでは、英国の歴史 家のE・H・カ―の経験から説かれてい ます。改めて、平和を維持するのが、い かに難しいことが分かります。 カー氏の本で『歴史とはなにか』(岩波 新書)が有名です。そして、よく引用さ れる言葉に”歴史とは現実と過去との間 の尽きることを知らぬ対話”という言葉 があります。 歴史とは何か (岩波新書) このカー氏が、第二次世界大戦が始まる 1939年、『危機の二十年1919年〜1939』 という本を書き上げています。 危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫) 1919年のパリ講和会議に始まったヴェル サイユ体制=国際連盟の試みが、なぜ、 二十年後に破産したのかの問いに、自ら の答えを解き明かすために書かれました。 ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッ ジを卒業したばかりのカ―氏は、外交官 としてパリ講和会議に出席していました ので、現場をよく知っていました。
国際連盟の方がまちがっていた
ヒトラーに率いられたドイツが、イギリ スやアメリカに対して挑戦してきたのは、 連盟規約の定めを100%忠実に適用す るのを怠ったから起きたのだ。独伊日三 国の挑戦を英米仏などの大国が、早く跳 ね返えさなかったから起きたと、普通の イギリス人は単純に考えていました。 交戦諸国の戦死者数が一千万人を超え、 西部戦線に張りめぐらされた塹壕の総延 長がほぼ地球を一周する距離に達した第 一次世界大戦。このような戦争の惨禍を 二度と繰り返さないように組織された国 際連盟の試みが、なぜ、二十年で破産し てしまったのか。 『危機の二十年1919年〜1939』が説いた のは、まちがっていたのは連盟の方だと いうものでした。 つまり、敵国であるドイツが悪いのでは なく、そもそも国際連盟がまちがたてい たのだと、いう解釈です。 この本が、第二次世界大戦勃発直後に刊 行されたので、イギリスの為政者や知識 人たちは、たいへん困惑したそうです。 カ―氏の結論は、不満足国家である独伊 日が現状打破を主張しているのに対して は、言葉だけの抑止では通用しなかっず だと述べ、軍事力の裏付けなしに、独日 伊を抑えることができなかったというの です。 早まらないでください。単なる軍備拡張 論ではありません。カ―氏は、イギリス に海軍増強という力の政策によって、ド イツを抑えこむ力がなかったのであれば、 イギリスとしては、連盟を背景にしてド イツをいたずらに刺激すべきでなったと 言っているのです。 この判断は、現在においても、教訓を垂 れています。特に、自分の考えだけが正 しいと、考えの違う他者を誹謗する人た ちに対してです。(続く) (N64-4)
それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

<目次> 序章 日本近現代史を考える 1章 日清戦争 ―「侵略・被侵略」では見えてこないもの 2章 日露戦争 ―朝鮮か満州か、それが問題 3章 第一次世界大戦 ―日本が抱いた主観的な挫折 4章 満州事変と日中戦争 ―日本切腹、中国介錯論 5章 太平洋戦争 ―戦死者の死に場所を教えられなかった国
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