「えらい人」のやること

民間人を捨てて逃げ出した関東軍

毎日新聞夕刊「葦舟が飛んだ」から

estelの記録帳  隅田川の流れ




今年4月1日から、毎日新聞の夕刊に掲
載されている津島佑子さんの「葦舟、飛
んだ」(9月25日、145回)で読んだ
ある箇所がどうしても頭から離れない。

―――
1945年、8月11日、「満州国」の首都
だった新京(現在の長春)がソ連軍に爆
撃されはじめ、関東軍司令部は「満州国
の皇帝と政府高官たちともに、新京から
逃げだし、「満州国」はあっけなく消え
失せました。

私がショックを受けたのは、この日、新
京から十八本の列車がで出たというので
すが、それに乗ることができたのは、関
東軍関連の人たち、満鉄関係、大使館の
人たちだけで、三万八千人近くを占め、
民間人はわずか二百四十人だったという
数字です。どこまで正確な数字なのか私
にはわかりませんが、ある人の証言では、
民間人が必死になってその列車に乗り込
もうとしたら、容赦なく突き落とされた
とか。

まったく、耳を疑う話です。このように
「えらい人たち」は日本敗戦の前にみご
となほどのすばやさで、「満州国」から
逃げ出してしてしまい、日本人難民がた
くさん生まれる結果になりました。
―――

作家のなかにし礼さんも、関連した体験
を話されていたし、ほかでも、同じよう
話を聞いたことがあります。それでも、
まだ、信じられません。

要するに、「えらい人」というのは、碌
なものではない。一般人を見習へと言い
たい。

戦後闇市の物資はどこから来たか


ここで、松山 巖著『うわさの遠近法』

(ちくま学芸文庫)から参照させて頂く。

昭和20年敗戦直後、もっとも不穏な動き
をしたのは、軍人たちであった。一般人
は茫然自失ながらも「平静」としたもの
が多いし、内務省が考えた労働争議も起
きなかった。

敗戦時の鈴木内閣は、どうせ占領されれ
ば軍が備蓄した物資は連合軍に没収され
る、という判断から、強制的に集めた物
資を軍人、官吏、軍需産業家に放出する。

物資は、当時でさえも、四年の供給を満
たすとされ、放出された総量は少なく見
積もって「当時の国家財政規模の四分の
一にあたる五七・五億円、多い数では、
陸軍では全国平均で総量の約三分の一、
海軍では当時の価格で約一千億に達する」
(粟屋憲太郎『資料 日本現代史』解題)
と言われている。この大量の無責任な物
資放出は混乱を招いたばかりか、戦後の
復興に大きな妨げとなった。

悲しいかな、われわれ日本人であります。
これでは、今の賄賂まみれのイラクを笑
えませんね。



『うわさの遠近法』 (ちくま学芸文庫)

コレラ、毒婦、妖怪学、千里眼、西郷伝
説…。明治から大正、昭和にかけての近
代日本に生まれては消えていったおびた
だしい数のうわさ。人々の欲望、不安、
怖れを乗せ、時代の裂け目より噴出し、
世間を駆け抜けていったうわさは、庶民
の精神を正確に映し出す真実の鏡であっ
た。ウソをマコトに、マコトをウソに、
いとも簡単に変換を可能にする装置
“うわさ”を素材に、近代日本の透視図
を描き出す。


松山 巖氏。

1945年東京生まれ。東京芸術大学美術学
部建築科卒業。評論家、作家。『うわさ
の遠近法』で、サントリー学芸賞受賞。<目次>
兎、虎列刺、絹布そして唄
毒婦たちの栄光
鹿鳴館と仁侠
世論と壮士
妖怪学と失念術
超能力の発見―千里眼事件
芸術か、スキャンダルか
コラムの誕生と消滅―「茶話」の時代
天譴、自警団、この際やっつけろ
英雄生存伝説と日本起源論異説
“清潔な帝国”下の『日乗』―荷風と昭和初期
デマと統制―木炭もない、石炭もない
“清潔な帝国”と敗戦
“地”のうわさ、海の記憶
(N51-4)


うわさの遠近法 (ちくま学芸文庫)

うわさの遠近法 (ちくま学芸文庫)



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