塩田良平先生のこと
いま、塩田良平先生のことを思い出しています。
一度も、お会いしたことはありませんが、その
流麗なお声が、50余年経ても忘れられません。
昭和29年(1954年)のこと、塩田先生は、旺文社
「大学受験ラジオ講座」の現代国語の講師をされ
ていました。いろんな誘惑の中、この時間だけは
万難を排して、ラジオの前に鎮座していました。
授業の内容が、受験に役に立つとかの次元ではな
く、爽やかで楽しいのです。その軽妙洒脱な講議
に痺れてしまうのです。
そのころは、塩田先生のバックグラウンドを知
るよしもなく、後年、すごい学者の方だと分か
り、たとえ電波を通してでも、謦咳に触れさせ
て頂き大変幸運でした(変な表現ですが)。
さもありなん、塩田先生は、東京の下町の医師
の家庭に育った生粋の江戸っ子でして、和服の
愛好者で、ほとんど着流し姿であったそうです。
テレビの音声の騒がしさに比べて、ラジオを通
しての肉声には、魂が込めらています。
塩田良平(1899年5月25日 - 1971年11月28日)。
国文学者。随筆家。元二松学舎大学学長。
片岡良一、湯地孝らと明治文学会を創立。樋口
一葉、尾崎紅葉、山田美妙らの実義的研究、全
集編集に従事した。東京帝大卒。著作に「樋口
一葉研究」「明治女流作家論」など。
昭和37年に日本近代文学館設立準備委員となり、
昭和38年常務理事、昭和44年理事長に就任。文
部省国語審議会委員や日本近代文学館第3代館長
も兼任しました。近代文学が専門で、代表的な
著書に「近代日本文学論」「山田美妙研究」
「樋口一葉研究」「明治女流作家論」「明治
文学論考」「日本文学論考」、随筆集「妻の記」
「おゆき」「夜開花」などがあります。死の直
前まで大学受験ラジオ講座の講師をつとめておら
れました。
ちなみに、そのころ、大学受験ラジオ講座で、
J. B. ハリス先生が英語の講師をつとめておら
れました。
巷では、春日八郎の「お富さん」が流行ってい
ました。学校の国語の先生にそんな下品な歌を
歌うなとたしなめられた記憶があります。
塩田先生は、講義でよく詩を朗詠されました。
落葉松
北原白秋
一
からまつの林を過ぎいあたて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆへしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしいけどいよいよしづけし
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
当時、録音する状態になかったのは
かえすがえすも残念です。(N7)