国は「水漬くかばね」どうしたか

 毎日新聞朝刊8月13日付けの[みんなの広場]

に内海洋一さんが表記の題で投稿されている。

かねかね感じていたことを、ご発言頂きそう

だソウダと思わず膝を叩いてしまいました。

小生より15歳年上の内海さんの、学徒出陣の

貴重な体験の上での胸裂ける感情の発露です。

要約をお伝えしようとしましたが出来ません。

     ***

『国は「水漬くかばね」どうしたか』

        無職 内海洋一88(神奈川県三浦市

 私は1942年、世に言う「学徒出陣」で陸軍に入隊した。

44年9月にはシンガポールの航空隊の教育隊に入隊のため、

門司港を24隻の船団の一隻に乗せられて出航した。無謀に

も、制海権の制空権のない東シナを約2カ月航海し、シン

ガポールに着いたのは、4隻のみと聞いた。

 この無謀な太平洋戦争で一体何隻の輸送船や軍艦が撃沈

され、何万人が「海行かば」の歌詞に歌われている「水漬

くかばね」に名実ともになられたのであろうか。

 沖縄で戦没された方は「平和の礎」にその名をとどめら

れている。そのほか陸上で戦没された人の中には遺骨が納

められ、しかるべく祭られた人もいる。国は「水漬くかば

ね」となられた戦没者の人をどうしたか、また、どうする

予定であるのだろうか。ほったらかしにするのであろうか。

敗戦の日が近くなると、「水漬くかばね」の歌詞を思い出

し、海で亡くなった方々を思い出し、この国は何たる国か

と憤りを感じる。

     ***

 転記させて頂いて涙が止まりませんでした。小生、船会

社勤務の経験があって、リアリティは鮮烈です。

◎参照

     『海ゆかば
        信時潔 昭和12年作曲


 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)

 山行かば 草生(くさむ)す屍

 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ

 かへりみはせじ

(長閑(のど)には死なじ)(N4)