終戦の日2日前、長野が空襲された

大日本帝国は、昭和20年(1945年)7月26日に

発せられたポツダム宣言の受け入れを、

駐スイス大使館経由で連合国側へ申し出、

あわせてラジオ・トウキョウを通じて

アナウンスしている。

それなのに、1945年8月13日、

終戦の日たった2日前にですよ。

長野市が空襲されたのである。

そればかりではない。

8月14日23時頃 マリアナ諸島テニアン島

基地より発進した

アメリカ陸軍戦略航空軍所属の

B-29爆撃機約80機により

熊谷市が受けた空襲を受けているのである。

すぐ、8月15日当日ですよ。

これが、太平洋戦争最後の空襲となった。

ちなみに、この空襲は埼玉県においては、

最大規模の空襲であり、

埼玉県内唯一の戦災指定都市となった。

そして、9月2日、東京湾内に停泊する

米戦艦ミズーリの甲板で天皇

(元首であり大元帥また正式には大日本帝国陸海軍大将)

の裁可を受けた政府全権の重光葵

大本営(日本軍)全権の梅津美治郎

及び連合各国代表が降伏文書に調印した。


もう。ツーレイトですよ。

現実は、おぞましい。


もう、手許の詩集でもひも解いて

朗詠するしか、気を静めるスベがない。


      雨
           西脇順三郎

南風は柔い女神をもたらした。

青銅をぬらした、噴水をぬらした、

ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、

潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした、

静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、

この静かな柔い女神の行列が

私の舌をぬらした。

(だまされたと思って声を出して
 読んでみてください。カタルシス効果がありますよ)


ところで、今日はこんな日。
 
1965年8月13日 - 池田勇人、日本の第58-60代内閣総理大臣(1899年生) 死去
1899年8月13日 - アルフレッド・ヒッチコック、映画監督(1980年死去)誕生

関係ありませんね、失礼しました。(N3)