モリエール「自然はあらゆる善美と調和を生み、反自然は…」

モリエール「自然はあらゆる善美と調和を生み、反自然は…」

【人間は自然を支配しているのではなく、大いなる自然
 のうちのひとつ存在に過ぎない。だから、自然の摂理
 に従って生きれば、花や樹や風や星空のように、精神
 の善と肉体に美とを、不調和なく得ることができる。
 一方、その自然に抗って無理な演出を試みようとすれ
 ば必ずそれらは破綻する。いわゆる「不自然」である】


浅田次郎著『ま、いっか。』(27)

第1章 男の本音(27)
モリエールの言葉◇(上)

モリエール「自然はあらゆる善美と調和を生み、反自然は…」

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇ ◇Best of the Oscars (Actress Jennifer Lawrence accepts the award for best actress for her role in "Silver Linings Playbook" at the 85th Academy Awards in Hollywood, California February 24, 2013. REUTERS/Mario Anzuoni) 秋になると、なぜかきまってモリエールのこ の言葉を思い出す。  自然(フィジス)は   あらゆる善美と調和を生み  反自然(アンチ・フィジス)は   あらゆる破綻を生じめる 私の人生の、生活の、また創作上の座右の銘 である。 春も夏も物思う間もなく過ぎてしまうが、冬 に向かって緩慢に移ろう秋景色は、こうした 大切な言葉を思い起こさせてくれる。 人間は自然を支配しているのではなく、大い なる自然のうちのひとつ存在に過ぎない。 だから自然の摂理に従って生きれば、花や樹 や風や星空のように、精神の善と肉体に美と を、不調和なく得ることができる。 一方、その自然に抗って無理な演出を試みよ うとすれば、必ずそれらは破綻する。いわゆ る「不自然」である。 モリエールも私も、文学的な意味ではいわゆ る自然主義者ではない。現実をありのままに 表現するのではなく、相当に鑑賞者や読者に 阿(おもね)って、悪く言うならウケを狙う タイプの作家であろう。 しかし、だからこそ創作上のこの掟は守らね ばならない。 どれほど荒唐無稽なストリートであろうと、 登場人物が自然に従う人間であり、自然の一 部として描かれてさえいれば、読者の共感を 得ることができる。 むろん、人生においても生活においても、モ リエールの説くこの原理は有効である。 みずからを花や樹や風や星空と同様の自然の 一部と考えれば、たぶん、人間は誰しもがす こやかに成長し、美しく老いてゆくにちがい ない。 春も夏もあわだただしく過ぎてしまうけれど、 日ごとゆっくりと色を深めてゆく秋は、その 心理を人間は教えてくれる。 」》 ■モリエールが、こんなこと言っているのを 知りませんでした。いい言葉です。   自然(フィジス)は   あらゆる善美と調和を生み  反自然(アンチ・フィジス)は   あらゆる破綻を生じめる 私は、モリエールとえいば、戯曲『人間嫌い』 です。 人生、長いことやっていますと、一度や二度、 人間嫌いになったことがあります。人間嫌い は、実は、嫌悪症としては、軽いほうで、重 症になりますと、自己嫌悪症におちいります。 これが、脱却するのが、なかなか容易ではな いのです。 少しは、薬になるかなと、手に取ったのが、 『人間嫌い』でした。そのときは、効き目が ありませんでした。その後、人生を重ねて、 『人間嫌い』の喜劇性がわかるようになり、 今では 人間好きになりました。何のこと はない、私の「人間嫌い」は、埒外でした。 『人間嫌い』は、欺瞞に満ちた会に嫌気がさ して人間嫌いになる男の悲喜劇を描いた戯曲。 主人公のアルセストは、まったく世間知らず の純真な青年貴族であり、虚偽に満ちた社交 界に激しい憤りをいだいていますが、皮肉に も、社交界の悪風に染まったコケットな未亡 人、セリメーヌを恋してしまうのでした。 誠実であろうとするがゆえに、俗世間との調 和を失い、恋にも破れて人間ぎらいになって いくのでした。 モリエール1622年〜1673年)は17世紀フ ランスの劇作家で、コルネイユラシーヌと ともに古典主義の三大作家の一人とされます。 パリの裕福な家庭に生まれ、オルレアンの大 学で法律を学んだ後、俳優となるが芽が出ず、 売れない劇団の座長として地方の旅回りを続 けながら、喜劇作品を書くようになりました。 1658年、パリに戻ってから次々に作品を上演 し、『女房学校』(1662年)が大評判となっ て劇作家として認められました。モリエール の劇作は宮廷から支持を得て、喜劇に対する 評価を高めました。 喜劇作品『人間嫌い』『ドン・ジュアン』 『町人貴族』『病は気から』『いやいやなが ら医者にされ』『スカパンの悪だくみ』など があります。モリエールの死後、1680年に、 コメディ・フランセーズが創設されました。 モリエールは、日本人に好かれているようで、 彼の名前をつけたレストランや、劇場(新宿 シアターモリエール」もあるほどです。 ☆モリエール肖像画 ☆人間ぎらい (新潮文庫) 人間ぎらい (新潮文庫) ☆「モリエール、恋こそ喜劇」映画公式サイト - セテラ・インターナショナルモリエールにちなんで芸名をつけた  江守徹さんがナレーションを担当 (つづく) (1296dys-833ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(27)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(185)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(3)△▼

・「死ぬ。死ぬ。マジで死ぬ」・(その3)

瞬間冷却剤を首の付け根に当ててくれた
《「――8月30日、40代の男性作業員の死亡が発表された 際、死因が急性白血病だったため、被曝による犠牲者ではない かと疑われた。 東電の発表によれば、8月上旬から1週間の勤務で、被曝線量 は0・5ミリ。事前の健康診断でも異常はなかったという。 専門医の話によると、「この被曝量で白血病を発症することは 100パーセントに近い確率でない」らしく、健康診断後に発 症し、当然急死するケースも珍しくないそうだ。1F(東京電 力福島の第一原発)の勤務に限って言えば無関係だろう。 「歩けるかい?」 「ちょっと無理です 同僚に抱えられ、ゆっくりとプロセス主建屋の中に戻った。バ ンドソーはHさんという上会社の社員が、がらがらと引きずり ながら運んでくれた。 〈すげぇ重かっただよなぁ。抱えなくてよかったのか……〉 ボーッとした頭でその様子をみていると、瞬間冷却剤を首の付 け根に当ててくれた。 プロセス主建屋の裏口、線量のもっとも高い場所に冷凍庫が置 いてあり、そこに無数のアイスノンや凍らせたペットボトルが 入っているのだ。 これまで瞬間冷却剤は作業員が自前で購入し、現場に持ち込ん でいた。シェルターの冷凍庫に保管されていたアイスノンは汚 染を防ぐためタイベックの下に装着しなければならないのだが、 現場に、そのためのベストは装備されていなかった。 私は冷却剤を5つ装着できるタイプを薬局で購入し、叩くだけ で急速冷却される保冷剤を20個ほど持参、仲間に使ってもら うよう差し入れていた。 ――」》 ■民主党大会 綱領決定も理念あいまい、空虚な総括  ▼こりゃダメだ、潰れる。綱領に「原発ゼロ」のゼの字も無い 民主党は24日、野党転落後初の党大会を都内のホテルで開き、 「平成25年を改革・創生元年とする」とした25年度活動方 針を決定、綱領や党改革創生本部報告も採択し、党再建?への 一歩を踏み出しました。 しかし、約3年3カ月の政権運営失敗の教訓から、何も学ばず、 「政権奪還」のかけ声を響かせる、アホかいな! 海江田万里代表は党大会で、(1)綱領の理念と基本政策の実 現のため結束する(2)対話と行脚を徹底する「靴底減らし運 動」を行う−ことを呼びかけました。 「靴底減らし運動」に至っては、サイトやメールを使った「選 挙運動」解禁という時期に 時代錯誤も甚だしく、開いた口が 塞がらない。国民が求めているのは、そんな愚鈍なことではな く、政党としての決然たるヴィジョンなのです。 ダブルパンチで落胆するのは、「綱領」のどこを読んでも、原 発のゲの字も見当たらないということです。「2030年代に 原発稼働ゼロ戦略」はどこへ放逐したのか。 安倍晋三首相が、原発ゼロ戦略を「無責任」「根拠がない」と 宣わりましたが、安倍首相の「ゼロベース」という具体策のな い発言の方が、無責任極まりないのだ。無責任が聞いて呆れる。 原子力発電から生じる使用済み核燃料をどうするのかいう難問 題に、命懸けで取り組めば、あるいは、民主党のレゾン・デー トルが生じるかもしれません。 使用済み核燃料を、核燃料サイクル計画で再処理するのか、あ るいは、地中に埋没処分するのか、それとも、数十年程度、格 納容器などに暫定保管するのか、緊急か致命的な基本方針が、 全く、未決定なのです。難問題に取り組むのが、本来の政治家 の使命ではないのか、民主党さんよ。
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(151)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第四章「植民地としての沖縄〈12〉・

・戦後沖縄の運命・(その1)

沖縄を米国に犧牲として差し出して、国益天皇制を守る
《「――ここで注目すべきは、沖縄の人々の意志とはまったく 無関係なところで、天皇が米国に沖縄の運命にかかわるメッセ ージを発していることた。 事実、このメモには沖縄の人々の意志がまったく言及されてい ない。 琉球諸島はあたかも無人の島々であるかのように、ただ「米国 の利益」と「日本を守ること」のみが述べられている。 「日本に主権を残したままでの長期租借という擬制」という形 式、すなわち沖縄に対する日本の潜在的主権を米国に認めさせ る形式をとろうとした点で評価する向きもあるが、その場合も 「日本の主権」を保持することが問題なのであって、それに関 する沖縄の人々の意志が無視されていることには変わりない。 この覚え書によれば天皇は、戦後の新たな状況下で沖縄を米国 に犧牲として差し出すことによって、日本の国益そして天皇制 にとっての利益を得ようとしたのだと考えるしかないだろう。 ―」》   ■辺野古の漁業補償難航 国と漁協、額に開き、それでも、尚 ▼安倍政権は、着々と、辺野古の沿岸部の埋め立て申請に向う NHKによれば、アメリカ軍の普天間基地の移設問題を巡って、 防衛省が名護市沿岸部の埋め立て申請を、沖縄県に行うのに先 立って、地元の漁協から同意を得るための手続きを今週中にも 始めたいという意向を漁協関係者に伝えていたそうです。 安倍総理大臣は、先のオバマ大統領との日米首脳会談で、沖縄 のアメリカ軍普天間基地の移設について、日米合意に基づいて 早期に進めていく考えを伝えていました。オバマ大統領へのお 土産の感が拭えません。 これを受けて、沖縄県基地問題の対策を担当している又吉進 知事公室長は、NHKの取材に対し、「申請自体を断るもので はないが、日米両政府で合意された名護市辺野古への移設計画 は、事実上不可能だという県の立場に変わりはない」と述べ、 県の立場は日米首脳会談を受けても変わらないという考えを示 しました。 沖縄タイムスによれば、昨年から防衛局は漁協関係者と接触し 意見交換を続けていますがが、補償額に関して「相当隔たりが ある」(政府関係者)といいます。 ただし、漁協の同意は埋め立て申請の提出に必須の要件ではな く、埋め立て申請後でも同意を取り付けられれば問題はないそ うです。 いずれにせよ、安倍政権は着々と名護市辺野古の沿岸部の埋め 立て申請に向かっています。

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・話すたび振り向くタクシー運転手  周南  のん太
・太陽と思った人が今空気      木更津 イーちゃん
・独りだと寂しく2人だと疲れ    調布  かたおもい

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

         竹内勝太郎 
・訪問・
目に見えぬ程靜しずかに流れる 河の水を遡つて、 私は谷合いの小さな村を訪ねる、 忘れられて 深い眠りにおちてゐる家々は ひつそりと流れに影をうつし 消えやらぬ雪のなかに 快よい沈默を 私は愛して 芳醇な酒のように呑み干す、 大きな空の盃さかずきから。 輕々かるがると浮かぶ白い雲、 村を取りかこむ山々の 檜林には風がうなる、 枯れ草の荒れはてた奥深い谷々から 湧いて來くる風、 それは村の額に乘せられた 棘の冠 柔かな浮き雲よりも私は爾(きみ)を心から敬愛する。 心優しいなにびとか 眠れる家の影から 音もない流れの上に 二羽の白鳥を解き放つ、 彼等靜かに水を滑べり、 わが足もとを慕いよる時、 村谷々の出迎えの處女として 中世の騎士の如ごとく鄭長に 帽子を取つて私は感謝しよう。 未だ仄暗い谷のうちから 虚空遙かに 鳴き渡る鳥の聲の 峰の樹々に木靈して、 長い間閉された宮殿の扉が 開らかれる合圖をする今、 村と谷々はつつましく挨拶しつゝ その家々の壁に日かげの紋章が表われて、 私と一緒に、後から今一人、 見知らぬ賓客が馬上ゆるやかに村のなかへ足を進める。                      (室内) ※竹内勝太郎 (1894年10月2日 - 1935年6月25日) 詩人。京都府京都市生まれ。私立清和中学校を中退。 フランスの象徴派詩人ステファヌ・マラルメに影響 を受け象徴詩の世界へ。、1928年にはフランスに渡 りポール・ヴァレリーに傾倒。その詩技法は「美を 破壊する美」へと変化していく。1929年には帰国。 1935年、黒部峡谷黒部川に墜落し行方不明。 ※Wikipedia:竹内勝太郎  

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)
・多忙・
我我を恋愛から救うものは理性よりも寧ろ多忙である。恋愛も亦 完全に行われる為には何よりも時間を持たなければならぬ。 ウエルテル、ロミオ、トリスタン――古来の恋人を考えて見ても、 彼等は皆閑人ばかりである。〈104〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

僕の立場になってみてよ。
Imagine yourself to be in my place.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

海辺で小石を拾うギリシャの少女
 (Greek Girls Picking up Pebbles by the Sea) 〈1871年 個人蔵〉
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆The Days of Wine and Roses - Rosemary Clooney (アップロード日: 2011/02/06) 【酒とバラの日々(デイズ・オブ・ワイン・アンド・ローゼズ) :作詞 ジョニー・マーサー/ 作曲 ヘンリー・マンシーニローズマリー・クルーニー Days of Wine and Roses - Rosemary Clooney (written by Henry Mancini with lyrics by Johnny Mercer) from " Sings Ballads" ('85) 】 ☆ローズマリー・クルーニー ローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney)  〈1928年5月23日〜2002年6月29日〉 ★Wikipedia:ローズマリー・クルーニー