原点でいいじゃないか、それ生きるということだ

原点でいいじゃないか、それ生きるということだ

ITバブルの頃、起業家の中には、労少なくして、
 巨利を得た人もいた。もちろんそれなりの苦労は
 したろうがそんなことが可能なのは市民制度に守
 られて、特別に“有利な”凌ぎ方ができたからで
 ある。自然界にはそんなにおいしい暮らしはない}



竹内一郎著『ツキの波』(48)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(159)

▼△第四章 ついに潜入! 1Fという修羅場(29)△▼

・初勤務で寝坊・(その2)

このバスに乗るのはうちの会社だじゃないんだ
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(124)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈61〉△▼ ・ニ. この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・

・天罰論が天恵論になるのはなぜか・(その3)

天罰論と天恵論が互いに求めあう関係が成り立つ

竹内一郎著『ツキの波』(48)

・第2章 直感は考え抜いた末に出来上がる(24)

◇自然体の厳しさ◇(その2)
原点でいいじゃないか、それ生きるということだ
《「 ◇今日の注目写真(Source:REUTERS◇ ◇A fisherman carries a swordfish (A fisherman carries a swordfish on his back from the Indian Ocean waters to the market in Somalia's capital Mogadishu, December 18, 2012. REUTERS/Ismail Taxta) 麻雀漫画の原作をやっているため、街場の賭 け麻雀で生活している若者と知り合うことが ある。 A君は、半荘を二回やって、一回トップをと るのが“ノルマ”だという。 雀荘に払う場代もあるし、負ける日もあるか ら、勝てる日はそのくらい勝たないと生活 できないという。 相手もフリ―で打っている人だから、ただの 素人ではない。相当高い緊張感で日々生きて いる。同じ金額を稼ぐなら、もっと割のいい アルバイトはいくらでもある。 野生動物と同じくらいきつい状態が、“自然 体”なのである。 ITバブルの頃、起業家の中には、労少なく して、巨利を得た人もいた。 もちろんそれなりの苦労はしたろうが、そん なことが可能なのは市民制度に守られて、特 別に“有利な”凌ぎ方ができたからである。 自然界には、そんなにおいしい暮らしはない。 晩年の作品『新麻雀放浪記』には、こんな台 詞が出てくる。 「俺だって、いいとこ原点が目標じゃなかっ たさ。なんとか勝ちこもう、なんとか生き 残ろうと思ってやってきたんだ」 だが、この台詞を吐いた登場人物の場合、バ ランスシートは結局プラス・マイナス・ゼロ になってしまう。そのうえでこう言う。 「原点でいいじゃないか。それ生きるという ことだ」(同前) 利益の大きなビジネスをしたからといって、 生涯で見た場合、、単純に得とはいえない。 だからこそ、“原点”を大切にするという気 持ちが大切なのである。 」》 ◎衆院選で294議席と圧勝した自民党が、 急速に政権移動に向けて動き出しているなか、 気付かされたのですが、テレビ局を問わず、 ワイドショーに出ているコメンテーターの態 度が、にわかに、変化したんです。 異口同音に自民党をヨイショしだしたんです。 媚を売っているんです。もしかしたら、本人 たちは、意識していなのかも知れませんが、 タレント稼業の悲しいサガが丸見えです。 それにしても、敗退した民主党議員のその後 の行動は、観ている方は、赤面してしまうよ うな野暮の行ったり来たりですな。 日本人として、プライドを失いかけると、私 は、南方熊楠を想うことにしているんです。 世界に誇れる日本人です。 博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学 者、「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や 性格が奇抜で人並み外れたものであるため、 数々の逸話を残しています。 南方熊楠和歌山県に生まれ、東京での学生 生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英 博物館にはいる。後に日本に戻って、和歌山 県田辺市に居を定めました。 1892年(明治25年)にイギリスにわたって、 ロンドンの天文学会の懸賞論文に1位で入選 しました。 大英博物館東洋調査部に入り、資料整理に尽 くし、人類学・考古学・宗教学などを独学す るとともに、世界各地で発見、採集した地衣 ・菌類に関する記事を、科学雑誌『ネイチャ ー』などに次々と寄稿しました。 帰国後は、柳田國男らと交流しながら、卓抜 な知識と独創的な思考によって、日本の民俗、 伝説、宗教を、広範な世界の事例と比較して 論じ、当時としては早い段階での比較文化学 を展開しました。 子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童で、 また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の 家で100冊を超える本を見せてもらい、そ れを家に帰って記憶し書写するという卓抜し た能力をもっていました。 1884年明治17年)、大学予備門(現・東京 大学)に入学したとき同窓生には塩原金之助 (夏目漱石)、正岡常規(正岡子規)秋山真 之、寺石正路、芳賀矢一、山田美妙、本多光 太郎などがいました。熊楠は、学業そっちの けで遺跡発掘や菌類の標本採集などに明け暮 れます。 1886年明治19年)中間試験で落第したため 予備門を中退、和歌山へ帰郷。 そして、12月22日、神戸港より渡米。その後、 キューバに渡り採集旅行。サーカス団員とし て中南米も旅行します。 1897年(明治30年)、ロンドンに亡命中の孫 逸仙(孫文)と知り合い、親交を始めます。 そのとき、孫文32歳、熊楠31歳。 1901年(明治34年孫文が和歌山に来訪し、 熊楠と再会して旧交をあたためます。 大雑把に記しても、その傑物を感じてとって いただかたと思います。 ☆巨人伝〈上〉 (文春文庫) 巨人伝〈上〉 (文春文庫) ☆アロハ!南紀白浜 「南方熊楠記念館」 【公開日: 2012/11/28  FMビーチステーションをキー局に近畿9局に  南紀白浜の情報を発信するラジオ番組  「アロハ!南紀白浜」7月1週の放送です】 ☆学ぶ「孫文南方熊楠(前編)」jiotv 【アップロード日: 2011/03/21  孫文記念館  http://sonbun.or.jp/jp/  番組企画・制作 ジーオインターネット放送局  http://www.ji-o.jp/】 ☆学ぶ「孫文南方熊楠(後編)」jiotv 【アップロード日: 2011/03/21  孫文記念館  http://sonbun.or.jp/jp/  番組企画・制作 ジーオインターネット放送局  http://www.ji-o.jp/】 (つづく) (1229dys-806ent) (1230dys-806ent)〜(1246dys-806ent) ・お詫び。12月21日(金)から新年1月6日(日)  まで、エントリーをお休みします。  今年も、老いの戯言ブログにご訪問賜り厚くお礼申し  上げます。  ブログ仲間の皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

『ツキの波』

新書: 189ページ 出版社: 新潮社 (2010/04) ・人間はツキを支配や制御することはできないが、その性質を 知り、波を利用することはできるのではないか。ツキという不 思議な存在を誰よりも深く考え、語り続けてきた作家、阿佐田 哲也(色川武大)。その思想は現代人にとって大きな指針となる。 遺された至言の数々を『人は見た目が9割』の著者が読みとく。 〔目次〕 第1章 運の総量は一定である 第2章 直感は考え抜いた末に出来上がる 第3章 勝利は終末への第一歩 第4章 ヒットを打つよりフォームを固めよ 第5章 真理は市民社会の外にある 第6章 「運の達人」たちに学ぶ 終章  世界は乱雑なまま肯定される 〔著者〕 ☆竹内一郎(竹内たけうち いちろう)☆ ・1956(昭和31)年福岡県久留米市生まれ。劇作家・演出 家・著述業。横浜国大卒。博士(比較社会文化、九大)。 さいふうめい名義で『哲也―雀聖と呼ばれた男―』の原案を担当。 『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞受賞。 著書に『人は見た目が9割』など。 ツキの波 (新潮新書)参照:2011-11-21「できる人は「声」が違う!」『人は見た目が9割』

竹内一郎著『ツキの波』(48)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(159)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第四章 ついに潜入! 1Fという修羅場(29)△▼

・初勤務で寝坊・(その2)

このバスに乗るのはうちの会社だじゃないんだ
《「――翌朝、目が覚めたのは出発の5分前だ。 携帯電話を確認すると先輩社員から携帯に7件もの着信があっ た。返事をしている時間もないのでジャージ姿のまま、鞄だけ 持って部屋を飛び出した。幸いバスはまだ出発していなかった。 「鈴木さん……顔に畳の模様が付いてるっぺ。困るんだよなぁ。 ちゃんと布団で寢る。飯も食う。で、時間だけは守ってもらわ ないと。これじゃ社会人として失格だろう。 それにこのバスに乗るのはうちの会社だじゃないんだ。みんな に迷惑かかるんだ……」 「本当に申し訳ありません。すいません」 立腹と困惑が入り交じった表情の先輩にひたすら頭を下げ、照 れ笑いでごましながら常磐観光のバスに乗り込んだ。にやつく 私と対照的、誰の目も冷ややかだった。 観光バスは豪華絢爛で、天井にはシャンデリアやビデオまで装 備してあった。座席には灰皿があり、それを使っていいと教え られた。 遅刻ぎりぎりの新入社員にイライラしのだろう。かなりの作業 員がすでにタバコを吸っており、喫煙者の私でも煙かった。 にやけ顔を引っ込め、作業員に黙礼しながら最後列の直ぐ前、 空いていた席に座った。余談になるが、もし禁煙と書かれたバ スが迎えに来た場合でも喫煙は可能である。 できる限り作業員の要望に応えよう。作業員を大事にしよう。 東電や東芝、IHIの意向はこうした細かい場面からも感じら れる。 ――」》 ◎福島「県民健康管理調査検討委員会」の疑惑は後を絶たない 福島「県民健康管理調査検討委員会」は、次から次へと疑惑の タネをばらまいています。 福島県はおかいしいぞ。 東京電力福島第一原発事故に伴う子どもの内部被ばく調査に関 する乳歯保存をめぐり、昨年9月の定例県議会の一般質問の答 弁作成で、県の職員が否定的見解の提供を求めるようなメール を県民健康管理調査検討委員会の委員らに送っていたことが分 かりました。 そして、福島県は「職員が個人的な考えを交えて尋ねたことは 不適切だった」と謝罪しました。ということは事実だったんで すね。 原発事故で放出された放射性物質ストロンチウム90」はカ ルシウムに似た性質を持つため、骨や歯に蓄積しやすいとされ ます。 昨年9月の一般質問では、県議の一人が将来的にストロンチウ ム90の内部被ばくを分析するため、事故後に抜けた子どもの 乳歯の保存を県民に呼び掛けるよう県に提案したのです。   19日開かれた12月定例県議会の福祉公安委で、一部報道を 受けて菅野裕之保健福祉部長が状況を説明しました。 福島県によると、県民健康管理調査の担当職員が少なくとも委 員ら5人の専門家にメールや電話で見解を求めました。担当者 個人として乳歯保存の有用性に疑問を呈し、否定的な見解を求 めるかのように尋ねたというのです。 県民健康管理調査の担当職員が、自発的に工作するわけがない。 指示した影の人物は誰だ! 菅野裕之保健福祉部長は、職員が示した懐疑的な見解は「県の スタンスではない」と弁解した上で、「県民に不信を招きかね ず、おわびしたい」と述べました。 語るに落ちる。 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘
第4章 ついに潜入!1Fという修羅場
第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(124)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈61〉△▼ ・ニ. この震災は天罰か――震災をめぐる思想的な問題・

・天罰論が天恵論になるのはなぜか・(その3)

天罰論と天恵論が互いに求めあう関係が成り立つ
《「――天罰は天恵のための天罰であり、天恵は天罰あっての 天恵である。こうして天罰論と天恵論が互いに求めあう関係が 成り立つ。 これは、内村と永井に共通のキリスト教という背景がなくとも、 多かれ少なかれ言えることである。 石原都知事の天罰発言は、津波によって日本人の我欲が押し流 された曉には、(内村の言葉を使えば)「新日本の建設」が緒 につき「日本国万歳」となる可能性を想定している。 末木文美士氏の議論でも、「天罰」を受けて「人間の傲慢」を 「謙虚に反省」すれば再生につながるという意味で、天罰は天 恵でもありうるだろう。 ロベルト・デ・マッティ氏では、「天罰」は「神の善意の声」 であり、趙ヨンギ牧師では、「神の警告」は「罪を悔い改める チャンス」であって、いずれの場合にも、キリスト教の天罰・ 天恵が天恵の意味をもつことを確認できる。 ――」》   ◎えっ、ホント? 原発運転再開 審査は来年“7月以降に” 去年3月の原発事故の影響で、各地で運転が止まっている原発 について、国の原子力規制委員会の田中俊一委員長は、運転再 開を認めるかどうかの審査を始める時期は、早くても、新たな 安全基準ができる来年7月以降になるという見解を示しました。 19日の記者会見で、田中委員長は、原発の運転再開の前提と なる新たな安全基準について、「できるだけ速やかに明確にし、 電力会社に対応してもらうよう、基準の議論はすべて公開で行 っている」と述べました。 原発の運転再開を巡っては、田中委員長はこれまで、新たな安 全基準の骨子ができる来年3月以降にも審査を始める可能性を 示していました。 また、国内で唯一運転している、福井県にある大飯原発の2基 については、「新たな安全基準と照らし合わせて、『止めるべ きだ』となれば止めるが、今は『こうだ』と言える状況ではな い」と述べて、大飯原発をすぐに停止させる考えはないという 見解を示しました。 来年3月以降が来年7月以降に延期、これも政権交代によるも のか、いまのところは、不明。くわばら、くわばら、

◆11月1日現在:福島県民の県外避難者5万8608人(県発表)

福島民報社のニュースサイト ◆◆県職員が否定見解要求 子ども内部被ばく調査、県議提案の乳歯保存 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔冬〕 地理  寒の水飲み溶接の火を零す
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☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

          中原中也 
・生ひ立ちの歌・
     一     幼年時 私の上に降る雪は 真綿のやうでありました     少年時 私の上に降る雪は 霙(みぞれ)のやうでありました     十七―十九 私の上に降る雪は 霰(あられ)のやうに散りました     二十―二十二 私の上に降る雪は 雹(ひよう)であるかと思はれた     二十三 私の上に降る雪は ひどい吹雪とみえました     二十四 私の上に降る雪は いとしめやかになりました……            ニ 私の上に降る雪は 花びらのやうに降つてきます 薪(たきぎ)の燃える音もして 凍るみ空の黝(くろ)む頃 私の上に降る雪は いとなよびかになつかしく 手を差伸べて降りました 私の上に降る雪は 熱い額に落ちもくる 涙のやうでありました 私の上に降る雪に いとねんごろに感謝して、神様に 長生したいと祈りました 私の上に降る雪は いと貞潔でありました         (山羊の歌) ※Wikipedia:中原中也

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・「虹霓関(こうげいかん)」を見て・  男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。――  ショウは「人と超人と」の中にこの事実を戯曲化した。しかし これを戯曲化したものは必しもショウにはじまるのではない。  わたくしは梅蘭芳(メイランファン)の「虹霓関」を見、支那 にも既にこの事実に注目した戯曲家のあるのを知った。  のみならず「戯考」は「虹霓関」の外にも、女の男を捉(とら) えるのに孫呉の兵機と剣戟(けんげき)とを用いた幾多の物語を 伝えている。  「董家山(とうかざん)」の女主人公金蓮(きんれん)、「轅 門斬子(えんもんざんし)」の女主人公桂英(けいえい)、「双 鎖山(そうさざん)」の女主人公金定(きんてい)等は悉(こと ごとく)こう言う女傑である。  更に「馬上縁」の女主人公梨花(りか)を見れば彼女の愛する 少年将軍を馬上に俘(とりこ)にするばかりではない。 彼の妻にすまぬと言うのを無理に結婚してしまうのである。胡適 (こてき)氏はわたしにこう言った。――「わたしは『四進士』 を除きさえすれば、全京劇の価値を否定したい。」  しかし是等の京劇は少くとも甚だ哲学的である。哲学者胡適氏 はこの価値の前に多少氏の雷霆(らいてい)の怒を和げる訣(わ け)には行かないであろうか? 〈77〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

僕の言うことを信じてよ。
Take it from me.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《ノーマン・ロックウェル》◎◆◎

Norman Rockwell - New Television Antenna
New Television Antenna(テレビがやってきた)
・1949年11月5日号『サタデーイブニングポスト』誌表紙作品。 (全作品322点の262番目の絵画。ロックウェルは、1949年  に「ポスト」誌に5点の絵を発表。この絵は1949年の第5番目  の作品になります。ちなみに、彼は1916年から1963年にかけ、  47年間にわたり「ポスト」誌とのタイアップは続きました) ときは、1949年(昭和24年)。テレビを購入した人が、初めて、 アンテナを屋根にとりつけている光景。 昭和24年、日本では終戦から4年目で、下山事件三鷹事件など 起き、戦争の傷跡まだ癒えない世相のなか、このとし、湯川秀樹 が日本人初のノーベル賞を受賞し日本人に希望をもたらしました。 なお、日本でテレビ放送が開始されたのは、それから、4年後の 1953年(昭和28年)です。 アメリカでは、40年代後半から、一般大衆がテレビを買うよう になりました。当然ながらアンテナも必要。この絵が描かれたと き、テレビはそれほどに話題性の高いものではありませんでした。 ただ、場所によっては、受信状態にバラツキがあって、テレビの アンテナは致命的なパーツでした。 家の窓から、家の中の新しいテレビのスクリーンがちょっとだけ 見えていますが、画像の映り具合までは見えませんね。窓から身 をのり出している男は、屋根の上の工事の人に向かって、なにや ら、興奮気味に叫んでいます。 「映ってる! 映ってる! よく映ってる!」。 テレビは、きっと、アンテナの調整でより良く映るようになった のでしょう。なお、この家は、ロサンゼルスのアダムズ・ストリ ートの近辺に位置しています。 ロックウェルは、ロサンゼルスが大好きでした。1930年、初めて ロサンゼルスを訪れたとき、妻のメアリーに出逢ったのもこの地 でした。40年代には、ロックウェル一家は、きびしい気候のバ ーモント州バーリントンの地を離れて、ロサンゼルスによく避寒 しにきていました。 この時期、ロックウェルは、絵のレイアウト用に写真を利用する ようになりました。写真の活用によって、絵の背景を、より精巧 かつ詳細に描写できるようになりました。この絵において、その 手法が十分に発揮されています。 絵の中の家は、アダムズ・ストリート周辺でよく見られる大きな ビクトリア朝時代風の特徴を備えています。かっては、輝かしい 栄光の美観を誇っていましたが、この絵が描かれた1949年には、 だいぶ傷んで老朽化しています。 切妻の最頂部に見える木工細工は、家主が手入れを怠っていたの で、相当に壊れたり磨耗しています。壁板上の装飾のハブ・アン ド・スポーク型のスポークは、半分に折れたり、倒れたままです。 窓の花壇の箱はそうとうボロッチックなっていますが、花々は、 健康そうに活気に満ちて咲いています。 周りはどうであっても、家主は、とても幸せそうです。実際のと ころ、他所の屋根の上には、一本のアンテナも見当たりません。 このテレビは、この家主にとって、新しいテレビというだけでは なく、この地域一帯での最初のテレビなのです。それは嬉しいワ。 ☆Norman Rockwell ☆Norman Rockwell: 332 Magazine Covers  (Tiny Folios Series) [ハードカバー] Norman Rockwell: 332 Magazine Covers (Tiny Folio) ☆American Chronicles: The Art of Norman Rockwell- part 1 (NormanRockwellMuseum さんが 2008/05/06 にアップロード) 【Promotional video for the nationally touring exhibition organized by Norman Rockwell Museum. Narrated by son and renowned sculptor Peter Rockwell. Visit www.nrm.org to learn about current and upcoming venues. This film was made possible by Ford Motor Company. c2007 Ford Motor Company.】 ☆American Chronicles: The Art of Norman Rockwell- part 2 (NormanRockwellMuseum さんが 2008/05/06 にアップロード) 【Promotional video for the nationally touring exhibition organized by Norman Rockwell Museum. Narrated by son and renowned sculptor Peter Rockwell. Visit www.nrm.org to learn about current and upcoming venues. This film was made possible by Ford Motor Company. c2007 Ford Motor Company.】