離婚で夫への演奏の依頼はなくなってしまった

離婚で夫への演奏の依頼はなくなってしまった

{私が正式離婚を迫り、英国の法律どおり、二年間の
 別居が続くと、自動的に離婚は成立した。私の夫は
 元夫となり、日本からついてきた女と、改めて結婚
 したが(彼女の滞在ヴィザのため)、仕事のない彼
 と英語の話せない女は生活できずに、結局、別れた}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(74)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(105)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(11)△▼

・死んでもいい人間を用意・(その1)

1Fhへの召集令状を受け取り、地獄図の中に降り立った
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(70)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈7〉△▼ ・政治家・官僚の責任・(その2)
佐藤雄平知事はプルサーマル計画を承認し推進の立場だった

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(74)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(61)◇ ・広子さんと日本での再会を誓う(その2)
離婚で夫への演奏の依頼はなくなってしまった
《「 ☆Eleanor Simmonds and Jonnie Peacock light torches from the Paralympic Flame (Swimmer Eleanor Simmonds and sprinter Jonnie Peacock of Great Britain light torches from the Paralympic Flame as it begins to fade They light their Torches from the dying Flame and proceed to light various torches held by members of the Closing Ceremony cast.) ☆Japan go up against USA in the Wheelchair Rugby (Shin Nakazato #11 of Japan moves the ball forward during the bronze medal match of Mixed Wheelchair Rugby against the United States on Day 11 of the London 2012 Paralympic Games at the Basketball Arena.) ◇ロンドン2012パラリンピック日本代表Official Site 私は、それでロンドンへ戻ることを諦めたの だが、一九八八年の一月へ戻ってロンドンへ 戻って来たときエジフト人の友人は、 離婚した場合、両方にカウンセルフラットの 居住の権利が認められるので、夫が私のフラ ットに住んでも、私にも別のカウンセルフラ ットが与えられるのだと教えられ驚愕した。 「あんたが三ヵ月後に戻って来て彼を追い出 すこともできたし、あんたの権利を主張して 別の住まいを得ることもできたのよ」と離婚 経験のある彼女は言った。 私は英国の法規を知らなすぎた。夫が私のフ ラットに住み始めて、ブルースが夫の行状を そこら中にしゃべり広めたので、私と共通の 友人たちは、夫との距離を置き始め、あげく に彼の演奏の依頼はなくなってしまった。 私が正式離婚を迫り、英国の法律どおり、二 年間の別居が続くと自動的に離婚は成立した。 私の夫は元夫となり、日本からついてきた女 と改めて結婚したが(彼女の滞在ヴィザのた め)、仕事のない彼と英語の話せない女は生 活できずに、結局別れた。 十年後に、バーミンガム大学のインド文化と 音楽(Indian Culture and Music)の教授に 迎えられるまで、彼は経済的に困苦したと思 うが、両親が亡くなって北エングランド・カ ーライルの父親の実家を売って財産が転がり 込んで、そう悪くない生活を続けている。 私がロンドンから戻って来て二ヵ月後、広子 さんはオーストラリア人のスティーヴを連れ て京都のわが家へ訪ねて来た。 スティーヴは、アーニーとの共通点はまった く何もなかった。黒に近い茶色の髪に、深い 暗い青い目だったアーニー、アメリカ人とい うイメージから遠い体格だったアーニーに対 して、 スティッヴは見上げるような男で明るい青い 目で典型的なオーストラリア人のイメージそ のまま、広子さんがロンドンで話してくれた ような芸術家の雰囲気もなかった。 彼は普通にあっけらかんで、のんびりしたオ ーストラリア人であった。 特に私に気を遣うでもなく、英国人特有の恥 ずかしり屋でもなく、私の家に二日泊まると、 さっさと広子さんを促して松山へ旅立って行 った。 」》 ◎高尾慶子さんの、シタール奏者の元夫が、 “十年後に、バーミンガム大学のインド文化 と音楽(Indian Culture and Music)の教授 に迎えられる”というは、インド古楽器のシ タールは、それなりに、愛好者が少なくない んですね。 そしたら、「シタール」が出てきました。 9月8日の土曜夜土11時からのNHK総合 が「SONG」でノラ・ジョーンズを特集を していました。 じつは、ノラ・ジョーンズの父親は、インド 人のシタール奏者で高名な、ラヴィ・シャン カールだったんですね。ノラがニューヨーク で生まれとき、母親スーはすでに離婚してい ましたが――。 ラヴィ・シャンカールは、元ビートルズのメ ンバー、ジョージ・ハリスンとも交流があり、 1971年には、ジョージ・ハリスンやリン ゴ・スター、ボブ・ディラン、エリック・ク ラプトンらに呼びかけて、バングラデシュの 飢饉のために開いたチャリティーコンサート (The concert for Bangladesh )〈ニューヨ ークのマディソン・スクエア・ガーデンで開 催〉に共演していました。 なお、番組で、ノラ・ジョーンズは、江利チ エミのカバーで、広くしられるようになった 「テネシー・ワルツ」 (1948年1)を披露 していました。私のバイアスがかかっている かもしれませんが、歌唱には、東洋的なフィ ーリングに染み込んでいました。 話はとびますが、江利チエミさんは高倉健さ んと1959年に結婚しましたが、1971 年に離婚。 高倉健さんは、その後は独身を通して、江利 の命日であたる2月13日には、毎年早朝に ひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けてい ると伝えられます。離婚の原因も不仲ではな く、江利の異父姉によるふたりへの誹謗中傷 と夫婦の財産横領が原因とされており、江利 側から申し出たものである、といいます。 ☆Norah Jones Bonnie Raitt & Norah Jones~Tennessee Waltz (jassblue) さんが 2007/02/05 にアップロード 【Bonnie Raitt & Norah Jones~Tennessee Waltz】 (つづく) (1128dys-752ent) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(74)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(105)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(11)△▼

・死んでもいい人間を用意・(その1)

1Fへの召集令状を受け取り、地獄図の中に降り立った
《「――責任者の名を、仮に佐藤としておこう。私は佐藤を毎日食 事に誘った。責任者に嫌われたら仕事がやりにく。また、いったい 佐藤がどこまで私の素性を知らされているか、確認したいからでも あった。 何回か食事して、ようやく佐藤は私の目をみて話してくれるように なった。彼は3号機が水素爆発した直後、1F(東京電力福島第一 原発)への召集令状を受け取り、地獄図の中に降り立ったという。 「あとで聞いた話だと、経営者が電力から『死んでもいい人間を用 意してくれ』と言われたらしい。社長、もじもじして、なかなか 『行け』と言わなかったですね。 だから志願しました。うちの社長、自分が行っちゃいそうだったん で。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりは いますから」 もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで、原発を生活の糧に しきた贖罪だったわけでもないらしい」 「居直るわけではないけど、誰も原子力原発が社会的にどうにな んて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるじゃ ないですか?  原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろく に行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑)。たしかに ドキドキしましたね」 ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎いまだに、どうしても納得できないことがあります。 先月末、細野豪志原発事故担当相は、 核燃サイクル政策の見直し を巡り、内閣府原子力委員会原発推進派だけを集めた「勉強会」 と称する秘密会議を開いていた問題で、「中立性、透明性、公正性 の観点から不適切だった」として、近藤駿介委員長と鈴木達治郎委 員長代理を口頭で厳重注意しましたが、近藤委員長は給与1カ月分 (105万5000円)、で一件落着していることです。 また、内閣府原子力政策担当室の幹部職員3人について、秘密会議 で原発推進側に公開前の資料を配るなど文書管理が不適切だったと して、松元崇事務次官が同日、口頭で厳重注意したそうです。 こんな程度の懲罰で、ことを済ませてよいんでしょうか。民間企業 では、特別背任罪を問われるレベルの事案です。 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(70)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈7〉△▼ ・政治家・官僚の責任・(その2)
佐藤雄平知事はプルサーマル計画を承認し推進の立場だった
《「――前章でも簡単に触れたが、政治家の責任としては地方政治 家のそれも見逃がすわけにはいかない。中央の政治家・官僚と連携 し、地元に「夢と希望」を振りまいて、そこから利益を上げてきた 地方政治家にも責任があることは明白だ。 福島第一原発は、佐藤善一郎知事(一九五七〜六四年在任)の時代 に誘致が決まり、木村守江知事(一九六四〜一九七六年)の時代に 建設され、運転が開始された。 とりわけ木村知事は原発推進にはきわめて熱心だったことで知られ ている。経済的な困窮から脱するという意図からであるとはいえ、 また原発のリスクについて自ら判断するだけの知識をもたなかった とはいえ、熱心に誘致してきた立地自治体の町長たちも、政治家と しての結果責任があることは否定できない。 現在の佐藤雄平知事(二〇〇六年就任)は、事故後、県の復興ビジ ョンのなかに「脱原発」を明示し、政策転換を行ったとはいえ、就 任後に、前任者の佐藤栄佐久知事(一九八八〜二〇〇六年在任)が 受け入れを撤回していたプルサーマル計画を承認するなど、原発推 進の立場から県政をすすめてきたことを考えれば、その責任を免れ ることはできない。 政治家にせよ官僚にせよ、すでに鬼籍に入った人も少なくないが、 その人たちも含めて、だれにどういう責任があったのかを明確にす ること、責任について公共的な判断するを下すこと、それが大切で あると私は考える。 ――」》 ◎たしかに、国策による原発推進の過程を振り返ると、国や電力会 社は、その地方の貧しさに付け込み、原発を押しつけてきました。 先に、再稼動で注目された福井県おおい町は、かっては陸の孤島と 呼ばれるほど窮乏に喘いでいました。そこに、原発建設が始まると、 橋や道路が整備され、公民館も木造から鉄筋に建て替えられました。 そして、いま、町の今年度当初予算108億円6800万円のうち、 原発関連の歳入は約6割にあたる63億1500万円。町は莫大な 原発マネーで成り立っているという現実があります。

福島県 3・11 から1年6ヶ月後も県内外に16万人が避難生活中

福島民報社のニュースサイト 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

沖縄戦は終わっていない。今も戦争PTSDに苦しむお年寄り。

琉球新報のニュースサイト沖縄タイムスのニュースサイトWikipedia:沖縄県の歴史沖縄戦遺族の声 沖縄戦遺族の声

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 天文  シネマより人流れだす星月夜
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
家持が舟で巡りし布施の湖早苗に風の渡り行くなり
広田久哉(78歳)富山県 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・古典・  古典の作者の幸福なる所以(ゆえん)は兎(と)に角 (かく)彼等の死んでいることである。 ・又・  我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死ん でいることである。〈24〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

僕はそんなに大食いではない。
I'm not much of a big eater.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“ライラック
(Lilac) (1901年・個人蔵) エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】