マルキストのエジフト人と結婚した明子さんの場合

マルキストのエジフト人と結婚した明子さんの場合

{ナビルはモスコワ留学が終わってカイロへ帰る
 と、エリートとしていい席が用意されているは
 ずであった。ところが、思わぬことが起こった。
 ナセルが死んでナビルの国は、突然、アメリカ
 寄りのサダドが継承して大統領になった }
高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(4)
マルキストのエジフト人と結婚した明子さんの場合◇

エリート留学生ナビルと明子さんの出会い(1)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(35)

▼△第一章 私はなぜ原発作業員となったのか△▼

・著者の就職先が決定・(その1)

●「命懸けられるっすか?」

◆東電福島原発事故避避難者11万3000人の苦難を想いつつ

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆(80、了)

▼△第1章 事故は隠されていた(15)△▼
・県民に対する二重の裏切り(その4)・

原発問題で闘うべき相手は東電だけではない

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(4)
マルキストのエジフト人と結婚した明子さんの場合◇

エリート留学生ナビルと明子さんの出会い(1)

《「 ・The Official Olympic Website The Official Olympic Website 「ナビルが死んだ」 私の元(もと)夫が電話をしてきた。私はそ のとき、バッハのゴールドベルグ・ヴァリエ ーションのアリアを聴いていた。 電話を切ったあと、ナビルの妻だった明子さ んはどうするのだろうと考えた。 元夫は、「日本へ帰るのではないか」と言っ たが、ナビルと明子さんの間に生まれた息子 は、もう三十歳になっているはずだから、明 子さん一人で日本に帰って住むということは 考えられないのではないか、と考えをめぐら した。 ナビルと明子さんの出会いはオーストリアで ある。ナビルはエジフト人だった。 一九六〇年代、ナビルは当時、ナセル社会主 義体制のエジフトからモスコワへ社会主義の 教育を学ぶために、国から送られた国費留学 生であった。 多くのエジフト人がそうであるように、エジ フトはイスラムの社会でありながらアラブ連 邦の中では自由な思想をもつ人が多く、宗教 に固執せず政治にも社会主義的な考えを抱い たナセルの思想に共鳴する人が多く、また、 イスラエルを支持するアメリカに対応する意 味からも、ナセルはシリアと組んでアラブ連 合共和国を建設した。 そして、アラブ民族主義で結束し、政治もイ スラエルを支持するアメリカに対抗してソヴ ィエトと仲よくした。 そのため、毎年、エジフトから頭脳明晰でマ ルキストの思想をもつ若者をモスコワへ勉強 に送った。ナビルは選ばれたその中の一人だ った。 ナビルは留学が終わってカイロへ帰ると、エ リートとしていい席が用意されているはずで あった。 ところが、思わぬことが起こった。ナセルが 死んでナビルの国は、突然、アメリカ寄りの サダドが継承して大統領になった。 サダドはアメリカやイスラエルを敵に回すの ではなくイスラエルと和平を考え、後にノー ベル賞平和章まで与えられた。 モスコワにいたナビルに、エジフトが資本主 義国家のアメリカと仲よくなったので、ソヴ ィエト政府は、ナビルはもう無用の邪魔者に なったので国外退去を命じた。そして、サダ ト政権はナセル時代の社会主義思想をもつ者 を排除し、海外にいる社会主義思想のエジフ ト人の帰国さえも拒んだ。ナビルは帰る国が なくなってしまった。
Bach The Goldberg Variations 1 of 5 (Aria,1-5)
(fri198765 さんが 2011/11/04 にアップロード) 【Johann Sebastian Bach Yasuaki Shimizu & Saxophonettes The Goldberg Variations BWV 998 Clavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen Veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen Aria Variatio 1. a 1 Clav. Variatio 2. a 1. Clav. Variatio 3. Canone all Unisuono à 1 Clav. Variatio 4. à 1 Clav. Variatio 5. a 1 ô vero 2 Clav.】 」》 ◎本文にあるように、サダト大統領は1978年 にノーベル平和賞を受賞しています。かねが ね、思っていることですが、ノーベル平和賞 の中には、政治的に過ぎて、歴史の試練に耐 えれるのかなという、受賞が、散見されます。 私見として、政治家にノーベル平和賞をあげ るのは、疑念をおぼえます。
Illuminati--London 2012 Olympic Mascots -Rainbows,
OneEyed...NWO Symbols (kkkkkkatherine さんが 2010/05/19 にアップロード) 【Sometimes a Cigar IS JUST a Cigar but   ....Pleeeeezzzeee!!!!  London 2012 Olympic Mascots -Rainbows, OneEyed  ...NWO New Age,etc. Symbols being promoted as   "Mascots" for the children of the world....????  For we wrestle not against flesh and blood, but  against principalities, against powers, against  the rulers of the darkness of this world, against  spiritual wickedness in high places. Ephesians 6: 12  Keep on the Armour of GOD!!!!!】 (つづく) (Y260-109) (Y260-109休)〜(Y260-109休)  **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(4)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(35)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−  「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】 

▼△第一章 私はなぜ原発作業員となったのか△▼

・著者の就職先が決定・(その1)

●「命懸けられるっすか?」

《「――詳細を知るため、暴力団ルートで原発の協力企業にコンタク トした。取材先はあっけなく見つかった。対外的にオフレコだが、専 門的なスキルを持った業者にアクセスできた。 「俺の名前は役員名簿には載ってない。現場にもあまりいかない。う ちの(職人)は専門家ばかりだ。普通の建築現場で建て売り住宅を造 るのとは違う。もう20年近くやってるからな。他のヤクザは入れな いだろ」(指定暴力団2次団体相談役) 話を訊くと、一夜漬けの連続で蓄積された原発の基礎知識とぴったり 符号する。それでもにわかに信じられない。 「じゃあ、会社につれてってやる」 表向き、普通の建設会社の事務所で、机の中から氏名、年齢、被曝歴 や職歴、緊急連絡先などが記載された労働者名簿が出された。その他、 原発作業に従事するための申請書などを見せられ、ようやく私は納得 した。 暴力団から紹介された協力企業に話を訊くと、どこも作業員不足に頭 を抱えていることがわかった。本来なら暴力団ルートでの就職がベス トだが、焦った私は職安、縁故、友人、考えられる方法すべて使って 奔走した。 あちこちで取材を進めるうち、業者間の横のつながりで見つけた、と ある業者に就職を決めた。暴力団への利益給与がないと確認できた上、 紹介者のおかげもあって、わずか5分の面接で内定をくれたからだ。 「命懸けられるっすか?」 「死んでもがたがた言わないと誓約書に書きます。日当はいくらでも  いいです」 ――》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎原子力村に複雑に組み込まれた暴力団コネを暴くマスコミはないの でしょうか。

◆東電福島原発事故避避難者11万3000人の苦難を想いつつ

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

佐藤栄佐久福島原発の真実 』(平凡社新書) ☆(80、了)

《嘘と欺瞞のメルトダウン。すべての議論はここから始まる!  国が操る「原発全体主義政策」の病根を知り尽くした  前知事がそのすべてを告発》【表紙帯から】
▼△第1章 事故は隠されていた(15)△▼
・県民に対する二重の裏切り(その4)・

原発問題で闘うべき相手は東電だけではない

《「――原子力関係部門は防災課の下に原子力安全対策室がある、格 下の位置づけになっていた。県が独自に情報の収集・分析を行う機能 をもつことが、県民の安全のためには必要なのではないか。私はそう 考えた。 こんな大きな問題なのに「室」でいいのか。専門家はいないのか。私 は、原子力担当部署を強化しようと考えた。県庁で出世するのは、ど うしても文系の職員で、理系の職員は専門職で日陰とのイメージがあ った。 しかし、原子力部門では、技術がわかり、データをよんで判断できる 能力を持つ人材が必要である。 そこで、専門家として高倉吉久君を県で採用し、当初は主査、まもな く室長、課長として処遇し、十数名規模の原子力安全対策課に拡充す ることで、福島県が独自の目た耳を、そして手足をもって原発に対策 に当たられるよいうにしたのである。 しかし、原発問題で闘うべき相手は東電だけではない。ということを、 私はもう少し後になって思いしることになる。 ――》 福島原発の真実 (平凡社新書)平凡社 (2011/6/23) ◎本稿、長らくご愛読いただきありがとうございました。まだまだ、 読み切りではないのですが、ひとまず、終わります。佐藤栄佐久氏が 同時進行的に原子力ムラの犯罪的行為と闘ってきた経緯の記録は、時 間が経てば経つほど第一級の資料となります。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔春〕植物  展示部屋吊る起重機や犬ふぐり
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
小さき虫飛んでゆきたり小春日に肩に取り込むバスタオルより
高橋悦子(62歳)石川県

◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆

アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、 西川 正身 (翻訳)
敵意(hostility n.)
この地球上の人口が過剰であることを、 とくに痛感、かつことのほか実感する こと。敵意は、積極的な場合と、消極 的な場合と、この二種類に分かれる。 すなわち、(それぞれ)女性が同性の 友人たちに対して抱く感情の場合と、 他のあらゆる同性の者に対して抱く場 合の二つである。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

それは言われなくてもわかってる。
I know that without being told.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆

ソフィー・G・アンダーソン“スプリング・ビューティ”
(A Spring Beauty) (・個人蔵) ◇ソフィー・ジャンジャンブル・アンダーソン (Sophie Gengembre Anderson, 1823年 フランス・パリ - 1903年3月10日 イギリス・コーンウォール・ファルマウス) フランス生まれのイギリスの画家。田園風景を背景にした子供 と女性の絵を専門とした。パリの建築家シャルル・ジャンジャ ンブルの娘として生まれ、母親はイギリス人。1848年のフラン ス2月革命から逃げるため、一家はアメリカに亡命。最初、オ ハイオ州シンシナティに住むが、後にペンシルベニア州マンチ ェスターに移り、そこで、イギリス人画家ウォルター・アンダ ーソンと知り合い、結婚する。最初は、ルイス・プラングの会 社でクロモリトグラフなど、肖像画を描いていた。1854年、家 族とともにロンドンに移住し、ロイヤル・アカデミーに作品を 出展する。1858年、一家はニューヨークに行き、1863年頃、ま たロンドンに戻った。それから30年、彼女はロイヤル・アカデ ミー、王立英国芸術家協会、他の画廊で広く作品を公開した。 彼女の初期の作品は、ラファエル前派と共通する、植物やその 他のディテールに対する並々ならぬ配慮が伺える。1903年、フ ァルマスの自宅で死去。
Sophie Gengembre Anderson〈スライドショー〉
(startgallerycom さんが 2009/12/09 にアップロード)