{二〇〇〇年に朝日新聞 が主催した「この千年の『日本の政
治リーダー』読者人気投票」で、田中角栄 は、坂本龍馬 、
徳川家康 、織田信長 に次いで、第四位に挙げられています。
現代人が実際に知っている人の中ではナンバー1の人気で
す。田中角栄 のだみ声には迫力がありました。彼の声がス
マートだったら、これほど人気があったでしょうか}
『「声」は見た目よりものをいう』〈著者〉竹内 一郎(32)
<第2章>声は「見た目」以上にものをいう
能力と人柄と「声」の驚くべき関係性
◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆
☆佐高 信『原発 文化人50人斬り』毎日新聞社 ☆(36)
・何の責任も感じない殿様体質(下)
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆
『「声」は見た目よりものをいう』〈著者〉竹内一郎 (32)
<第2章>声は「見た目」以上にものをいう
能力と人柄と「声」の驚くべき関係性
◎メディアにおもねない気骨が
佐藤栄作 さん
のすごいところです。退任記者会見で「新聞
記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。
違うんですよ、僕は国民に直接話したい。新
聞になると文字になると(真意が)違うから
ね」と発言し、新聞記者たちを退席せしめて
しまいました。
31 - 佐藤栄作 退任記者会見 - 1972
VIDEO
(rosamour909 さんが 2010/05/13 にアップロード)
【31 -
佐藤栄作 退任記者会見 - 1972】
《「
「声」と、人の能力、人柄の関係を考えてみ
ましょう。
先ほども少し紹介しましたが、わかりやすい
ところで、
歴代総理大臣 の声を思い起こして
ください。
私が子どもの頃、最初に自覚した総理大臣の
声は、
池田勇人 、続いて
佐藤栄作 でした。両
者ともに官僚出身の叩き上げです。
池田は
自民党 。当時の対抗勢力は、
労働組合
を地盤とした
社会党 です。
社会党 の議員は労
働運動出身だから声が大きい。その議員たち
を、声の力で圧した感じがあります。
後者は、のちに
ノーベル平和賞 を受賞します
が、それに相応しく、ちょっと優しめの声で
ありました。ニック・ネームも「栄ちゃん」
でしたし(本人がそう呼んで欲しいと言った
ように記憶しています)。
次に出てきたのが、平民宰相・
田中角栄 。高
等小学校卒の田中は、東大卒で官僚出身の福
田赳夫に総裁選で勝ち、総理になった時の内
閣支持率は七〇パーセント前後ありました。
二〇〇〇年に
朝日新聞 が主催した「この千年
の『日本の政治リーダー』読者人気投票」で、
田中角栄 は、
坂本龍馬 、
徳川家康 、
織田信長
に次いで、第四位に挙げられています。現代
人が実際に知っている人の中ではナンバー1
の人気です。
田中角栄 のだみ声には迫力がありました。彼
の声がスマートだったら、これほど人気があ
ったでしょうか。
◎
角栄 さんは、お笑い芸人が裸足で逃げてゆ
くような、天性のエンタテイナー・キャラを
備えていました。これは、いったん、観たら
途中で止められませんので、ご多忙な方には
お勧めしません。
VIDEO
(EISENACH2008 さんが 2008/11/03 にアップロード)
【
田中角栄 】
総理大臣の声からも日本の元気無さが分かる
◎小泉さんは「改革なくして成長なし」、こ
の一貫した方針を解散に至るまで
墨守 しまし
た。主義への賛否は別として、主張がぶれな
いのは、今の政治家の中では、まさに奇貨だ。
VIDEO
(kkt2008a さんが 2008/09/25 にアップロード)
【小泉
郵政解散 前半】
続いて、
三木武夫 、
福田赳夫 、
大平正芳 、鈴
木善幸、
中曽根康弘 、
宇野宗佑 、
海部俊樹 …。
保守政治にふさわしいインテリが続きます。
声に特徴があるのは、
中曽根康弘 。抜け目の
ない感じが声に表れています。ほかに、田中
角栄 に反旗を翻した
竹下登 。ちょっと声は高
いが、すごみがあります。
さらに、
細川護煕 、
羽田孜 、
村山富市 、と連
立政権が始まると、どうも軽くなっていけま
せん。このあたりかから、総理大臣の重みが
段々と減っていきますが、声にも力がなくな
ってきます。
くだって、
橋本龍太郎 、
小渕恵三 、
森喜朗 、
小泉純一郎 、
安倍晋三 、
福田康夫 、
麻生太郎 、
鳩山由紀夫 、と
世襲議員 の時代が続きます。
「声」で目を引くのは
小泉純一郎 。ハッタリ
が効いていて、そのは迫力が
自民党 に大きな
風を呼び込みました。舌ったらずで頼りなく
しゃべったのが
安倍晋三 。
福田康夫 はモノトーンで事務的にしゃべりま
した。官僚的な上から目線のしゃべり方は、
大衆受けするものではありませんでした。温
かみを感じた人は少なかったのではないでし
ょうか。
麻生太郎 のだみ声は、じつは人気がありまし
た。
自民党 の劣勢を挽回させるために、総理
に選ばれましたが、政権を失ったのは彼だけ
の問題ではないと思います。
鳩山由紀夫 は声に力がありません。
党首討論
で、
自民党 の
谷垣禎一 総裁に政治資金の問題
を追求されて、うつろな目で、下を向いてぼ
そぼそと、釈明していた姿が印象に残ってい
ます。
菅直人 。答弁の時なども、声に力を感じませ
ん。選挙の時の街頭演説会などで、他党を攻
撃するときは、野党っぽい迫力があります。
ですが、普段はぼそぼそとしゃべり、「元気
がないなあ」という印象を国民に与えている
のではないでしょうか。
総理大臣の声だけを並べても、日本がどんど
ん力をなくしていく感じがよくわかります。
」》
◎たしかに、野党時代の菅さんは、舌鋒鋭く
相手を、とことこん突いていました。でも、
無責任だから出来たことなんですね。
菅代表代行 「大臣代わってあげましょうか?」
VIDEO
(demdem800 さんが 2009/02/06 にアップロード)
【菅「私は個人的な予測を出してるのに、
大臣はなぜ言わないのか?」】
(つづく)
(Y162-66)
(Y163-67休)〜(Y165-69休)
◎いま、日本がどんどん力をなくしていくの
は、なにも総理大臣だけの問題ではありませ
ん。
少子高齢化 、膨らむ国の借金、一向に減
らない自殺者など、日本人を取り巻く環境に
明るい材料は見当たりません。そんな状況下、
昨年暮れ、
五木寛之 氏が『下山の思想』(幻
冬舎)を著しました。
五木寛之 氏は、戦後の復興と高度経済成長を
「登山の時代」だとするならば、現在の状況
を「下山の時代」だと見なします。しかし、
下山とは決してあきらめの行動ではなく、下
山には下山のよさがあるとも説いています。
登山中は必死なため見られなかったような、
美しい景色も眺められると説きます。いまや、
われわれ自身が、生き方を見直す時代です。
『「声」は見た目よりものをいう』
単行本: 179ページ
出版社:
潮出版社 (2011/5/6)
〔目次〕
<はじめに>
<第1章>できる人は「声」が違う!
『「声」は見た目よりものをいう』〈著者〉竹内一郎 (32)
◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆
☆佐高 信『原発 文化人50人斬り』毎日新聞社 ☆(36)
《
原発 安全神話 を捏造してきたのは誰か!
政財界、メディアと御用学者とタレント文化人
――
原発 翼賛体制のすべてを暴き、フクシマの
惨事を招いた者たちを、怒りをこめて告発する》
(表紙帯から)
・何の責任も感じない殿様体質(下)
●松永安左エ門 は「官僚は人間のクズである」と言い放ちました
《「――前略
東京電力 社長殿
木川田さんの師が、「電力の鬼」といわれた
松永安左エ門 さんで、
松永さんは戦時中に電力の国家管理に反対し、「官僚は人間のクズ
である」と言い放ちました。そして、
「官僚、官僚とののしるが、官僚という別の人種がいるのではない
んだ。人間が権力を持ったときに示す自己保存、権力誇示の本能の
表現、それが官僚意識というもんだ」
と喝破したのです。
とすれば、あなたこそ、まさに官僚と言うべきですね。あるいは、
「人間が権力を持ったときに示す自己保存、権力誇示の表現」が官
僚意識なら、あなた以上に
菅首相 は官僚ということなるかもしれま
せん。
とにかく何を話しても説得力や安心感がないという点では、
菅首相
はあなたと同じです。
二〇〇ニ年九月一八日付『
朝日新聞 』経済面の「東電ショック」と
いう記事は東電が
原発 のトラブルを隠していて、告発されたことに
触れ、技術評論家の桜井淳(きよし)さんのこんな指摘を載せてい
ます。
「今回の告発は、
外資 系の
ゼネラル・エレクトリック ・インターナ
ショナル社だからこそ出た。国内メーカーではあり得ない。国内メ
ーカーから告発者が出たら、電力会社は入札などでしっぺ返しする。
東電の不正を知ったとしても、メーカーはいつも黙って耐え忍ぶ。
それがルールだ」。
この記事の見出しは「沈黙する国内メーカー」で、
日立製作所 、東
芝、
三菱重工 が国内の
原発 メーカーですが、この三社にとって東電
以下の電力会社は逆らうことのできない“殿様”のような存在であ
る、と続きます。
殿様体質の会社の殿様があなたであるわけですが、殿様は何の責任
も感じず、これだけの事故を起こしても、なお、
原発 停止を考えな
いから殿様なのでしょう。
『
サンデー毎日 』二〇一一年四月一七日号の「
佐高信 の
政経 外科」
で、こう指摘した私は同誌五月八日、一五日合併号で、次のように
皮肉った。――》
原発文化人50人斬り
◎「電力王」「電力の鬼」と言われた
松永安左エ門 は逸話に事欠か
ない。松永は、戦後、生存者叙勲制度が復活した際の、最初の勲一
等
瑞宝章 叙勲者なんですが……。その際、
池田勇人 内閣総理大臣 が、
松永を候補者に挙げ、誰からも異論は出ませんでした。しかし、料
亭で、池田から打診された松永は、「人間の値打ちを人間が決める
とは何ごとか」と激高し、帰ってしまいました。
池田から松永の説得を要請された
永野重雄 は、『(あなたが叙勲を)
受けないと生存者叙勲制度の発足が遅れて、勲章をもらいたい人た
ちに、迷惑がかかる。あなたは死ねばいやでも勲章を贈られる。な
らば生きているうちに貰った方が人助けにもなる』と松永を説得し
たため、松永は
不本意 ながら叙勲を受けることにしました。
それでも、松永は抗議の意志を示すため、叙勲式典を欠席したので
した。
その後、栄典の類は反吐(へど)が出るほど嫌いだとして、死後を
含め全ての栄典を辞退すると公言しました。このため、松永の訃報
を受けた、
佐藤栄作 内閣が政府叙勲を即日決定したものの、遺族は
松永の遺志を尊重して辞退したのでした。天と地の違いは、何故?
///////////////////////////////////////////////////////////
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆
《国が操る「
原発 全体主義 政策」の病根を知り尽くした
前知事がそのすべてを告発》(表紙帯から)
《「―― 岩本忠夫
双葉町 町長「深刻な
地球温暖化 の歯止め策とし
ての
原子力 の推移以外、道はないという選択は正しい。
有馬朗人 元
東大総長(当時文部省・
科学技術庁 長官)の、『
プルサーマル 燃料
はきわめて安全に使用できる』という説明で、安全性には同感の意
を強くした。
原発 増設については、九一年議会において議決しており、
双葉町 は
一日も早い増設の着手を希望している。双葉地方の沈滞気味の地域
経済を活性化するために、当面、
原子力発電所 増設しかないという
声が高まっている。バックエンド対策、地域振興など、国の明確な
責任ある姿勢が問われている」
「電源地域の恒久的な地域振興策については、今回の新たな
交付金
制度をきっかけに、国の責任において、伸ばしていただきたい。な
お、
原子力工学 技術などの機関、専門学校や大学を設置していただ
きたい」――》
福島原発の真実 (平凡社新書)
◎嗚呼、
原発 安全神話 が血肉化していました。なお、
双葉町 には、
福島第一原子力発電所 の5号機と6号機が立地しています。
≪都会歳時記≫
[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「
文學の森 」刊]
読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
金木犀 香る夕べの音楽会ホルンの音色深く優しく
豊川多恵子(56歳)
大阪府
アンブローズ
ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、
西川 正身 (翻訳)
キリスト教 徒(Christian n.)
新約聖書 は、神の啓示によって書かれ、隣人の魂
の欲求を満足させるに足るありがたい書物だと信
じている人。その教えが罪の生活と矛盾しない限
り、キリストの教えを守って行こうとする人。
新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)
☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆
すべての計画がおじゃんになった。
The whole plan went up in smoke.
<NHKラジオ 「英語5分間ト
レーニン グ」
岩村 圭南 講師>
◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎
E.C.バーン=ジョーンズ“レディ・ウインザー ”
(1893-95年・
プリマス 伯蔵)
◇サー・
エド ワード・コーリー・バーン=ジョーンズ
(Sir Edward Coley Burne-Jones,
1833年 8月28日 - 1898年6月17日)
パーミンガム生まれ。イギリスの美術家。ラファエル前派と密接な関
係を持つデザイナーでラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上
げ、彼自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げました。フィリ
ップ・バーン=ジョーンズの父。
1853年、オックスフォード大学の
エクセター ・カレッジで神学を学ぶ。
そこで
ウィリアム・モリス と出会い、2人とも将来牧師になるつもり
でしたが、
ラスキン の思想や中世ゴシックの建築・美術に興味を抱き、
別の道へ進んでいくことに。
1855年 、ロンドンでロセッティやラファ
エル前派の作品に接し、その年の夏、バーン=ジョーンズとウィリア
ム・モリスはフランスを旅行し、そこで、決定的に牧師の道を辞め、
芸術の道を選択しました。バーン=ジョーンズはバーン=ジョーンズ
は画家、モリスは建築家に。
Sir Edward Coley Burne-Jones(スライド・ショー)
VIDEO
(inesvigo さんが 2010/02/15 にアップロード)
【Sir Edward Coley Burne-Jones (Birmingham, 28 de agosto de
1833 Londres, 17 de junio de 1898) fue un artista y
disenador ingles asociado con la Hermandad Prerrafaelita,
y principal responsable de atraer a los prerrafaelitas a
la corriente principal del arte britanico y, al tiempo,
produciendo algunas de las mas exquisitas y bellas obras
de arte de la
epoca .】