あこがれの公団住宅は、住人は白人から有色移民に変わっていた
〔サッチャー時代の末期、ジョン・メイジャーの時代、英国の
経済も人びとの生活も、Meserable な状態で、Brunswick の
あのマリア・シュナイダーが座っていたベンチには、昼間か
らホームレスが長々と寝ていて、ときどき起き上がって、
「I'm hungry! Change Please!」 と叫んでいた。〕
(イギリス・ニッポン政治の品格)
『イギリス・ニッポン政治の品格 』〈著者〉高尾 慶子(50)
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆
・【プロローグ 福島が壊れる(3)】
『イギリス・ニッポン政治の品格 』(50)
英国と南ア共和国の今昔物語
一九七〇年、Brunswickに実験的近代公団が建造されたのに
「《 ラッセル・スクエア駅の近く、Brunswick へ 「 Lourdes(ルルド)」という映画を観に行 ったあと、その映画館のあるショピングセン ターの中の「Waitrose」という高級スーパー へ行った。 五年ほど前までは、ここBrunswick はどうし ようもない寂れた場所に成り果ていたのだが、 どういうわけか、短期間にあっという洒落た ショピングの広場に開発された。 昔、この近くに住んでいた私と元夫、そして、 いま横浜に住んでいる三千代さん、私たちが 何もなかった、ここ Brunswick へ行くのは、 アメリカ・カナダ系のスーパー「 Safeway 」 へ買物に行くくらいで、ふつうは通り抜けに 行っていただけだ。 それでも、この Brunswickに、一九七〇年に ヨーロッパで初めてという実験的近代公団が 建造されて、外から見るととても素敵なデザ インで、周囲の古いレンガの建物に比べ、こ こへ住める人は幸運だと、私と三千代さんは よく呟き合った。 私たちがこの国へきた一九七ニ年は、かなり 拡張されてモダンなガラス張りテラス付きの ビルが次々と建てられいる最中であった。コ ンクリートの打ちっぱなしのビルであったが デザインはとても洒落ていた。 五百世帯ぐらいが入居できる広大な建物の一 階に「 Safeway」がやってきて、遠いスーパ ーや買物に行かなくてもよくなったし、公団 住宅の入居者や周囲の住人、近くのロンドン 大学の学生も買物にやってきて、当時の 「Safeway」は、Brunswickで重宝され盛況だ った。 他にも公団住宅の一階にブティックがオープ ンして、一応、ショピングモールの形を呈し ていた。 レストラン、カフェ、パブもオープンして、 それらの真ん中は広場になっていてベンチが あり、人びとはそこへ坐りタバコをくゆらし て、天気のいい日はのんびりと太陽に当たり ながらお喋りをし、のどかな光景が見られた。![]()
あこがれの公団住宅は、住人は白人から有色移民に変わっていた
ヨーロッパ映画専用の映画館もできて、私は 夫が音楽のセッションに出かけて家にいない とき、住まいから歩いて五分のその映画館は、 ジャンヌ・モロー、リノ・ベンチュラの映画 を一人で観に行った。本屋も菓子屋もあった。 ある日、イタリアの映画監督、ミケランジェ ロ・アントニオーニがマリア・シュナイダー とやってきて、この Brunswickの公団住宅を 背景に、映画「The Passenger 」(邦題「さ すらいの二人」)を撮影しにやってきて、そ の映画を元夫の妹と観に行って、アリア・シ ュナイダーの座ったベンチに私と義妹は坐り に行った。懐かしい思い出だ。 Wikipedia:さすらいの二人 一九八八年に英国へ戻ってきて Brunswickへ 行ってみると、「 Safeway」はまだあること にはあったが、悲しいほどむすぼらい商品し かなくて、まあ夢を感じない実用の品ばかり のスーパーになっていた。 一九七〇年代の「 Tesco」は、拙書『イギリ ス人はおかしい』に記述したように、実に淋 しいスーパーであったが、九〇年代になって、 「 Tesco」はヨーロッパ一の巨大スーパーに 成長した。そして、英国人経営のスーパーが 次々と外資系スーパーを凌駕していった。 Brunswickの「Safeway」の周囲、広場を取り 囲んでの商店はほとんど閉店休業で、店内に 人が入っていず、サッチャー時代の末期、ジ ョン・メイジャーの時代、英国の経済も人び との生活も、Meserable という形容がぴった りのひどい状態で、Brunswic kのあのマリア ・シュナイダー座っていたベンチには、昼間 からホームレスが長々と寝ていて、ときどき 起き上がって、「I'm hungry! Change Please!」 と叫んでいた。七〇年代には考えられない所 に変わっていた。 私と三千代さんがあれほど「あそこに住みた いねえ」と溜息を吐いていた近代的デザイン の公団住宅は、打ちっぱなしのコンクリート が長年の雨に打たれて、ねずみ色に変わって いたし、住人も白人の居住者もほとんどいず、 有色の移民に変わっていた。 」》 (つづく) (Y027-9)◆◇◆続々・立ち読み失礼◆◇◆
☆佐高 信『原発文化人50人斬り』毎日新聞社☆
《原発安全神話を捏造してきたのは誰か! 政財界、メディアと御用学者とタレント文化人――原発翼賛体制のす べてを暴き、フクシマの惨事を招いた者たちを怒りをこめて告発する》 (表紙帯から)・湯川秀樹を原子力委員に
《「――「学者たち居眠りしているから、札束で頬を叩いて目をさまさ せるのだ」。 一九五四年春、中曽根が中心となって原子力予算案が突如提出される。 それに抗議した学者たちに、中曽根はこう言っといわれるが、中曽根は 自伝の『政治と人生』(講談社)で、この発言は一緒に予算案提出に奔 走した稲葉修のものであり、自分の発言でなないと否定している。 しかし、かなり強引な形で、現在の原子力発電の惨状につながる原子力 政策を推し進めてた立役者だることには間違いない。 しかし、それは未来を見通さなけらばならない政治家としては失格だっ たのではないか。 改進党の代議士だった中曽根康弘が要求した“原子力予算”は平和利用 研究補助金二億三五〇〇万円とウラニウム資源調査費一五〇〇万円の合 計二億五〇〇〇万円。もちろん、当時の金である。 佐野眞一の『巨怪伝』(文春文庫)のよれば、『朝日新聞』は「原子力 炉予算を削除せよ」と社説で主張し、文部省(現文科省)なども「無謀な 独走」と反対した。 当時の日本学術会議会長の茅誠司も、 「現在の日本で原子炉をすぐつくるべきだと考えている学者は一人もい ない。いきなりりカネが出るとは驚いた」という談話をだしたのである。――》 原発文化人50人斬り ・わたしは、いま、ある得体の知れない怒りに揺り動かされて、 キーを叩いています。◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆
・【プロローグ 福島が壊れる(3)】
地震で原子炉が停止したとだけ伝えられたが、既にメルトダウンは始まっていた
《「――断水したが、電気は来ていた。つけたテレビに釘付けになる。 三陸地方には大津波が本当に押し寄せてきているようだ。時間が経つに つれ、その悲惨な被害の実態が次々に明らかになる。 夜になると、火のついた家や車を押し流しなら、みずから意思をもつか のように畑を進んでいく津波をヘリコプターから撮影した宮城県名取市 の映像が流れ、言葉を失った。 福島県でも新地町で電車が津波にのまれた。見慣れた風景が一変し、折 れ曲がった電車のみが残された情景には衝撃を受けた。 この晩は、郡山市だけでも八〇〇〇人の市民が学校や体育館に避難し、 不安な一夜を過ごすことになる。東日本大震災の初日、三月一一日は、 こうして終わった。 しかし私は、この地震と津波が、福島の原発、福島第一原子力発電所と 福島第二原子力発電所の一〇基ある原子炉にどんな被害を与えるか、思 いをいたすことができなかった。 正直なところ、そうなのだ。報道では原発について、「地震で原子炉が 停止した」とだけ伝えられた。しかし、実際にはこのときすでにメルト ダウンは始まっていた。 「いかなることがあっても原発は大丈夫」 と、福島県民は長年宣伝漬けにされてきた。前福島県知事として国の原 発政策と対峙し続けてきた私でも、妙なもので、心の奥底には信頼があ ったのだ。――》 福島原発の真実 (平凡社新書) ・佐藤栄佐久さんの文章のうまさには舌をまく。失礼な言い方をすれば、 政治家にしておくのはもったいない。もっとも、一流の政治家には文章 家が少なくない。ウィンストン・チャーチルは『第二次世界大戦回想録』 を著して、1953年にノーベル文学賞を受賞しています。![]()
『イギリス・ニッポン政治の品格 』(50)
…おごそかに…
George Friedrich Handel - See, the Conqu'ring Hero Comes! from 'JUDAS MACCABAEUS' Oratorio
『イギリス・ニッポン政治の品格』
単行本: 253ページ 出版社: 展望社 (2011/05) 〔目次〕 ◎ベニハナでウィリアム王子に説教した私 ・ウィリアム王子に贈った養毛剤 ・英国労働党・新党首の父は移民のユダヤ人 ・企業の宿命、再び ・スーザン・ボイルと英国人の夢 ・名門校出身と結婚の関係 ◎矢沢永吉さんにサーヴィスしたこともあった ・高級ホテルのトイレのチップ ・ドルチェ&ガッバーナのバッグと、ブランドいろいろ ・有名人で賑わった日本レストラン ◎ネルスン・マンデーラの南アフリカ ・ネルスン・マンデーラと南アから来た友人たち ・英国と南ア共和国の今昔物語 ◎イスラムの国々とつきあうのは難しい ・スコットランド人の寛大さ ・モズレムからもらったクリスマスカード ◎ホームレスでも豪邸に住める国・イギリス ・まだ見ぬアメリカについて考える ・「RETIREMENT VISA」を知ってますか? ・日本国は日本国民を守ってくれない 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお・けいこ) 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校 に進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て1972年、英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年、二人で帰国、京都で暮らす。1982 年、離婚。1988年、再び英国へ。ロンドンの日本レスト ランのウェイトレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハ ウスキーパーなどを経て、1998年『イギリス人はおかし い』を発表し、注目を浴びる。著書に、『イギリス人はかな しい』『イギリス人はしたたかさ』『わたしのイギリス人 あなたのニッポン』『イギリス・ニッポン 言わせてもらい まっせ』『許すかNOか―イギリス・日本 57年目の和解』 『イギリス ウフフの年金生活』『まだまだ言うぞ イギリ ス・ニッポン』『書かずに我慢できない イギリス・ニッポ ン』がある。
- 作者: 高尾慶子
- 出版社/メーカー: 展望社
- 発売日: 2011/05
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (81件) を見る
≪都会歳時記≫
[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]〔秋〕天文 全窓を灯し雨月の豪華船
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143◆◇◆悪魔の辞典より◆◇◆
アンブローズ ビアス (著)、Ambrose Bierce (原著)、西川 正身 (翻訳)金権政治(plutocracy n.)
共和政体の一種で、その権力は、統治されている者の自惚れ、 つまり、自分たちが統治しているのだと、考えるところから 生じる。 新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆
☆☆ヨーロッパ古城巡り☆☆ <フランス>
The Chateau de Coucy
is a French castle in the commune of Coucy-le-Chateau-Auffrique, in the departement of Aisne, built in the 13th century and ren- ovated by Viollet-le-Duc in the 19th. Château de Coucy - Wikipedia言語と文学 [単行本]
- 作者: モーリス・ブランショ,ジャン・ポーラン,内田樹,野村英夫,山邑久仁子
- 出版社/メーカー: 書肆心水
- 発売日: 2004/12
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
Δ▼Δ▼好奇心丸出し
◇◇◇アラウンド 野田佳彦新首相
事実なら返還すべきだ=野田首相への外国人献金−藤村官房長官
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011090500251■◇気になるサイト◇■
Mike Nock
Mike Nock Ondas [Import, from US] Ondas Billie Holiday Tribute - Sheila Jordan & Mike Nock◎▽<世界のホテル案内> ◇ニュージーランド《ウェリントン》▽◎
Museum Hotel Wellington
90 Cable Street, Wellington, 6011, New Zealand The Museum Hotel Sculpture inspirationaltv.net :“コンラッド・ヒルトン、ヒルトンホテルを創った男の曾孫パリス・ヒルトン”
☆★☆ParisHilton Twitter Selection:
Love all these pics from last night's @DeadMau5 show! So happy he asked me to be the Ghost, so much fun! EPIC! - http://tinyurl.com/3fd96x5 9月4日◆*中東を知らないと遅れをとる*◆
Middle East - Al Jazeera English
Middle East News – the latest from Al Jazeera★☆世界を同時進行で体験する☆★