雨降りが嫌いではない、読み書きするには雨の日がよい

雨降りが嫌いではない、読み書きするには雨の日がよい

【私が子供の時分には、まだ町中で番傘なるも
 のを見かけたものである。番傘と言っても今
 の若い人は知らぬだろうが、竹の軸に油紙を
 張った古来の傘のことである。子供の手には
 太くて重くて、はなはだ厄介な代物であった
 が、雨粒がパラパラと小気味よい音を立てた】

浅田次郎著『ま、いっか。』(129)

第四章 星と口笛(20)
◇完全な美女◇(上)

雨降りが嫌いではない、読み書きするには雨の日がよい

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇U.S. long-distance swimmer Diana Nyad (U.S. long-distance swimmer Diana Nyad (front R), 64,is welcomed ashore after completing her swim from Cuba as she arrives in Key West, Florida, September 2, 2013. Nyad has become the first person to swim from Cuba without a shark cage. REUTERS/Andrew Innerarity) 雨降りが嫌いではない。 雨と思えばうっとうしくもあるが、家や体や 車のまわりに水を閉(た)てたと考えれば、安 らかな気分になる。 とりわけ読み書きするには雨の日がよい。 私が子供の時分には、まだ町中で番傘なるも のを見かけたものである。番傘と言っても今 の若い人は知らぬだろうが、竹の軸に油紙を 張った古来の傘のことである。 子供の手には太くて重くて、甚だ厄介な代物 であったが、雨粒がパラパラと小気味よい音 を立てた。しかし何しろ紙でできているから、 乱暴に扱えばすぐに破ける。 チャンバラの道具に使えばひとらまりもなか った。破れた傘を張り替える職人もいたのだ が、ばんたび修理に出していたのではたまら ぬので、「子供はコウモリを使いない」と祖 母によく叱られたものである。 ずいぶん昔話をしているようでも、私はそれ ほどジジイではない。昭和三十年代の東京下 町の話である。 コウモリ、というのはつまり一般的な洋傘の ことだが、男物は黒と決まっていたのでなる ほどコウモリであった。 いわゆる化学繊維がほとんどなかった時代で あるから分厚い木綿製で、そのボッテリとし た風合がたしかにコウモリなのである。当時 の実物を見なければ、「蝙蝠傘」の実感はわ かるまい。 番傘に較べればよほど実用的ではあるが、コ ットン百パーセントであるから多少の防水加 工は施してあっても、すぐに水を含んで重く なる。 学校の帰り途など、家に近付くほどに重みが 増して、そのうち雨が洩り始める。 軸を伝って流れてくる雨水が袖口から入り、 肘へ腋へと伝ってくる気持ちの悪さといった らなかった。だだし番傘とちがって破れはし ないので、雨が上がればチャンバラの刀であ った。 ☆土門拳「傘を回すこども」小河内村 1935ごろ 土門拳「江東のこども・近藤勇鞍馬天狗 」》 ■番傘とは、粗末な雨傘のことをいいます。 番号を書いた傘に由来します。正徳(1711 ‐1716 )のころに、大坂の大黒屋がつくっ た傘がオリジナルで,一本の竹を30〜35本 に割った太い骨に白紙を張り,エゴマ油で 防水加工したもの。 これが江戸に伝えられ丈夫で値段の安いこ とから庶民の間で大いに流行し,大黒屋傘 の名で全国にひろまりました。 さて、和傘といえば、どうしったて、歌舞 伎の白浪五人でしょう。弁天小僧菊之助が 「知らざあ言って 聞かせやしょう」と例 の台詞をはいても、あの傘がなければ、さ まになりません。 なお、『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなのにしきえ)は、文久2年3月(1862 年3月)に、江戸市村座で初演された歌舞 伎の演目の通称が「白浪五人男」です。 弁天小僧の出がある場のみを上演する際に は『弁天娘女男白浪』(べんてんむすめ めおのしらなみ)と外題が替わり、さらに、 それを尾上菊五郎がつとめる舞台に限って は特に『音菊弁天小僧』(おとにきく べ んてんこぞう)と外題が替わることもあり ます。 きょうは、理屈抜きに、白浪五人男の台詞 をお楽しみください。普段、歌舞伎に興味 が薄い方にも堪能いただけると思います。 ☆白浪五人男 〈稲瀬川勢揃いの場〉 ・文久二年 (1862) 三月江戸市村座初演時の役者絵。  三代目歌川豊国 画、大判三枚続物。左から三代目  關三十郎の日本駄右衛門、初代岩井粂三郎の赤星  十三郎、四代目中村芝翫の南郷力丸、初代河原崎  権十郎の忠信利平、十三代目市村羽左衛門の弁天  小僧菊之助。 ☆海老蔵菊之助勘太郎白浪五人男2 (公開日: 2013/05/10) 【子供の頃の舞台】 参考: ◇弁天小僧 菊之助(べんてんこぞう きくのすけ) 【浜松屋の場での弁天の見顕し】 知らざあ言って 聞かせやしょう 浜の真砂と 五右衛門が 歌に残せし 盗人の 種は尽きねぇ 七里ヶ浜 その白浪の 夜働き 以前を言やぁ 江ノ島で 年季勤めの 児ヶ淵 江戸の百味講の 蒔銭を 当てに小皿の 一文字 百が二百と 賽銭の くすね銭せぇ だんだんに 悪事はのぼる 上の宮 岩本院で 講中の 枕捜しも 度重なり お手長講と 札付きに とうとう島を 追い出され それから若衆の 美人局 ここやかしこの 寺島で 小耳に聞いた 祖父さんの 似ぬ声色で 小ゆすりかたり 名せぇ由縁の 弁天小僧 菊之助たぁ 俺がことだ (つづく) (1506dys-935ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(129)

―――――◎◆◎立ち読み◎◆◎―――――

★『原発ヒロシマ――「原子力平和利用」の真相』(13)

(岩波ブックレット) ・単行本: 64ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/10/8) ・著者: 田中利幸、ピーター・カズニック)(Peter Kuznick) ・原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目 をつむり、原発政策に邁進していったのか。その背景には、 1950年代、アメリカが自らの核戦略を推進するために打ち 出した「原子力平和利用」政策があり、被爆地・広島もそ の戦略の一環として組み込まれたのだった。日本の原発政 策の「原点」を問う。  ☆原発とヒロシマ――「原子力平和利用」の真相 (岩波ブックレット)

▼△第1章 アイゼンハワーの核政策――△▼(5)

     (「戦争」そして「平和」のための原子力利用)
(「戦争」そして「平和」のための原子力利用)
・by ピーター・カズニック・ ・2013/08/08 @長崎
・銃弾と同じように?〈2〉

核爆弾を搭載した爆撃機B36を二〇機、沖縄に集結させた

《「――アイゼンハワーアメリカが保有する核兵器の管理を原 子力委員会(一九四六年に設置された独立行政機関)から軍に移 し、核兵器で脅しをかけるという技を完全なものにした。 それは、誰かの頭に、引き金を引かずに、ずっとピストルを当て ているのと同じやり方で、大統領時代にこの脅しを彼は幾度も使 った。 最初は朝鮮戦争中であった。停戦交渉が長引いた時に、アメリカ の新しい戦術核兵器を使うことを彼は考えた。 一九五三年二月の国家安全保障委員会の会議で、北朝鮮の開城が 攻撃目標として適当ではないかと提案した。総合参謀本部は、か わりに中国を原爆攻撃するほうを勧め、国家安全保障委員会もこ れに賛成した。 アイゼンハワーとダレス国務長官は、共産圏の指導者たちがこの 核攻撃の危険性ははっきり知るように手筈をととのえた。 同年八月、アイゼンハワーは圧力をさらにかけるため、「ビッグ ・スティック(大きな棍棒)」と名づけられた作戦の一部として、 カーチス・ルメイ第二次世界大戦中に東京大空襲をはじめ日本 の焦土化作戦を指揮した爆撃軍司令官)に核爆弾を搭載した爆撃 機B36を二〇機、沖縄の嘉手納基地に集結させた。 ルメイは報道関係者を招いて、その到着を見学させたのである。 ――」》

■日印原子力交渉が再開

時事通信】(9月3日(火)16時51分配信) 日本とインドの原子力協定締結交渉が3日、外務省内で開かれた。 5月下旬に行われた安倍晋三首相とシン・インド首相による首脳 会談で、交渉を再開させることで一致していた。交渉は、2010年 11月以来。   原子力協定は原子力の平和利用を確認する2国間協定で、締結さ れれば、インドへの原発輸出が可能となる。10年6月に開始した 交渉はこれまで3度開かれたが、11年3月の東京電力福島第1原 発事故を受けて中断していた。   日本側から下川真樹太外務省南部アジア部参事官、インド側から ゴータム・バンバワレ外務省東アジア局長が出席。両国は今後、 協定締結に向け、交渉を加速させる。  ▼インドは、核兵器保有し、核拡散防止条約(NPT)に未加 盟なのを、承知に上ですね。さらに、インドはCTBT・包括的 核実験禁止条約にも入っていません。 被爆国として、これで、いいのか。

◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

鎌田慧、斉藤光政『ルポ 下北核半島――原発と基地と人々』☆

・単行本(ソフトカバー): 224ページ ・出版社: 岩波書店 (2011/8/31) ・原子力発電所・核燃料再処理工場・ウラン濃縮工場・ MOX燃料加工工場・高レベル放射性廃棄物貯蔵施設・ 使用済核燃料の中間貯蔵施設、さらに核戦争の最前線基 地として機能する米軍三沢基地。『六ヶ所村の記録』か ら20年、原子力と軍事に侵食される本州最北の地を見 つづけてきた二人のジャーナリストによる報告。 使用済み核燃料が大量に集積される、もっとも危険な原 子力施設 ― 六ヶ所再処理工場原子力センターが姿を 現しつつあるそこは、かつて、農民の土地だった。マグ ロ漁でしられる本州最北端の大間町では、危険と隣合わ せの「最新鋭」原発が建設されている。 その建設地のど真ん中で、建設に抗い、自然エネルギー で暮らす母と娘がいる。原子力開発・核燃サイクルとい う国策のもとに押し潰されてきた人々の暮らしと土地、 そして矜持。フクシマ原発災害を出来させた構造と同じ 光景が広がる下北核半島の現況をリポートする。 ★ルポ 下北核半島――原発と基地と人々 ▼△ルポ 下北核半島――原発と基地と人々△▼(57)
・第1章 悲劇の六ヶ所村(52)
灯しつづける種火(その3)

刈羽原発で、1970年代から建設反対運動を続ける人たちがいる

《「――けっして元気のいい話ではない。四〇年も反対運動を続 けてきたが、いまは自滅を待つしか、再処理工場の操業開始を抑 える手立てはない。 六ヶ所村下北半島全域、そればかりか、各地の原発反対運動や 成田空港反対運動など、わたしには亡くなったひとたちの面影が 記憶にある。 運動初期のころ、最年少だった杉山さんにしても、すでに還暦を 越えた。 彼と知り合ったのは、彼がまだ二〇歳のころだったが、いまでも 種市さんと日本原燃六ヶ所村むつ市原子力安全・保安院労働基準監督署などに質問書を送り、面会をもとめ、回答を引き 出し、抗議している。 だから、運動が負けて反対運動が消えてしまった、いうべきでな い。また燃え上がる火種は残されている、と私は考えている。 たとえば、新潟の柏崎刈羽原発で、プルサーマルの実施が止めら れているのは、ここで一九七〇年代から建設反対運動をつづけて いるひとたちが、活動を停止していまかったからである。 ――」》

オスプレイの実測値要求 北部訓練場アセス

沖縄タイムス】(2013年9月4日 09時27分) 県環境影響評価審査会(宮城邦治会長)が3日、宜野湾市内で開 かれ、米軍北部訓練場内のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建 設で、沖縄防衛局が自主的に実施した環境影響評価(アセス)の 事後調査報告書について審議した。 自主アセスでは米軍普天間飛行場に昨年10月配備されたオスプ レイのヘリパッド使用を想定していないことから、同局に対して、 県内の既存の着陸帯でオスプレイの騒音、低周波音、風圧、排気 熱などを調査し、実測値を提出するよう求める意見が上がった。 県や同審査会がオスプレイの実測値を要求するのは初めて。実際 に県内で訓練していることから、米軍提供の「二次情報」ではな く、実測値を示すよう促す厳しい内容になる。 一方、すでに完成した東村高江の「N4−1」ヘリパッドの供用 前に、オスプレイを対象とした環境影響評価を行い、知事に報告 することを、引き続き同局へ求める声が相次いだ。 同局はこれまで「(自主アセスは)騒音レベルの最も大きいCH 53ヘリコプターを対象としており、新たなアセスの実施は必要 ない」と拒否している。委員らは「オスプレイの実測値を調査し、 CH53との比較データを示した上で、環境への影響が小さいこ とを具体的に明らかにするべきだ」と訴えた。 堤純一郎琉大教授(大気環境)は「着陸の際、エンジン直下の温 度は217度とあるが、オスプレイは排気を横へ逃がすため、直 下だけではなく周辺にも影響が出る。中途半端な予測ではなく、 実測値を確実に出してもらうことが大切」と要望した。 横田昌嗣琉大教授(陸域植物)は「乾いた森に熱風が吹くと、山 火事が予想される。影響を予測しないと、十分な対策はとれない」 と強調した。 審査会では、赤土流出や風圧による動植物への影響も指摘された。 委員らは意見をまとめ、知事へ答申。知事は9月中に、同局へ措 置要求を提出する。 ★”核”を求めた日本 被爆国の知られざる真実 「NHKスペシャル」取材班 ”核”を求めた日本 被爆国の知られざる真実

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・妻よりもやさしく起こす車掌さん  下関 猫またぎ
・個人では何の恨みもない戦争    北九州 満州
・詳しくはウェブじゃなくて今言って 北九州 峡子

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

・小諸なる古城のほとり・
島崎藤村 小諸(こもろ)なる古城(こじょう)のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 緑なす繁縷(はこべ)は萌えず    若草も藉(し)くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡邊(おかべ) 日に溶けて淡雪(あわゆき)流る あたたかき光はあれど 野に滿(み)つる香(かおり)も知らず 淺(あさ)くのみ春は霞みて 麥(むぎ)の色わづかに青し 旅人の群(むれ)はいくつか 畠中(はたなか)の道を急ぎぬ 暮れ行けば淺間(あさま)も見えず 歌哀(うたかな)し佐久の草笛(くさぶえ) 千曲川(ちくまがわ)いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁(にご)り酒濁(にご)れる飮みて 草枕(くさまくら)しばし慰なぐさむ  (落梅集)  ※島崎藤村(しまざき とうそん)  (1872年3月25日 - 1943年8月22日) 小説家・詩人。本名春樹。長野県生れ。 上京して明治学院を卒業、「文学界」 を創刊。「若菜集」により日本の近代 詩を樹立したが、のち散文に転じて 「破戒」「春」「家」「新生」「嵐」 「夜明け前」などの小説を発表。 ※Wikipedia:島崎藤村   

◇◆◇『西方の人』◇◆◇〈36〉

西方の人 イエス・キリストのこと。「西方」という言葉は、 地理的・文化的な「西洋」に対し、思想的・宗教的な意味をこめ て使われている。「西方」は〈さいほう〉〈せいほう〉の二つの 読みが現在行われている。
・36 クリストの一生・
勿論クリストの一生はあらゆる天才の一生のやうに情熱に燃えた 一生である。 彼は母のマリアよりも父の聖霊の支配を受けてゐた。彼の十字架 の上の悲劇は実にそこに存してゐる。彼の後に生まれたクリスト たちの一人、――ゲエテは「徐(おもむ)ろに老いるよりもさつ さと地獄へ行きたい」と願つたりした。が、徐ろに老いて行つた 上、ストリントベリイの言つたやうに晩年には神秘主義者になつ たりした。 聖霊はこの詩人の中にマリアと吊(つ)り合(あ)ひを取つて住 まつてゐる。彼の「大いなる異教徒」の名は必しも当つてゐない ことはない。 彼は実に人生の上にはクリストよりも更に大きかつた。況(いは ん)や他のクリストたちよりも大きかつたことは勿論である。彼 の誕生を知らせる星はクリストの誕生を知らせる星よりも円(ま る)まるとかがやいてゐたことであらう。 しかし我々のゲエテを愛するのはマリアの子供だつた為ではない。 マリアの子供たちは麦畠の中や長椅子の上にも充ち満ちてゐる。 いや、兵営や工場や監獄の中にも多いことであらう。我々のゲエ テを愛するのは唯聖霊の子供だつた為である。我々は我々の一生 の中にいつかクリストと一しよにゐるであらう。 ゲエテも亦彼の詩の中に度たびクリストの髯(ひげ)を抜いてゐ る。クリストの一生は見じめだつた。が、彼の後に生まれた聖霊 の子供たちの一生を象徴してゐた。(ゲエテさへも実はこの例に 洩れない。) クリスト教は或は滅びるであらう。少くとも絶えず変化してゐる。 けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであらう。それは 天上から地上へ登る為に無残にも折れた梯子はしごである。薄暗 い空から叩(たた)きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……

■◇■《シリコンバレー金言集》■◇■

梅田望夫著『ウェブ時代5つの定理』から
・文庫: 302ページ ・出版社: 文藝春秋 (2010/2/10) ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)インテルアンディ・グローブはこう言った。 「パラノイアだけが生き残る」。グーグルのマ リッサ・メイヤーはこう言う。「政治的になる な、データを使え」―。94年にシリコンバレー に居を定めて以来、ウェブビジネスの最先端に かかわってきた著者が読み解くシリコンバレー の言葉の数々を紹介。ここで取り上げられた言 葉は、皆、英語です。日本語訳は上杉隼人氏。 ※Wikipedia:梅田望夫
◆第3定理 技術者の眼

《プロダクトを何で差別化するか》》

アップルは世界中でいちばんデザインサビーな会社だ。 スティーブ・ジョブズがいるからだ。アップルはカル ト(な会社)だけれど、デザインチームはもっと強烈 にカルトだ。
―― レイ・ライリー
Apple is the most design-savvy conmpany in the world, and it's because of Steve Jobs. Apple is a cult,and Apple's design team is an even more intense version of a cult.
―― Ray Riley
(57)

◎◆◎アートのたのしみ《サー・トーマス・ローレンス》◎◆◎

George IV 1762-1830
〈年不詳 個人蔵〉
☆サー・トーマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence) 〈1769年4月13日 - 1830年1月7日〉 イギリスの画家。ブリストルで生まれ。父は宿屋を営む。6歳 のころから、客の好きな物を描いてみせ、絵かきの片鱗を見せ ていました。父が事業の失敗したときには、トーマスの絵の才 能が家計を支えました。 絵で身を立てる決意をしたトーマスは、1787年にロンドンへ出 て、ジョシュア・レノルズ創設のロイヤル・アカデミーの生徒 となり、彼の絵はたちまち評判を得て、1791年にはアカデミー 会員となります。ほどなく、ディレッタンティ協会の画家に任 命され、国王ジョージ3世のお抱え画家の地位を獲得します。 1820年からロイヤル・アカデミーの会長職に選ばれた。逝去す るまで会長職を務めました。なお、彼は生涯独身を通しました。
☆Sir Thomas Lawrence『自画像』(1788年)
   〈デンヴァー美術館蔵〉 ◆Sir Thomas Lawrence 【アップロード日: 2009/12/09】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

☆MAHALIA JACKSON Live late 1960's We shall overcome (アップロード日: 2007/02/25) 【We shall overcome--very moving she gets totally saturated with the song, even at the end as she walks from the mic the power of her voice is still overwhelming. This song was a staple of the civil rights movement, Mahalia worked closely with Dr. Martin Luther King. She also sang Precious Lord at his funeral in 1968】 ☆☆マヘリア・ジャクソン ・マヘリア・ジャクソン(Mahalia Jackson) (1911年10月26日 - 1972年1月27日) ジャズやゴスペル、黒人霊歌を得意とし、現在もゴスペル界最 高峰の歌手として語り継がれている。 ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれ、市内アップタウンの 黒人が多く住む Black Pearlと呼ばれる地区で育ちながら、バ プティスト教会で唄い始める。1927年にシカゴへ移り、ゴスペ ルグループであるジョンソン・ブラザーズのメンバーとしてプ ロの音楽活動を開始する。 1937年にソロとして初のレコーディングを行い、このレコーデ ィングを切掛けに、音楽関係者たちから実力を認められるよう になり、有名なコンサートへ出演する機運に恵まれる。 1948年の「Move on up a Little Higher」によって、商業的に も成功を収める。レコードの急激な売上上昇に追いつかず、レ コードショップは在庫を常に切らした状態だった。 死後、彼女はゴスペル・ミュージック協会から「ゴスペル・ミ ュージックの名誉」との称号を与えられている。 ★Wikipedia:マヘリア・ジャクソン

◎歌集 『美しく愛(かな)しき日本』 岡野弘彦◎より

親ゆずり 祖父(おほぢ)ゆずりの政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろばす 民を亡(ほろ)ぼす 歌集 美しく愛しき日本
◆"Abe Shinzo, a Far-Right Denier of History"
安倍晋三 極右の歴史否定論者〉 (by The Asia-Pacific Journal, Vol 11, Issue 1, No. 1, January 14, 2013)

◆◇◆日本国よ、沖縄に謝れ! 日本国よ、福島を返せ!◆◇◆